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特別企画 北村紗衣「ウィキペディアとフェミニスト批評」

特別企画 北村紗衣「ウィキペディアとフェミニスト批評」中編

 北村紗衣さん(武蔵大学准教授)のお話の中編をお届けします。
 ウィキペディアを編集しているのは北アメリカ出身の白人男性が多いようです。作り手の偏りが、女性に関する記事の少なさ、さまざまなバイアス、記事内容の質の低下を招いている事例を見ていきます。

 前編はこちら

ウィキペディアの信頼性

 では、信頼性はどうなのか。英語版、日本語版の調査によれば、「そこまで信頼できないわけではない」と言われています。荒らされていない記事は大丈夫なんです。信頼性が高くて、読みものとしても面白い記事もあります。

 例えば、「地方病(日本住血吸虫症)」という病気の記事があります。図や写真がいっぱいあって、読むだけで時間がかかってしまうすごい分量です。注が308番まであるんです。これは寄生虫研究者からも注目されている記事だそうですので、たぶん信頼できます。

 それから、変わったもので、私が一番お気に入りの「激おこぷんぷん丸」という記事があります。これは俗語に関する記事なのにちゃんとしていて、ほとんどがまともな出典で49番まで付いています。こういう書きづらそうな俗語でも、きちんと出典を見つけて書けば信頼性の高い記事ができます。資料の探し方がうまい人が書けばきちんとした記事ができるはずなんです。

 しかし、構造上、問題もあります。特に参加者が少ない言語ほど問題が起こります。例えば、スコットランドの言語として英語の親戚であるスコッツ語というのがあるんですが、スコッツ語が全くできない若者が勝手に記事をたくさん書いたせいで、スコッツ語のウィキペディアが大変なことになった事例があります。

ウィキペディアの架空記事問題

 ウィキペディアは基本的にみんな無料で書いていますので、誰も気付かないと嘘が長期間放置されるという問題があります。

 例えば、英語版の「島原の乱」に関する記事にでたらめが書かれており、これを試験の答案に書いた学生が続出したことからアメリカの大学で大問題になって、ウィキペディア禁止令が出たという話があります。ウィキペディアンがみんな知っている「ビコリム戦争事件」というのもあります。英語版の2007年から2012年まで嘘の戦争がずっと書いてあったというものなんで、しばらく誰も気付かなかったらしいんです。日本語版で大問題になったものに「央端社事件」 というのがあります。これは、ベテランのウィキペディアンだった人が書いた犬の記事が、架空の出版社が出した架空の本を出典にしており、ほとんど嘘だったというものです。

 ウィキペディアンはみんな、基本的にお互い善意で資料を探して書いていると考えていますし、知らない分野の記事は読みませんので、参加者が少ない分野で誰かが嘘記事を書くと長期間、誰も気付かず放置されてしまうことが結構あります。ちなみに、英語版の日本史の記事は結構、間違っているものが多いです。そもそも漢字が読めないのか、読み方がおかしいものもあります。

強固なジェンダーバイアス

 今日のメインのお話の一つになりますが、ウィキペディアのジェンダーバイアスは結構強固です。冒頭に『SHERLOCK』の場面を出しました。マイクロフトはイギリス人ですが、ウィキペディアンは「男性で、北アメリカ出身で、コンピュータ狂か専門の学者」(ピーター・バーク『知識の社会史2――百科全書からウィキペディアまで』井山弘幸訳、新曜社、2015年、p. 426)というイメージが強くあるらしいんです。そして、実際にどうもそのようなんです。

 2011年にウィキメディア財団が行った調査によりますと、女性の編集者は全体の9%くらいで、2013年の別の研究でも16%ぐらいではないかと推定されています。そもそもウィキペディアというところは、どういう性別の人がどういう記事を書いているのかよく分からないので、この調査がどの程度信用できるのかは分からないんですけれども、そこまで大きく外れているということはないように思います。

 一般的に、記事を書いている人のバラエティがあまりないと、分野が偏りがちになります。ウィキペディアの質向上は、いろいろなバックグラウンドを持った人、いろいろなことに関心のある人をリクルートすることにより実現されます。

 例えば、サッカーの記事を書いている人に、いきなり野球の記事を頼んでも書けるようにはならないし、勉強してもなかなか質は上がりません。もともと野球に関心がある人をリクルートしてきて記事を書いてもらったほうがよいということですね。今いるウィキペディアンのうち、男性ウィキペディアンが勉強して女性の記事を書くよりも、女性をリクルートするほうがいいということになります。

 つまり、ウィキペディアンのバラエティが少ないと記事の質が下がるので、女性が少ないと女性に関係する記事が充実しなくなり、結果としてウィキペディアの質が下がる可能性があるんです。これは、女性に限らずあらゆる分野に言えます。

特筆性とジェンダー

 ウィキペディア用語で「特筆性」というのがあります。一般的にウィキペディアでは女性に関する記事が少なくて、また、女性に関するものとみなされている事柄は削除依頼に出されやすいと考えられています。「削除依頼」というページがウィキペディアにありまして、何の記事を削除するかというのをコミュニティの議論と投票で決めます。

 ウィキペディアではどの記事を削除するか、管理者を誰にするか、記事に何を載せて、何を載せないか、ルールをどう変えるかということは、すべて議論と投票で決定します。誰かの一存で決められるようなものではありません。誰が議論に参加できるかというと、アカウントを持っていて継続的に活動している人なら誰でも参加できます。

 何かの記事がおかしいから消したほうがいいと思ったら、削除依頼テンプレートというのを使って、削除依頼という場所に依頼を提出します。明らかに削除すべき記事であっても、議論と投票を経るため、削除するまでに最低1週間ほどかかります。

 そのときに問題になるのが特筆性という概念です。日本語版に「Wikipedia:独立記事作成の目安」という基準が載っていて、特筆性について説明されています。これは難しい概念でして、「有名」と似ているけれども違います。百科事典の記事として言及するにふさわしい価値のことを特筆性と言います。

 つまり、「立項される対象がその対象と無関係な信頼できる情報源において有意に言及されている状態」であれば、特筆性があると言います。大変簡単に言うと、大手の新聞とか学術論文とか、こういった複数のソースで結構ページを割いて言及されていれば、それは特筆性があるとみなされるので記事が立てられます。例えば、『朝日新聞』と『毎日新聞』と『日経新聞』に載っていたら記事が立てられますし、ある作品に関する学術論文が3本出ていたら、その作品は立項できます。

 しかし、自分に関係ないものや興味がないものに対しては、特筆性を低く見積もりがちになります。ウィキペディアに参加している人たちの多くが興味を持たない分野に関しては、やたらと特筆性ハードルが高くなったりすることもあり得ます。

 ウィキペディアには「秀逸な記事」というのがありまして、トップクラスの記事をリストしています。日本語版で114万本ぐらいあって、そのうち85本、0.007%ぐらいが秀逸な記事です。このうち、女性に関係あると言えそうなものは2つぐらいです。「シビュラの託宣」と「アンネ・フランク」ですね。ほとんどはジェンダーニューラトルなものなんですけれども、これ以外は女性に関係があると言えそうなものはありません。

 それから、「良質な記事」は1,635本あって、全体の0.1%です。これには女性の記事も結構あるのですが、女性が着る衣類とか化粧品についての記事は1本もありません。重要文化財指定を受けている女性の着物は結構あるし、論文もあるので、記事は普通に作れるはずなんですけれども、誰も作ろうとしていないし、作られていないんです。

キャサリン・ミドルトンのウェディングドレス問題

 キャサリン・ミドルトンがウィリアム王子と結婚式を挙げたときに、そのウェディングドレスだけについて英語版ウィキペディアに記事を作った人がいたんです(“Wedding dress of Catherine Middleton”)。これに特筆性があるかどうかがすごく問題になりました。キャサリン・ミドルトンのウェディングドレスはあらゆるファッション誌で報道されましたし、『BBC』とか『ガーディアン』とかにも載りました。この結婚式があった2011年4月時点で、恐らく世界で最も高度な服飾技術を用いて作られたドレスで、今後数年間のウェディングドレスの流行に影響を及ぼすものとなることは確実であったわけです。文化的な影響がかなりあるはずなのに、こんな記事は要らないのではないかという人が多くて削除依頼が出たんです。

 この削除依頼はマスメディアでも報道されまして、ウィキペディアの創始者の一人であるジミー・ウェールズがコメントする騒ぎになりました。ウェールズは、コンピュータのOSであるリナックスのディストリビューションに関しては、誰も知らないようなものであっても英語版ウィキペディアに100以上記事があるのに、それに関して誰も文句を言う人はいない一方、キャサリン・ミドルトンのウェディングドレスは明らかに文化的な影響が大きいものなのに、削除されるのは何かおかしいんじゃないかというようなことを言っています。

 結局、このキャサリン・ミドルトンのウェディングドレスの記事は削除されないことになりまして、日本語版の記事は私の学生が作りました。その後も、「オードリー・ヘプバーンの黒いジバンシィドレス」と、「グレース・ケリーのウェディングドレス」を私の学生が作りました。キャサリン・ミドルトンの問題以来、有名なドレスについては、そこまで特筆性は問われなくなっていると思います。

音楽の記事に見られるバイアス

 アイドルグループに所属しているメンバーはソロ活動がない限り独立記事は作らせてもらえません。つまり、「AKB48」の記事は作れますが、それに所属しているメンバーは、独自にお芝居やテレビに出るなどソロ活動をしていないと、独立記事は作れないんです。

 2010年から活動している「ワン・ダイレクション」というグループがあるんですけれども、このメンバーにハリー・スタイルズという人がいます。彼は結成当時からすごい有名人だったんですけれども、この理由で2012年まで英語版で記事を作らせてもらえませんでした。

 一方、チャス・ニュービーという人の記事があります。このチャス・ニュービーという人を知っている方はいますか? どなたもおられないですね。チャス・ニュービーはほんのわずかな間、ビートルズのギグでベースを弾いていた人なんです。このチャス・ニュービーの記事は、特筆性に疑問が付けられてはいるものの、2007年から消されていないんです。

 女の子が好きなアイドルグループと歴史上有名なビートルズみたいなバンドで、扱いに差があるんです。この辺にも何らかのバイアスが働いていると考えられます。

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著者略歴

  1. 北村 紗衣

    1983年、北海道士別市生まれ。専門はシェイクスピア、フェミニスト批評、舞台芸術史。東京大学の表象文化論にて学士号・修士号を取得後、2013年にキングズ・カレッジ・ロンドンにて博士号取得。現在、武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。著書に『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』 (白水社、2018年)、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』(書肆侃侃房、2019年)訳書にキャトリン・モラン『女になる方法』(青土社、2018)、『不真面目な批評家、文学・文化の英語をマジメに語る(1・2)』(EJ新書、2020年)など 。

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