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特別企画 北村紗衣「ウィキペディアとフェミニスト批評」

特別企画 北村紗衣「ウィキペディアとフェミニスト批評」前編

 『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』(書肆侃侃房、2019年)で、専門のシェイクスピア作品はもちろん、『嵐が丘』『サロメ』等の古典から「男らしい」映画『バニシング・ポイント』『ファイト・クラブ』、はたまたディズニーの『アナと雪の女王』まで、フェミニズムの視点から縦横無尽に分析し、批評の面白さを広めた北村紗衣さん(武蔵大学准教授)を講師にお招きし、編集部のスタッフを中心に勉強会を行いました(2020年10月5日)。
 いまや誰もが利用する百科事典「ウィキペディア」。北村さんはその編集に長年関わるウィキペディアンでもあります。ウィキペディアの記事がどのように作られているかを英語版、日本語版を中心に詳しく話してくださいました。百科事典は社会の鏡と喩えられるように、そこから浮かびあがってくるのは強固なジェンダーバイアスです。
 北村さんのお話を前編・中編・後編の3回にわたってお届けします。

 ウィキペディアに関してお話しするときに必ず使っている画像があります。これはBBCの『SHERLOCK』というテレビドラマのスクリーンショットです。シャーロック・ホームズが「あんたは何なの、ウィキペディア?(What are you, Wikipedia?)」と聞くと、お兄さんのマイクロフトが「うん」というふうに答えるという場面です(『SHERLOCK』第4シリーズ・第1話)。ウィキペディアンとしては面白い場面です。というのも、ウィキペディアを書いているのは、このマイクロフトみたいな白人男性で専門職に就いていて、大学か大学院を卒業している人というイメージが皆さんにあるんです。これに関しては、後で詳しくお話ししたいと思いますが、導入として頭に置いていただけるとうれしいです。

 2018年に「賛否両論の「高輪ゲートウェイ駅」 ウィキペディアで起きた知られざる攻防 」という記事を書きました。ここでは、ウィキペディアの手続きに関する簡単な説明をしました。同じ年に「ウィキペディアが、実は「男の世界」だって知っていましたか」という、ウィキペディアとジェンダーバイアスについての記事も書きました。それから最近、『情報の科学と技術』という雑誌に「ウィキペディアにおける女性科学者記事」という文章を書きました(70巻3号、2020年)。今日は、このあたりに沿って、お話ししていきたいと思います。

研究していること

 私は、学士と修士まで東京大学の表象文化論という芸術系の学科におりまして、その後、イギリスのキングズ・カレッジ・ロンドンの英文科に留学して、そこで博士号まで取って帰ってきました。2014年から武蔵大学で教えています。専門分野は、シェイクスピア、舞台芸術史、フェミニスト批評で、普段はウィキペディアとか情報学とは全然関係ないことをしています。

 博士論文までは「16世紀の末から1769年までのブリテン諸島における女性の読者や演劇の観客は、シェイクスピアのお芝居をどのように受容していたのか?」ということについて研究していました。これは一種のファン研究でして、女性がシェイクスピアについて書いた批評とか、シェイクスピアの作品を基にした翻案作品を探して分析していました。世界中の図書館を巡って古い本を見て、そこに書き込まれた持ち主の名前とか本の来歴、移動経路や持ち主の女性の暮らしぶりを追跡するというような研究をしていました(『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち――近世の観劇と読書』白水社、2018年)。文学研究と聞いて想像するものとかなり違うことをしているので、学生たちには「探偵のようなお仕事です」というふうに説明しています。

英日翻訳ウィキペディア養成セミナー

 2015年から私のやっている「英日翻訳ウィキペディア養成セミナー」という授業は、学生の英語力・調べ物技術の向上と日本語版ウィキペディアの発展を2本の柱とする教育プロジェクトです。ウィキペディアの英語記事を学生に翻訳してもらって、日本語の記事として公開することを目標としています。記事は基本的に私が指定したリストの中から選ぶことにしています。

 授業をすることになったきっかけには学生たちの要望がありまして。「実用的な英語を教えてほしい」、「ニュースとかは面白くないから、文学的テキストを読みたい」という、全く方向性の違う要望があったんです。これを同時に解決するにはどうするかと考えて、ウィキペディアを訳したらどうかと思いつきました。ウィキペディアは生きた英語です。ウィキペディアを訳すことで、Webを使った情報リテラシー教育と古典的な訳読を組み合わせた授業ができると考えました。それから、社会貢献にもなります。自分が翻訳したものがたくさんの人の役に立つというのは、一種の専門技術を用いたボランティア活動なので、モチベーションを保ちやすいようです。

 ウィキペディア内にプロジェクトページを設置しています。注意事項や翻訳候補記事の一覧を載せています。それから、成果記事一覧というのもありまして、今まで学生が作った記事を全部リストしたものです。強化記事も含めて245本の記事を作りました。

ウィキペディアと教育

 教育でウィキペディアを使おうという動きはあります。各国の大学などでもウィキペディアを書くプロジェクト授業はありますし、日本でよくあるのは、「ウィキペディアタウン」(町おこし+エディタソン)です。エディタソンというのは「エディット+マラソン」のかばん語で、ウィキペディアとかオープンストリートマップをみんなで編集するイベントです。非常に日本で人気があり、公共図書館などでしょっちゅうやっています。

 プロジェクト:アウトリーチのところに「ウィキペディアタウン」という記事があります。みんなで町の神社とか地元出身の著名人などについて、図書館の資料を使ってウィキペディアの記事を書くという催しです。

 他にも、阿児雄之先生が東北学院大学でやっている博物館情報・メディア論の実習とか、時実象一先生の図書館情報学プロジェクトとか、応用力学会がやっていた応用力学Wikipediaプロジェクトとか、日本でもいくつか教育やアウトリーチのためのプロジェクトがあります。

ウィキペディアの三大方針

ウィキペディアには3つの一番大きい各言語版共通の方針があります。

(1)検証可能性

(2)中立的な観点

(3)独自研究は載せない 

(1)検証可能性

 ウィキペディアは、真実を載せるところではないんです。ウィキペディアは、検証できる情報を載せるところです。ですので、ウィキペディアは信頼できそうな刊行物に出典が掲載されている情報だけ書きます。自分の知識を出典なしで書いてはいけません。世間に出回っている情報でも個人ブログやSNSとかに載っているものではいけません。未刊行の手稿などの情報を基にしてもいけません。学術書や学術論文、大手新聞社や専門雑誌の記事を出典にしたことを書くのがウィキペディアです。

 ですから、必ずしも真実が載っているとは限りませんし、書くほうも、真実を載せようというよりは、検証できることを載せようという精神で書くべきだと言われています。つまり、出典というのが非常に大事になってきます。ほとんど1行ごとに注を付けなければいけないという決まりがウィキペディアにはあります。これなしで書くと、無出典ということで消されてしまうということになります。

(2)中立的な観点

 ウィキペディアは中立でなければいけないとされています。例えば、邪馬台国はどこにあったかという議論で、畿内にあった/九州にあったという二大学説があります。その場合は、どちらかに偏って書いては駄目で、同じ分量で同じぐらい信頼できる数の資料を使って両方の説にバランスよく触れる必要があります。必ず両論併記になるということです。それ以外のマイナー説についても信頼できる資料を持ってきて触れなくてはいけません。中立的な観点という決まりは、こういう書き方を定めるものです。

 これが大体の場合はうまくいくんですけれども、ものによっては全くうまくいかないことがあります。というのも、何かの出典に書いてさえあれば、中立的な観点という決まりをたてに書くことができるからです。全くのデマみたいな説でも、誰かが新聞で言ってしまえば書けるようになってしまうことがあります。一応出典はあるんですけれども、全く信用性のない情報が書いてある場合どうするかという点で、この中立的な観点というのは運用が難しいところです。

 また、古い学説・情報であっても出典がきちんとしていると削除できないので、記事が肥大化して読みにくいという問題も生じます。

(3)独自研究は載せない

 ウィキペディアを書く人というのは、自分の考えを書いてはいけません。ウィキペディアには信頼できる資料で既に公開されているものしか書いてはいけないので、そもそも一次資料(ウィキペディアにおける「一次資料」というのは「一次史料」とは違います)を用いて書くのも駄目です。

 例えば、戦争関係の記事で戦闘や軍艦の情報などを一次資料だけを基に書いているものがあるんですが、ああいうのは実は全然駄目なんです。一次資料の解釈は専門家しかできないので、一次資料について専門家が書いた二次資料を探してきて書かなくてはならないという決まりがあります。

 研究者というのは独自研究をするのが仕事ですよね。しかし、ウィキペディアではそれは一切やってはいけません。自分で調査して分かったことを書いてはいけないんです。先行研究レビューみたいなことしか書いてはいけません。

 これは、必ずしもウィキペディアンは専門家ではないため、専門家基準で書き方を決めてしまうと、素人がものすごく間違ったことを書いたりしてしまうので、それを避けるためのシステムです。

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著者略歴

  1. 北村 紗衣

    1983年、北海道士別市生まれ。専門はシェイクスピア、フェミニスト批評、舞台芸術史。東京大学の表象文化論にて学士号・修士号を取得後、2013年にキングズ・カレッジ・ロンドンにて博士号取得。現在、武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。著書に『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』 (白水社、2018年)、『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』(書肆侃侃房、2019年)訳書にキャトリン・モラン『女になる方法』(青土社、2018)、『不真面目な批評家、文学・文化の英語をマジメに語る(1・2)』(EJ新書、2020年)など 。

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