スペシャルトーク「殺して、食べて、育てる」後編@青山ブックセンター本店
前回に引き続き、哲学者の檜垣立哉さんと、10年間屠畜場で働いていた作家・佐川光晴さんの対談をお届けします。
大きな声では語れない「生き物を殺して食べる」ことに、真正面から迫ります。
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生と死の境は分からない
檜垣:佐川さんは『牛を屠る』のなかで、死って言葉は極端に使わなかったと書いてあるじゃないですか。ここもけっこう重要だと思うんですよ。死という言葉は哲学者だと抽象的なんです。でも殺すというのは哲学者の立場すると、ある意味で具体化のところに降りて状態を指すんじゃないかと思うんですよ。
つまり生と死というのはみんなが考えるじゃないですか。自分は生まれてきたし、自分は死ぬし。僕はすべての学生に言いますけれどもね。「死ぬのはみんな同じなんだから」と。どんな偉くたって、どんなバカだって、どんな金持ちだって、どんなみじめな人生を送ったって、みんなが同じで死ぬんだから、人生なんて、いいんだよ。いや、一種の真実ですよね。死ぬことは一緒ですよね。何も持っていけないしって、まあ言うんですけれども。哲学者って抽象的に生と死って考えてしまうんですね。佐川さんがここで「死」という言葉を、本の中で、たぶん小説(「生活の設計」)もなんでしょうが、使わなかったと。
佐川:そうですね。
檜垣:そこが僕はちょっと面白いなと思って。哲学者は抽象的に考えてしまって、殺すってやっぱり死の問題とすっとつながってしまうと思うんですよね。だけど、やっぱり現場って違うんだろうなと。どうですか。
佐川:さっき言ったことの繰り返しになりますが、初日にいきなり豚の放血場に行かされたわけだけど、まさに右も左も分からない。面接の日に僕を怒鳴った係長に、「ついてこい」と言われて、急なステンレスの階段を下りていった。薄暗い場所で、そこにホースの水を掛けられて豚が追い込まれて来きたんですよ。それで、おっかなびっくりしながらも、どうにか「ひっかけ」ができるようになってきて、30頭くらいやったときかな、巨大な豚が現れて、それには度肝を抜かれましたね。種豚、つまり去勢されていない牡豚で、全身が剛毛でおおわれて、口から牙がはみ出している。豚というよりは猪ね。頭蓋骨もぶ厚いから、こめかみにスタンガンを何回当てても気絶しないの。
檜垣:ああ、強いんだ。
佐川:するともう、ブヒブヒブヒと言っているのを無理やり気絶させて、胸も簡単には割れないから、僕が止めたベルトコンベヤーの上に乗っかって、前足を両手でぐっと持って反りかえる。そうした体勢で、種豚の胸が割られていくところを間近に見た。そうすると、包丁がろっ骨を断ち割っていく感触が僕にも伝わってくるんだよね。そして心臓が割られて鮮血があふれ出すと、筋肉の張りが失われてしまう。
そうした一連の作業の中で、どこかで死が起きているわけだけれども、こっちはとにかく必死で種豚の前足を持ち上げていて、どこまでが生で、どこからが死だなんて分からない。分かっているのは、生と死の境にいる生きものに直に触れているということ。いつ死んだのかなんて気にしている余裕はない。
檜垣:それは重要な話ですよ。
佐川:僕は3ヵ月くらいで豚から牛に移るんですが、2階の作業場では、生きている牛が枝肉になるまでの全過程が、微分されたようにして、パノラマとして展開されているわけだ。そういう中で仕事をしていく。係留場では牛が啼き、牛の眉間を銃で撃ち抜くパーンっていう音。その牛が四肢を同時に畳んで倒れる「どさっ」という音。器械を動かすためのコンプレッサーの音。そういういくつもの音の中で、血は血として流れて、切り取ったメス牛のオッパイからは白い乳が流れる。そういう中で、とんでもなく切れるナイフで自分の指を切ったり、脚を刺したりしないように気をつけながら、一心不乱に、汗だくになって働く。ある意味残酷だし、原罪と言えないこともないけれど、生きているものというのはフレッシュでね。牛も豚も血はきれいで、熱いんだ。
檜垣:牛の血とかが熱いって書いてありましたね。
佐川:ええ、そうです。だから、ただただ強烈でね。悪みたいな要素、弱かったり、ひきょうだったり。そういう要素は入り込む隙はないということです。
檜垣:僕も本の中で宮沢(賢治)の話を書いているんですが、宮沢は完全に動物と1対1の殺しあいですよ。だから、例えば熊の話を書いてますが、昔のマタギの世界ですよね。あれは結局、俺が殺されるか、おまえを殺すかの場面じゃないですか。この場面の対等性というのは倫理的には語ることができない。マタギも熊に殺されて、これで良かったんだ。おまえらの命をさんざん奪ってきて、俺は今まで食ってきたと。で、最後に俺が熊に殺されるのは当然だみたいな。
佐川:西部劇の1対1みたいな感じですよね。
檜垣:そうそう。熊狩りとかそんな感じの、イノシシだってそうですよね。だから、現代社会なんて、それが全部ベルトコンベヤーになってしまう。1対1性というのがどんどんなくなってしまう。佐川さんみたいな人は、待っているとものすごい熱い血しぶきがかかるんだ、ああ、熱いみたいな。この感覚はやっぱり分かるわけですよ。大切だなと。だから逆に言うと、それがまったくない食べ物というのがいろいろな所で流通しているというのは、どう考えたらいいのかなと。
佐川:今、僕は10本の指が全部曲がるんですけれども、僕が屠畜場いたころに50歳くらいだった人で、こうやって10本の指が全部曲がる人は半分いなかったです。どこかで指の腱(けん)を切ってしまっていて小指が曲がらないとか、機械で指を落としている人とかもいたし。あとは、きつい仕事なので、本当にへとへとになる。ちょっと気を抜けばケガをするから、1対1の決闘みたいな緊張感はありましたね。
哺乳類であることと動物性を受け入れる
佐川:僕は豚も牛も馬も知っていますけれどもね。それぞれがかわいいし、檜垣さんが書かれていたみたいに、自分がこれからやられるだろうということを、およそ分かっているんじゃないかと感じることはありました。
檜垣さんの本の中で、豚のPちゃんで、生と死、要するに自分たちがPちゃんと名前を付けた豚を食べられるのかどうかという。実に3年間も育ててしまったから、もう硬くて食べられない豚を食べられるのかどうかというのを小学生たちが議論するという話で、結局それはもう責任をどう取るのかみたいな話が出てきて。それは、無責任たらざるを得ないのであるということが出てくる。あと武田泰淳(たけだ たいじゅん)の『ひかりごけ』(新潮社)。人肉食の話ね。
檜垣:カニバリズムね。食べるというところで、それもまた重要なテーマ。
佐川:僕は武田泰淳の書いたもので面白かったのは、エッセーですけど、武田泰淳ってお母さんがとてもきれいな人だったんですって。お父さんも割にすらっとした男性だったんですって。で、青年になると、つまり自分が生まれてくるために、この両親がどういう行為をしたのかということは知っているんだけれども、それを思い浮かべる気にならない。
檜垣:そりゃそうだね。
佐川:そう。当たり前なんだけれども。僕も、自分が生まれてくるために両親がした行為をありありと思い描きはしない。そんなことは、やっぱり必要でないですね。
檜垣:グロテスクです。
佐川:泰淳は、「自分はそれは想像はできないし、しようとも思わないし、だから、そこに動物の雄と雌が子孫を残すためにする行為が行われたのは事実だろうけれども、やっぱりそれは想像できないんだ」と言っている。自分たち夫婦が哺乳類であること、それによる動物としての属性は受け入れている。親はどうしてこの子が生まれたのかということを知っているわけだけれども、それはことさら語ることではないですよね。いつこういうことをしたからきみが生まれてきたんだと言う必要はない。
だから暗黙のうちに受け入れているというのと、でも、先ほど檜垣さんが言われたみたいに、日本においては、特に哺乳類を屠畜解体する行為があまりにも見えなさすぎるということが、子どもたちが生きていくうえで、どういうふうにつながっているのか。僕は最近、子どもたちがほら、人を殺してみたかったと、どこまで本当か嘘か分からないようなことを言って傷害や殺人をやるじゃないですか。
檜垣:ええ。それはサイコパスですけれどもね。
佐川:だから、そういう子たちこそ、屠畜場に連れてきて、牛や豚の解体を見せてやればいい。
檜垣:そりゃそうですね。やっていただければ。
ますます見えなくなっていく死
質問者:いや、ものすごく面白かったんですけれども、よくこの組み合わせでやってくださったな、すごく面白く聞かせていただいて。お子さんとの関わりでということになると、子どもに殺すとか、死とか性とかということを伝えるのは、どうしたらいいのかなというのはあると思います。面白かったのは、殺すというのと死ということは必ずしも一体じゃないという……。
檜垣:じゃないですよね。それは違いますよね。
質問者:お子さんに伝えにくいことをどうやって伝えるか、もしくは言わないという方式でいくのかという。
檜垣:それね、よく言われていることは、昔って家でじいさん、ばあさんが死んでいたじゃないですか。みんなで死んでいく過程を見て、葬式をしたらみんなで死体の周りで人が寝ていたじゃないですか。添い寝。今はみんながあれでしょ。病院で死んで、何とかセレモニーホールとかって。唯一遺言で残したいのは、俺は自分が死んだときには、何とかセレモニーホールは、あれだけはやめてくれと。
昔はそれが自然だったですよね。じいさん、ばあさんが家で死ぬというのを子どもが見ているというね。大抵、学んじゃったんですよね。
佐川:僕の祖父母は4人とも長命だったものですから、26歳まで親戚が誰も亡くならなかった。初めて亡くなったのは母方の祖父で、僕はその晩、病院に泊まりに行っていて、両手で祖父の左手を持っていた。そうしたら、夜中の1時半ころに、バタバタバタっと看護師さんが数名病室に入ってきてね。つまり、そのときに心電図の波形が消えて、血圧の値がガクッと下がったんだろうけれど、僕は祖父の手を握っていたのにその変化に気づかなかったという話を、子どもにちょくちょくしています。
あと大学時代の友人が20代のうちに10人以上亡くなっていてね。理由や原因はいろいろなんだけど、息子たちにはそういう話もなるべくするようにしている。深刻になりすぎないように、半分ふざけながら(笑)。
檜垣:いや、本当に難しいですよね。難しいと思います。みんな長生きになってしまったしね。
佐川:ああ、長生きね。そうですね。あれは怖いことだね。
檜垣:怖い。本当に怖いですよ。ある程度、僕らが小さかったころって、やっぱり60過ぎたら引退で、何年かしたらガンになって死ぬみたいな。みんな大酒飲みだったりするから。別に不満も言わず死んでいたじゃないですか。やっぱり今はみんなが長生きになってしまってね。
教育なんかはこのPちゃんの主題でもありますけれども、僕はやっぱり性教育と食の教育というのは、教育現場で扱っても失敗すると思っています。教育学者はある枠組みの中で、この世の中に慣れるように人々を調整しているわけで。でも、この枠組みで語っていけない外側の事柄は山のようにあり、それは自分みたいな哲学者にしか語れないかな、と。教育学で語ったら、語った途端にタブーになる。薄暗がりというのがあるわけでしょう。
教育というのは、ものを考えさせるための制度じゃなくて、ものを考えさせないための制度なんですよというのを、教育学の学生がいっぱいいる大阪大学の人間科学部で僕がしゃべると、けっこう学生は真面目に考えて、「いや、私は教育学部ですけれども、そのとおりかと」って(笑)。そういうのはありますよね。
佐川:あと、見える、見えないの話でいうと、檜垣さんも書かれておられるんですが、この30年ぐらいで一番進歩したのは冷蔵技術です。冷凍、冷蔵技術というのが進歩して。それで、以前は何で牛とか豚が見えたのかというと、鉄道で輸送していたからです。昔は自動車があまりないので、それから、冷凍、冷蔵技術もレベルが低いので、地方で育てた牛や豚を貨物列車に乗せて都会に持ってくる。だから日本で一番大きな芝浦屠場は、品川操車場にくっついてあるんです。昔は貨物列車に積んできた豚や牛を降ろして、それを近くの屠畜場で解体して、セリにかけて市中にいきわたらせていた。僕らの屠畜場も、大宮操車場に隣接していた。もちろん今でもあるわけなんですけれども。
今後、冷凍、冷蔵技術がさらに進むとどうなるかというと、生産地に近い所で解体して、部位ごとに切り分けた肉を都会に輸送するようになる。つまり都市近郊からさえ家畜の姿が消えて、屠畜場もなくなっていくのかもしれません。
檜垣先生、佐川先生、ありがとうございました!
『食べることの哲学』『おいしい育児』の前書き部分を公開中!
おふたりの著書の「はじめに」をホームページで公開中です。
是非ご覧ください。
今回のイベントは青山ブックセンター本店様にご協力いただきました
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