第2回 現代の神話としての『悪は存在しない』はいかにして生まれたのか
2026年6月19日(金)より全国公開されている濱口竜介監督の最新作『急に具合が悪くなる』。
本作の物語全体を導く重要な着想源であり、劇中演劇の参照元ともなっているのが、人類学者・松嶋健氏の著書『プシコ ナウティカ:イタリア精神医療の人類学』(世界思想社)です。
第79回カンヌ国際映画祭での〈最優秀女優賞〉受賞の興奮も冷めやらぬなか、前作『悪は存在しない』の上映が行われた「旅する大学」真庭企画にて実現した、二人の対談を全5回にわたってお届けします。
【編集部注】
連載第2回は、『悪は存在しない』というインパクトのあるタイトルが選ばれた核心に迫る。音楽家・石橋英子氏との特殊な制作プロセス、多忙による身体的・精神的な疲弊から自然の中に身を置いた時に得た「悪は存在しない」という感覚、西洋思想史が囚われ続けてきた「善悪の二元論」を解体する人類学的・哲学的視座が語り合われる。さらに、前作と最新作『急に具合が悪くなる』をつなぐ制作の背景にあったものが濱口監督から明かされる。
自然の中に悪は存在しない
松嶋:まずタイトルの『悪は存在しない』のことからお聞きしたいと思います。いろいろなことを想像させる非常に印象的なタイトルですが、どうしてこのようなタイトルをつけられたのでしょうか?
濱口:この作品はいろいろと複雑な経緯で作られた映画でして、すでにご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、音楽家の石橋英子さんとの共同作業から始まっています。石橋さんには『ドライブ・マイ・カー』で音楽をやっていただいて、『悪は存在しない』でも音楽をやっていただいているんですが、普段なら、映像ができてからそれに合わせる形で音楽ができるという流れなんですけど、今作ではけっこう特殊なかたちで。石橋さんから「自分のライブパフォーマンスを映像付きでやらないかという誘いを受けているので、その映像を作ってくれないか」というお話をいただいたのですが、ライブの後ろでかかっている映像を自分がつくる、というのは一体どうしたらよいのだろう? ぜんぜん想像がつかない。1年くらい悩んでいたんです。石橋さんは、山梨の小淵沢というところにご自分のプライベートスタジオを持たれているんですが、そこに行って実際に音楽をやっているところを記録させてもらったりしているうちに、環境全体と呼応するように音楽が生まれてきているということがわかってきた。「じゃあ、この環境をリサーチするところから始めよう」ということで、石橋さんのご友人で、それこそこの土地のことだったら何でも知っているというような人を紹介していただきました。冬が迫ってくる非常に寒いなか、一緒に森を歩き回りながら、「ここが水場だ」とか「ここで野生のワサビが採れる」とか「この木は○○だ」とか、だいたい映画の中でも出てきたことですけど、実際にリサーチをしながら聞いていきました。
松嶋:その方が映画の主人公である巧さんの言わばモデルということですか?
©2023 NEOPA / Fictive
濱口:そうですね。実際はずいぶん年上の方なので、区長と巧の2人に要素が分け持たれているというのがより正確かもしれません。その方の話を聞きながら、ああいう場所に行き、冬なので雪が降り積もっている。そうすると、本当に音が何もしない世界というのがあるんですよ。
そもそもなんでこういう企画をやろうかと思ったかというと、根本的に非常に疲れていたからです。『ドライブ・マイ・カー』という作品があって、『偶然と想像』という映画も同じ年にリリースされたんです。まあ、ほぼ自分のせいではあるんですが、1年ほどずっとプロモーションをする時期があったんです。しかもコロナ禍で、海外に行けば疲れるし隔離されるし、もしコロナに感染したら帰ってこれないという不安の中でやるし、「行けない」と言ったら「オンラインでインタビューさせてくれないか」と、そうすると早朝とか深夜にやることになる。そういうことが積み重なり、もう本当に嫌だなあ、という気持ちでいたわけです。そこで石橋さんの誘いがあり、これだったらプレッシャーなくやれるんじゃないかと思って始めたら大間違いで、なかなか大変でした(笑)。楽しかったことは間違いないのですが。
松嶋:最初は映画にすることは考えていなかったわけですよね?
濱口:そうです。あくまで石橋さんのライブ用の映像として。東京から車で2時間とか3時間弱くらい、喧騒から離れてそういうところにいた時に、「この自然の中に悪は存在しない」という気持ちになる、ということがありました。そこで「悪は存在しない」という言葉を思いついて、仮タイトルになったんです。いつかいいタイトルを思いつくかなと思っていたら結局思いつかなかった。それで(仮)が外れて『悪は存在しない』となったわけです。なので、そもそもは自然そのものを表わすようなタイトルです。
松嶋:自然のなかには、生き死にを含め、一見残酷に見えることも起きますけれども、それ自体自然の営みであって、善も悪もない。そういう意味ですか。
濱口:ええ。マイナス10度くらいの中にいたので、そのまま2時間も3時間もいたら、それだけで命が危ないのだけれど、それは、誰かが悪意を持って私を攻撃しているというわけではない。これは普段、都会で感じている危険みたいなものとは、何か種類が違う。その感覚がタイトルになりました。
作品の根っこには現実がある
松嶋:この映画を観るたびに確信を深めていることがあります。人類学では世界中の様々な民族の神話に触れることが多いのですけれども、この映画を観た後の感覚というのが、そうした神話を読んだときの感覚にとても近いんです。これは映画という表現のかたちをとっていますが、いわば現代における神話という次元に達した作品ではないかという思いが私の中にはすごくあります。そこのあたりをもう少し解きほぐしていきたいと思います。
この映画のタイトル、『悪は存在しない』。これは「悪は存在しないけれども、善は存在する」という話ではなく、「悪も存在しなければ、善も存在しない」ということを意味しています。普通はどんな社会であれ、その社会における価値の基準にもとづいて、「これはやってはいけない」「これは推奨されるべき行為である」という規範としてあるいは道徳として善と悪というのは必ずあるわけです。それは人間という生きものが集団で社会的に生きていく上で必ず必要なものだと考えられてきたと思います。そして善悪の基準が必要だということは、不可避的に「悪は存在する」ことになりますし、もっと言うと人間の社会こそが「悪」を生み出しているとも言えます。
ところで、私がかつてイタリアで哲学を学んでいた先生が、奇しくも『悪は存在しない』と同じ2024年に『悪は必要である』という本を出版したんです。
濱口:ほお。
松嶋:彼は先の教皇フランチェスコの思想的伝記を書いた唯一の哲学者なんですけれども、題名から想像されるのとは反対に、この本の中で「悪は必要である」という考え方がいかにして生み出されてきたのかについて批判的に考察しています。どういうことかというと、「悪は存在する」のみならず「悪は必要である」、すなわち「必要悪」という考え方が、なぜヨーロッパを中心に過去2世紀以上にわたって展開され、「ある程度の犠牲は仕方がない」とか「戦争を行うことである程度の人が亡くなるのは仕方がない」というロジックが正当化され、受け入れられるようになったのかについて分析しています。濱口さんの『悪は存在しない』といわば表裏をなすような本です。
今日はこれ以上詳しくは話せませんが、キリスト教世界における悪というのはあくまで「善の欠如」でした。それが近代の啓蒙主義とその後のロマン主義において、善と悪という古代のマニ教的二元論が復活してきます。そこでは善と悪がいわば名詞のようなものとして存在するとみなされるだけでなく、神という超越者なき世界において人間が悪を行うことは、「祖国のため」や「経済成長のため」には必要不可欠なものとして正当化されていくのです。それが、たとえばガザやウクライナで起きていることを知ったとしても、それを仕方がないものとして済ませてしまう論理につながっている。『悪は存在しない』という作品は、こうした西洋思想における名詞的な善と悪の二元論を問い直すような、映画を通した考察にまで至っていると私は思っているのです。
濱口:そんなレベルに達しているかは……。でも、本当にありがとうございます。
まず神話と言っていただきましたが、私は神話にはそんなに馴染んではいなくて子供の頃ちょっと読んだりしたぐらいです。けど、民話のドキュメンタリー(『うたうひと』)というのをある時期に東北で撮っていて、その時に小野和子さんという民話の研究者に会いました。この方は、もう50年近くずっと山間部や沿岸部の語り手の方たちに「民話を聞かせてください」とただひたすら言い続けて歩いている方なんです。この方のドキュメンタリーを撮りながら、それまで民話にも親しく接してはこなかったんですが、「民話とは何か」ということを少しずつ教えてもらいました。それが、「民話の根っこには必ず現実というものがあるのだ」ということです。直接に表現することがためらわれるようなこと、もっと言えばある種の切実な欲望みたいなものが、現実の中に存在している。とても表現をしたいけれども表現することはできないということが同時にある、そういう現実を前にしたとき、民話というものが、その現実にある種のトランスフォームを起こす。たとえば、水が全然来ない山の田んぼに水を引いてくれたら娘を嫁にやってもいいと百姓が言うと、猿がやってきて田んぼに水を張ってやる。猿は約束通り嫁をよこせと言うので末娘が嫁に行くがその途中で機転をきかせて猿を川に落とし、猿は死んでしまう。この猿は何かというと、権力者の暗喩であろうと小野さんは言う。権力者がおそらく水利権というか田んぼに水を引く権利を持っていて、それと引き換えに娘を差し出させる、そういう現実が隠れているんじゃないか。そのことが民話の中にこういうかたちで現れている。なので、末娘の狡知によって猿が殺されるという話を聞いた現代の人は「約束だったはずなのに、どうして猿が殺されてしまうのか、なんて理不尽な話だ」と感じるかもしれないけれど、でもこの理不尽さにこそまさにその話を作り出した人たちの強い、切実な欲望が反映されているのだ、ということを聞きました。
この話がどこに着地するかというと、私の映画も、どこかしらそういうところをもっているのではないかと思います。きっとそうなんでしょう。ごくシンプルに、本当の現実に根っこを持っている部分もある。そうした現実をリサーチをしていたわけですが、グランピングの事件自体も実際にあったものです。この会議に参加した人たちから詳細に証言を聞きました。そういう点ですごく現実を引き写しにしているのですが、ただ、そのグランピングの説明に来た人間が(映画のラストでのように)首を絞められたとかそういうことはない。そこにはどこか物語的なトランスフォームというのがあるんだと思います。
善と悪の問題については、あまり立ち入らないようにしているというのが正直なところではあるのですが、でも、さきほどからの話の延長で言えば、「この自然の中に悪は存在しない」と今自分は感じているが、ただ逆に言えば自分がかつていたところでは随分そういうもの(悪)が渦巻いていたな、ということでもある。そういうものが、この映画を撮らせている。自分の本当にすごくパーソナルなものというか、現実を参照しつつ、その時の自分の精神的な状態、肉体的な状態というのがやっぱり間違いなく反映されている。そして、この『悪は存在しない』を撮ることで、『急に具合が悪くなる』という映画も作ることができた。『急に具合が悪くなる』も5年ぐらいずっと揉んでいた企画だったので、制作時期がほぼ並行しているようなところもあり、この映画とすごくつながっていると思います。
第3回へ続く
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[2023年/106分]©2023 NEOPA / Fictive
監督・脚本 濱口竜介
音楽:石橋英子/撮影:北川喜雄/録音・整音:松野泉/美術:布部雅人/照明:秋山恵二郎
出演:大美賀均、西川玲、小坂竜士、渋谷采郁、菊池葉月、三浦博之、鳥井雄人、山村崇子ほか
第80回ヴェネチア国際映画祭 銀獅子賞(審査員大賞)受賞
映画『急に具合が悪くなる』
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[2026年/196分]©2026 Cinéfrance Studios - Arte France Cinéma - Office Shirous - Bitters End - Heimatfilm - Tarantula - Gapbusters - Same Player - Soudain JPN Partners
監督・脚本:濱口竜介
音楽:サミュエル・アンドレイエフ/撮影:アラン・ギシャウア/録音:ピエール・メルタンス/サウンドエディター:ポール・エイマンス/ミキサー:トマ・ゴデール/美術:ミラ・プレリ
出演:ヴィルジニー・エフィラ、岡本多緒、長塚京三、黒崎煌代
第79回カンヌ国際映画祭最優秀女優賞受賞
書籍『プシコ ナウティカ:イタリア精神医療の人類学』
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[2014年/484ページ]©2014 sekaishisosha
著者:松嶋健
出版社:世界思想社
定価:6,380円(税込)
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