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モザイク都市ブリュッセル

パリからブリュッセルへ

ベルギーといえばチョコレートとワッフルとビール? そんなイメージがひっくり返る!
大国に挟まれ、複数の政府と言語共同体をもつベルギーは多様性の宝庫。まとまることが難しいからこそ、はぐくんできた知恵がある。
都市空間と移民・マイノリティをテーマに研究する森千香子さんが、首都ブリュッセルに住んで、見て、聞いて、考えます。



 2024年9月から在外研究で1年間、ベルギーの首都ブリュッセルで暮らすことになった。ブリュッセル首都圏は約125万人の住民の35%が外国籍、75%が外国にルーツがあり(親が外国籍)、18歳以下の若者に限ればその数字は88%に達する(Michèle Tribalat, ≪POPULATION D’ORIGINE ÉTRANGÈRE EN BELGIQUE≫, 8 février 2021)。世界でも稀にみるほど多様な住民が都市空間を作り上げている様子は、ガラスや貝殻などの小片を寄せ集めて絵柄をつくりあげるモザイク装飾を思わせる。そこで、「モザイク都市ブリュッセル」と題して、本連載ではブリュッセルでの生活を通して、私が感じたこと、発見したこと、おもしろいこと、不思議に思ったことを中心に、紹介していきたい。

 ブリュッセルで生活するのは今回が初めてだ。

 パリ(より正確にはパリ首都圏)には、大学卒業後にパリ日本文化会館で働いた2年半とその後の博士課程留学などもあわせ、7年間暮らした。日本に戻ってからも毎年のように現地調査や友人に会うためパリを訪れ、市内外の複数の場所に滞在し、あちこちを歩き回ってきたので、土地勘はある。

 またオランダのアムステルダムにも、父が仕事の関係で住んでいたこともあり、特別な思い入れがある。特に、家のあったアムステルダム南部のエリアは、市の中心部に比べると際立った特徴のない住宅街ではあるけれど、今でもそこに行くと懐かしさが込み上げてくる。

 しかしパリとアムステルダムのちょうど真ん中に位置するブリュッセルには、これまでほとんど縁がなかった。パリに住んでいた頃は、アムステルダムの両親に会うために毎月のようにタリスという名の高速列車に乗り、ブリュッセルを通過していたが、途中下車することはほとんどなかった。2度ほど、立ち寄ったことはある。だが、有名なグランプラスとマヌカンピス(小便小僧)に行ったことや、独特のコクがあるトラピストビールを飲んだことくらいしか記憶に残っていない。

容赦なき「ベルギー人ネタ」

 このような私が、当初、ブリュッセルやベルギーに持っていたイメージは、以下のようなものだった。

・ムール貝とフリット(フライドポテト)
パリにいたころ、有名チェーン店「レオン・ドゥ・ブリュッセル(ブリュッセルのレオン)」があちこちにあり、一度知人と訪れたところ、バケツのような入れ物にムール貝が溢れんばかりに盛られていた。一人前の分量だと知って衝撃を受けた。

・BD(バンデシネ)
フランス語圏の漫画「BD」は、ハードカバーで日本のマンガ単行本よりサイズが大きく、画集のような装丁で、日本のマンガ、アメリカのコミックスとならぶ世界の三大漫画だ。フランス産と思われがちだが、発祥地はベルギー。特に『タンタンの冒険』で知られるエルジェなどの出身地であるブリュッセルが中心だ。ブリュッセルのどの土産屋にもタンタン・グッズが置かれていた。

・ベルギービール

・2015年11月パリ同時多発襲撃事件の「主犯格」とされた若者の出身地、モレンベーク(ブリュッセル首都圏地域の基礎自治体の一つ)

・EU本部があって、官僚がたくさんいる

 こうして振り返ってみると、私の持っていたイメージはフランスにはびこる「ベルギーのステレオタイプ」の影響も少なからず受けていたと思う。

 ヨーロッパには、近隣諸国の人びとをからかうジョークがたくさんある。フランスにも「他国人」を揶揄するジョークがふんだんにあって、よく耳にしてきたが、なかでも「ベルギー人ネタ」は意地悪なのものが多く、初めは驚いた。

 よく知られているものとしては……

「居間の電球をひとつ取り替えるのに、ベルギー人は6人もの人間を必要とする。2人がハシゴを押さえ、1人がハシゴに乗って電球を押さえ、あとの3人が電球を持った人を回すのだ」 (本来ならハシゴに乗った人が電球を回せばすむのに、それが思いつかないベルギー人はハシゴ上の人を回してしまう、ということらしい)
「なぜベルギーにはトイレに扉がないのか?――扉の鍵穴から覗かれるのが嫌だから」 (……)

 意地悪ジョークには、特にベルギー人が好むとされる、フライドポテトにまつわるネタが多い。たとえば……

「ベルギー人12人をまとめて車のトランクに入れるにはどうすればいいか?――フライドポテト1本をトランクに放り込めばよい」
「ベルギー人に時間を尋ねたら、そのベルギー人は腕時計を見ようと手をひねり、持っていたフライドポテトの袋を落としてしまった」(普通はポテトをもう一つの手に持ち変えて時計を見るのに、「そうしない間抜けさ」を笑う…)

 こうして文字化してみると、何がおもしろいのだろう、と首をひねりたくなる「ジョーク」だが、フランス人のベルギー人に対する眼差しが透けて見えるのは興味深い。ジョークに加えて、ベルギー人の話すフランス語もよくからかいの対象になっていた。外国人が聞いてもすぐに違いがわからない程度の微細なイントネーションの違いや、パリ人に比べてゆっくりした口調を、大袈裟に真似るフランス人、いやパリ人を何度も見た。

 また、用いられる表現の違いもネタにされる。たとえばフランスでは70のことをsoixante-dix(60+10)、90のことをquatre-vingt-dix(4×20+10)と言うが、ベルギーでは50、60と同じように普通に70を意味するseptante、90を意味する nonanteという表現がある。これだけみると、ベルギーフランス語の数字表記のほうが合理的だが、このような合理的表現も容赦なく馬鹿にされる。

 もっとも、これらのジョークが言われていた現場や文脈を思い返すと、敵対的な雰囲気ではなく、むしろジョークを言う側は「ある種の愛着を込めて」いたかもしれない。近しいからこそ言える意地悪すれすれジョーク、とも言えるだろう。だが、言われる側のベルギー人が快く思っていたかというと、必ずしもそうではなかったように思う。知りあいのベルギー人は、このようなフランス人のジョークにうんざりしていて「フランス人は自分たちを田舎者だと見下している」というようなことを、憤慨するというよりも、皮肉を混ぜながら、あきらめたような口調で言っていた。

 フランスに根づく他国民の風習(や彼らが話すフランス語)を揶揄する習慣はベルギー人に対してだけでなく、他国の人たちにも行われている。だが明らかにベルギー人ネタの頻度は高かった。私は、このような(言っている方は楽しそうだが、言われた方にはおもしろくない)「非対称のからかい文化」がどうも好きになれず、ステレオタイプを鵜呑みにしないようしてきたつもりだが、気づかぬうちに内面化していたところもあるだろう。積極的にブリュッセルを知る機会をつくらなかったのは、そのような影響もあったかもしれない。

生活空間が縮小するパリ

 話が逸れたが、ここで私がブリュッセルに住むことになった経緯について話そう。

 私は都市社会学、国際社会学を専門とし、都市空間と移民・マイノリティをテーマに研究している。院生時代からパリ郊外をフィールドに定点観測を行ってきて、近年もパリの移民女性をテーマに共同調査を行っている。

 そのような理由から、今回在外研究に出ることが決まったとき、行き先としてパリが浮上したのは自然なことだった。在外研究中の課題の一つが、上記の共同調査の成果を書籍化することで、しかも共同研究者はパリ在住だ。またパリには友人・知人も多い。生活拠点を移して研究に取り組むうえで何かとスムーズにいくだろう。

 それにもかかわらず、どうも気が進まなかった。

 パリが美しい都市であることはまちがいない。昨夏のパリ五輪の中継を通して、セーヌ川や調和の取れた街並み、ノートルダム寺院をはじめとする世界的に知られたモニュメントなどの美しさに感動した人も少なくないだろう。私も先日、パリ5区のアラブ世界研究所に立ち寄り、用事を済ませた後に屋上からセーヌ川沿いの風景を眺めて、思わず息を呑んだ。五輪を機に市内のあちこちでリニューアル工事が行われ、古い建物が修復されたり、壁が白く塗り直されたりして、街は私が住んでいた20年前と比べて輝いて見えた。

 しかし同時に生活空間、特に庶民の生活空間が縮小してきたことも事実だ。

 パリに戻ってくるたびに、昔あったなじみの店が新しい店に変わり、店舗の利用者や住民も変化するのを感じてきた。このような変化は都市の宿命ではあるが、パリの変貌ぶりは凄まじかった。2000年代以降、パリの地価は値上がりを続け、五輪直前の2024年5月時点で20年前に比べ、市内地価は平均約4倍にも釣りあがった。

 こうしたなか、パリに住んでいた友人たちは次々と郊外や他都市に出て行った。流出は驚くほどのスピードで進み、20年前にパリにいた友人のうち今も市内に住み続けているのはほんの一握りだ。

 たとえば友人のナディア(仮名)は2000年には中心部の7区に住んでいたが、その後20年間に5度の引越しを経験し、その度に周辺部へと移動を続け、コロナ禍直後の2021年にはポルト・ド・クリニャンクールという市北端に5度目の引っ越しをした。その2年半後の2023年12月、彼女はついに30年住んだパリを離れ、地方都市レンヌに移った。同じ家賃で部屋の面積は2倍以上になったという。

 家賃の高騰で住民が出て行く一方、民泊など観光客向けの短期賃貸物件が急増した。パリは世界一エアビーアンドビー(Airbnb、民泊のホストとゲストをつなぐプラットフォーム)の登録件数が多い都市で、特に五輪を機に、通常の賃貸物件を観光客向けに貸し出す事例が増え、登録件数は9万5000件を超えた(Jennifer Marsden≪Paris s'attaque à Airbnb avec des amendes de 100 000 euros et une limitation du nombre de nuits par an≫, euro news30 novembre 2024

 私も在外研究に向けて家探しをしたが、手頃な物件は見つからなかった。パリだけでなく、郊外でも家賃はつりあがっていた。パリの地価高騰は周辺自治体の地価高騰を引き起こし、さらに五輪開催も重なり、悲惨な状況だった。物件がまったくないわけではないが、賃貸物件、しかも期間限定の滞在者に向けた家具付き物件はほとんど見つからず、あっても条件に合わなかった。


賃貸物件ウェブサイト「サバティカルホームズ」の一例
(出典https://www.sabbaticalhomes.com/rentals-exchanges/france/homes-to-rent--paris

 中長期滞在者向けの賃貸物件ウェブサイト「サバティカルホームズ」を例にあげると、パリ中心部の便利な場所にある55平米、1LDKのアパートは月額2590ユーロ(約42万円)、少し外れにある62平米、2LDKのアパートは2200ユーロ(約36万円)だ。

 だからと言って、パリに住んでいる人がいないわけではない。知りあいにもパリに住む研究仲間はいるし、学生もたくさん住んでいる。ただ壮絶な円安もあって、住環境はとても厳しい。ある友人は、パリ南部の国際大学都市の寮に入れたので、割安で住めていると話していたが、それでもカップルで19平米、キッチン共用で1100ユーロ(約18万円)だ。

 パリの都市空間は富裕層と観光客で埋め尽くされ、それ以外の隙間が消失しつつある。 「美しい街」は必ずしも「おもしろい街」ではない。高級化と引きかえに多様性を失ったパリに以前ほど魅力を感じなくなっていた。

ブリュッセルへのいざない

 そんな時に持ち上がったのが、ブリュッセル行きだった。色々な経緯があったのだが、決め手となったのが2023年夏の短期ブリュッセル滞在の経験だった。冒頭に書いたように、長年ブリュッセルとは縁がなかったが、2023年夏、ブリュッセルに引っ越した友人を訪ねたのをきっかけに流れが変わった。

 友人ヤスミン(仮名)はもともとパリに勤めていたが、2019年にブリュッセルに職場を変え、それを機に引っ越した。ちょうど私も同じ時期に、一橋大学から同志社大学に職場を変え、東京から京都に引っ越したこともあり、ヤスミンとは頻繁に近況を報告しあった。その後パンデミックとなり、海外渡航のできない時期が続いたが、その時から「ぜひコロナがあけたら遊びにおいで、家に泊めてあげられるから」と言われていた。パンデミック規制のせいで実行に移せずにいたが、ついに2023年8月下旬、海外出張の機会を利用して、ブリュッセル訪問を実現した。

 出張の合間の2日半という短い滞在だったが、晴天にも恵まれ、外を歩きながら話をしているうちに時間は過ぎ去った。滞在中は彼の職場や書店、図書館を回り、商店街や公園を歩き、喫茶店に入って過ごした。

 この短い滞在で、「EU本部のある街」といった表面的なステレオタイプとはまったく異なる側面を垣間見た気がした。パンタゴン(Pentagone)と呼ばれる中心部は車両禁止ゾーンが多いので歩きやすく、コンパクト(4.6平方キロメートル)だが、通りやエリアごとに驚くほど個性があった。また友人が連日、公園やトラムで知りあいとすれ違い、挨拶しているのも「大都会パリ」との違いだった。何より印象に残ったのは友人がとてもこの街を気に入っていたことだ。「ブリュッセルはとてもいいところだよ」と言って、微笑んだ。

 「ブリュッセルはいいところだよ」―― いったい、どのようなところが、どのようにいいのだろう? 私は興味を持ったが、その質問を友人にはしなかった。

 短期滞在の最終日の昼、ヤスミンの友人ルイザ(仮名)の誕生日パーティーに行った。ルイザは3年前に博士課程への進学を機にフランスから移住してきた。彼女は中心部からトラムで数駅のところにある住宅街スカルベークにある、4階建てのタウンハウスに住んでいた。タウンハウスの3階と4階部分、200平米のメゾネットタイプの物件を女性4人でシェアして住んでいた。最上階の4階には南向きの大きなテラスがあり、そこからブリュッセルが一望できる。その眺めは開放的で、清々しい気持ちになった。パーティーには10人ほど集まった。その多くがフランスからの移住者だった。ほとんどが親がアフリカや中近東出身で、フランスで生まれ育った移民2世のフランス人だった。

 研究者、アーティスト、文化機関職員、ジャーナリスト、NGO職員、民間企業勤務など、職業はさまざまで、ブリュッセル移住の経緯や時期も異なる。それぞれ個性のある人たちで、会話は多岐に及び、大いに盛り上がったが、全員が口を揃えて、ブリュッセルはいいよ、と言っていた。

 この「ブリュッセルはいいよ」の「いいよ」には何があるのだろう? 再び疑問に思った。

 「いいよ」は、単なる手放しの「いいよ」ではないだろう。なぜなら「ブリュッセルはいいよ」と言った人たちは、同時にパリやフランスでの住宅コストの高さや、多様な背景を持つ人間の生きづらさ、閉塞感についても話していたからだ。

 こうした文脈をふまえると「ブリュッセルはいいよ」には「パリよりは」「フランスよりは」が意味されているかもしれない。

  同時に、単に「まだマシだ」というような消去法で言っているだけとも思えなかった。そうであれば、選択肢はフランス国内外にもいくらでもあるし、何よりそこにいた皆がこの街を本当に気に入っているように見えた。

 それでは、この「いい」はいったい、どのような質と性格を持っているのだろうか?

 偶然が重なり、ブリュッセルで暮らすことになった今、この「いい」の実態をさまざまな角度から考えていきたい。

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著者略歴

  1. 森 千香子

    1972年生まれ。フランス社会科学高等研究院博士課程修了。博士(社会学)。
    南山大学外国語学部准教授、一橋大学大学院法学研究科、同社会学研究科准教授、プリンストン大学移民開発研究所客員研究員等を経て、現在は同志社大学社会学部教授、同志社大学都市共生研究センター(MICCS)センター長、ブリュッセル自由大学客員教授。
    主要著作に『国境政策のパラドクス』(共編、勁草書房、2014年)、『排外主義を問いなおす』(共編、勁草書房、2015年)、『排除と抵抗の郊外』(東京大学出版会、2016年、大佛次郎論壇賞、渋沢・クローデル賞特別賞受賞)、『グローバル関係学6 移民現象の新展開』(共編、岩波書店、2020年)、『ブルックリン化する世界』(東京大学出版会、2023年)などがある。

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