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『ローカルボクサーと貧困世界〔増補新装版〕』ためし読み

『ローカルボクサーと貧困世界〔増補新装版〕』ためし読み 第4章より 試合

 2024年1月20日発売の石岡丈昇著『ローカルボクサーと貧困世界〔増補新装版〕』より、ボクサーたちが試合に挑む場面を描いた場面(p.142-145)を公開します。
 本書では、フィリピン・マニラの片隅に暮らすボクサーたちの生き様が描き出されます。日々の暮らしをやり過ごし、つらい減量に耐えた彼らが「脚光」を浴びる日が、試合の日です。そんな特別な日を迎える彼らは、どんな気持ちでリングにあがるのでしょう。
 リングに上がる前の緊張した姿、着替え場所を探すトラブル、リングの上でチョコレートを食べるお茶目さ。ボクサーたちと寝食をともにした著者だからこそ描き出せる、フィールドの熱気を、お届けします。

岸政彦さんによる渾身の解説
もあわせてお楽しみ下さい!

試合

 フィリピンのローカル試合の場合、試合開始は午後七時であることが多い。出場ボクサーたちは朝九時前後にのんびりと起きることがほとんどである。その後、朝食を取り、部屋で一休みし、マニラ首都圏内での試合の場合、午後一時から二時には会場に向けて出発する。試合開始の数時間前にはボクサーは会場に着くように行動する。

 会場に着くとボクサーたちは、屋外の試合の場合は日陰の涼しい場所を、屋内の場合は人があまり行き交うことのない静かな場所をみつけて、タオルを引き、その場に横になって体を休める。控室がある場合はそこで横になる。多くのボクサーは目をつぶって横になっているが、決して寝てはいない。緊張から眠れやしないのである。それでもじっと目を閉じて試合開始までの二時間から三時間もの間、ずっと横になっている。

 ローカル試合では、一回の興行で六~七試合をおこなうのが通常である。そのうち最後の試合、もしくは最後から二番目の試合がメインイベントとなる。よってメインイベントまでの各試合は前座試合となる。ボクサーは自分の試合順番を念頭に置いて、準備に入る。シューズを履き、バンデージを巻き、ファイティングパンツに穿き替え、ウォーミングアップ体操をし、グローブを着け、トレーナー相手に軽くミット打ちをおこなって感触を確かめてから、入場用ローブを羽織る。この間、試合出場ボクサーの周りには緊張感の漂う重々しい空気が流れ続ける。

 以下は、本節冒頭で述べたロイの試合の様子を、フィールドノートからそのまま抜き出したものである。

 試合会場のバスケットボールコートに着いたのが午後五時四〇分。ジムを出発したのが二時半だから、移動に三時間ぐらいかかったことになる。そのままサリサリストア(小型の雑貨店)でカップラーメンを買う。お湯を入れてくれといったら、最初の店ではお湯がないといわれ、次の店で食べる。ロイは通常サイズのそれ、トレーナーや雑用係など四人は小型のラーメンを食べる。さらにチョコレートを五つ、小さなパンを四切れ買う。ラーメンをみんなで食べる。ロイはチョコレートを自分のバッグにしまい、パンも食べる。

 それから控え場所を探すが、無い。ロイは試合を控えた他のジムのボクサーたちに「どこで着替えたんだ」と聞いているが、車の中で着替えたとの返事。控え室は無いらしい。ロイは民家に飛び込んでいく。サニーが「お借りしてもいいですか」とその住人に聞くと、どうぞといわれたので「ありがとう」といってそこを控え室にする。

 ロイは着替え始める。まずジーンズを脱ぎ、足にオイルを塗っていた。その後、黒のソックスを履いてシューズを履く。その間、トレーナーのサニーはバンデージ用のテープをカットしている。ロイは頭にオイルを塗って、髪もオイルだらけにしていた。その後、サニーと向かい合って、テープとバンデージを巻き始める。手首を固めるためのテーピングをおこない、バンデージを巻き、その上からテープを貼って、拳を完成させる。その後、ロイがシューズの紐を結ぶ。バンデージをロイ自身が巻いて、さらにテープを貼る。その後、ロイは椅子に座って祈りを始める。

 拳が完成してから、ロイはストレッチに入る。屈伸、ひざの回旋など。ロイがストレッチをしながら、「荷物取られないかなあ?」というので、僕が「全部リングサイドにもっていくよ」という。そうしていると「グラブは来ているか?」と係員が聞きにくるが、来ていないとサニーがいう。ロイも「まだだ」という。ストレッチは続けたままだ。ロイはシャドーに入る。サニーはしっかりバランスと腰を使ってシャドーをやるように促す。その後、サニーがグラブを取りに行く。見知らぬ少年がひとり入ってきて、つきまとう。ロイはチョコをふたつ食べる。サニーはロイの足にオイルを塗る。その後、身体、腕にも。(フィールドノートより)


 準備を終えたボクサーは係員の指示に従い、入場の合図とともにリングに向かう。控室の薄暗さと対照的にまばゆい光に溢れたリングに向かって歩くボクサーは、リングに上った際にスポットライトで一瞬眼がくらむことがある。そこからは人生を賭けた戦いがあるのみだ。引き続き、やや長いが、フィールドノートから引用しよう。

 ロイは民家の一角に陣取った控え場から、歩いてリングに向かう。知り合いが声をかける。「ロイ!」。ロイが答える。「ハイ!」。けれども表情は真剣なままだ。リングにロイが上がる。ロドリゴはすでにリングで待っていた。ロドリゴは上半身裸で、ファイティングパンツのみの姿。ロイは黒のローブに黒のパンツ、さらに黒のキャップを被っている。ロイはリングに上がってからも、サニーにチョコレートをひとつ要求している。ライアンと僕で笑う。「リングでチョコレートを食う奴ははじめてみたよ!」今夜もボイがリングアナウンサーだ。“Ladies and Gentlemen, this is the supporting main event. Introducing first, tonight wearing black pants ~.” ロイは両手でグラブを叩いている。名前のコールの後、サニーとロイが一緒にリング中央へ。サニーと相手トレーナーが笑顔で挨拶を交わしている。けれどもロイとロドリゴは軽く視線を合わせたのみだ。昨日、あれだけじゃれ合っていたふたりが、今日はドスの利いた視線で互いをみている。レフェリーの説明を聞いた後、ロイとロドリゴはグラブを合わせ、互いのコーナーに戻る。サニーがリングの外に出る。

 ゴングが鳴る。――


 この後には、手に汗握る試合の様子や、試合を終えたロイが結果を受け止める様子などが描かれていきます。 ぜひ本書を手にとって、お楽しみ下さい。



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【目次】

序 章 ローカルボクサー世界から
1 ローカルボクサーの社会学
2 貧困世界とのつながり
3 住み込み調査と身体文化への着目

第1章 ローカルボクサーの身体文化への方法的接近
1 ローカルボクサーへの接近
2 第三世界スポーツ論の問題構制
3 「スポーツ社会学のための計画表」と二重のフレーミング論
4 マニラ首都圏のローカルボクサーへ

第2章 ボクシングジムの空間構成
1 Eジムのボクサーと非ボクサー
2 Eジムのコンテクスト
3 ボクサーの属性
4 〈全体的空間〉としてのジム

第3章 ボクサーになる――集団競技としてのボクシング
1 ジムの日常の深みへ
2 ボクサーになる
3 ジムワークにみる実践理性
4 サクリフィショという倫理
5 女性の排除形式
6 集団競技としてのボクシング

第4章 ボクシングマーケットの構造――敗者の生産の仕組み
1 ボクシング試合と敗者の生産
2 試合をめぐるボクサーの性向
3 ボクシングマーケットの政治経済
4 国際試合の交渉過程と「敗者の生産」
5 ボクシングキャリアの分類化
6 社会的選別と身体のトレード

第5章 互酬性の中のボクサー身体――引退ボクサーの日常
1 引退ボクサーの日常へ
2 スクオッターを生きる
3 スクオッター生活の窮状
4 引退ボクサーの暮らし
5 互酬性の中のボクサー身体

終 章 裸一貫のリアリティへ
1 ローカルボクサーの生活実践
2 裸一貫のリアリティを見据えた身体文化研究へ

後 章 その後のボクサーたち
1 ラフィ――単身での子育て、そして料理人へ
2 ステラ――フィットネスジムの運営を軌道に乗せた敏腕経営者
3 ロセリト――フィットネストレーナー、妻子の移住、女子ボクシング
4 ロイ――総合格闘技、中国への移住
5 ジェイソン――日本への移住

注/あとがき/増補新装版あとがき/図表一覧/文献/索引

解 説 時間/身体/人生 (岸 政彦)

 

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著者略歴

  1. 石岡 丈昇

    1977年岡山市生まれ。専門は社会学/身体文化論。
    筑波大学大学院人間総合科学研究科博士課程単位取得退学。北海道大学大学院教育学研究院准教授を経て、現在、日本大学文理学部社会学科教授。単著に『ローカルボクサーと貧困世界』(世界思想社)、『タイミングの社会学――ディテールを書くエスノグラフィー』(青土社)がある。共著に、『質的社会調査の方法――他者の合理性の理解社会学』(岸政彦・丸山里美と共著、有斐閣)、『生活史論集』(岸政彦編、ナカニシヤ出版)などがある。

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