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スペシャルトーク「男性特権、男性性、フェミニズム――日韓のジェンダー事情を語りつくす」@東京・Readin’ Writin’ BOOK STORE

【後編】社会を変える実践

2022年4月9日、Readin’ Writin’ BOOK STOREで『私は男でフェミニストです』(チェ・スンボム 著/金みんじょん 訳)の刊行記念イベントを行いました。著者が考え実践したフェミニズムについて、本書の翻訳者でエッセイストの金みんじょんさんと、恋バナ収集やご自身の経験、「一般男性」の話などから男性性について考え続ける清田隆之さんが、熱く語り合いました!
対談の一部を、3回にわたってお届けします。

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【中編】はこちら


権力の輪

清田 昨年末に『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』という長いタイトルの本を出したんですね。

 読みましたよ! 怒りましたよ!

清田 怒り……! ひと言で説明を求められると困るような内容の本なんですけれども、男の人たちの仕事とか自分の実績自慢とかではない、もっと心の内側にあるような身の上話を10人の男性たちにインタビューし、一人称の語りおろしでそのまま載せています。男の人たちからそういう話を聞く機会ってなかなかないけれど、実際はどういうことを考えているんだろうという問題意識もあったし、恋バナを聞く中で女の人たちから「男の考えていることがよくわからない」という声もよく出てくるから、じっくり心の内を聞いてみたいなと思ってこの企画が始まりました。

 男の話を聞く機会はすごくたくさんあるように思います。世界のいろいろな会社のトップは男性で、インタビューとかを読めるわけだし、本を書いている人も、記者も、男の人が多いし。一方で、清田さんのように内面のすごく細かいところまで表現する本はあまりないですよね。普通の男の人の普通の話はあまりない。

男性たちは基本的に自己評価がすごく高いんだなというのが印象的で、大変面白く読ませていただきました。

清田 自己評価の高さはどういうところに感じましたか。すごく興味深いです。

 みなさん、自分たちはちゃんと勉強してきて、ちゃんと働いているという自負みたいなものを持っていらっしゃいましたよね。

清田 そうですね。その一方で、周りと比べて、俺はまだまだ駄目だからみたいな人もいました。

共通したテーマのようなものは特に意識はしてなかったのですが、「この人たちは年齢も職業もバラバラで抱えている事情もそれぞれあるけれども、みんな一様に『俺は価値のある人間なんだ』ということを証明しようとすることにものすごく心身を削っている。そこがすごく奇妙に思えた」と感想をいただきました。たぶん女性の方からだと思います。言われてみればみんなそういうところがあるなと気付きました。「俺はすごいんだ」ということを何らかのかたちで示そうとしている、みたいな。

 示したい。権力構造のここに行きたいという。

清田 僕自身もめちゃくちゃそういうことにとらわれながら生きてきたんだと、聞きながら重なるものがたくさんあったから、すんなり感情移入してしまったりで。意識的に浮かび上がらせたものではなかったけれども、実はそこにものすごく太い共通点があって、それこそが男性性の中心的な問題なのかなと思いました。かといって、女の人が社会的に成功したいと思わないとかではないから、これは何だろうなといまでも考えています。

 女性たちは基本的に権力の構造からあまりにも外側にいるわけですよね。まずこの輪の中に入るためのハードルが高すぎる。でも、すでに輪の中にいる人たちは、自分のステータスをここまで上げようということを考えている。そのためにはある程度自己評価を持っていないと、そこからは上がれないのだろうなと感じます。

清田 そうか。マジョリティーとして生きてきた限りでは、「この輪の中で階段をどうのぼるか」ということがスタートラインになっていて、輪に入るためのハードルということはあまり意識しないですよね。ないんだろうなと思います。

 たとえば私は子どもを3人育てていて、いまの状況で正社員として採用されるのは難しいと思います。大学院に通うのは趣味だと思われることもあるのが日本の社会ですから、私の学歴や経歴を生かして就職ができるとも思えません。サービス職のように採用人数が多いところに、運よく採用されたら幸いだと思います。でも、夫は私と同じ歳で、同じ大学を出て、同じように就職したんだけれども、最初からこの輪の中にいるから、どれくらい稼げて、どれくらい上に上がれて、どれくらい仕事ができてというところに関心があります。私はここにどうやったら入れるかを考えなければいけない身分になってしまった。そんなことは自分でも考えていなかった。

当事者になってわかること

清田 そうですよね。たとえば僕の家には2歳4カ月になる双子がいて、大きなベビーカーを押して移動しなければいけないときが多いのですが、特に駅などで困難や疎外感を感じます。エレベーターの位置を前もって把握しておかないといけないし、そこもすんなり乗れるとは限らない。

 各駅に1基しかなくて、ときどき、反対のホームにしかないときがあって、そこへ行くために下におりなくてはいけない。

清田 エレベーターがない駅もありますので、駅員さんを呼ぶとか。乗り換え案内を見ても、「早いな。この間2分しかないじゃないか」「隣のホームまで移動するのに絶対間に合わないだろ」みたいな。これは子どもなしで移動しているときは気にもしなかったことです。

ベビーカーを押しているときは、環境やシステムが前提としている人間像から外れてしまったんだなということをヒシヒシと感じるし、特に、僕はフリーランスで働いているので、税制度とか年金などの保障制度においても似たような気持ちになります。友だちと住宅ローンの話をしたときに、「会社員と自営業でそんなに金利が違うの?」となり、世知辛さを痛感しました(涙)。そのように誰の中にもマジョリティー性とマイノリティー性が混在していると思いますが、それでもやっぱり僕自身は心身ともに健康で、異性愛者で、シスジェンダーの男性として生きているわけで、無自覚の特権性がまだまだたくさんあるんだろうなといまでも思います。

 不思議ですよね。その立場になってみないと見えない。たとえば私は、自分が親になるまで町の中にこれだけ子どもがいるなんて知りませんでした。子どもを産んだあとに外に出てみたら、意外と子どもがものすごく目につく。妊婦になったときにも、こんなに妊婦さんが電車に乗っていたんだと気付きました。最近は歳を取ってきているから、年配の女性がものすごく目につくようになって、そういうふうに自分がその立場になってみないと、社会にいてもまったく気付かないことはあるのかなと思います。

清田 そうですよね。妊婦さんのマークですらジェンダーの問題を知るまで全然知らなかったような人間なので、当時はのうのうと座席に座っていたり、エスカレーターで追い越しちゃったりしていたと思います……。

けれども、双子だということもあって、妻はとんでもなくお腹が大きかったりして、とにかく移動が怖い。ぶつかられて転んでお腹の子に何かあったらという恐怖が常にあったから、できる限り一緒に移動していました。そうすると、目につきますよね。「危ない。いまここで追い抜く必要がある?」みたいな。こちらは子どもが死ぬかもしれないリスクを抱えているのに、おまえの5秒を短縮するのと命の問題はどちらが重いんだとか思うけれども、僕だって自分の5秒を縮めるために妊婦さんにそういう恐怖を与えていたかもしれないことを思うと、チーンとなってしまう。

せめて、なぜ自分はそういうマインドで生きていたんだろうと振り返って考える。構造の問題だとすれば、シーンは違うけれども類似の問題はたくさんあると思います。簡単な問題ではないですけれども、そういう気持ちで『さよなら、俺たち』を書きました。『私は男でフェミニストです』が書かれた背景にも同じような思いがあったんじゃないかと、僭越ながら想像しています。

男性中心の社会構造を変えるために何ができるか

清田 僕は、『私は男でフェミニストです』の「で」という言葉がすごくいいなと思って、書評ではその部分を中心に書きました。「男なのにフェミニストです」とか、逆に「男だからフェミニストです」みたいないろいろな振る舞い方があっただろうけれども、「男」と「フェミニスト」を並列させるかたちで名乗るためにはものすごい葛藤や内省の積み重ねがあったんだろうなと感じる本だったので。

著者も経験した批判の中に、「男のくせに女の味方ばっかりしやがって」という声がありました。これは自分にも既視感があって、以前、男性と思われるアカウントから飛んできた言葉とか、コメント欄に書かれていた罵詈雑言をメモしていたものをもとに原稿を書いたことがあります。たとえばフェミニズム側に立つ男性に向けられる「チンポ騎士団」という言葉があって、これは「女の味方をする、女にいい顔をして、実はモテたいだけだ」という意味なんですね。

男が、男の都合の悪いことがたくさん書かれているフェミニズムを自ら推し進めるのはおかしい。何か理由があるんだろう、どうせモテたいだけだろう……ってことなんだと思いますが、そういう意味の言葉がすごくたくさんあって、ほかにも「女に土下座して回る男」とか「男の自虐史観」とか「男の自傷行為」とかいろいろあって。もっとも、男性である僕が浴びているものは、フェミニストの女性たちが日常的に経験している罵詈雑言からしたら全然大したことないとは思いますが……。

一方で、フェミニズムに理解を示すと、いまの社会では“進歩的な男性”として位置付けられると思うので、「俺はほかの男たちよりも進んでいるぜ」という意識を持ちやすいと思います。女の人たちからも、「理解してくれる男性がいてありがたい」とか言われると、ちょっと気持ちよくなってしまったりする。そこに無自覚なままドライブしてしまうと、気付かないうちに「俺はフェミをわかってるぜ」となってしまい……これまた厄介な存在になってしまうリスクがある。

それを回避するためにはどうすればいいか。「怒られるのが怖いから沈黙する」というのも違うし、これは本当に難しい問題だと感じます。自分自身は、まず数字がものをいう投票とか署名は絶対にやったほうがいいと考えています。それは粛々とやっていくべきだと思います。身の回りの人たちとは直接対話ができるから、もし自分がおかしなことを言ってしまったら指摘してもらえるし、修正や謝罪も可能ですよね。でも、たとえばSNSのように不特定多数を相手にコミュニケーションする場合に関しては、責任が取れる範囲のことは言えるけれども、取れない範囲のことは言うべきではないという思いがあり、いつも葛藤しています。

金さんは、これからの男性たちのあり方について思うことはありますか。

 実践ですよね。たとえばうちだと、家事は自分がやるべきもので、そこに男女の区別は一切ないと言って育てていても、夫が毎日11時に帰ってきたり、週末にいなかったりすると家事は私の仕事で、子どもたちはどうしても母親の仕事としてインプットしてしまいますよね。

学校に行ってまたそういう家庭を見てくることで、どうしてもそういう認識になるので、実践する現場みたいなものがない社会において、どのように子育てをしていけばいいのか。実践の現場を増やしていくことしか解決法がないのかなと思います。

清田 子どもたちが見ているんだなということを意識すると、言葉づかいや振る舞い方に結構緊張感があって、そういう中で生活していくのは悪くないなと思っています。いまおっしゃった「実践」という言葉は、なるほどなと思いました。一つ一つが実践なんだなと強く思いました。

過去の作品を読み直して気づくこと

清田 スンボムさんは韓国ではどんな感じで受け止められましたか。

 やはり女性たちからの反応はすごくいいです。韓国はフェミニズムが盛り上がってきて、男性がフェミニストと名乗るのはもちろんいいけれど、本を書くのは悩まれたと思います。当事者ではないので。それでも非常にフラットな感じでこれまでのことを受け入れて、受け止めて書いています。

私立の男子校の先生として、ずっとそこで勤務するつもりらしいのですが、常に周りに500~800人くらいの生徒がいて、その中で、全員でなくてもいいから、何人かでもいいから、こういうことを受け入れてくれる人がいてほしいという思いがあって、チェさんはこの学校に長くいるので、その教えはかなり定着しているような感覚があり、生徒たちも先生の本を読んで、非常に良く理解しているそうです。

清田 教科書に出てくる定番の物語とか昔話を題材に、実はこの詩、この一行、ここで書かれている言葉についてよく考えたらおかしくないかとか、こちらの男性は称賛されているのに、同じ状況でこちらの女性はなぜひどい女とされているのかとか、そういう読み解きを授業でやっているんですよね。

 そうです、授業でやっています。

清田 面白いですよね。教科書の物語とか、流行の歌の歌詞とか、そういうものをジェンダーの視点で今一度よく読んでみると、ずいぶん異なるものに見えてくることがたくさんあるじゃないですか。

僕もそんなこと意識していなかったですけれども、90年代に、ミスター・チルドレンというバンドが大流行していて、好きで聞いていましたが、ジェンダーの問題に触れるようになってからミスチルの歌詞を読むと、「何だ、これは?」「全部、男に都合のいい物語じゃないか」みたいな。「僕は夢を追うけど、君は待っててね」とか「また笑って会えたらいいね」とか。「いや、なんでずっと覚えてもらえてる前提なんだ」みたいな(笑)。

「君と別れることになるけど、君はいつまでも僕を待ってくれているだろう」みたいな都合のいい物語が描かれていることにすら気付いていなかったので、むしろ気持ちいいわけです。そういう歌詞に触れ、「めっちゃわかるわ~」という気持ちに、当時は心底なっていました。ものすごく男を甘やかす歌詞ですよね。

 男の言い訳みたいなものがありますよね。私はもともと小さいころから本が大好きだったのですが、韓国は先ほどお話したとおりものすごい学歴社会なので、読まなければいけない本がたくさんあって、高校生になるとだいたい世界的な古典を読むんです。

ゲーテなどの古典を読むんですが、私は40歳になったとき古典を読み直そうと思ったんです。実際に読み直してみると、高校生のときは未熟だったから男の弁解を受け入れる余地があったけれども、40代の私にファウストの弁解はもう通用しないところがあるんです。すごい大作ですし、作品自体はいまも好きですが、所々気になる個所が増えていく。他に『ジェーン・エア』などを読み返すと、ロチェスターには奥さんがいて、それを隠して、ジェーン・エアと結婚しようとしています。その時点で、この恋愛は私の中で成立しないわけです。

清田 僕も文学の深みをきちんと理解してきているわけではないですし、「フェミニズム批評」という読み方を知ったのもここ最近のことですが、そういう視点で読むと、あるいは聞いたりすると、「こんなことが書かれていたんだ……」ってびっくりします。

恐ろしいですよね。そうした作品を評価する人も、それを出版する人もほぼ男性社会的な中でずっときたから、疑問を持たれることなく「不朽の名作」として位置付けられてきたんだろうと思います。

 本はたくさん出ていますが、100年後にどれくらい残っているかわからないじゃないですか。何百年前に書かれたものを私が読んでいて、ほぼ作者は男性ですよね。当時がそういう時代だったのかもしれませんが、そういうふうに考えたときに、女性たちができるだけこまめにたくさん記録を残していくような文化を出版業界でもどんどんつくってくれたら非常にいいのかなと思います。

( 終 )


 

目次

プロローグ
 男がフェミニストだって?

1章 母と息子 
 我が家がおかしい 
 貧しい家の娘の人生 
 フェミニズム思考のはじまり 
 中年女性の居場所 
 ほかの家もこうなのか? 
 母のうつ病 

2章 フェミニズムを学ぶ男 
 善意と良心にだけ依存するのは不安だ 
 性暴力事件はどのようにして起こるのか 
 いい女は天国に行くが、悪い女はどこにだって行ける 
 厳格に見える家父長制の卑劣な陰 
 男だからよくわからないんです、学ばないと 
 生徒と教師で出会ったが、いまでは同志 

3章 先生、もしかして週末に江南駅に行ってきたんですか? 
 私が沈黙しなかったら 
 なぜ女性嫌悪犯罪と言わない? 
 同志はいずこへ、イルベの旗だけが空を舞う 
 大韓民国で女性として生きるということ 
 男には寛大に、女には厳格に 
 被害者に詰め寄る韓国社会 
 統計で見る韓国女性の一生 
 男もフェミニストになれるだろうか 

4章 八〇〇人の男子生徒とともに
 生きるためのフェミニズム授業 
 「そばの花咲く頃」――性暴力を美化しているのではないか 
 「春香伝」――いまも昔も女性はなぐさみもの 
 李陸史は男性的語調、金素月は女性的語調? 
 『謝氏南征記』――真犯人は誰だ? 
 『未来を花束にして』――現在に生きず、歴史に生きよう 
 [人間]-[男性]-[成熟]が「少女」だとは 

5章 ヘイトと戦う方法 
 男ばかりの集団で発言すべき理由 
 間違って定めた的、そしてヘイトがつくりだした左右の統合 
 差別の歴史的淵源 
 男子高校でフェミニズムを伝えます 
 生徒たちの非難に対処する方法 
 同志とはどのように結集するか 
 有利な側より有意義な側に立つこと 

エピローグ
 共に地獄を生き抜くために 

読書案内――男フェミのためのカリキュラム

解説 『82年生まれ、キム・ジヨン』の夫、それとも息子?――上野千鶴子

訳者あとがき

バックナンバー

著者略歴

  1. 金 みんじょん

    翻訳者、エッセイスト、韓国語講師。慶應義塾大学総合政策学部卒業。東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士課程単位取得退学。韓国語の著書に『母の東京―a little about my mother』『トッポッキごときで』、韓国語への訳書に『那覇の市場で古本屋』『渋谷のすみっこでベジ食堂』『太陽と乙女』『海を抱いて月に眠る』などがある。『私は男でフェミニストです』は、はじめて韓国語から日本語に訳した本。

  2. 清田 隆之

    文筆業、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。朝日新聞be「悩みのるつぼ」では回答者を務める。単著に『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)、『さよなら俺たち』(スタンド・ブックス)などがある。

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