タブーへ挑戦する新産業、フェムテック概観 『月経の人類学』より
”女性”の身体的な生理現象であるだけではなく、さまざまな領域の深い部分に関わるーー発展途上国だけ、あるいは日本だけのものではなく地続きでつながっている。
2022年7月に重版が決定した『月経の人類学』本編より、コラムを紹介します。
Femtech(フェムテック)という言葉をご存知だろうか。
最近、日本でもよく耳にするようになったこの言葉は、FemaleとTechnology を掛け合わせた造語。月経、妊娠、更年期まで、女性の様々な健康課題を解決するために開発されたプロダクトのことを指す。女性の心身にまつわる固定観念や価値観を変容してくれるものが多く、2012年頃から欧米を中心に拡大し、日本でも2019年から徐々にメディアなどで取り上げられるようになった。
世界のフェムテック企業は、2017年には50社ほどだったのが、2020年10月には500社を突破。産業全体への投資額も、フェムテックという言葉が使われ始めた2012年から2019年の間に約60億円から約750億円まで急成長しており、2020年には1300億円を超える見込みだ。2025年のアメリカのフェムテック市場規模は、5兆円にも達すると予想されている。しかし、この新しい産業の潜在ターゲットが世界人口の半分を占める約35億人もの生物学的女性であることをふまえると、5兆円という数字もさほど多くない、むしろ少ないように感じられる。この違和感は、月経や性に関わる事柄が、歴史的に多くの社会でタブー視されてきたことに関係がある。需要はあるのに、課題への理解や価値観が世代や性別などにより大きく異なることもあり、表面化・言語化されず、産業化されてこなかったのだ。
ここで、具体的なフェムテックのプロダクトをいくつか紹介する。まずは女性にとってごく身近な「月経」にまつわるもの。日本人女性の大多数が使用する使い捨ての生理ナプキンに代わる存在として、「履くだけの吸水ショーツ」や「月経カップ」といった商品が登場している。どちらも女性を生理中の臭いや蒸れから解放し、ゴミを出さないため、環境にもお財布にもやさしいアイテムとして注目を集めている。特に月経カップは、日本ではまだなじみが薄い商品ではないだろうか。医療用シリコンでできた柔らかいカップを膣のなかに挿入し、経血を溜めて使用する。骨盤底筋にフィットするため安定感があり、正しい位置に装着すれば違和感もなく、最大12時間まで着用可能。トイレに行くたびに新しいものと交換する必要もない。取り出すたびに自分の経血量や色を観察することができ、些細な体の変化に気づくきっかけとなる。発展途上国では、月経カップを使うことで、生理中の児童・生徒の登校率が上がったという報告も存在している。その他にも、腹部に振動を与えて生理痛を軽減するデバイスなど、必ずしも最新のテクノロジーを使用するだけではない、アイディアの詰まったプロダクトも多く存在する。
「妊娠・出産」カテゴリも人気だ。おりものの質から自分の妊娠しやすい日を測定してくれるモニタリングデバイスや、妊娠中の母体に貼り付けることで胎児の様子や陣痛を自宅でモニタリングできるものまで、不安でセンシティブな時期を支える心強いプロダクトが続々登場している。また、フェムテックのなかでは後進だが、更年期を迎えた女性向けのプロダクトも年々増加中。更年期障害の影響で膣や骨盤底筋がゆるんでしまった方のために、ゲーム感覚でトレーニングができるデバイスも開発されている。
グローバル・マーケットマップ
先ほどご紹介した月経カップは、欧米ではすでに一般的な生理用品としてドラッグストアにも陳列されている。しかし、日本ではまだほとんどの人に知られておらず、知っている人でも使用に抵抗があるという方が多いのが現状だ。その大きな理由のひとつとして、日本では「自分の膣のなかに物を入れるのが怖い」と感じる人が多いことが挙げられる。事実、私たちがフェムテックを日本に紹介するなかで会話をしたお客さまのなかにも、一般的に「デリケートゾーン」と呼ばれる外尿道口、膣口、肛門がどのように位置しているのか知らないという女性が一定数存在する。もちろん学校教育やメディアなどの影響ははかりしれないが、そこには、私たち個々人のなかに眠る「健康なうちは、自分の体のこと、性のことを理解しなくても別にいい」というネガティブな固定観念が存在しているといえる。
もちろん日本でも、女性の社会進出が進み、生き方・働き方は多様になってきた。しかし、女性が一生の間に経験する生物学的機能は変化していない。ストレスがたまる仕事環境や食生活、高齢出産が増え、平均妊娠数が減ってきた現代、ホルモン値の乱れから、月経痛やPMS(月経前症候群)に悩む人や、女性特有疾患の発症数も上昇傾向にある。そんななか、自分の体を知り、囚われてきたタブーや固定観念に気づくことができれば、もっと生きやすくなるはずだ。「いつ妊娠するか」ひとつ取っても、自分の妊孕力を知ったうえでキャリアとのタイミングを調整できるのであれば、本当の意味で、自分らしい人生の進路を選択できる。これ以上ない、エンパワメントである。
私たち一人一人の価値観の変容と共に成長するフェムテック市場は、未来をどのように変えてくれるだろうか。もしかすると、人類史上もっともハイレベルな禁断の壁を壊してくれるかもしれない。私の、そしてあなたのタブーがワクワクに変わる日まで、フェムテックの挑戦は続く。
目次
序論 杉田映理
第I部 グローバルな開発課題となった月経
第1章 国際開発の目標となった月経衛生対処―MHMとは 杉田映理
第2章 国際開発の対象となった月経の文化人類学的課題 新本万里子
第Ⅱ部 各地域のローカルな文脈と月経対処
第3章 パプアニューギニア焼畑農耕民アベラムの月経対処と開発支援のかたち 新本万里子
第4章 インドネシア農村部の女子中学生はどのように月経対処しているのか――学校教育とイスラーム規範に着目して 小國和子
第5章 カンボジア農村社会に生きる女性と「沈黙」の意味――月経の経験と実践に着目して 秋保さやか
第6章 インドにおける月経の対処とその変化――月経をめぐる開発と不浄観念のせめぎあい 菅野美佐子/松尾瑞穂
第7章 東アフリカにおける月経観とセクシュアリティ――ケニアとウガンダの事例から 椎野若菜/カルシガリラ,イアン
第8章 ウガンダのMHM支援策は月経をめぐる文化を変化させたのか――ウガンダ東部地域のローカルな実態に着目して 杉田映理
第9章 「もうひとつのニカラグア」での月経対処調査から考える適切な支援のかたち 佐藤峰
第10章 日本の月経教育と女子中学生の月経事情 鈴木幸子
第Ⅲ部 MHM支援の実践にむけて
第11章 ローカルな文脈から見える開発実践への示唆 杉田映理/新本万里子
附録資料――マトリックス
〈月経(生理)×文化人類学〉基本文献リスト
索引
あとがき
【コラム】
①途上国のMHMプログラムの事例――ミャンマー国における月経教育の取り組みから 浅村里紗
②フィールドワーク中の月経対応:熱帯林編 四方篝
③日本人女性にとっての月経 高尾美穂
④日本の生理用品 出野結香
⑤生理休暇制度と働く女性 小塩若菜
⑥女性の味方サニッコ――進化したサニタリーボックス 西島一男
⑦男子からみた月経、男子の月経教育と防災 アクロストン
⑧女性アスリートの月経 岡田千あき
⑨日本における生理の現状と今後の展望――「生理の貧困」を問い直す 塩野美里
⑩タブーへ挑戦する新産業、フェムテック概観 杉本亜美奈