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水無田書店の人生相談――悩みに効く本、紹介します!

「普通」になりたくてなれない私

 私は、周りから言われる「独特」「不思議」「変わってる」というような言葉に悩んでいます。

 幼い頃から、非常に感じやすく考えがちな性格で、人前では常に明るくおちゃらけた態度で生きてきました。しかし、それが根っからの明るさではなく、他人を慮ったゆえの(必要ないのですが…)明るさのため、何も考えてなさそうなのに少し突くと色々なことを途方もなく考えていて、驚かれてしまうことが多くありました。

 また、帰国子女だというところや、ひとりが好きだというところ、人と関わることをこわがっているのが見え隠れしてしまうところも、おかしいと思われるゆえんだと思います。

 小さい頃からずっと「普通」になりたいと願って、さまざまなことを試してきましたが、上手くいきません。仲良くなれそうと思っても、「おもしろい人だよね」や「独特だよね」という言葉を通じて、距離ができる感覚があります。

 この性格を理解してくれ、心を開いて話せる友人は数人ほどいます。それが何より尊いことだと感じますが、輪の中で疎外感を気にせずにいられる強さがまだなく、コミュニティから抜け出したくなることが多いです。自分は日本社会に網の目を張っていけるのか、心配しています。

(20代・学生・女性)

 

 いらっしゃいませ! ようこそお越しくださいました。安心してください。質問者さまは現実世界ではマイノリティかもしれませんが、本の世界ではメインストリームの保守本流です。洋の東西を問わず、だいたい名作の主人公は文学でも映画でも、たいていは疎外感や違和感を感じて群れられない「ぼっち」な人物が主役ですからね。

 日本でも、国民的作家の描く人物は孤独孤立が基本です。たとえば夏目漱石三部作の主人公たちは高等遊民と称していますが、まあブルジョア系ニートでぼっちです。でも自覚してもやもやしているだけマシで、森鴎外は孤独だからと留学先で女性に癒やされておいてあっさり捨てますし、田山花袋やら谷崎潤一郎やらを目配りすれば、自分の世界に浸りすぎて孤独力よりも変態力の高さが光ります。いわゆる無頼派は、太宰治を筆頭に自意識が高すぎて、疎外感などという可愛いものではありません。ぼっちで憂鬱でもリゾート地でモテてちやほやされれば川端康成になりますし、ぼっち過ぎて名刺に本体が取って代わられれば安部公房ですし、ぼっちを苦にしない主人公が「やれやれ」とか言いながら淡淡と生きていたらヒロインが消えれば村上春樹になります。ざっと有名どころを思い浮かべただけでも、このようにだいたい小説の世界はぼっち主役上等です。これが最近ですと、リア充な振りをして自分を盛ってもそれゆえにぼっち性が際立てば、朝井リョウになります(注:すべて筆者の独断と偏見に基づく解釈です)。

 というわけで、個人的にはたいていの小説を読んだら共感できる資質があるはずの質問者さまには、まだお若いですし読書人生はウハウハですよ〜、リアルなんて放っておいて本読みましょうよ楽しいですよえへへ、と申し上げたくなりましたが……。考えたら、子どものころからリアルな友人作りやリアルな仕事スキル向上など人として大切な社会適応努力を放置して、本ばかり読んできたダメ人間のなれの果てが自分だったことに気づき、やはりそれはまずいので処方箋の本をお薦めしておこうと思います。

 質問者さまは不安を克服するために、「普通」になりたいとおっしゃっていますが、その「普通」ってどんな像でしょうか。普通と対置される評価としての「面白い」とか「独特」とかいった言葉が、実はまったく褒め言葉として使われておらず、婉曲的に「あなたとは合わない」と言われているように感じる……というのが、いわく言いがたいもやもや感の源泉にあるのではないでしょうか。「普通」との距離感や、自身の「孤独」感とのつき合い方には、人それぞれの合った方法があるので、下記を参考にしていただければ幸いです。

1.自分の「孤独感」の背景と構造を知る

 帰国子女でいらっしゃることもあって、コミュニケーション的な問題で違和感を覚える……というのは、むしろ当たり前のことです。人間が、自己の価値観や行動原理などを形成するに当たり強い影響を受ける集団を、社会学では「準拠集団」と呼びます。この集団は、たとえば家族、学校、職場、コミュニティーなど多々あります。かつて属していたが現在属していない集団も、現実に属していなくても価値観に共鳴すれば、それは準拠集団に相当します。わかりやすい例でいうと、たとえば憧れている芸能人や好きなドラマに出てくるライフスタイルや影響を受けて真似をするなどがそれですね。

 この準拠集団が自分の首尾一貫した現実と破綻がなければ(実は、全く破綻のない人というのも珍しいのですが、それほど意識しなくても済む場合)、それほど大きな問題は起きないのですが、複数の準拠集団に属していて、それらが相互に矛盾や葛藤を抱えている場合は、本人に相応のストレスや緊張を強いてしまいます。この状況を、アメリカの社会学者ロバート・E・パークは、「マージナルマン(境界人)」と言いました。互いに浸透し合わず、融合しない複数の文化の境界にたたずむ人、という意味です。

 帰国子女の方は、まさにこの典型例といえます。ましてや、この「空気を読み合う」ことが前提の日本社会です。実は、日本人のコミュニケーション形態は、世界に冠たる「ガラパゴス」で、高度に言語外で交わされ共有される文脈に依存しています。この特徴を、文化人類学者のエドワード・T・ホールは「ハイコンテクスト・カルチャー(高文脈文化)」といいました。「言わなくても分かるでしょ」的な前提事項が多く、このため同調圧力が高くなりがちで、少しでも変わった人間には居心地の悪い……という日本社会の特性は、この点からも説明できます(この逆が、言葉で説明することに重きを置く「ロー・コンテクストカルチャー」です。ホールの『文化を超えて』(初版TBSブリタニカ)を読むと、日本の空気読み文化がいかに特殊かが分かるので、まずは日本社会でのコミュニケーションのあり方を知るための基礎知識として読んでみることをお薦めします(現在絶版のようですが、基礎テキストなので図書館などにはあるはずです)。とくに、ホールが日本滞在中に覚えた違和感、他の文化圏出身の人間が日本の高コンテクスト文化に触れたときのとまどいについての記述は、今日でも参考になると思います。

2.「同調圧力」が日常に入り込む恐ろしさを知る

 次に質問者さまが若い女性ということで、女子が主役の作品で、かつ今の日本社会の「同調圧力」の恐ろしさのサンプルとなりそうな作品を2冊処方してみたいと思います。まずは小説です。井上荒野『あたしたち、海へ』(新潮社)のヒロインは、有夢、瑤子、海の三人の女子中学生です。もともと川沿いに新しく出来た住宅街に同時期引っ越してきて、同じ小学校に通い、同じアーティストの同じ曲が好きで、同じ私立女子中学を受験して合格。そして三人ずっと仲良しに……とは行かず、海が中学のマラソン大会に関するちょっとした事件を機にボス的なスタンスの女子からにらまれ仲間はずれに。

 海は正義感が強く少しばかり融通が利かない性格で、言っていることは正しいのですが、周囲からいじめの標的に仕立てられてしまっては、有夢も瑤子も助けることができません。微細でもどかしい人間関係の中、海は転居し学校も公立に転校してしまい、残された二人が海に謝りたくて謝れなかった葛藤を中心に、物語は進みます。決して大きい破綻は起きないのですが、登場人物は親たち大人世代も含め、表面的には平穏ですが誰もが細かなほころびを抱えていて、しかも相互にそれは見えません。たとえば海のいじめを先導したボス女子も、祖母から母への嫁いびりを見て育ち、常にピリピリとした苛立ちを抱えています。

 読者はこれらを神の視点のように俯瞰することができるのですが、考えたら日常というのは、こういう細かなほころびを抱えた人間の総体かもしれません。周囲にいる人達も、一見「普通」で「平穏無事」ですが、少し角度を変えて見れば、それぞれの個人史に何かしらの「悲惨」や「壮絶」を抱えて生きているようにも思います。他人から見れば贅沢な悩みでも、当人にとっては絶大な悩み、などというのもよくあることです。

 こういう細かな機微を描いた小説を読むたびに、私は人の悩みを他人が過小評価することの罪深さを思うのです。当人が悩む限り、その悩みは当人にとっては絶大なものです。ただ、社会通念に照らし合わせて相対的に大きくはない悩みであれば、他人がその絶望的な大きさを共有してくれることは稀でしょう。いやむしろ、共感したり同じ土俵で一緒に悩もうとしてもできない場合は、無理にしなくてもいいと思います。そういえば、私は以前挨拶をする程度の仲だった知人に、「お久しぶり、何だか元気がないわねえ」と言われ、少し前に母が亡くなって精神的にも事後処理で時間的にも消耗しきっていた時期だったので、「母が亡くなりまして……」と言ったところ、「あらまあ! 私も最近うちの犬が死んでね」と言われ、いかに悲しかったかとか、動物霊園の手配まで教えていただいたことがあります。お気持ちは嬉しいのですが……でも……、ちょっともやっとしました。

 次にお薦めしたいのは、コナリミサトの漫画『凪のお暇』(秋田書店)です。ドラマ化もされたので、ご存じの人も多いかも知れません。ヒロインの凪は28歳のOLで、空気を読むことに精神力のほとんどを消費しているような女性です。彼女は周囲に同化するため、放っておけば天然パーマでチリチリになってしまう髪の毛を、毎日1時間かけてコテでストレートヘアに整えてから出勤していました。

 女子界ヒエラルキー下位の凪は、マウンティング合戦の女子ランチタイムトークではサンドバッグ状態。ほとんど唯一の趣味は「節約」という涙ぐましい人で、自己評価が超低く、そこにつけ込んだ俺様でモラハラ風味な彼氏も、彼女には超上から目線です。それでも耐えてきたのは、結婚できれば幸せになれる!の古典的な女子人生の「上がり」目標があったから……なのですが、彼氏が凪との結婚なんて「ない ない」と言ってさんざん馬鹿にしているのを聞き、ショックのあまり過呼吸で倒れてしまいます。息が吸えなくなり、苦悶の中「空気は 読むもの じゃなくて 吸って吐くものだ」のモノローグが切実に響く場面です。そして、空気を読みすぎの自分を休むため、「お暇」と称して会社を辞めて都心のマンションを引き払い、何もかもを断捨離してついでに髪もストレートにセットするのをやめて、郊外のボロアパート住まいになり、そこからいろいろと「普通」をはみ出した人達と関わり合いを持つようになり……。

 話はここからが痛々しくも面白いのですが、ともかく同調圧力にはさまざまなフェイズがあり、「都心の会社コミュニティ」を出ても、「貧乏暮らしコミュニティ」でもゆったり生きられるかといえばまた別の問題が出てきたり、挙げ句の果てには捨てたはずの故郷(凪の地元は北海道です)のコミュニティが自分のアイデンティティと絡んで頭をもたげてきたりと、凪の人生は全然凪いでくれません。この社会で生きづらい人には、共感ポイントの気泡が細かく粒立っているような作品で、波長が合う人が読めば頻繁に自分へのフックがパチパチ引っかかって弾けるような感覚が味わえると思います。

 そうして、思うのです。むしろ人間、徹底的な孤独って難しくないだろうか、と。凪は「都会的な生活で空気を読む私」を断捨離しても、結局世界は他者との関係で出来上がっているという事実は変わらない。これまでの私も、これからの私も、どこかでその関係性の何かを選び、何かを捨てて生きていかねばならないという、凡庸で、でも唯一かけがえのない自分の人生だけがただそこにあるのではないだろうか……と。

 以上、ご参考になれば幸いです。

 

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著者略歴

  1. 水無田 気流

    1970年生まれ。詩人・社会学者。詩集に『音速平和』(中原中也賞)、『Z境』(晩翠賞)。評論に『黒山もこもこ、抜けたら荒野 デフレ世代の憂鬱と希望』(光文社新書)、『無頼化した女たち』(亜紀書房)、『シングルマザーの貧困』(光文社新書)、『「居場所」のない男、「時間」がない女』(日本経済新聞出版社)。本名・田中理恵子名義で『平成幸福論ノート』(光文社新書)など。

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