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『音楽でケアする』はじめに

すれ違う現場・膠着した関係を揺さぶる音楽療法「ミュージック・ケア」。音楽教育学者の西島千尋さんが、現場に通い続け、感じたこと・考えたことをつづった『音楽でケアする――福祉現場を動かすセッション』より、「はじめに」を公開します。


はじめに

 二〇一八年、知的障害者の人たちが働く施設ナーラー苑の、ミュージック・ケア(音楽療法のメソッドの一つ)のセッション*でのことであった。ナーラー苑では週末の余暇の時間に自由参加のセッションとしてミュージック・ケアが行われているのだが、その日のセッションにはいつもより多い四二名の参加者が集まった。雨のため外に出られなかったことも関係していたのかもしれない。少しずつ参加者が輪になり、自閉スペクトラム症の男性一名が輪の外に座っているのを除いて全員が輪になった。輪になったといってもそれぞれがそれぞれの世界にいる。座っている人もいれば立っている人もおり、靴を投げる人、泣き出す人、抱えている雑誌を破る人、小銭を投げる人、とさまざまであった。

 ところがセッションがはじまると、靴を投げていた人は投げなくなり、泣いていた人は泣きやみ、雑誌を破っていた人は破る手を止め、小銭を投げていた人も投げなくなった。そばでみていた私は「突然、別々に浮かんでいた天体が一つの宇宙になった……」と感じた。自転している星や公転している星、ものすごく明るい星とそうではない星、いろいろな色や大きさの星はあるものの、音楽のある空間のなかで一つの銀河系として存在する──。

 音楽療法に関連した文献を手にすると、今から三〇〇〇年前のダビデとサウルの逸話が紹介されていることがある。旧約聖書にある、イスラエルの最初の王サウルの悪霊を竪琴ではらったダビデの話である。「音楽」には、そのようなマジカルな力があるのだろうか。コンサートホールのステージで演奏したりうたったりすることと、高齢者施設や障害者施設で演奏したりうたったりすることには、何か決定的な違いがあるのだろうか。音楽が「演奏会」としてではなく「療法」や「ケア」として成り立つのはなぜなのだろうか。音楽療法士と呼ばれる人たちにだけ備わった特殊な能力があるのだろうか。それとも、その場に居合わせる人たちが病のある人や障害のある人であれば音楽でケアすることになるのだろうか。どのような条件によって療法やケアになるのか。考えてみれば不思議である。

 そうした興味関心もあり、二〇〇八年頃から機会をみつけては音楽療法の講座を受けたり、セッションを見学させていただいたりしていたのだが、「ミュージック・ケア」という音楽療法のメソッドを知り、そのフィールドワークにはまってしまった。

 私がはじめてミュージック・ケアに出会ったのは二〇一五年三月の、ミュージック・ケアの体験セミナー(一日かけて、午前に理論を、午後に実際のセッションを経験して学ぶ)であった。日本ミュージック・ケア協会理事長の宮本啓子さんは、まず受講者全員に、目をつぶり、心のなかで一〇数え、「一〇」のときに手を打つようにと呼びかけた。受講者が手を鳴らしたのはばらばらのタイミングであった。次に、ある曲に合わせて一〇拍目に手を打つように言われる。受講者の手拍子はぴたりとそろう。宮本さんは「これが音楽」と言った。時間の流れは人それぞれだが、音楽があればそれがそろうのだ、と。

 楽譜(理論)ありきの音楽に慣れていた私には、まず体験から音楽のはたらきを実感するというこの経験に衝撃を受けた。宮本さんによる午後のセッションでは私自身がたのしく、私もこうした時間をつくりだせるようになりたいと思い、研修を受けることからはじめた。宮本さんやその他の実践者らのセッションをみせていただくうちに、福祉現場で蓄積されてきたのであろうミュージック・ケアの理念やメソッドに魅せられ、どうしてもこの世界そのものを学びたいと思うようになったのである。

障害者が主役のインパクト

 特別支援学校の教員として、長年障害児たちとの音楽療法に取り組む榎本ルミさんは、大学在学中に音楽療法に興味をもち、講座などを受講していた。その頃(一九七〇年頃)に、ミュージック・ケアのもととなった「加賀谷式集団音楽療法」(日本でもっとも早く音楽療法をはじめた一人、加賀谷哲郎によるメソッド)のセミナーを受けて衝撃を受けたという。

ダウン症の方が実演のなかでオーケストラの曲で指揮をしてらっしゃるその姿をみたときに、〔それまで受けていた〕音楽療法の講座とはぜんぜん違い、何かを感じて、「これだ!」みたいな。……当事者がいるっていうのはすごいインパクトが強かったです。

(二〇二二年一二月一三日インタビュー) 

 深町めぐみさんも同様の驚きを語っていた。知的障害児施設に勤めていた深町さんは、勤務先施設の研修の一つとして一九九〇年頃に参加した加賀谷式集団音楽療法を次のように振り返る。

研修って座学だと思っていたら、ぜんぜん違いましたね。受講者が主体っていうか、障害のお子さん連れた親御さん、施設の職員さんとか、障害とか何とかわからない雰囲気ですごく感動して。……研修会っていうのに障害のある方が参加するっていうのが思ってもみなかったですね。……あれが研修会?

(二〇二二年八月一九日インタビュー)

 今でこそ、国際障害者年(一九八一年、国際連合)、障害者権利条約(二〇〇六年、国際連合総会)、障害者差別解消法(二〇一三年)などによって障害者の権利が以前より意識されるようになったが、当時はまだ「身内に障害者がいるのは恥」とされる風潮が残っていた。一九八五年に出版された田辺聖子の短編「ジョゼと虎と魚たち」の主人公クミ子は車いすを使用しているのだが、主人公の祖母は孫娘を恥ずかしいものとして家の外に出さない。歴史を振り返れば、日本では一九〇〇年の精神病者監護法によって「私宅監置」が認められていた時代もあった。「私宅監置」は俗に「座敷牢」とも呼ばれた。当時は、障害の原因を「遺伝」「家系」「たたり」だと信じる人もおり、一九五〇年に私宅監置が禁じられてもなお、クミ子のように「家の恥」とされる場合もあった。そうした時代に、障害児が場の中心になる。障害者が指揮者になる。榎本さんや深町さんが受けたインパクトが私以上に大きかったであろうことは容易に想像される。

 冒頭で取り上げたナーラー苑は長年、施設をあげて音楽療法に取り組んでいる(4章参照)。その日のセッションでは次のようなシーンもあった。

参加者がそれぞれバチをもって床を打ち鳴らす曲のあと、曲は終わっても、なかなかバチが鳴りやまない。セッションのリーダー、大沢良晴さんが「〔バチ〕とめるよー、五、四、三、二、一!」と呼びかけてもバチは止まらない。しかし、大沢さんが次の曲をかけるといきなりバチが止まる。セッション後の振り返り会ではナーラー苑の職員が、バチが鳴りやんだ瞬間を「おもしろかった!」と述べた。大沢さんは「音楽はじまったら、何かが起こるってわかってるね」とこたえた。

 このセッションで私は、みんなで同じことをすることが「目的」だと思い込んでいた自分に気づかされた。曲にのせられて、次の曲への期待感に身体が反応して、いつの間にかそれぞれのノリだけれど一緒にやっている。そして一緒に止まる。それはすべてあくまで「結果」なのである。やりたくない人ややりたくないときはしなくていい、それぞれがそれぞれのタイミングややり方で参加すればいい、というミュージック・ケアのセッションは、障害の有無や年齢差から抜け出して、ただその空間を共有できる喜びを思い出させてくれた。

「お祭り」のような音楽療法のセッション

 あとあと知ったのだが、加賀谷式集団音楽療法/ミュージック・ケアはその創始者である加賀谷の時代から草の根的に、つまり人から人へ、師匠と弟子のような関係のなかでケアの現場にひろまっていったメソッドである。加賀谷は日本の初期の障害児教育の専門家としても著名な人物で、当初の対象は障害児が主であった。後に、高齢者や障害者、子育て支援や介護予防、ターミナルケアや震災の支援など、その裾野がひろがり続けている。こうしてひろまっていくのは、榎本さんや深町さんがインパクトを受けたように、「当事者」や当事者と共に生きる人たちが中心になるからではないか、という気持ちがフィールドワークを続けるなかで強まっていった。

 ミュージック・ケアのセッションでは、その場のすべての人が対象者とされる。「その場のすべての人」とは、たとえば高齢者施設であれば高齢者の方々だけではなく介護士や偶然居合わせたケア・マネジャーも含む。障害児の入所施設の場合は障害児だけではなく施設保育士、重度身体障害者の在宅でのセッションの場合はその親やきょうだいなども含む。たとえば遷延性意識障害(いわゆる植物状態)と診断された草太さんの母親、和子さんは「自分でどんどこどんどこ動かしたくなる。……その場にいる人たちが、じゃあ一緒にっていつの間にかみんなでやってる」、そのようなミュージック・ケアのセッションを「お祭り」と表現した(3章参照)。

 和子さんはまたあるとき、「ミュージック・ケアなのか何なのかはどうでもよかった。ただたのしいから来てもらってた」と話していた(二〇一八年五月一二日)。私がミュージック・ケアのフィールドワークを続ける根底には、この和子さんの発言と同じものがあると思う。ミュージック・ケアというメソッドであること、音楽療法であること、それ以前に、その場に集う人たちの、それぞれのあり方で生き生きした姿、魅力的な姿に惹きつけられてきた。このことは、ミュージック・ケアのセッションが、一つの音楽シーンとして魅力的であるということでもある。

 しかし、たとえば深町さんの勤務先施設のように、施設側が経費を負担してでも職員に研修を受けてほしいと思うのは、一時的な熱狂やたのしさだけではないものが加賀谷式集団音楽療法/ミュージック・ケアにあるからなのだと考えられる。そのため本書では、お祭りとセッションとの違いはどこにあるのか、また、何をどうすれば、たとえば障害のある人などの「当事者」が主役になる場となるのか、という問いに向き合わざるを得ない。そして、これらの問いに向き合うことはおのずと、ケアの現場で音楽療法やミュージック・ケアが求められるのはなぜなのか、音楽療法やミュージック・ケアによって福祉現場がどのように変わるのか、を考えることにつながるはずだ。

 そういった点で本書は、日本でも特に一九九〇年代以降に数多く出版されるようになった音楽療法関連の書籍とは異なる性質のものである。音楽療法関連の書籍の多くは、「音楽療法士」と呼ばれる音楽療法の実践者が、どうしたら音楽療法がより効果的になるのかを追求するものであるが、私は音楽療法士ではない。また、本書は「集団」に目を向けるという点でも違ったものになると思われる。

 ある種の音楽療法は、S.フロイトが始めた、セラピールームでセラピストとクライエントが向き合うような、精神科のカウンセリングをモデルにしている。その意味で、音楽療法はごく近代的なものであるといえるが、人間は近代以前から音楽する(=ミュージッキング**)文化をもっていた。そしてそのミュージッキングは、村の祭礼であれ、何かの儀式であれ、お座敷の余興であれ、多くの場合は集団によるミュージッキングであったはずである。

 ゴリラやテナガザルなどの類人猿は歌をうたうそうだが(井上陽一『歌うサル──テナガザルにヒトのルーツをみる』)、類人猿は合唱をしたり一緒に手拍子をしたりはしない。なぜ人間だけが、共同でミュージッキングをするのか。なぜ共同する方がたのしかったり、盛り上がったりするのか。そしてなぜケアの現場でも、共同のミュージッキングが営まれ、人々が生き生きするのか。本書ではこうした問いをもとに、福祉現場で音楽療法のセッションがどのように行われているのかについて迫りたい。

 本書の構成は次の通りである。

 まず1章では、本書におけるケアのイメージを概観し、国内外の音楽療法の歴史や特徴のなかに加賀谷式集団音楽療法/ミュージック・ケアを位置づける。2章では、加賀谷式集団音楽療法/ミュージック・ケアのメソッドの仕かけや工夫をより具体的に記述したい。3章では、その場のすべての人(介護士や保育士、保護者など)を対象とみなす、加賀谷式集団音楽療法/ミュージック・ケアのユニークな実践方法に注目する。4章では、福祉施設そのものに加賀谷式集団音楽療法/ミュージック・ケアの理念がどのようにかかわってきたかを取り上げる。5章では、加賀谷式集団音楽療法/ミュージック・ケアを実践する人自身に着目し、実践者の育成にも迫ることで、加賀谷式集団音楽療法/ミュージック・ケアが重視するものを深めたい。6章では、新型コロナウイルス感染症の流行でひろまったリモートセッションの事例も踏まえ、音楽療法の意義を考える。終章では、再度「ケア」という文脈において、音楽療法のセッションがいかなるものであるのかを相対化し、音楽で何がケアされるのかを問い直したい。

 

* ピアノやヴァイオリンなどの教授は「レッスン」と呼ばれるが、音楽療法ではセラピストとクライエントが音楽を媒介として過ごす時間を「セッション」と呼ぶ。

** C.スモールが提唱した概念。音楽はモノではなく行為であるとする考え方。スモールは、その人ならではの音楽的な身ぶりをつくりだす能力が、すべての人に備わっていると考える。音楽的な身ぶりには、手拍子やダンス、身体を揺らす、頭や顔を揺らすといったことも含む(スモール,C.『ミュージッキング──音楽は〈行為〉である(新装版)』)。ミュージック・ケアのセッションでは、障害のため楽器を手に持てない人や足がうごかない人、起き上がれない人もいるが、たとえばまばたきのように、誰もがその人ならではの身ぶりで加わり、一定の貢献をすることを前提としている。


本の詳細はこちらから

【目次】

はじめに

1章 ケアとしての音楽療法
 1 同じ世界に生きているという感覚
 2 音楽療法のはじまり
 3 音楽療法のさまざまなメソッド
 4 加賀谷式集団音楽療法/ミュージック・ケア

  コラム1  職業資格としての音楽療法士

2章 障害児・者や高齢者が生き生きする
 1 生活を共にする人との実践
 2 セッションにおける仕かけ
 3 セッションにおける駆け引き
 4 なぜ音楽なのか

3章 職員や親が巻き込まれる
 1 ほっとできるたのしい時間
 2 立場が吹き飛ばされる場
 3 生身の存在としての出会い

4章 施設の生活に音楽がかかわる
 1 法人主導で取り入れられたミュージック・ケア
 2 個人の実践から法人全体にひろがる輪

  コラム2  資格を給与に反映させる法人

5章 実践者が救われる
 1 ミュージック・ケアとの出会いが人生を動かす
 2 一人との出会いや一曲が人生を変える
 3 実践者として「救われる」指導と実践のあり方

6章 常識や権威を取り除く
 1 リモートセッションが取り除く威圧感や緊張感
 2 権威を映し出す
 3 既存の関係を映し出す

  コラム3  音楽療法は科学か芸術か

終章 相手のズレに巻き込まれる
 1 一体感とズレ
 2 ケアする人もケアされるのはなぜか
 3 関係性のケア

あとがき
参照文献
索引

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著者略歴

  1. 西島 千尋

    1981年生まれ。金沢大学大学院人間社会環境研究科博士後期課程修了。博士(学術)。現在、金沢大学人間社会学域准教授。
    主著に『クラシック音楽は、なぜ〈鑑賞〉されるのか──近代日本と西洋芸術の受容』(新曜社、2010年)、共著に『音楽の未明からの思考──ミュージッキングを超えて』(アルテスパブリッシング、2021年)、共訳に『ミュージッキング──音楽は〈行為〉である(新装版)』(水声社、2023年)などがある。
    音楽療法への興味から、2015年に偶然ミュージック・ケアに出会い、子育て支援や療育、介護予防など、さまざまなセッションのフィールドワークを継続中。ミュージック・ケアのセッションをはじめ、地域の祭礼やJリーグなど、人々が集まり、楽器を打ち鳴らし、声の限りに感情をあらわにするミュージッキングに惹かれる。

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