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『絶望と熱狂のピアサポート』はじめに

はじめに──対等になりたい

 ピアサポートの研究を始めたばかりの頃、私は 「ピアサポート研究者」とは名乗りたくないと思った。自らピアサポートを研究テーマとして選んだにもかかわらず、ピアサポートに対してどこかきな臭い印象を抱いていたからだ。同時に、私はピアサポートに心を打たれ、今日まで惹きつけられたまま研究を続けてきた。この両義性は、どこから来ているのだろうか。

 ピアサポートとは、共通する境遇や経験のある者同士が支え合う実践である。ピアサポートのなかでも、私は精神疾患や障害のある当事者同士のピアサポートを研究している。そんなピアサポートを私がきな臭く感じたのは、同じ病気や障害の経験を持っている者同士は対等な立場にあり、それゆえ互いに共感し合い、支え合うことができるという前提が、あまりにも楽観的なように感じられたからだった。

 研究を続けるうちにわかったのは、この前提が精神障害者の支援を行う精神保健福祉領域の教科書などに書かれているものに過ぎないということだった。実際のピアサポートの現場では、人と人は残念ながらはじめから対等なわけではないという前提に立ちながら、それでも対等になるために考え、行動することが必要とされていた。このようなピアサポートの実践に、私は惹きつけられた。

 本書で取り上げるピアサポートは、このような具体的な行動がなくては、人と人が対等なピア(仲間)になることはできないという前提に基づいている。それでは、対等になるための行動とは、どういったものだろうか。

 

 ここで開示しておかなくてはならないのは、私が健常者であるということだ。誰もが生きづらいと言われて久しい今日の社会で、わざわざ自らを健常者と名乗るのは、時代の流れに逆行しているかもしれない。実際のところ、私は今この瞬間において健常者であるに過ぎず、病気や障害とともに生きる日々がいつ始まってもおかしくない。

 しかし私は、誰もが生きづらいという言説に賛同することで、健常者が圧倒的に有利な世界で、健常者であることの恩恵を享受しながら生きているということを、意図的ではないにせよ覆い隠したくない。たしかに今は誰もが生きづらい社会ではあるが、誰もが平等に生きづらいわけではない。

 この不平等な社会で、私も生きづらさを抱えながら生きてはいる。しかし、私が健常者優位の社会の仕組みを何不自由なく感じられる立場にあることには変わりない。このような自分の立場を認めることから、対等性について考えはじめたい。

 

 改めて、対等になるための行動とはどのようなものだろうか。私はピアサポートに心惹かれながらも、どこか近づき難さも感じていた。当事者が集まっている会には何度も遊びに行ったことがあった。当事者との関わりはとても楽しく、他では得られない学びにあふれていた。けれども、私は当事者じゃないから──だから、ピアサポートに近づくことは許されないと思っていたのだ。

 このような考えが変化したのは、本書の調査地である「横浜ピアスタッフ協会(通称、YPS)」に参加するようになってからだ。YPSの人々と関わるようになってから学んだのは、たとえ当事者同士であっても、互いのことはわからないという当然の事実だった。

同じ病気や障害の経験のある者同士が共感し合い、互いを癒す実践だと思われがちなピアサポートであるが、実際には当事者の経験は個別性が高く、またそもそも、病気や障害以外の属性には違いがあるため、わかり合えないことも多い。当事者同士であっても、初めから対等な関係にはないのだ。特に、ピアサポーターと名乗りながらピアサポートを実践する当事者は、他の当事者と対等な立場と言い切れなくなることが多い。対等な関係は、努力なしには叶わないということだ。

 

 では、ピアサポートなど成立し得ないのかというと、そうではない。ここからが重要である。私がピアサポートの実践で心打たれたのは、どうにか対等な関係を築くために、必ずしもわかり合えない相手を尊重し、信頼し、仲間になろうと探り合い、ときに踏み込むところである。このような尊重や信頼、探り合い、踏み込みこそが、対等になるための行動である。

 本書は、対等になるための行動のひとつのやり方として、YPSの人々が編み出した〈お祭り〉に迫る。YPSの〈お祭り〉とは、絶望的なまでに不平等な社会をかき乱し、教科書にあるような前提を壊すことで、対等な関係を築こうとするピアサポートのあり方である。社会をかき乱すことには、責任がつきまとう。こうした責任を引き受けることでこそ、〈お祭り〉は熱狂的なまでの盛り上がりを見せていた。

 私たちは対等ではない。それでも私は、あらゆる差異が生み出される仕組みを直視することを通して、対等になりたい。たとえそれが叶わぬ願いであったとしても、私はそのために考え、行動し続けたいのだ。



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【目次】

はじめに──対等になりたい

序 章 何のために〈お祭り〉をするのか

 第Ⅰ部 まずは無条件の歓迎で

 第1章 事務局会議──全員参加の最高意思決定機関

 第2章 懇親会──名前のある個人として出会う

 

第Ⅱ部 作られた混沌

 第3章 さざなみ会──参加者たちの「本業」

 第4章 ピアになる──いかにして対等になるのか

 

第Ⅲ部 どうでもいい

 第5章 ピアまつり──渾然一体のパフォーマーと観客

 第6章 責任を引き受ける──〈お祭り〉の先にあること

 

第Ⅳ部 仲間のため

 第7章 事業化──いかにして当事者活動は存続するのか

 第8章 制度化された絶望──あたりまえのように奪われる主体

 

終 章 当事者活動を「書く/書かせる」ということ
 

  • 住友健治さん──体裁と曖昧
  • 藤井哲也さん──暴力と責任
  • 小堀真吾さん──直観と挑戦
  • 堀合悠一郎さん──自己否定と社会貢献
  • 島中祐子さん──距離と情
  • 堀合研二郎さん──妥協と批判
  • 鈴木みずめさん──楽しさと負担
  • 野間慎太郎さん──自責と適当

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著者略歴

  1. 横山 紗亜耶

    1997年神奈川県生まれ。東京大学総合文化研究科博士後期課程、日本学術振興会特別研究員(DC1)。精神保健福祉士、社会福祉士。専門は精神障害当事者活動および精神保健福祉領域の人類学。主な論文に、「変革か適応か──「仲間のため」の当事者運動」『精神医療(第5次)』(16号、2025年)、「支援に「共感」って必要ですか?──絶望によるピアサポートを、さざなみ会に見た」『精神看護』(25巻3号、2022年)など。

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