『基礎ゼミ ジェンダースタディーズ』はじめに
著者たちによるジェンダーに関する体験談などのコラムや、読者が自分の考えを深められるワークシートも付いた、究極の入門書。
2025年4月発売の守如子・前川直哉編『基礎ゼミ ジェンダースタディーズ』より「はじめに」(全文)を公開します。
ある朝、あわただしく支度していると、テレビから同性婚に関するニュースが流れてきました。裁判で間もなく判決が出るようです。同性同士の結婚を認めない法律の規定は憲法違反だと訴える原告の声も取り上げられています。もっと見ていたいのですが、そろそろ家を出る時間です。早足で駅へ向かう途中、保育園へ子どもを送るスーツ姿の父親とすれ違いました。楽しそうな子どもの声を聞くと、朝からほっこりした気分になります。
今ではさして珍しくないこんな光景も、30年ほど前にはあまり見られなかったものです。子育てに積極的にかかわる男性は今よりずっと少なく、同性愛など性的マイノリティがテレビで取り上げられるのは差別的な「笑いのネタ」としてがほとんどで、人権にかかわる真面目なテーマとしてはなかなか扱われませんでした。
近年、働く女性の数も、男性の育児休業取得率も、確実に増加しています。多様な性への理解も、以前よりは進みました。一方で現在もなお、男女の平均賃金に大きな差があること、子育ての負担が母親に多くかかっていることや、性的マイノリティがさまざまな生きづらさを抱えていることも確かです。これらはいずれも、客観的なデータで示すことができます。
人びとの生き方が急激に変化するなかで、ジェンダーやフェミニズム、性的マイノリティに関する話題が、これまでにないほど注目を集めています。日本のジェンダー・ギャップ指数の低迷や、性的マイノリティに対する理解増進法の制定など、ジェンダーについて学ぶ重要性は近年、ますます高まっています。
その一方で、ネットなどでは、事実に反する思い込みから議論が展開されている場面をみかけることも少なくありません。本書では、現在の私たちが知っておくべきジェンダーに関する知識を提供するとともに、具体的な事実やデータ、分析にもとづいて、読者のみなさんと考察を深めていくことをめざします。
ジェンダーとは何か
学問分野としてのジェンダー研究(ジェンダー&セクシュアリティ研究ともいいます)は、さまざまな学問の中で比較的新しい分野です。「ジェンダー」という言葉が現在のような概念として使われはじめたのも1970年代のことで、その後もフェミニズム運動や性的マイノリティによる反差別運動などと、学問の世界が互いに影響を与え合いながら、学問分野としてのジェンダー研究が形づくられてきました。また、ジェンダーとはどのようなものであるのかということ自体が重要な論点であるため、論者によってこの言葉の定義が微妙に異なっており、そのことがジェンダー研究という学問分野を難しく感じさせてしまう理由のひとつにもなっているかもしれません。
さまざまな定義があるなかで、本書では、「ジェンダー」という概念に、2つの意味があることに注目します。
ひとつは、「男は〇〇だ」「女は〇〇だ」といった私たちが自明視する男女のありようは、不変のものではなく、社会によって、つまり私たちの日々のさまざまな言動の積み重ねによって、つくりあげられているという点です。
もうひとつは、ジェンダーとは、人間を男と女に分類する、社会的なルール(規範)であるという点です。学校や家庭、職場から、ファッションやスポーツ、メディア表現まで、「男」や「女」という性別が枠組みとなっている場面は少なくありません。この「男」と「女」という枠組みは、これまで企業のトップや政治家に男性が多かったことからもわかるように、社会の中心が男性になるようにつくりあげられており、女性はそこから排除されてきました。また、この「男」と「女」という既存の枠組みにすんなりあてはまらないとされた人々(たとえば、性的マイノリティはそれにあたります)も、社会から排除されてきました。
その一方で、社会によってつくりあげられたものである以上、ジェンダーのありかたは、これまでも変化しつづけてきましたし、これからも変えていくことができます。本書は、社会によってつくりあげられているジェンダーのありかたを、さまざまな主題を通して見つめなおしていきます。
多様性とインターセクショナリティ
ただし、ジェンダーが社会によってつくりあげられているといっても、男性ならば男性全員が、女性ならば女性全員が、同じような経験をしたり、同じような考えをもっていたりするということを意味しているわけではありません。
ジェンダーに関する講義で、教員が女性ならば、講義内容を「女性目線の話」だと決めつけられることがあります。しかし、たとえば、50 代の女性と20 代の女性は、「女性」として同じ困難を抱えているといえるでしょうか? 経済的に安定した男性と不安定な男性にとって、「男性」であることから生じる問題は同じでしょうか? 女性だからといって、すべての女性を代表して「女性の目線」から話ができるわけではありません。私たちはまずはいったん、「女性は〇〇だ」「男性は〇〇だ」という思い込みを疑ってみる必要があります。
同じ「男性(あるいは女性)」であっても、各人が直面するジェンダー問題は異なっているということを、もっとも意識化させてくれるのが、「インターセクショナリティ」という概念です。インターセクショナリティとは、「交差性」を意味しています。この語は、1980年代アメリカの、ブラック・フェミニズム(黒人女性のフェミニズム)によって生み出されました。
1960年代に始まるフェミニズム運動は、第2波フェミニズムと呼ばれていますが、そのきっかけとなったベストセラー『The Feminine Mystique(女らしさの神話)』で、B. フリーダンは妻や母であることだけが期待される家庭の主婦の満たされない思いを「名前がない問題」と呼びました(フリーダン 2024、原著初出は1963)。けれども、これは白人中流階級の女性にとっての問題であって、最初から家庭に閉じこもるような経済的余裕のない有色人種や労働者階級の女性たちにとっては大きな問題ではありませんでした。
この例が表しているように、白人女性と黒人女性が直面するジェンダー問題はすべてが同じとはいえません。黒人女性は人種にもとづく差別と、性別にもとづく差別を二重に経験するだけでなく、白人女性とも、黒人男性とも異なる差別に直面しています。「インターセクショナリティ」という言葉は、性差別と人種差別の両者が交わる交差点(インターセクション)で、あちらからもこちらからも、そして時には全部の方向からくる独自の差別にもぶつかる状況を示しています。また、この語は、この社会の中で、性差別と人種差別は切り離された問題ではないということも表しています(清水 2021)。
インターセクショナルな差別は、もちろんアメリカ社会だけのものではありません。たとえば、筆者の一人(守)は北海道出身で、開拓民をルーツにしていますが、アイヌ民族に対する差別を目撃し、心苦しい気持ちを抱いたことは少なくありません。調査によると、現在でもアイヌの人々の半数以上が被差別経験をもっており、男性よりもアイヌ女性が被る不利益・不公平が多いことがわかっています(佐々木 2016)。アイヌ女性は、アイヌ男性や、和民族の女性が直面する差別に加えて、独自の差別にも直面しているのです。
ジェンダーは、人種や民族(エスニシティ)だけでなく、セクシュアリティや、階級、障害の有無、国籍や居住地、年齢など数々のカテゴリーと関係し合い、互いを形づくっています。本書を通じて、さまざまな立場の男性や女性が直面しているジェンダー問題を知り、自分の経験との差異や共通点を考えてみてもらえたらと思います。
本書の特長
ここで、本書の特長を整理しておきましょう。
①インターセクショナリティの視点を重視する
本書全体を通して、先に記したインターセクショナリティの視点を大切にしています。締めくくりとなる第Ⅳ部では、さらにこの点を深めていきます。
②多様な性のあり方を前提とする
かつてのジェンダーに関する教科書では、異性愛のシスジェンダー(出生時に割り当てられた性別と性自認が一致している人)が前提とされ、性的マイノリティについては最後のほうで少し扱われるだけという場合も珍しくありませんでした。本書では最初から多様な性のあり方を前提とし、第3 章で詳しく解説したうえで、さまざまな章で多様な性のあり方について考察しています。
③多彩なトピックについて、第一線で活躍する研究者が執筆
ジェンダー研究の射程は多岐にわたるため、すべてを網羅的に取り上げることはできません。本書では、学生が抱きやすい疑問や社会でよく争点になる話題を取り上げました。各章は第一線で活躍中の研究者が執筆し、それぞれのテーマについて最新の知見を惜しみなく披露してもらっています。
④「問い」をデータで検証していくスタイル
各章はテーマを「問い」の形で提示し、データ・理論・調査方法などを示しながら論じるスタイルをとっています。これには、2 つの目的があります。ひとつは、自分自身の思い込みに気づいてもらうことです。身近なことであるからこそ、私たちはさまざまな思い込みをもってしまいがちです。本書が思い込みを解きほぐす機会になったらこれほどの喜びはありません。もうひとつは、問いを立てデータで検証する方法を示すことで、学問のはじめの一歩であるレポートや論文執筆の参考にしてもらうことです。ただし、各章の問い方や論じ方については、あくまでもひとつの例であると捉えてください。
⑤考察や問いを広げる、豊富なワーク
各章にはそのテーマを通じて取り組んでほしいワークを盛り込んでいます。これらのワークに取り組むことによって、「自分ならこの問いについてこういう分析をしてみたい」「ここをもっと考えたい」といったように、考察や問いを広げてもらえたらと思います。
⑥ジェンダー研究を身近に感じられるコラム
各章の終わりには「キーワード」や「ブックガイド」に加え、「わたしとジェンダー」などのコラムも用意しました。近年、ジェンダー研究に対して「難しそう」というイメージをもつ人も増えてきているように感じます。「わたしとジェンダー」では、ジェンダー研究を少しでも身近に感じてもらうために、各章の執筆者それぞれがなぜジェンダー研究に取り組んできたのか、何に疑問を抱いているのか、その一部をコラムにしてもらいました。
以上のような特長により、ジェンダーについて初めて学ぶ人にも、すでにある程度知識がある人にも、最近の研究動向を学び直したい人にも、最適な一冊となるよう工夫を凝らしたつもりです。本書がジェンダー研究の新しい定番の教科書になればと願っています。
ジェンダーに関する主題は、時に自分を深く見つめなおしたり、つらかった経験をよみがえらせたりしてしまうこともあるかもしれません。性被害を想起させる可能性がある章については、章の最初にその旨を明記しています。また、ワークへの取り組みについては、多様な人がいる可能性について、十分に注意を払ってください。
本書の構成
本書は4 部構成をとっています。
第Ⅰ部は、ジェンダーの視点を身につけるための、基礎にあたる部分です。あらためて「女らしさ・男らしさ」がこの社会でいかにつくりあげられているのかについて考察を深めます。また、性的マイノリティが直面している問題について考察を深めることを通じて、私たちの社会における「男」と「女」という枠組みがどのようなものなのかを再考していきます。
第Ⅱ部では、本書を手に取ることが多いであろう、若い世代を念頭におき、身のまわりのジェンダー問題を取り上げます。実生活で意識されているかどうかはわかりませんが、じつは、学校生活などにも、「男」や「女」という枠組みが使われている場面を見つけることができます。第Ⅱ部では、あたりまえのものとして見過ごされてしまっている日常生活の中のジェンダー問題を見つめなおしていきます。
第Ⅲ部では、社会的な課題としてさまざまな場面で話題になることが多いテーマを取り上げました。少子化や家族、女性専用車両、フェミニズムなどのジェンダーの話題として注目されるテーマだけでなく、災害のような現在の社会が抱える問題にも切り込んでいます。
第Ⅳ部では、障害女性、部落女性、トランスジェンダーを主題に、本書の核となる「インターセクショナリティ」を正面から取り上げます。
冒頭でも触れた通り、多くの人の努力で社会は変わってきましたが、人権やジェンダー平等の観点からすると、今なおこの社会は不完全だといえます。本書は、ジェンダーについて考えることを通じて、自分が生きやすくなり、社会をよりよいものにしていくための「学び」を提供することを企図しています。
守如子・前川直哉
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目次
はじめに
第Ⅰ部 ジェンダーの視点を身につける
第1章 「女らしさ・男らしさ」を決めるのは誰?
――ジェンダー、性差別、ジェンダーギャップ指数(前川直哉)
第2章 フェミニストは「萌え絵」が嫌い?
――炎上、女性学、ジェンダー研究(守如子)
第3章 LGBTは私のまわりにいないのか?
――マイノリティ、クィアペダゴジー、アライ(堀川修平)
第Ⅱ部 「わたし」のまわりのジェンダー
第4章 女性はメイクをしなければだめ?
――美の強制、エロティック・キャピタル、ルッキズム(西倉実季)
第5章 これは男子の遊び? それとも侵害行為?
――男性学、男らしさ、ホモソーシャルな絆(片田孫朝日)
第6章 学校にもジェンダー差別はあるのか?
――隠れたカリキュラム、ポジティブ・アクション、ジェンダー教育(宮田りりぃ)
第7章 スポーツは男性のほうが向いている?
――ジェンダー秩序・性別二元論・身体の性の多様な発達(井谷聡子)
第Ⅲ部 社会の課題とジェンダー
第8章 少子化は「女性の社会進出」が原因?
――ロマンティックラブ・イデオロギー、男女雇用機会均等法、リプロダクティブ・ライツ(守如子)
第9章 あなたにとって「家族」とは誰?
――性別役割分業/新・性別役割分業、同性婚、ケア(堀あきこ)
第10章 女性専用車両は「男性差別」か?
――痴漢、性暴力、性的同意(牧野雅子)
第11章 災害の被害は平等か?
――DV、避難所、女性防災リーダー(前川直哉)
第12章 ネットでフェミニズムは変わったか?
――フェミニズム、ハッシュタグ・アクティヴィズム、クラフティヴィズム(井口裕紀子)
第Ⅳ部 インターセクショナリティの視点で考える
第13章 ケア役割は誰のもの?
――フェミニスト障害学、優生思想、自立生活(飯野由里子)
第14章 女性にも「特権」はあるの?
――レイシズム、家意識、マイクロアグレッション(宮前千雅子)
第15章 「トランスジェンダー問題」とは何か?
――トランスジェンダー/シスジェンダー、性別承認法(高井ゆと里)
引用文献一覧
索引
ワークシート
巻末資料