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『奴隷・骨・ブロンズ』はじめに

「ミセス」の「コロンブス」大炎上

 Mrs. Green Apple(以下「ミセス」)という三人組のロックバンドがある。若者に絶大な人気があり、YouTubeのチャンネル登録数は三九〇万人を超える(二〇二四年一〇月二八日現在)。二〇二三年には日本レコード大賞を受賞した。

 二〇二四年六月一二日、コカ・コーラのキャンペーンソングとして、彼らの新曲「コロンブス」がリリースされた。と同時に、そのミュージック・ビデオ(以下MV)がネット上で大炎上した。翌日、映像監督を務めた「ミセス」のメンバーは即座に謝罪声明を出し、MVは公開停止となった。コカ・コーラ社は「事前視聴していない」として、いっさいの関与を否定した。

 件のMVは、時代が異なる三人のヨーロッパの「偉人」――コロンブス、ナポレオン、ベートーベンに扮した「ミセス」の三人が、南の小さな島を訪れるという設定ではじまる。その島で「類人猿たち」と遭遇した三人は、それぞれに彼らの「啓蒙」に乗り出す。ベートーベンは楽器の演奏、ナポレオンは乗馬、そしてコロンブスは読み書きや卵の立て方を教育。人力車を引くという労働も教えた。夜になると、三人は類人猿たちとビデオ映画を観賞して感動を分かち合い、ホームパーティを開いて楽しく飲み騒いだ。その後、類人猿たちが寝静まったのち、三人が密かに島を離れるところでMVは終わる。

 このMVから容易に推測できることは、コロンブスを「新大陸の発見者」として礼賛し、そこに開かれた三つの大陸(ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ)の関係性――奴隷貿易や奴隷制、植民地主義を通じて確立されたヨーロッパの優位を、肯定的に捉えるナラティヴである。

 実際、MVには、このナラティヴに沿ったイメージがふんだんに描き込まれている。濃淡さまざまな色の着ぐるみを着た類人猿は、先住民、あるいはアフリカからの黒人奴隷を暗示する。乗馬を教えるナポレオンに、類人猿たちは軍隊式の敬礼で応える。コロンブスが卵を立てる机の上には、船の模型や望遠鏡、地球儀などが散らばり、類人猿たちがもの珍しそうに手に取る。みんなで見る映画のタイトルは「モンキー・アタック」。負傷して倒れた白いハチマキの類人猿を、赤いハチマキをした別の類人猿が抱きかかえるシーンが大写しにされると、そこに「名誉の負傷」という歌詞がかぶさり、皆が感涙にむせぶ。赤いハチマキは、アメリカやカナダなど北米大陸の先住民を示す俗語、レッドスキンを否が応にも連想させよう。

 植民地主義や人種主義といった欧米中心のマスターナラティヴを、ここまであからさまに、二一世紀の日本の若者がグローバルに発信したことに驚きを隠せない。

 「ミセス」メンバーの謝罪文によると、このMVは、「年代別の歴史上の人物、類人猿、ホームパーティ、楽しげな」という四つのキーワードで作られたというのだが(注1)、数多く存在する歴史上の人物のなかで、なぜコロンブスだったのか。「新大陸発見五〇〇周年」の一九九二年以降、先住民の搾取や虐殺、奴隷化、植民地化への口火を切った人物として、コロンブスが問題視されてすでに三〇年を超える。二〇二〇年五月以降、世界各地に拡散した「ブラック・ライヴズ・マター(BLM)」運動のなかで、コロンブス像が最も多く引き倒されたことは、日本でも注目を集めた(注2)。しかも、BLM運動の主たる担い手は、「ミセス」の三人と同じZ世代(一九九〇年代後半以降の生まれ)の若者である。なのになぜ?

 「ミセス」の音楽は実に魅力的で、歴史研究者の声が届かないところ、特に若い世代に、彼らの音楽は強く支持されている。だからこそ、「なぜ?」という思いが今なお尾を引く。私たちの周囲に、いまだ脱することが難しい欧米中心の価値観、歴史観が漂っているのだろうか。島の「類人猿」の視点で歴史上の三人の白人を見直すという発想は、彼らにも難しいことだったのだろうか(注3)。

「私の想定」と「学生たちの前提」のずれ

 本書は世界思想社WEBマガジンで連載していたエッセイをまとめたものである。「過去につながり、今を問え!」と題する連載のきっかけは、ここ一〇年余り、大学の講義で覚えた私の違和感にあった。一言でいってしまえば、講義をする「私の想定」と受講する「学生たちの前提」とのずれ、ギャップが大きくなってきたのである。その意味を、エッセイを綴りながら考えてみようと思った。

 ここでいう「私の想定」とは、大学入学以前に学んだ歴史理解=「学生たちの前提」が、私の講義を聴いてひっくり返る、ないしは、高校までの学びとは違う見方があることを知って目からウロコが落ちる、といった状況をいう。そこには、「日本は〇〇条約を結んだ」とか「欧米列強は帝国主義の時代に突入した」といった教科書記述のような表現では見えない、ひとつの国のなかの多様性に気づくことも含まれる。ブログやSNSで誰でもネット上に記録を残すことができる現代とは異なり、過去には声も言葉も残せなかった人びとがたくさんいた。彼ら/彼女らの叫びをどうやって聴けばいいのか、それも考えたいひとつである。大学時代にそうした気づきをたくさん得てほしい。それが自身の経験に基づく私の願いでもあった。

 ここで簡単な自己紹介をさせていただこう。

 私の専門はイギリス近代史で、時代でいえば、一八世紀後半の経済成長期(教科書でいうところの「世界初の産業革命」)から第一次世界大戦(一九一四~一九一八)までの間が主な関心である。この時期、イギリスは、産業技術力、貿易や海外投資といった経済力、島国の発展に不可欠な軍事力(特に海軍)を駆使して、七つの海、五つの大陸に植民地を拡大した。そのなかで創り、創り直されてきたのが、私たちが「イギリス的」だと思うモノや事柄である。紅茶好きやガーデニングといった文化も、動物愛護運動も、サッカーやラグビー、バドミントンに代表されるスポーツのルール化も、そして君主制を支える儀礼や王ロイヤルファミリー室一家への敬愛も、すべてこの時期に私たちが知るかたちへと変化した。「イギリス的」という感性は、人やモノの移動、技術や文化の移転などを通じて、島国から帝国への変化と分かちがたく結びついている。

 そんな時空間への関心が、その時代を生きた人びとへの好奇心へと変化したのは、社会史や民衆史、ジェンダー史や文化史など、歴史学研究の「新しい風」を受けたからである。なかでも、一九八〇年代から九〇年代初頭にかけてフランスで行われた「記憶の場」という一大プロジェクトは、私に歴史学研究の変化を強く印象づけた。

 当時第一線で活躍していた歴史家が一二〇人余りも加わったこのプロジェクトは、エッフェル塔やアルザスといった文字通りの「場所」はもとより、三色旗、ジャンヌ・ダルク、ユダヤ人、ツール・ド・フランス、ラ・マルセイエーズ(フランス国歌)などを、国民や民族、共和国フランスを考える「記憶の場」として分析した。そこから見えてくるのは、私たちが学校で教わる内容は歴史のすべてを語っていないという単純な事実であり、記録と記憶の「間」に横たわる、時にとてつもない距離感である。人びとの「記憶」は多声で多層であり、同じものを見ても、そこから紡ぎ出される「物語」は多様、多彩であって、ひとつの枠組みに収まるものではないからだ。

 それを端的に示すのが「記念日」である。身近なところでは、日本の敗戦と関わる「八月一五日の神話」が思い浮かぶ。日本がいかに狭いとはいえ、この日の記憶は、その日どこにいたか、何をしていたか、誰といっしょだったかによって、一様ではないはずだ。なのになぜ私たちは、この日を「終戦記念日」として、一律、一様に顕彰するのだろうか。

 記録から記憶へ、いや記録と記憶の「間」を意識することで、歴史学研究は、何が起こったかのみならず、それがどう認識され、どのように記憶されて今に伝わり、今の私たちが創られたのかへと、探究の矛先を大きく変え始めた。この変化の真っただ中で英文学科から西洋史学科に学士入学し、その後大学院へと進んだ私は、当初から、「公式の歴史」のなかに自分の居場所を持たなかった人びとに惹かれた。「公式の歴史」とは「正史として記述された歴史」であり、「教科書で教えられる歴史」と言い換えてもいいだろう。そこに居場所のない人びとの属性――階級、ジェンダー、民族、人種など――を交差させながら、記述されなかった人びとの声を想像し、耳を傾けようとすることは、「歴史的事実とはいったい何なのか」を問い直すことにもつながるだろう。

 私が講義を通じて学生たちに伝えたいのもこのこと――実際に起こったこととそれがどう認識されたのかの「間」を意識し、見えない/書かれていないことに思いをはせながら、物事の本質に迫る姿勢であった。

 ところが、ここ一〇年余りのうちに、学生たちとの対話が難しくなってきた。あるとき、BLM運動の影響で名作映画『風と共に去りぬ』の配信が停止したという話をしたのだが、学生たちは「それが何か?」という表情を浮かべてきょとんとしている。その様子に、私は悟った。そうか、君たちは南北戦争を描いたこの映画を知らないんだね……。

 「学生たちの前提」を想定する限界にぶち当たった私は、しばし頭を抱えた。はて、どうすれば学生たちに、過去と対話する時のワクワク感を伝えられるのだろうか。

IT時代に「前提」はない

 そのような事態になったのは、大学受験で世界史という科目が日本史や地理に比べて敬遠されつづけたせいだけではないだろう。二〇年近く前、「世界史未履修問題」(二〇〇六年)の発覚の折には「世界史を受講させる」ための対策が急がれたが、その後も事態はほとんど変わっていない。歴史教育をめぐる試行錯誤から、世界史、日本史の二本柱で歴史(少なくとも近代以降の歴史)を考える発想の転換が議論され、二〇二二年度からは「歴史総合」という新しい科目が実施されている。その後の「探究科目」は、従来通り、世界史と日本史に分断されたままだが、「歴史総合」を経験した後の「探究」に期待したい。

 それ以上に「私の想定」と「学生たちの前提」とを乖離させたものは、IT革命のようだ。パソコンでもスマホでも、ネットにつないで検索キーワードを二つ、三つ入力すれば、現在だろうと過去だろうと、出来事の概要、関係者の解説、問題点や後世の評価などがざざっと出てくる。それがすぐさま、「学生たちの前提」に欠けているものを補完する。しかも、今や歴史資料は、データ化とその公開が国家や地域のプロジェクトとして推進されており、研究者でなくても広く利用が可能である。つまり、もはや誰もが過去の事実を簡単に知り、語ることができる時代なのである。いうなれば、私が「学生たちの前提」だと思ってきたことは、彼らの頭のなかではなく、ネット上にあるのだ! ネット上にある「前提」を講義の組立てに「想定」しても、何の意味もない。そうか、と、私の方こそ目からウロコである。もはや、歴史を語るのは歴史家、歴史研究者だけではないし、歴史を語る場も、研究や教育の場に限られない。

 では、ネット上を浮遊する膨大な情報とともに在る私たちが過去について見るべきもの、考えるべきこととは何なのだろうか。

突然の過去――知の脱植民地化に向けて

 歴史とは「現在と過去との不断の対話」だと、イギリスの歴史家E・H・カーはいう。問いかける「現在」が変われば、「過去」に対する見方も変わる。その意味で、過去は死なない、なくならない。過去は、現在の出来事や今を生きる人びとの記憶と呼応しながら、ふとした瞬間に顔をのぞかせる。それは、私たちが何かの拍子に、ふと昔の出来事を思い出すのにも似ている。私たちはみな、どこかに過去を抱きながら、今を生きている。だから、過去を考えることは、現在を、未来を、別の角度から見つめることにほかならない。

 ただし、「何かの拍子」でどんな過去がいつやって来るのか、予測するのは難しい。だから、問わねばならない。数多の過去の記憶のなかで、なぜ今、唐突に「その記憶」が思い出されたのか。そうやって想起された過去は、今の私に、私たちに、何を伝えようとしているのか。

 過去は突然、私たちの眼前に立ち現れる。先が読めないのは、未来だけではない。過去もまた、予測不可能なのである。そして、本書の各章をつないでいるのは、まさにこの感覚――突然の過去、なのである。

 一九世紀末にイギリスの港町ブリストルに建てられたこの町の名士、「慈善家」として記憶されてきたエドワード・コルストンのブロンズ像は、二〇二〇年のBLM運動のなか、「奴隷商人」として倒された。二〇一一年、温暖化による海岸浸食が進むカナダのガスペ半島で発見された人骨は、一九世紀半ばに起きたアイルランドのジャガイモ飢饉の記憶を呼び覚ました。DNA解析技術の飛躍的向上は、奴隷のルーツをたどることを可能にし、大西洋上で展開された奴隷貿易・奴隷制の暴力的構造を今に伝える。一九九〇年代に高揚した先住民族の権利運動は、カリブ海域の先住民絶滅説に疑問を投げかけ、先住民女性が果たした役割に光を当てた。一九世紀末にイギリス軍が略奪し、大英博物館などに所蔵されているベニン・ブロンズは、その返還問題をめぐって、二一世紀の欧米博物館を激しく揺さぶっている。

 これらの過去を二一世紀前後に突然思い起こさせたものとは何か。私はそれを、「知の脱植民地化」だと考えている。この言葉は日本ではまだ広く知られていないが、かたちを変えながら、世界中で確実に影響を広げつつある動きである。「現在と過去との不断の対話」である歴史学という学問において、この対話を「脱植民地化する」とはどういうことなのだろうか。本書はそんな試行錯誤の書である。

 本書を編むにあたり、連載を読み返しながら、「奴隷・骨・ブロンズ」というタイトルが浮かんだ。世界的ベストセラーとなったジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』(日本語訳は草思社、二〇〇〇年)からの連想である。恐れ多いと思いつつ、これ以上に本書を語る言葉はないとも思う。筆者の欲目はご容赦いただき、楽しんでお読みいただきたい。


【注】
(1) https://mrsgreenapple.com/news/detail/20374
(2) たとえば『読売新聞』デジタル版二〇二〇年六月一一日や『朝日新聞』二〇二〇年九月一〇日などを参照。
(3)井野瀬久美惠「コメント 今、マスターナラティヴの編み直しはなぜ必要なのか」『歴史学研究』第一〇五四号、二〇二四年一〇月増刊号、二八~三一頁。なお、Mrs. Green Apple は二年連続、二〇二四年一二月にも日本レコード大賞を受賞した。



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目次

はじめに
第1章 ブリストルのコルストン像、引き倒される!
第2章 骨が語るアイルランド大飢饉 
第3章 レディ・トラベラーへの旅 
第4章 カリブ海の近代と帝国の未来 
第5章 ベニン・ブロンズとは何か? 
おわりに 
関連年表
参考文献

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著者略歴

  1. 井野瀬 久美惠

    1958年愛知県生まれ。人間文化研究機構監事・甲南大学名誉教授。京都大学大学院文学研究科西洋史学専攻単位取得退学。博士(文学)。第23期(2014-2017)日本学術会議副会長。大英帝国を中心に、(日本を含む)「帝国だった過去」とわれわれが生きる今という時空間との関係を多方向から問う研究を続けている。主な著書に『大英帝国はミュージック・ホールから』(朝日新聞社、1990)、『子どもたちの大英帝国』(中公新書、1992)、『女たちの大英帝国』(講談社現代新書、1998)、『黒人王、白人王に謁見す』(山川出版社、2002)、『植民地経験のゆくえ』(人文書院、2004、女性史青山なを賞受賞)、『大英帝国という経験』(講談社、2007;講談社学術文庫、2017)、『「近代」とは何か』(かもがわ出版、2023)、『イギリス文化史』(編著、昭和堂、2010)など。

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