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斎藤幸平「脱成長の未来のために」

マジョリティの甘えと特権性

斎藤幸平さんのお話の後編をお届けします。

日本でコモン型社会への一歩を踏み出すにはどうすればいいのでしょうか? 日本の現場から学ぶために、「学び捨てる」がキーワードになります。

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想像力欠乏症、そして学び捨てること

 じゃあどうやって、日本でコモン型の社会への一歩を踏み出すのかと考えると、私自身、もっと日本の現場を見て考える必要があるということを痛感し、『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA、2022年)を書きました。

 実際にわかったことの一つは、日本では社会運動自体は明らかに遠い存在なのですが、とはいえ何もないわけではなくて、そのヒントはある。けれども、そういうヒントはなかなか見えてこないという問題がある。その原因の一つは、今の社会システムで成功している人たち、私たちマジョリティの中でも、特に重要な意思決定をするような人たちの間には、安克昌さんが言っていたようなケアの精神が根本的に欠如しているということです。

 われわれがある種の想像力欠乏症に陥っているので、それを「学び捨てる」必要性があることを強く感じています。学び捨てることで、逆に見えてくる多くのヒントが日本にもある。見えていなかったというのは、私自身も自分に都合がいいものだけをいいとこ取りしていたんです。自分の枠組みに必ずしも合致しないものの中にいろんなヒントがあったりもして、そういうものを見ていく必要があると感じました。

差別の地から学ぶ

 水俣や、大阪の部落のコミュニティー、アイヌなどを見ていくと、さまざまな日本社会のゆがみや近代化のゆがみ、いろいろなものがそこに集中しているので、大きな傷を負っているわけです。だからこそ、そこでは私たちマジョリティが忘れているような、相互扶助やケアや許しの実践が根付いているし、そこに私たちが学ぶべきヒントもある。

 逆にいうと、それはプロセスにおいて、いかに自分たちが無前提に、無批判的に前提してきたものが、素晴らしいものではなく抑圧や差別を生んできたかということも含めて、学ぶきっかけになると思っています。

マジョリティの甘えと特権性

 取材に行く際、自分は研究者として行き、一応は話を聞き、その上でいろいろ書いたりするというのは、ある種、暴力的な面をはらんでしまいます。当事者と支援者の間でのヒエラルキー的な問題や、その当事者自体が研究者や支援者にとって都合がいいものとして利用されてしまうなど、そういうことは過去にもあったし、反省しなければいけない。

 他方で、当事者に話を聞くのは前提なんだけれど、自分は当事者じゃないから発言するのは控えておこうという、一見するとマイノリティに配慮しているような振る舞いは、しばしば単なる思考放棄であると言えます。この問題について何か言うと炎上するかもしれないから控えておこう、とりあえず触れないようにしておこうというだけで止まってしまえば、それは、その問題を考えなくても普通に生きていけるということ自体が、マジョリティの甘えであり、特権性なわけです。

共事者として声を上げる

 学び続けないといけない一方で、同じ濃度ですべての問題にコミットすることはできないので、そんな中で、小松理虔さんが「当事者」に代わる言葉として「共事者」という言葉を提起されているのは非常に素晴らしいと思います。

 例えば、小松さんが活動されているいわきの原発の問題であれば、東京や日本に暮らしている私たちは、被ばくや土地を失ったというレベルでの当事者ではないけれど、電力を使ってきたという意味で、東電や政府とレベルは違っても、やっぱり私たちも何らかの共事者であるし、この問題を自分事の一つとして学び考える必要がある。

 いろんな問題があるにもかかわらず、この社会ではなかなか声を上げることすら難しいという中で、結局当事者の、一番苦しんでいる人たちしか声を上げることができないということもまた、より沈黙を深めてしまう。相手の苦しみを共事者として捉えるということは、同時に自分が感じている日常のさまざまな問題もまた、一つの共事者として声を上げていい問題として捉え返すことができる。それが、沈黙するこの日本社会を打破するために、もっといろんな人たちが声を上げやすくなるように、まずは必要なことなのではないかと思います。

 子育てや介護、お金の問題などいろいろな問題があるので、みんながみんな同程度の声を上げることはできないし、それはそれでいいんです。けれど、できるところで、できる範囲で、共事者として自分も学びながら一歩踏み出していくことが重要で、そのことが、社会運動や住民投票などコモンの管理を身近なものとして考え、賛同者が増えるきっかけになっていくと思っています。身近な「現場」に身を置きつつ、私たち自身に何ができるかということをあらためて考えていくことが、搾取や収奪にもとづいた社会から、ケアやコモンを重視した社会に転換していく上で、重要になっていくのではないかなと考えています。

(終)

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著者略歴

  1. 斎藤 幸平

    1987年生まれ。専門は経済思想、社会思想。東京大学大学院総合文化研究科准教授。『Karl Marx’s Ecosocialism』(邦訳『大洪水の前に――マルクスと惑星の物質代謝』堀之内出版、角川ソフィア文庫)によって、ドイッチャー記念賞を日本人初・歴代最年少で受賞。日本国内では、晩期マルクスをめぐる先駆的な研究によって学術振興会賞を受賞。主な著書に、『人新世の「資本論」』(集英社新書、「新書大賞2021」受賞)、『僕はウーバーで捻挫し、シカと闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA)、『ゼロからの「資本論」』(NHK出版新書)がある。
    (撮影:島本絵梨佳)

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