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過去につながり、今を問え!

ブリストルのコルストン像、引き倒される!(1)――BLM運動がたぐり寄せる過去

 コロナ禍で休演していたアメリカ、ニューヨークのブロードウェイ・ミュージカルが、9月半ば、1年半ぶりに本格的に再開した。NHKニュース(2021年10月17日)によれば、これまで圧倒的に白人中心であった俳優やスタッフに非白人を起用する動きが進みつつあるという。

 たとえば、イギリスの劇作家、ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』(1912)を原作とする「マイ・フェア・レディ」。1956年のミュージカル化以来、ブロードウェイの定番とも目されるこの物語の主人公、花売り娘のイライザを演じるのは、父がエジプト人のシェリーン・アフメドである(NATIONAL TOUR RESUMES SEPTEMBER 2021)。「ジャスミン(「アラジン」に登場する王女)ではなく、イライザ役を夢見ていた」(『ワシントン・ポスト』2019年12月21日)と語る彼女は、生まれも育ちもアメリカである。そんな彼女に強調される「中東系/アラブ系として初のイライザ役」という語り自体が、この世界におけるこれまでの白人優位を物語っている。

 主役のアフメド以上に、NHKニュースが注目したのは、「マイ・フェア・レディ」の全米ツアーに参加する唯一の日本人俳優、アンサンブル・キャストの由水南ゆうすいみなみだ。今回の全米ツアーにはアジア系俳優が4人参加しているが、由水は俳優のとりまとめと舞台の安全管理を担当する「ダンス・キャプテン」も任されており、ブロードウェイの「多様性の進化」が伝わってくる。

 とはいえ、実はアフメドのイライザ役抜擢も由水の起用も、コロナ禍以前の2018年から19年にかけてのことである。それでも、「コロナ禍による変化」としてブロードウェイの多様化、非白人起用の加速化が強調されるのは、コロナ禍の最中に全米に拡大した反人種差別運動を意識してのことだろう。ブラック・ライヴズ・マター(以下BLM)運動である。

 2020年5月25日、アメリカ、ミネソタ州ミネアポリス近郊で、アフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドが麻薬所持の疑いで路上拘束され、白人警官によって9分近くも頸部を圧迫されて死亡した。その一部始終はSNSでリアルタイムに拡散され、「黒人の命は大切だ」と叫ぶBLMの抗議の声はアメリカ全土へ、そして世界じゅうに広がった。以後、コロナ禍のなかで浮き彫りにされた社会のさまざまな格差と相まって、BLMの叫びは今なお、あらゆる場に響き渡っている。

 見逃せないのは、この運動が、欧米諸国の「過去」に対して、広く異議申し立てしていることである。言い換えれば、BLMは過去とつながろうとする運動でもあるのだ。

BLM運動がたぐり寄せる過去

 BLMの始まりは、2020年のジョージ・フロイドの死の7年前にさかのぼる。2013年7月、フーディ(フード付スウェット)姿を怪しみ、17歳の黒人高校生、トレイボン・マーティンを射殺した(2012年2月)被告、自警団員のジョージ・ジマーマン(白人と報道されたが、母はペルー人)に、「正当防衛で無罪」との判決が下った。この判決に憤った3人の女性活動家、パトリス・カラーズ、アリシア・ガルザ、オーパル・トメティによって、BLMは、SNS上のハッシュタグ、「#BlackLivesMatter」として立ち上がった。

 もちろん、それ以前から、刑事司法制度における人種差別の改革を訴える声はあった。だが、黒人に対する警察の暴力はあとを絶たず、2015年〜20年の5年間だけでも、警官に殺された約5000件の犠牲者のうち、黒人は白人の2倍以上だと、元ワシントン・ポスト紙記者のウェスリー・ラウリーは分析している(『ニューズウィーク』2020. 7. 7号)。

 ジョージ・フロイドの死の4か月ほどのちの2020年9月、コロナ禍のなかで行われた全米オープンテニスに出場した大坂なおみ選手は、1回戦から優勝戦までの7つの試合に、7つの異なる名前が記された黒いマスクをつけて試合に臨んだ(「大坂なおみが日本語ツイートに込めた思い 移民国家アメリカ・スポーツ界と黒人アスリートの歴史」『東京新聞』2020. 9. 15)。ブレオナ・テイラー(2020. 3)、イライジャ・マクレーン(2019. 8)、アマード・アーベリー(2020. 2)、トレイボン・マーティン(2012. 2)、ジョージ・フロイド(2020. 5)、フィランド・キャスティル(2016. 7)、タミル・ライス(2014. 11)――彼らは、人種差別という理不尽さゆえに命を失った犠牲者のごく一部に過ぎない。それでも彼らを、「黒人」とか「アフリカ系アメリカ人」ではなく、個人の名前で記憶することの重要性は、大坂選手の優勝とともに、広く世界の人びとの心を動かし、BLMを他人事だと思っていた日本人にもメッセージの一端が届いたのではないだろうか。

 BLM運動についてはすでに多くの記事が書かれ、雑誌で特集され、書籍が何冊も出版され、ドキュメンタリーも制作されている。それらが一致して注目しているのは、若者の存在である。1980年代から90年代前半に生まれたミレニアル世代(Y世代)、そして1990年代後半から2000年代に生まれたZ世代が、運動の中核を担っている。彼らは、現在の人種差別の問題を、社会のなかに構造的に組み込まれた問題として捉え、その原因を、奴隷貿易や奴隷制度、さらには植民地主義(コロニアリズム)における支配と搾取、抑圧と明確に結びつけた。

 ヨーロッパが世界史の主役にのし上がっていく16世紀以降、とりわけ18世紀後半から20世紀にかけての近代、ヨーロッパ(そしてヨーロッパ人が移民した南北アメリカ)が世界各地で展開した奴隷制度や植民地支配を正当化し、支えたのが、ヨーロッパ中心に創られた「人種」という概念であり、言説であった。「自由、平等、友愛!」を叫んだフランス革命と同時代の欧米諸国では、人間を身体的特徴で分類し、序列化(=欧米の白人を頂点とする人為的な差別化)する疑似(似非)科学が進み、植民地支配の拡大とともにその序列を固定化させる言説を世界各地に定着させた。

 21世紀の若者たちは、現代の人種差別の根っこにあるものをヨーロッパ近代に見定め、その時代が編み出した人種概念の虚偽を暴こうとしている。それゆえに、若者たちの「暴力」の矛先が、現代の政治家以上に、各地の公共空間を彩る歴史的な彫像やモニュメントへと向けられたのも、至極当然のことであった。

 アメリカでは、大西洋上の奴隷貿易・奴隷制度への道を開いたクリストファー・コロンブス像、奴隷制度廃止に反対した南軍のロバート・E・リー将軍像などが真っ先に標的となった。首都ワシントンでは、エイブラハム・リンカン大統領の奴隷解放記念碑(1876年に解放黒人らが設置)に対して、「ひざまずく元黒人を見下ろす」という構図が問題視され、撤去が求められた(Lincoln Statue With Kneeling Black Man Becomes Target of Protests, The Wall Street Journal, 2020. 6.25)。その複製であるボストンのリンカン像も撤去された(Statue of slave kneeling before Lincoln is removed in Boston, AP NEWS, 2020. 12. 30 )。2021年1月下旬には、サンフランシスコの教育委員会が、奴隷を所有していた初代大統領ジョージ・ワシントンとともに、先住民抑圧に関係したとして、リンカンの名称を公立学校名から削除することを決定した。これに反対する動きもあり、今なおBLM運動の余波は続いている。

 ヨーロッパに飛び火したBLMによる人種差別反対の運動でも、たとえば、アフリカ分割と関わるベルリン会議(1884-85)でコンゴの私的領有が認められ、現地人に対して非人道的な政策を行ったベルギーのレオポルド2世像が、血を思わせる赤いペンキで染まった。

 だが、歴史的人物の「身上調査」にもっとも熱心に取り組んだのは、大西洋上で展開された奴隷貿易の拠点を複数抱え、アフリカやアジアに植民地を有したイギリスであった。アメリカ同様、国内各地の偉人や英雄の彫像や記念碑に対して、人種差別的行為や発言、奴隷貿易との関わり、プランテーション所有とその実態、植民地支配との関わりが激しく問われ、抗議の落書きや撤去要請が相次いだのである。その口火を切ったのは、かつて奴隷貿易で栄えた地方都市、ブリストルの目抜き通りにそびえたつブロンズ像であった。

エドワード・コルストン像(筆者撮影)

引き倒され、転がされ、海に沈められる

 そのブロンズ像――エドワード・コルストン(1636-1721)の像が引き倒されたのは、2020年6月7日、ジョージ・フロイドの死から2度目の日曜日であった(「イギリスで人種差別に抗議続く、奴隷商人の銅像を引きずり下ろし」, BBC NEWS JAPAN, 2020. 6. 8)。

 当時、イギリスでは、5月28日のロンドン、アメリカ大使館前でのデモを皮切りに、6月21日までの3週間余りにわたって、各地でBLM、並びに「人種差別に立ち上がれ(Stand Up To Racism)」というSNS上の組織を中心に、人種差別に抗議するデモが行われていた。開始から10日ほどたった6月7日は、新型コロナウイルス感染による死者数が、ナチスドイツによるイギリスに対する大空襲(ザ・ブリッツ)による犠牲者数4万3000人を超えようとしていた時期であった(6月5日には4万人を超えた)。各都市がロックダウンにより集会を禁止するなかで、フロイドの死に対する抗議集会やデモが全国で計画、組織、実行された。若者たちは、無料でマスクや消毒液を配り、ソーシャルディスタンシングを守るなど、「秩序ある抗議行動」を呼びかけ、警察は、若者たちを暴徒化させないよう、あえて介入を控えた。

 2020年6月7日、ブリストル市中心部に集まった抗議参加者は1万人を超えた。あれから1年余りがたった今なお閲覧可能な膨大な数の画像や動画には、当時の様子が克明に記録されている。ひとりの若者が台座によじ登り、コルストン像の頭部と足元あたりにロープを結びつけ、膝を像の頸部に当てて強く押すポーズをとった。ジョージ・フロイドへのオマージュだろう。若者が台座から跳び降りた直後、デモ参加者たちがロープを強く引っぱった。

 台座をはずれたコルストン像が、正面から一気に倒れる。歓喜の声をあげながら、像に駆け寄る群衆たち。彼らは像を何度も踏みつけ、顔や胸、足などに赤と青のスプレーを吹きかけた。その後、コルストン像は数名の若者に転がされながら、メインストリートを南下した。転がされるコルストン像を、周囲の若者たちが笑いながら、大声ではやし立て、その様子もまた、動画に収められた。

 やがて像は、ブリストル港湾部に到着した。かつて奴隷船が停泊していた桟橋近くにも、数えきれない人たちが鈴なりになって、像のゆくえを見守った。コルストン像は海中に投棄されて沈み、まもなく見えなくなった。

 引き倒され、転がされ、海に沈められたコルストン像。その一部始終は、フロイドの死と同様に、SNSで世界中に拡散された。SNSにアップされた無数の画像や動画のそこここに、倒れ落ち、海中に投棄されたコルストン像に向かって歓声をあげ、スマートフォン片手に飛び跳ねる若者たちの姿が残されている。

 主を失った台座の上にもつぎつぎと抗議デモ参加者がよじ登り、思い思いのポーズで写真や映像を撮り、ネット上に続々とアップしていった。それらを、当時のイギリス内務大臣プリティ・パテルは「ヴァンダリズム(非文化的蛮行)」だと憤った。

 その一方で、この日のブリストル市内で、人的被害はなかった。負傷者も逮捕者も出さなかったし、市庁舎や商店が襲われることもなかった。抗議デモ自体には介入せず、市民と町の安全を守ることに注力した地元、エイボン・サマセット警察の判断を評価する向きもある。ジャマイカ人の父を持つブリストル市長マーヴィン・リースは、コルストン像の引き倒しという行為自体は許されないとしながらも、BLM運動の若者たちの心情には理解を示し、「ヴァンダリズム」という内務大臣の批判を非難している。

人種差別主義者の像を倒せ!

 あらかじめ断っておくが、コルストン像は、フロイド事件に端を発する2020年初夏のイギリスにおけるBLM抗議運動のなかで、デモに参加した若者たちによって引き倒された唯一の像である。なぜなら、コルストン像同様、過去の人種差別的言動が問題視された彫像の多くは、コルストン像の命運に鑑みて、管理団体が自発的に撤去、ないしは防御柵設置といった対策を講じたことで、彫像そのものが倒されることはなかったからである。その意味でも、コルストン像の引き倒しは、2020年のBLM運動を象徴する出来事であったといえるだろう。当時の様子を少しふりかえってみよう。

 たとえば、コルストン像が引き倒された6月7日、ロンドンの議会前広場のウィンストン・チャーチル像は、台座に刻まれたチャーチルの名前の下に「人種差別主義者だった(was a Racist)」とスプレーで落書きされた(「チャーチル像に「人種差別主義者」の落書き 囲いで対処」, 朝日新聞デジタル, 2020. 6. 13)。ロンドン市は急ぎ周囲をパネルで覆った。その後、この像を「自警」する右翼の若者がBLMの若者とにらみ合う一幕もあったと聞く。

 同じ議会前広場のマハトマ・ガンジー像は、イギリスで数少ない非白人の像にもかかわらず、像の前の路上に「人種差別主義者」と、やはりスプレーを使った落書きがなされた。「インド独立の父」といわれるガンジーは、19世紀末から第一次世界大戦にかけての十数年余りを南アフリカで弁護士として活動したが、この間のアフリカ系黒人に対する差別的発言をBLMの若者が問題視したと思われる。

 コルストン像同様、今回の抗議行動以前から奴隷貿易との関わりを問われ、非難の的となってきた像のひとつに、ロンドンの港湾の歴史を展示するドックランド博物館の前に建つロバート・ミリガン(1746-1809)像がある。ジャマイカに2つの砂糖プランテーションを所有し、500人を超える奴隷を所有していたミリガンは、西インドとの交易、すなわち奴隷貿易の拠点となるロンドンの港湾施設(ウエスト・インディアン・ドック)建設の中心人物でもあった。顔をスプレーで赤く塗られたのち、黒い布で顔をすっぽりと覆われたミリガン像には、「Black Lives Matter」と手書きされた段ボールの切れ端が貼りつけられた。博物館を運営するタワー・ハムレッツ評議会は、コルストン像が引き倒された2日後の6月9日、像の撤去を決断。ミリガン像が金属ロープで釣り上げられ、台座からはずされる様子もまた、リアルタイムでSNS配信され、撤去の瞬間、集まった多くの人びとからは、コルストン像が倒された時と同じような大歓声があがった(Robert Milligan: Slave trader statue removed from outside London museum, BBC NEWS, 2020. 6. 9)。

 引き倒しを恐れて、早々に周囲を木枠やパネルで覆った像も多い。テムズ川をはさんでウェストミンスタ議会の真向かいのトマス病院前に置かれた、創設者ロバート・クレイトン(1629-1707)の像しかり。ガイズ病院の創設者で病院の前庭にあるトマス・ガイ(1644-1724)の像しかり。いずれも個人的に、そして病院設立資金についても、奴隷貿易との関わりが判明しており、その後、病院を運営する慈善財団はいずれも、創設者の像を敷地内の目立たない場所に移すことを決めた。

 ロンドンだけではない。オクスフォードでは、オリオル・カレッジのファサードに掲げられたセシル・ローズの彫像をめぐって、学生たちが抗議の声をあげた。セシル・ローズ(1853-1902)は南アフリカの鉱山採掘で巨富を築き、ケープ植民地首相も務めた人物で、イギリス帝国拡大の立役者として知られる。「ケープからカイロまで」アフリカ大陸を縦断する当時の植民地政策を体現したローズのイラストを、世界史の教科書などで目にした読者がいるかもしれない。彼はオクスフォード大学に多額の寄付を行っており、ローズ奨学金制度も彼の遺産が元となっている。

 

諷刺雑誌『パンチ』(1892)に描かれたセシル・ローズ。右足を南アフリカのケープタウン、左足をエジプトのカイロに置き、大英帝国の植民地戦略を可視化している。

 実は、アフリカの植民地化の象徴であるローズの像をめぐっては、2015年、南アフリカのケープタウン大学の学生による撤廃運動、いわゆる「ローズ・マスト・フォール(ローズ像は倒されねばならない)」運動が起こっており、翌2016年にはオクスフォード大学にも飛び火した。今回はその再燃ともいえる。余談ながら、「ローズ・マスト・フォール」運動に触発されて、ガーナの首都アクラにあるガーナ大学では、「ガンジー・マスト・フォール」運動が起こっており、先述したガンジー像前の落書きと重なって見える(ガーナ大学当局は、2018年12月、こっそりとガンジー像を撤去した)。

 ほかにも、イングランド北部の都市リーズでは、ヴィクトリア女王像に「BLM」「奴隷所有者」「殺人者murder」との落書きがなされた。エディンバラ市当局もまた、BLM運動の拡大のなか、「奴隷貿易廃止を遅らせた」人物として批判を浴びてきたヘンリ・ダンダス(初代メルヴィル子爵、1742-1811)の像、通称メルヴィル記念碑に関して、この像を戴く42メートル余りの柱を奴隷貿易の犠牲者を追悼する記念碑に変えることを提案した。

 かくのごとく、コルストン像が引き倒された6月7日以降、BLM抗議デモの若者たちは、イギリス各地で「人種差別主義者」の彫像の一斉点検を開始し、そのリストを「人種差別主義者の像を倒せ(Topple the Racist)」というウェブサイトに公開した(Statues in the firing line: Map reveals the 78 'racist' monuments from Orkney to Truro that 'Topple The Racists' campaign wants torn down in wake of Black Lives Matter protests, Daily Mail Online, 2020. 6. 10)。世界周航で知られるエリザベス1世時代の海賊フランシス・ドレイク(1543頃-96)。国王チャールズ1世を処刑したピューリタン革命で「イングランド共和国」の護国卿となり、西方政策で英領西インド諸島の基盤を築いたオリバー・クロムウェル(1599-1658)。太平洋への航海で知られるジェイムズ・クック(通称キャプテン・クック、1728-79)。

 「スコットランド啓蒙の父」といわれるデヴィッド・ヒューム(1711-76)も、ヨーロッパ中心的な言葉遣いが問題視されたため、2020年9月、エディンバラ大学は早くも、暫定措置として、学内で最も高い建物「デヴィッド・ヒューム・タワー」の改名を決めた。さらには、二度首相を務め、穀物法廃止(1846)に尽力した保守党のロバート・ピール(1788-1850)も、四度にわたって政権運営を担った自由党のW・E・グラッドストン(1809-1898)も、若者たちの目を逃れることはできなかった。

 実際、要検証リストには、世界史を彩る有名人の名が多く含まれており、イギリス(そしてアメリカ)の若者たちが自国の過去と人種差別との関係を追究しようとする熱意に圧倒される。日本の若者たちが、歴史的不公正・不正義と関わる彫像を検証し、抗議のペンキをぶっかける、撤去を要請する、自分たちで引き倒そうとすることなど起こり得るだろうか。




 かくして、引き倒しと海中投棄というコルストン像がたどった運命は、イギリス政府や各行政自治体、管理財団などに、公共空間に置かれた彫像という「記憶のかたち」の再検証を促すことになった。あれから1年余りたった今なお、歴史の検証は続いている。

 だが、2020年5月から6月にかけてのBLM抗議運動をふりかえっても、依然として解けない謎がある。なぜコルストン像が真っ先に引き倒されたのだろうか。そもそも、エドワード・コルストンとは誰なのか。

 

注:本エッセイ「ブリストルのコルストン像、引き倒される!」は、『歴史学研究』第1012号(2021年8月)に掲載した拙稿「時評 コルストン像はなぜ引き倒されたのか――都市の記憶と彫像の未来」を大幅に加筆修正したものである。

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著者略歴

  1. 井野瀬 久美惠

    1958年愛知県生まれ。甲南大学文学部教授。京都大学大学院文学研究科西洋史学専攻単位取得退学。博士(文学)。第23期(2014-2017)日本学術会議副会長。大英帝国を中心に、(日本を含む)「帝国だった過去」とわれわれが生きる今という時空間との関係を多方向から問う研究をつづけている。主な著書に『大英帝国はミュージック・ホールから』(朝日新聞社、1990)、『子どもたちの大英帝国』(中公新書、1992)、『女たちの大英帝国』(講談社現代新書、1998)、『黒人王、白人王に謁見す』(山川出版社、2002)、『植民地経験のゆくえ』(人文書院、2004、女性史青山なを賞受賞)、『大英帝国という経験』(講談社、2007;講談社学術文庫、2017)、『イギリス文化史』(編著、昭和堂、2010)、『「近代」とは何か』(かもがわ出版、2023)など。

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