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詩人、本の森を歩く。

恋と不器用な身体〈前篇〉

戸惑い、傷つき、足が止まったときに、思いがけず出会った言葉、世界の見え方を変えてくれた物語、すがるような思いでページをめくった本。
詩人・文月悠光さんが、本の森で見つけた大切な1冊にまつわるエピソードを綴ります。
第1回は「恋と不器用な身体」をテーマにお届けします。

 「思い通りに話せた」「まっすぐに気持ちを伝えられた」
 人と話していて、そう実感することはとても少ない。
 目の前の相手と、滞りなく言葉を交わしている。なのに、決まったパターンをなぞっているような、上滑りな感覚。会話を終えても、しこりのようなものが自分の中に残る。
 「あの人はなぜあんなことを言ったのだろう」。他人の小さな発言が気にかかり、胸の中に持ち帰ってしまうこともある。
 後から自分の言動を思い出し、愕然とする。なぜ頑なな反応をしてしまうのだろう。なぜ気持ちと反対の言動をとるのだろう。なぜ一番聞きたい話を後回しにして、どうでもいい周辺のことばかり話してしまうの?
 そんな風に思いを巡らせた後、大体いつも嫌になる。「どうしようもなかったのだ」「苦手だから仕方ない」と問題に蓋をして、気づけばまた同じ失敗を繰り返す。
 いつか正面から向き合えたなら、何か変われるだろうか。

「最悪な別れ」からの再会

 その年の夏、私は緊張のピークに達していた。
 好きだった人と、一年ぶりに会う約束を取り付けたのだ。片思いしていた相手との再会。普通なら、心浮き立つ出来事に違いない。だが私は不安でいっぱいで、気もそぞろだった。
 「意地を張って、余計なことを言ってしまったらどうしよう」
 「そもそも緊張しすぎて、うまく話せないのではないか」
 まるで試験の日でも迎えるかのように、残りの日数を指折り数え、身構えていた。

 最後に会ったときのことは、思い出したくもない。
 その人のちょっとした一言が冷たく響き、睨まれたように身体が強張った。拒絶された気がした。
 なんでそんなこと言うの?
 あなたに呼ばれて、こうして会いに来たのに、言いたかったのはそんなことだったの?
 言葉にならない「声」が、喉奥で膨らんで、私自身を圧迫する。
 「あなたといても緊張が増すばかりだ」
 別れ際、投げつけるようにそんな言葉を口にしていた。相手を恐れていることを悟られまいと、つい攻撃的な口調になった。
 「へえ……」
 何か言いたげな彼の視線をすり抜け、私は次の仕事に向かうため、逃げるようにタクシーに乗り込んだ。
 話したかったこと、聞きたかったこと。温めていた言葉は、全部頭から飛んでしまった。
 タクシーの中で、私は憤慨していた。
 自分はなんでこんなに息が詰まる相手を好きでいたのだろう。嫌われたくなくて、始終何かを試されているみたいで――。「緊張させる」相手が怖くてたまらなかった。
 厳しいことも口にするが、根は優しい人だと思っていた。一緒に歩く時間が好きだった。入る店も決めずに街を歩くとき、歩調をこちらに合わせてくれるのが嬉しかった。件のやり取りの際も、歩調は腹立たしいくらいぴったりで、そのことを思い出すと、ますます悲しく、ムカついてくるのだった。

 会ったときの「緊張」は、私自身が生んでいたのでは? 半年以上経った頃、そう思い至った。考えてみると、その日は声が震えたり、食べ物が喉を通らなかったり、はじめから尋常でなく緊張していた。病み上がりで体調がよくなかったせいもあっただろう。
 なのに、うまく振る舞えない責任を、相手へ一方的に押しつけていたのだ。彼が言った一言も、もしかしたら私が感じているような深い意味はなかったのかもしれない。
空回って、勝手に勘違いして。相手と向き合えていなかったのは、私の方だったらしい。うわああ。恥ずかしさに頭を抱えた。

 そんな頃、件の相手Aさんからメールが届いた。
 「今度久々に飲みましょう」。ひっ……。
 会って大丈夫かなあ。社交辞令かもなあ。不安に駆られつつ、「じゃあ、このお店でどうですか」と返信を打ったのは、違う自分として向き合える予感があったからかもしれない。

身体への観察の目

 さて、Aさんと会う約束はしたものの、不安は膨らんでいく一方。会いたいような、会ってしまうのが怖いような……。同じ失敗を繰り返すことを恐れ、私はすっかり怖気づいていた。
 とにかく平常心を保ちたい。すがる思いで開いた一冊が、高石宏輔さんの著書『あなたは、なぜ、つながれないのか――ラポールと身体知』だった。
 著者の高石宏輔さんは、スカウトマン、路上で異性に声をかける「ナンパ」の経験を経て、現在はカウンセリングの仕事を通し、コミュニケーションの問題と向き合い続けている。
 この本は、身体への観察に根ざしている。

身体を動かしながら緊張している部分をほぐしてリラックスしていくと、自分の中に溜まった感情により意識が向けられる。

 私は普段、相手が「何を言ったか」、自分が「どう返したか」という会話の「言葉」を気にして苦しくなることが多かった。そんな「言葉」一辺倒だったコミュニケーションの世界に、高石さんの言葉は「自分や相手の身体を観察する」という新しい視点を与えてくれた。とても新鮮だった。
 ただ初めは、高石さんの「観察」を、警戒していたところもある。他者の内面を見抜き、細やかに感じ取っていく様は興味深い。一方で、「その観察は決めつけに過ぎないのではないか」という疑いも生じてくる。「当の自分も、相手に観察される立場であることを、どう感じているのか」と著者の高石さんに聞いてみたくなった。
 けれど、何度か読み返すうちに、その感触は変わっていった。「観察」は一方的なものではなく、相手から受け取ったことを、自分の内側に問いかけていく相互的な営みであったようだ。

「きっとあの人は自分のことをこう思っている」
とか、
「あの人はこういう人だ」
という思い込みが、自分を苦しくさせている。葛藤することで、そういう自分の思い込みが次第に露わになってくる。
(中略)自分が「こう思い込んでしまっているのだな」ということを見つめることで、自分の見たくなかった自分が見えてきて、それを誠実に認めたとき、苦手な人を受け容れることができるようになる。

 Aさんとの過去のやり取りや、そのときの声の調子を思い出す。自分の感情とは一旦切り離して、彼の言葉や様子だけを捉え直してみた。すると、言葉の裏で相手が何を伝えようとしていたのか、私のどんな態度に不満を持っていたのか。疑問に感じていた事柄が、「実はこういうことだったのでは」と霧が晴れるように見えてきた。
 それさえこじつけかもしれないし、本当のところはよくわからない。でも、引っかかっていた過去のやり取りを一つずつ思い返して、絡まった気持ちを解いていく。その作業は、私に落ち着きを与えてくれた。次第に、情けない自分自身がよく見えてきた。「嫌われないように、舐められないように、相手を怒らせないように」と過剰に緊張して、自己防衛でがんじがらめになっていた自分の姿が。

次回「恋と不器用な身体〈後篇〉」は、11月8日更新予定です。

高石宏輔『あなたは、なぜ、つながれないのか――ラポールと身体知』春秋社

『あなたは、なぜ、つながれないのか――ラポールと身体知』

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著者略歴

  1. 文月 悠光

    文月 悠光 (ふづき・ゆみ)
    詩人。1991年北海道生まれ、東京在住。中学時代から雑誌に詩を投稿し始め、16歳で現代詩手帖賞を受賞。高校3年の時に発表した第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社)で、中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少18歳で受賞。詩集に『屋根よりも深々と』(思潮社)、『わたしたちの猫』(ナナロク社)。近年は、エッセイ集『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)、『臆病な詩人、街へ出る。』(立東舎)が若い世代を中心に話題に。NHK全国学校音楽コンクール課題曲の作詞、詩の朗読、詩作の講座を開くなど広く活動中。Fuzuki Yumi Website:http://fuzukiyumi.com/
    (撮影:石垣星児)

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