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詩人、本の森を歩く。

恋と不器用な身体〈後篇〉

戸惑い、傷つき、足が止まったときに、思いがけず出会った言葉、世界の見え方を変えてくれた物語、すがるような思いでページをめくった本。
詩人・文月悠光さんが、本の森で見つけた大切な1冊にまつわるエピソードを綴ります。
今回は「恋と不器用な身体」の後篇をお届け。「最悪な別れ」をしたAさんとついに会う日がやってきました。文月さんの緊張が伝わる、甘酸っぱいエピソードです。

前編はこちら

「わかってほしい」が生む感情

 今までは、過去のAさんの言動を思い出す度、瞬間的に「嫌いだ」「怖い」と感じ、深く考えることを拒んでいた。何がそんなに怖いのだろう、と立ち止まる。
 自分の中の苛立ちや、モヤモヤする感覚に留まってみると、「あんな言葉を言ったら、私が傷つくとわかっているはずだ」「彼は私を攻撃したかったのだ」と意固地でひとりよがりな自分が顔を出す。
思わぬ激しさにびっくりする。「わかっているはずだ」なんて、どうして断言できるのだろう? 私は彼の前で「なんでわかってくれないの?」という不満げな、しかめ面をしていたことだろう。
 「わかってほしい」
 私が望んでいたことは、実はとてもシンプルだったのかもしれない。
 親しくなりたいことを「わかってほしい」。
 我慢していることを「わかってほしい」。
 思いを言葉にできずに苛立ち、自分の不器用さを隠そうと、ひねくれた言い方をして、かえってこじらせてしまう。そんな状態では、自分の素直な感情も、他人の気持ちも見えにくくなる。見えないから余計に、相手が異質な怖い存在に思える――。
 自分の言動で、大事にしたい人を遠ざけているのもわかっている。それでも同じパターンを繰り返してしまう。
 一体、相手と同調するにはどうしたらいいのだろう?

人は空っぽの身体の中で他人を感じる。自分の中にぎゅうぎゅうに考えや緊張が詰まっていたら、他人を感じることはできない。感じられるのは、自分自身の考えと緊張だけである。しかも、自分ではそれと知らずに、感じているのは自分自身の考えと緊張であるにも関わらず、それらが他人だと思い込んでしまう。
(高石宏輔『あなたは、なぜ、つながれないのか』)

 Aさんと最後に会ったときの自分は、まさにこの状態だった。
 あのとき、私は「相手を怒らせた、拒絶された」と感じていたが、実際はどうだろうか。私の中に「拒絶されるのではないか」という恐れがあったから、彼の何気ない一言がそのように響いたのではないか。
 相手と自分の感情が混然一体となっている。その団子状に固まった記憶を自分から引き離し、注意深く分けていく。すると、相手への怒りや、共感を求める気持ちが鎮まっていくのがわかった。不思議だった。問題から逃げて蓋をしていたときは、あんなに苦しかったのに。初めて苦しさから解かれた心地がした。

 「楽にして」向き合う

 七月某日。ついに、Aさんと会う日がやってきた。
 待ち合わせ場所で合流し、ぎこちなく歩き出す。一緒に歩くのも久々だなあ。髪色明るくしたんだ。少し日焼けしたみたい。
 横断歩道を渡りながら、私はうつむきがちに勢い込んで話した。
 「……って言われて。私。あ、この前の話なんですけど。〇〇さんに」
 慌てた。話の順番がいきなり壊れている。想定した語順を無視して、口だけがちぐはぐに動いていた。頭と身体を繋ぐ回路が切れたみたいだ。めちゃくちゃだなあ、やっぱり緊張してるんだな。
 呼吸を整え、「話すのは少し休んでもいいか」と思い直す。店につくまでAさんの話に相槌を打っていた。
 店は焼肉店だった。彼が肉をひっくり返すのを眺めたり、近況に耳を傾けたりするうちに「身体に力が入ってるみたいだから、少し肩を落とそう」など、自分の身体に意識を向ける余裕が生まれた。
 以前は、相手の言葉の真意ばかり気にしていた。自分の身体に意識を向けてみることで、落ち着いて「今」に立ち戻れるようだ。
 Aさんに対しても「緊張していないかな?」「今の間、何か言いたげだったな」「笑った顔、本当に楽しそうだな。よかった」と小さな気づきを重ねていった。言葉にならない相手の「声」が、自分の元へ流れ込んでくるように感じた。

 深夜11時を回った頃、10人ほどの男子学生たちがぞろぞろと奥の団体席へ入って行った。姿は見えないが、乾杯の音頭をとる声が賑やかに聞こえてくる。それまで客は私たちだけだったので、一転して飲み屋らしい明るい雰囲気に変わった。
 「まじで! 俺らの班にも女の子来るかも!」とひと際大きな声が響いてきた。「女の子」というワードの登場に、うおおおと雄叫びを上げ、にわかに盛り上がる学生たち。
 その様子がおかしくて、「来るかな~、女の子」と私は小声で首を傾げた。
 「文月さん、性格悪いっすよね。そういうとこー」
 ダイエットサプリの袋を開けていたAさんになじられる。
 「あ。私にも、もう1個」
 「……仕方ねえなあ」
 彼は苦笑しつつ、私の手にサプリの袋を傾けた。
 その表情に「ずるいなあ」と思う。脈絡なく眩しそうな顔をするよなあ、男の人って。ほんとうにずるい。
 Aさんは毒が抜けたような顔をしていた。聞かなくてもわかった。そばにいる誰かが、彼に自然な振る舞いと自信を与えたのだ。味方がついてくれてよかったね、と内心呟く。「女の子」は偉大だ。

 走り出したタクシーの中、思わず振り返る。別れるのが惜しい、でも帰れることにホッとしながら、遠ざかる彼の姿を見送っていた。
 「お客さん、背中つけて楽にして! あ、シートベルトも!」
 矢継ぎ早に飛んできた運転手さんの声。シートに背中をゆだねると、確かに少し「楽」になった気がした。やたらと口数の多い運転手さんの気遣いが、その夜は好ましく思えた。
 そうだ、もっと「楽にして」向き合えたらいいな。
 窓の外を流れていく新宿の街。木曜深夜の街は人気がなく、思いのほか暗い。手の中のiPhoneが煌々と車内を照らす。

 彼への気持ちの置き場所は決まっていない。
 私は何か変われただろうか。それとも、これも過去の上塗りなのか。
 「楽しかったです」とタクシーの中で打ったメールの一言分、少しは素直になれたようだ。

次回は1月10日更新予定です。

【文月悠光のひとこと紹介】
引きこもり、パニック障害、うつなどの経験を持つ著者が、「他人」を通して見出される「自分」を感じる方法を、観察法やエクササイズを交えて解説する。
様々な気づきのエピソードが、半ばエッセイ風に連なっており、その時間の中に留まりながら読むような独特の味わいがある。
宮台真司氏の帯文に「本書は悩む人のために書かれたマニュアルではない。むしろ悩まずに生きる人の歪みが焦点化されている」とあるように、「特にコミュニケーションに問題を感じていない」という人にこそ読んでもらいたい一冊。

高石宏輔『あなたは、なぜ、つながれないのか――ラポールと身体知』春秋社

『あなたは、なぜ、つながれないのか――ラポールと身体知』

 

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著者略歴

  1. 文月 悠光

    文月 悠光 (ふづき・ゆみ)
    詩人。1991年北海道生まれ、東京在住。中学時代から雑誌に詩を投稿し始め、16歳で現代詩手帖賞を受賞。高校3年の時に発表した第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社)で、中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少18歳で受賞。詩集に『屋根よりも深々と』(思潮社)、『わたしたちの猫』(ナナロク社)。近年は、エッセイ集『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)、『臆病な詩人、街へ出る。』(立東舎)が若い世代を中心に話題に。NHK全国学校音楽コンクール課題曲の作詞、詩の朗読、詩作の講座を開くなど広く活動中。Fuzuki Yumi Website:http://fuzukiyumi.com/
    (撮影:石垣星児)

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