『ジェンダーで学ぶ政治学』序章「ジェンダーから問う政治/学」より抜粋
2026年4月発売の三浦まり・岡野八代編『ジェンダーで学ぶ政治学』より、編者による序章「ジェンダーから問う政治/学」の一部を公開します。
本書はジェンダーの視点を導入し、政治とは何か、政治のしくみ、国家と資本主義、平和構築の4つの側面から政治を捉え直す入門書です。序章では、個人的な選択や好みの結果だと思っている私たちの身近な出来事が、いかに政治的権力に規定されているのかが明らかにされます。同時に、私的な領域における男女の権力格差が公的領域(政治)の権力構造を規定してもいることがわかります。従来の政治学が前提としてきた「公私二元論」から脱却し、政治学に新たな視座をもたらす重要な1冊です。
1 ジェンダーとはなにか
ジェンダーという視点から政治を考えると、世界がどのように違って見えるだろうか。
ジェンダーという言葉は、一般的には「生物学的な性差」であるセックスと区別され、「社会・文化的な性差」を意味する。そもそも文法用語であったジェンダーが、一九五〇年代に心理学者たちによって人間の性別にも使用されるようになり、一九六〇年代以降に右の定義が確立する。国際社会で広く使われるようになるのは一九九〇年代以降である。ジェンダー概念が登場する前は、性別は生物学的に男女の二つに分かれ、男女は身体的に異なることから、精神的・身体的能力、傾向性や好み、社会的・家庭内での役割、そして社会的地位が異なるのも「自然/当然」とみなされることが多かった。たとえば戦前の日本では、法的にも社会的にも女性は男性に従属的な存在として位置づけられていた。女性たちに参政権が与えられないのも、職業選択の自由がないのも、いったん婚姻すれば自分から離婚を申し出ることができないのも──その反対に、一方的に離婚されるのも──、女性が無償で家事を担うのも、当たり前のこととされ、社会においても国会においても執拗に主張されたのである。
女性の、そして男性の生き方に枠がはめられるのは、過去の話ではない。現在においても、男らしくあれ、女らしくあれ、という社会からの要請が抑圧的に感じられることがあるだろう。「女性は頑張って勉強しなくていい」「男子が重い荷物を運ぶべきだ」といった声は社会に溢れている。社会に遍く浸透する〈男らしさ〉〈女らしさ〉を通じて、個人はその〈らしさ〉を体得し(あるいは、させられ)、日々その〈らしさ〉を実践している。他方で、押し付けられた〈らしさ〉に葛藤を覚え、もっと自分らしくありたいと願う個人は、ジェンダー規範に様々な形で抵抗することになる。
人間社会における男性の生き方、女性の生き方をすべて生物学的な違いで説明する考え方は生物学的還元論(あるいは生物学的本質主義)と呼ばれる。しかし、ジェンダー規範は決して自然発生的なものではなく、法律をはじめとする諸制度がそれを作り出し、強化している。その諸制度を作り出すのが政治という営みである。さらには、生物学的に自明とされてきたセックスも、生物学の探究によれば二元的ではなく、多様な性があることが明らかになっているにもかかわらず、「生物学的にはセックスは男女しかない」という認識自体が社会的、あるいは政治的に、構築された言説である。
ジェンダー概念の登場によって、それまで「自然」とされてきた男女不平等な諸制度や慣習は、変革しうるものとして認識されるようになった。一九六〇年代後半以降、性差別を是正し、ジェンダー平等を実現するための政策が各国で推進された。そして〈女らしさ〉や〈男らしさ〉も同様に、不変のものではなく時代や諸制度によって変わるものであるという理解が広がったのである。
2 本書の意義と構成
本書は、私たちの暮らしや生き方に政治が密接に関わっていることを、ジェンダーという視点を導入することを通じて、四つの観点から明らかにしていく。四つの観点はそれぞれ本書の各部の柱となっている。
第一の観点とは、そもそも政治とはなにかを、これまでの政治学では扱わなかった私的領域から捉えなおす視点だ。政治の意味を権力者による意思決定に限定せず、家族を含む私的領域に拡張することで、政治と私たちの人生との深い関わりが見えてくる。第二の観点からは、人類の長い歴史のなかで男性の活動の場とされた政治領域に、いかにして現代の女性たちが参画しようとしているのかを問う。第三の観点からは、政治の基本的単位であり、最大の権力機構である国家が、ジェンダー規範とどのように関わっているかを明らかにする。そして最後に、国際社会において最も(暴)力をふるう国家という観点から、女性たちはその(暴)力にいかに影響されてきたのか、あるいは抵抗してきたのかに光を当てる。
以上四つの観点を貫いているのが、私たちの身近な出来事の多くは個人的な選択や好みの結果であり、政治や経済は日常生活からはかけ離れた非個人的なものであるという常識を、批判的に検証する視座である。つまり、既存の政治学の多くが依拠してきた、私的な関心と公的な事象を厳格に切り分ける公私二元論を根本的に疑ってみる視座である。
以下では本書の導入として、各章で展開される議論の前提となる問題関心の所在を明らかにしておきたい。
3 「政治」をとらえる(第Ⅰ部)
ジェンダー概念を用いて、政治とはなにかを問うてみよう。すると政治とジェンダーについて、二つのことがみえてくる。第一に、社会的・文化的性差といわれるジェンダーは、一定の領土内、つまり現在の国民国家に住むあらゆる人に、例外なく、絶対的な強制力をもって行使される法律や、法律を基に設計される諸制度によって作り上げられてきたのではないかという理解である。法律を制定・改正したり、諸制度を設計したりすることは政治的営みであり、いったん決定がなされると人々は自身の意志にかかわらず、それに従わなければならない。人々に対するこの強制力こそが、政治権力の特徴のひとつである。
たとえば、日本では婚姻に際して、パートナーのいずれかの姓を選択し、同姓とならなければならないが、現在でも約九五%のカップルが男性の姓を選んでおり、そこには慣習的な家族像や男性中心的な社会を反映したジェンダー格差がある。また、婚姻できるのは男女のカップルのみで、同性のカップルは日本の婚姻制度からは排除されている。一見すると、諸個人の自由意志、選択の結果のように思われる結婚や姓の選択には、選択肢を制度として強制/制限する政治権力が大きく影響している。
現代社会で見られるジェンダー格差の背景に、こうした権力構造が存在することが分かると、私たちの日常に溢れるジェンダー規範──〈男らしくあれ/女らしくあれ〉──も政治的に構築されていることに気づくだろう。
すなわち、ジェンダーとは政治的に構築される性差といっても過言ではない。ジェンダーが政治的だというこの気づきは、第二の気づきにつながる。つまり、政治と私たちの日々の生活は、密接に関わっているということだ。強制力をもつ法や諸制度のもとで私たちは毎日を送っているため、自分〈らしさ〉や自分の意志までもが、実は権力の影響を免れることができない。権力は、諸個人の意志や習慣を生み出す効果をもち、私たちの生活の隅々にまで浸透していく。その意味で、あらゆる身の回りのことは政治と連動しているのである。
(中略)
4 政治に参加する(第Ⅱ部)
男性を基準として構築された民主主義体制に女性は後から組み込まれる存在であったという歴史から、第二の観点として、政治的権利の中心にある参政権について考えてみよう。
(中略)
女性は男性と比べて政治的権利を獲得することが遅かっただけでなく、現在に至るまで政治参画で男性に後れをとっている国が多い。二〇二五年一月現在、下院の女性割合が五〇%を超える国は六ヵ国(ルワンダ、キューバ、ニカラグア、メキシコ、アンドラ、アラブ首長国連邦)、四〇%台の国は二一ヵ国、三〇%台の国は四四ヵ国である。女性議員割合の世界平均(上下院)は二七・二%で、いまだに女性の過少代表、あるいは男性の過大代表となっている。日本の衆議院にいたっては一五・七%で、一八五ヵ国中一四二位である。世界的にも女性の政治参画は課題であるが、日本においては特にそうであるといえよう。
民主主義の観点から、なぜ男女が均等に政治参画する必要があるのだろうか。人口がほぼ男女半々であることを踏まえると、女性の過少代表が生じていることは、代表選出の過程に何らかの問題を抱えていることを示す。女性の政治参画の障壁を明らかにし、取り除こうとする行為そのものが、自分たちの意思を政治に反映させようとする民主主義の実践といえるだろう。
(中略)
公的な領域のジェンダー格差(たとえば政治家の男女差)は、私的な領域である家庭で誰がケア責任を担っているのかという点と密接に絡む。公的な領域の「大きな」政治だけに焦点を当てると、私的領域が規定する構造を見落としてしまう。公私二元論から脱却し、私的な領域において男女の権力格差が形成され、それが公的な領域の政治を規定する構造を見出すことは、ジェンダー政治学の重要な視点である。
5 国家が介入する(第Ⅲ部)
女性たちが十分に政治参画できていない現状は、国家とジェンダー規範の関係、つまり国家がジェンダー規範を作り出し利用してきたという第三の観点からも理解を深める必要がある。ここでは資本主義の発展に目をやることが欠かせない。なぜなら資本主義は、性別分業とジェンダー規範を強固にするものであったからだ。
資本主義以前では、第一次産業(農業・水産業・林業)に携わる多くの家族はひとつの経営体で、家族構成員である子どもから大人までみな生産労働に関わっていた。ところが、資本の蓄積と利潤の極大化を駆動原理とする資本主義においては、生産と再生産(休息等により労働力を日々再生産し、また子どもを産み育てることで世代を越えて労働力を再生産する活動)が分離され、生産は男性の役割、再生産は女性の役割とされた。異性愛と性別分業に基づく特定の家族形態だけを国家が承認する仕組みが整えられたのだ。生産も再生産も資本主義の発展に不可欠であるが、再生産活動は家庭内での活動であり経済的な価値を生まないものと位置づけられ、女性たちが無償で担うのが当然視されてきた。男性には妻子を養うだけの家族賃金を与える一方で、女性は家の中で無償でケア労働に従事する性別分業が発達したのである。このような男性稼ぎ主モデルは第二次世界大戦以降の先進国の中流世帯では一般的に見られ、それを前提として福祉国家が整備された。
一九六〇年代後半から始まった第二波フェミニズムの興隆は、こうしたジェンダー秩序に対して異議を申し立てるものであった。第二波と呼ばれるのは、一九世紀半ばから二〇世紀半ばまでの女性参政権獲得の運動を第一波フェミニズムと呼ぶことがあるからである。女性たちは押し付けられてきた性規範からの解放を求め、男性領域とされていた職域に進出し、また女性に対する暴力を告発していった。活動の場が家庭内や家族のケアへと限定されていることに対する不満や不安を、語り合い分かち合うことを通じて、女性たち自身が抱える問題は決して個人的なものではないことを見出していった。だからこそ、〈個人的なことは、政治的である〉というスローガンが生まれたのである。
(中略)
6 平和を構築する(第Ⅳ部)
第四の観点からは、戦争を通じた領土拡大/喪失や植民地支配/脱植民地化を通じて、今日あるような主権と領土を確定してきた国際社会における国家の姿を描き出す。
(中略)
近代国家と戦争の強い結びつきは、ジェンダー規範を身体を通じて国民に内面化させ、かつ、男性国民による国家防衛というイメージにより、守られる存在としての女性像を一般化してもきた。このことは敵の女性をレイプすることが戦争遂行の手段(武器)となることをしばしばともなった。日本では徴兵制の導入とともに国家管理による売買春制度が整備され、日本軍が進出した地域には性病を防ぐ等の目的で慰安所があまねく設置された。戦後直後には進駐軍兵士による日本人女性のレイプを防ぐためとして、政府自らが特殊慰安所を設置した。性の相手をさせられる女性と、家庭において産み育てることを求められる女性とを分断する政策が、戦争と植民地支配を軸に進められたのである。
しかし、女性たちはただ無力な存在ではない。彼女たちは戦時下および戦後に負った被害経験を語り継ぎ、国家が戦争を遂行するなかで作り上げられた〈男らしさ〉〈女らしさ〉が持つ暴力性を告発してきた。第二次世界大戦後の国際社会における平和構築への努力のなかに、女性たち独自の国際的な平和運動が活かされている。同時に、グローバル・サウスの女性たちの経験に根差した、植民地主義や人種主義を克服する試みが続けられている。
7 現代日本社会とジェンダー
ジェンダー平等に向けての歴史は単線的に進むのではなく、制度や文化意識における進展はそれに反発する層からのバックラッシュ(反動)を惹起し、時には退行する局面も見られる。
(中略)
日本では戦前に設けられた自己堕胎罪がいまだに刑法に残るが、母体保護法により一定の条件下であれば中絶の違法性は阻却される。しかし配偶者の同意が必要で、身体への負担が少ない経口中絶薬が用いられることがほとんどないなど、女性の性的自己決定権が保障されているとは言い難い。選択的夫婦別姓にいたっては、一九九六年に法制審議会が法制化の答申を出したものの、政治的圧力により実現が阻止され、日本は現在、婚姻したカップルが同姓を強制される唯一の国となっている。一九九〇年代後半から二〇〇〇年代初頭にかけて、それまで少しずつ進められてきた男女共同参画や性教育、あるいは日本軍「慰安婦」問題の教科書記述などに反発し、自民党の保守層中心にそれらの動きを妨げるバックラッシュが引き起こされたからである。このことが、日本においてジェンダー平等の進展を著しく阻害することとなった。
二〇一〇年代に入ると、労働人口不足から女性の就労が一層促進されると同時に、少子化への危機感から子育て支援策の充実化が図られるようになった。「女性活躍」という言葉が作られ、一連の政策が推進された。企業別の女性管理職割合や男女賃金格差が公表され、企業によるジェンダー・ギャップ是正が促されるようになった。若年女性の流出に悩む地方自治体が、地方創生の一環としてジェンダー平等に注目するようにもなってきた。しかし依然として、多くの女性が非正規雇用に就き、国による所得再分配機能が不十分で、シングルマザーの貧困は深刻な状況が続いている。二〇二〇年初頭から世界を襲った新型コロナ・ウィルスのパンデミックが、女性により多くの負担と危害を及ぼしたのは、その帰結のひとつである。
近年ではジェンダー平等やLGBTQの権利保障が「進歩的」であるとの理解をベースに、国家や企業がイメージ戦略として(部分的に)取り組むことが増えてきた。しかしその取り組みが、人種などの他の差別の存在を覆い隠す効果を持つという批判も起きている。ジェンダーに基づく差別・格差だけではなく、様々な差別が交差するものであるというインターセクショナリティの視点から、社会に埋め込まれた不正義を告発し、改革していくことが重要である。二〇二五年には初の女性首相に高市早苗が就任し、社会が女性トップを受け入れるまでに変化したことを象徴的に示した。もっとも、このことがジェンダー平等の改善につながるのかは多角的な検討が必要である。
ジェンダー平等の実現に向けて、今もなお長い道のりが待っている。どの時代も女性やマイノリティは無力な存在ではなく、権利獲得を求めて闘ってきた。ジェンダー(不)平等という状態やジェンダー規範というものは不変なものではなく、政治的に作られ、維持され、時には壊され、新しいものが創られる。その政治力学を読み解くのが政治学である。政治学を学ぶことで、ジェンダーを取り巻く権力構造を理解できるようになり、変革主体がどのように取り組むことで構造変容をもたらしたのかが見えてくるだろう。こうした知見は、あなたが政治主体として何をすべきかについての見通しを与えてくれるはずである。
三浦まり・岡野八代

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【目次】
0 ジェンダーから問う政治/学(三浦まり・岡野八代)
第Ⅰ部 「政治」をとらえる
1 シチズンシップ──市民とは誰のことか(川出良枝)
2 権力とジェンダー──フーコーとフェミニズムの交錯(重田園江)
3 ケアとジェンダー──ケアと政治を接続する(岡野八代)
4 私的領域と政治──政治はどこにどのようにあるのか(田村哲樹)
第Ⅱ部 政治に参加する
5 女性の政治参画──政治における性別不均等を解消するために(三浦まり)
6 地方議会と女性──ジェンダーから見た選挙制度と政党(大木直子)
7 政治参加・投票行動──ジェンダー・ギャップとジェンダー・ステレオタイプ(山田真裕)
8 市民社会と女性──様々な組織におけるジェンダー不平等(大倉沙江)
第Ⅲ部 国家が介入する
9 政治過程とジェンダー──男性化された政治過程と女性たちの参画(三浦まり)
10 ジェンダー主流化──国際人権基準を生かしたDEIの推進(大西祥世)
11 国家と家族──ジェンダー化された家族の政治的機能を考える(武田宏子)
12 福祉国家とジェンダー──支え合いを編み直す(濵田江里子)
第Ⅳ部 平和を構築する
13 女性・平和・安全保障──フェミニスト外交の模索(三牧聖子)
14 平和運動と女性──家父長制と軍事主義に抗して(秋林こずえ)
15 開発と軍事──ODAの安全保障化とジェンダー(高松香奈)
16 人間の安全保障──ジェンダーの視点からの再考(長 有紀枝)
索引
執筆者紹介



