『ジェンダーで学ぶ歴史学』序より抜粋
2026年4月発売の弓削尚子・兼子歩編『ジェンダーで学ぶ歴史学』より、編者による「序」の一部を公開します。本書は歴史学の重要テーマをジェンダーの視点から学ぶ入門書です。15回のオムニバス講義を通して、歴史的事象をジェンダーの視点から分析するとはどういうことかを読者が体感し、レポートや卒論の執筆に活かすことのできる内容となっています。同時に、ジェンダーが歴史的構築物であり、〈男らしさ〉〈女らしさ〉の規範も時代によって異なることが明らかにされ、本書を通して「ジェンダー」を歴史的に理解することもできます。これからの歴史理解に欠かせない「ジェンダー史」の思考法を体得できる、おすすめのテキストです。
序
二〇一〇年の頃だったと思います。ある論文集の編集会議を終えて、帰路につく数人の執筆者が乗ったエレベーターの中で、高齢の歴史家がみなに聞こえるようにつぶやきました。
「ジェンダーなんて、虫唾が走るよ」
その論文集は、ジェンダー史研究を特別にうたったものではありませんでした。しかし、歴史研究において、ジェンダーは階層や宗教、ナショナリティや「人種」などと並ぶ不可欠な分析概念だと認識されており(認識されていたはずで)、編集会議では、なるべくジェンダーの視点も取り入れてほしいと執筆者全員に申し入れがありました。先の歴史家は、これに反発を覚えたようですが、会議では何も発言せず、エレベーターの中で不満を漏らしたのです。
彼はなぜこれほどまでにジェンダー概念を嫌ったのでしょうか。たとえば、階層の視点を取り入れてほしいと言われて、「階層なんて、虫唾が走るよ」などと言う歴史家はおそらくいないでしょう。古い世代の歴史家はジェンダーを拒みがち、と言ってしまえば簡単ですが、この拒否反応は、今もなお、大なり小なり若い世代にも見られるものです。
彼が反発した理由は二つ考えられます。一つは、ジェンダーを女性と同じ意味だととらえている可能性があります。彼の研究には女性が登場することはなく、女性について論じることに嫌悪感をもっているのかもしれません。ジェンダーとは何か、その定義は後述しますが、ジェンダーと女性は同義ではありません。ジェンダーは、社会や文化、時代がつくる 〈女らしさ〉や女性性を問うと同時に、 〈男らしさ〉や男性性を分析する概念であり、また、男女を二分化する知のあり方を考えるものでもあります。
もう一つの理由として考えられるのは、ジェンダーの概念を理解していたとしても、それを用いて歴史を分析することがどのようなことなのか、イメージできないのかもしれません。英語圏では、一九八九年に専門誌『ジェンダーと歴史学(Gender & History)』が創刊され、九〇年代に入ると「ジェンダー」の語を使用した歴史学の文献が顕著に増加しました。日本では、九〇年代半ばに初めて「ジェンダー史(ジェンダー・ヒストリー)」という言葉が登場し、二〇〇四年にジェンダー史学会が発足しました。このように、一九世紀に近代科学として確立した歴史学の伝統からすれば、ジェンダー史は若くて新しい分野です。新しくて、よくわからないがゆえに、距離をとり、あるいは拒否感を抱くといった反応が生じるのかもしれません。ジェンダー史研究は一つひとつ豊かな果実を実らせ、ジェンダー史研究への関心は高まりつつありますが、歴史学の専門教育においても、一般教養のカリキュラムにおいても、ジェンダー史に触れる機会はまだ限られています。
ジェンダーの視点を取り入れて歴史を考えるとはどういうことなのか、ジェンダー史とはどのような歴史叙述の実践なのか、わかりやすく示す必要があります。と同時に、誰もがジェンダー史の学びにアクセスできることが求められています。──このような思いから本書は企画されました。
ジェンダー史における一五の基本テーマを選び、第一線で活躍する歴史家に執筆を依頼しました。それぞれの執筆者が講師として大学の一般教養科目の教室に登壇し、オムニバス形式の連続講義を行うようなスタイルをとりました。読者のみなさんには、「ジェンダーで学ぶ歴史学」という科目の一受講生として学んでいただければと思います。
対象とする地域は欧米諸国が中心となりましたが、日本との連関性の考察や比較が試みられています。日本史研究者には、対象を日本に閉じるのではなく、世界との連関性を意識して論じるように依頼しました。執筆者同士で学び合う場を何度か設け、それぞれのテーマについて、ときにジェンダー史教育のあり方とも絡めて意見を交わしました。原稿提出後も、編者二人(弓削尚子/兼子歩)と執筆者の間でコメントや質問が行き交い、ジェンダー史研究の方法論や課題については議論が尽きませんでしたが、こうしてジェンダー史の連続講義を開講できるはこびとなりました。
では、さっそく学びの時間に入りましょう。
ここではオリエンテーションとして、歴史学にジェンダー概念が導入された経緯について説明し、ジェンダー史研究の基本理論を押さえておきたいと思います。先にも述べたように、ジェンダーは女性のことだと理解され、ジェンダー史と女性史が区別されないことは多くあります。歴史学の歴史をひもとくと、ジェンダー史は女性史研究の反省や限界から生まれたと言えます。
歴史学におけるジェンダー概念の導入
女性は、長らく男性中心的に分析・叙述されてきた歴史の中で(一部の「例外的」な人物を除いて)見えない存在にされてきました。これに対して女性史研究は、女性が歴史を経験し歴史をつくる主体であることを、さまざまな史料の発掘や再解釈を通じて明らかにしました。先駆的な女性史研究は二〇世紀初頭に見出せますが、一九六〇年代から七〇年代にかけてさかんになった第二波フェミニズム運動と相互に影響し合いながら、女性史は優れた成果を生み出しました。
しかし、女性史研究の成果が歴史学全体のあり方を大きく変革したかと言えば、必ずしもそうはなりませんでした。女性史研究は一定の価値を認められつつ、「女性」という特定の属性に限られた歴史とされ、「一般的」な歴史叙述からは分離された特殊な下位分野のように扱われがちでした。こうした現象は女性史の「ゲットー化」とも呼ばれます。
この状況を克服するうえで導入された概念が「ジェンダー」でした。元来フランス語やドイツ語などの文法上の性を示す語だったこの言葉を、人間の性差を示す語として使い始めたのは、一九五〇年代のアメリカの性科学者ジョン・マネーや精神分析学者ロバート・ストーラーでした。彼らは同性愛者や、今日ではトランスジェンダーやインターセックスと呼ばれる人びとを診断する過程で、生殖器などの特徴によって分類される「生物学的」な性別から性別アイデンティティや性別に即した行動が一義的に導き出されるわけではないと認識し始めました。
こうして、生物学的性差=セックスと、それとは分かたれた社会的役割や心理的認識としてのジェンダー、という二分法が概念化されます。第二波フェミニズム運動は当初「家父長制」の語を主に用いていましたが、一九七〇年代後半以降、性差別を正当化する生物学的決定論(本質主義)への反駁としてセックス/ジェンダーの二分法に基づくジェンダー概念を積極的に用い始めました[Wilson 2021]。女性史においてもジェンダー概念を導入した研究が登場するようになり、多数の優れた研究成果が生まれました。
しかしながら、こうした研究の蓄積も、必ずしも歴史学における女性史のゲットー化の克服にはつながりませんでした。理由の一つは、セックス/ジェンダーの二分法は、社会的には可変的であり歴史の中で構築されるジェンダーという視点をいかに強調するとしても、固定的で生物学的なものと仮定されるセックスが前提されているという点です。女性が担った役割や 〈女らしさ〉観や女性性の定義が歴史的に変遷してきたことを明らかにしても、それはセックスとしての女性という容器の中で変化する内容物と仮定され、器ごと歴史学全体から隔離される状態が続きました。第二に、ジェンダーを男女間の関係性と理解すると、男性と女性の双方が存在し関わり合う場以外にはジェンダー分析は必要ないことになり、歴史学全体を書き換えることは難しくなる、という問題があります。
ジョーン・W・スコットの提唱
こうした状況に対して、アメリカのフランス史研究者ジョーン・W・スコットは、一九八六年に「歴史の有用なカテゴリーとしてのジェンダー」と題した論文を発表しました。(中略)スコットのジェンダー定義の中心は、「第一にジェンダーとは両性間に認知された差異にもとづく社会関係の構成要素であり、第二にジェンダーとは権力の関係を表す第一義的な方法である」[スコット 二〇二二:一〇九]という、相互に不可分な二つの命題から成り立っています。第一の命題を、スコットはこう説明します。
(中略)
つまり、あらかじめ自然で不変な生物学的性差=セックスがあってそこに社会的・心理的なジェンダーが投影されるのではなく、特定の歴史的状況において権力者の思惑や国家の政策などさまざまな力学がはたらき、性差をめぐる恣意的な言説や表象が実践されます。その実践がさまざまな肉体的差異に投影されることで、さまざまな人間の肉体が特定の恣意的な性差に基づいて分類され、あたかも肉体の本質的な違いが分類に反映しているかのように構築される──つまりセックス自体、ジェンダーによって構築されるのであり、ジェンダーの一部分である、ということです。
もちろん、性差が恣意的であるということは、差異のいかなる線引きも可能であるとか、身体間の差異の存在そのものを否定できるということは意味しません。たとえば、妊娠できる/している身体が存在すること自体は否定できないでしょう。しかしその状態にどのような条件下で、いつどのように他の身体と分かたれ、あるいは分かたれないのか、その差異にいかなる意味が付与され、どう扱われるのかは、その身体に必然ではなく、恣意的に構築されます(女性は産む性として保護されるべきだから、危険をともなうが高報酬な職種には就かせるべきでない、という職場差別を想像してください)。
性差を恣意的に用いて社会を組織化する例として、古代の日本社会を挙げることができます。最近の研究成果によると、古墳時代(特に前期)の首長たちの中には女性が一定数いたこと、家系は母方と父方の双方によって規定されていたこと、村の田祭りなどの集会における序列は年齢であったことなどが明らかになっています。古代社会は性差を最も重要な社会の組織化の要素としていなかったのです。この状況が変化するのは七世紀末以降でした。朝廷が中国の律令制を統治に取り入れ、徴兵・徴税のための戸籍制度を導入することで、男女が別に把握されるようになり、天皇の家系は男系のみに規定されるようになります。七一二年の『古事記』で天皇の子はほとんどが性別に関係なく「○○王」と記録されていましたが、八年後の『日本書紀』では皇子・皇女と表記が性別分けされるようになります。つまり、日本の政治と社会がジェンダー化されたのです[国立歴史民俗博物館監修 二〇二一]。
スコットのジェンダー定義の第二命題は、以上のような性差の言説が別の権力関係を正当化し、構築・再定義していく、そのような性差の使われ方です。たとえば、中産階級の労働者階級に対する、白人の黒人に対する、宗主国の植民地に対する優越や支配や搾取を作り出し、そして正当化するとき、その不平等な関係のどこに境界線があり、その意味は何かを恣意的に表現する性差の言説としてのジェンダーの使用法です。
この定義に従うと、女性が直接関与していない場においてもジェンダーがはたらいてきたことを明らかにできます。たとえば、女性史研究の対象として比較的取り上げにくかった政治史や外交史、そして男性の歴史といった分野にもジェンダー分析を導入しやすくなります。そして権力関係を表すジェンダーはそれ自体、社会を性差に基づいて組織化する言説でもあります。
身体的性差をも問う歴史学
スコットのジェンダーの定義は、男女の違いが生物学的に絶対的かつ固定されていると信じる本質主義だけでなく、身体的・生物学的本質としてのセックスに対する社会的に構築された性差としてのジェンダーという考え方とも異なるものです。このスコットの定義を支持する証拠は、身体の性差をめぐる認識の歴史研究によって提供されつつあります。
(中略)
身体的差異それ自体も歴史的なものである以上、性差のあらゆる次元は歴史的に構築されたものとして分析することが可能になりますし、また必要になります。いつ、どのような状況で、いかなる人びと・勢力・制度によって、どの次元にどのような性差が作り上げられ、その結果何が起こったのか──それを問うための視点を、ジェンダー概念はもたらしてくれます。
このようなジェンダー理解は、歴史学の対象となるあらゆる領域をジェンダーによって分析することを可能にします。そして、ジェンダーが(唯一あるいは最も重要とは限らなくとも)歴史を説明するために不可欠な構成要素であることも明白になります。女性史はジェンダー史によって不要とはならず、むしろジェンダー史と女性史の協働が重要になります。こうして、ジェンダー史は歴史学の一特殊分野であることを超えて、歴史学そのものを書き換えていくのです。
弓削尚子・兼子 歩

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【目次】
序(弓削尚子・兼子 歩)
第1講 歴史学(弓削尚子)
第2講 フェミニズム思想(梅垣千尋)
第3講 家 族(山口みどり)
第4講 男らしさ(兼子 歩)
第5講 資本主義(小田原 琳)
第6講 労 働(石井香江)
第7講 帝 国(並河葉子)
第8講 植民地主義(水谷 智)
第9講 外 交(兼子 歩)
第10講 戦 争(中村江里)
第11講 ファシズム(小野寺拓也)
第12講 政 治(水戸部由枝)
第13講 優生学・優生思想(貴堂嘉之)
第14講 クィア(前川直哉)
第15講 インターセクショナリティ(土屋和代)
図版出典一覧
索引
執筆者紹介



