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『中東を学ぶ人のために』序章より抜粋

 2024年6月発売の末近浩太・松尾昌樹編『中東を学ぶ人のために』より、編者による序章の一部を公開します。

 本書は、本邦では数少ない中東地域に関する総合的な概説書です。これまで出版されてきた中東に関連する本の多くは、時事問題や政治について、あるいは、宗教としてのイスラームに特化したものがほとんどとなっています。
 こうした状況を受け、本書は、文化・社会・経済・政治など、さまざまな入口から中東に関心を持った読者に対して、部分ではなく全体を見通すための最新の、確かな知を提供する書籍であることを目指しました。
 中東を専門的に学ぶ学生・研究者から、旅行やビジネスで中東を訪れる一般の人まで、中東に興味を持つすべての人にとって必読の入門書です。

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序章 中東を「学ぶ」

 中東の情報は世に溢れている――でも、それでは物足りない。そんなふうに感じる人は、中東を「学ぶ」時期に来ている。

(中略)

 そもそも中東は、そんな知的欲求に飢えた私たちを惹きつけてやまない奥深い地域である。ある時には国際政治の結節点として、中東は私たちの眼前に立ち現れる。またある時は、文明の揺籠として、あるいは文芸の宝庫として、私たちを思索の海に誘う。さらには、この地域から発せられる力強い経済の鼓動は私たちが暮らす社会と共鳴し、遠く離れた二つの世界を結びつける。こんな魅力的な中東を学ばない手はない。



高さ世界一のビル、ブルジュ・ハリーファの展望台から眺めるドバイ高層ビル群
(アラブ首長国連邦、撮影:長岡慎介)

 そんな厄介な欲求に突き動かされてしまった人々の行き着く先が、中東のことを学問として「学ぶ」ことを続けている中東研究者であり、本書はそんな中東研究者たち――それも、いずれもその分野の最前線にいる人である――が、これから中東を「学ぶ」人たちに向けて執筆した章からできている。

(中略)

 私たちは簡単に中東の政治現象に意見を述べがちだが、そこにどんな人々がどのように暮らしているのかについて、実はよく知らない。スンナ派がいるとか、クルド民族がいるとか、あの組織はイランとつながっているだとか、アメリカに支援されているだとか、そうしたニュースで一言二言の「解説」として扱われる情報については、手元にたくさんある。しかし、人々がどのように社会生活を送っているのか、どのように経済活動を営んでいるのか、あまり関心を持とうとしない。つまり、私たちと同じように・・・・・・・・・人々が考え、感じ、集まり、交換するという当たり前の中東の姿を抜きにして、一足飛びに中東の政治現象を論評しようとする。せっかく「学ぶ」機会を得ようとしているのだから、ここは腰を据えてじっくりと中東と向き合ってみてはどうだろうか。

(中略)



シリア難民家庭への訪問調査(ヨルダン、撮影:錦田愛子)


中東を学ぶのか、中東に対する立場を学ぶのか

 今日の中東をめぐる言論は、政治的立場と密接に関連づけられている。中東で発生したある暴力をテロ行為と糾弾し、そのすべてを力によって強制的に抹消するのが正しい対応であると主張するものもあれば、そうした暴力の背後にある歴史的経緯やさまざまな人々の立場に耳を傾けるべきだと主張するものもある。イスラエルが長年にわたってパレスチナを抑圧・占領してきた事実や、中東の各国で女性の地位が低いままに置かれているといった問題は、しばしば対照的な立場を表明する言論のなかで扱われる。これらを論じる人々が政治家であったり、活動家であったりする場合は、その言論に政治性が伴うことには異論はないだろう。

 これに対して、学問は政治的に中立であるべきだという意見がある。中東を「学ぶ」人は必ずしも眼前の出来事への対応を迫られているわけではなく、熟考を重ね、さまざまな立場を超えて対象を理解する余地があり、ゆえに政治性を乗り越えることが可能だ、と。しかし、編者はこうした立場をややナイーブだと考えている。現実には、中東研究者がなんらかの政治性を伴って発言することは珍しくない。研究対象になんらかの思い入れがあり、それゆえにその観察対象を代弁するような主張を展開する研究者もいるだろう。自身の主張を開示するために必要な紙面をメディア上で獲得するために、あえて政治的党派性に乗せて中東を描写する研究者もいるだろう。あるいは、研究者本人にそのつもりがなくとも発言に政治性が付与されることもある。いや、そもそもあらゆる発言は政治性から自由にはなれない。



岩のドーム(パレスチナ、撮影:山本健介)

 議論を交わすことは「学び」に必要なプロセスであり、またそうした議論を通じて私たちは中東との関係を自分たちのなかに、あるいは私たちが日々暮らす社会のなかに位置づけてゆく必要がある。議論が政治的立場を必要とするのであれば、私たちはそれらを受け入れる必要があるだろう。ただし、中東を「学ぶ」際には――そして中東に限らないだろうが ――「学ぶ」ことよりも政治的な立場が優先しないように心がけたほうがいい。立場に基づいて学ぼうとする姿勢は予断であり、現実を捉えようとする私たちの目を曇らせる。

 さまざまな情報に触れてなんとなく中東を理解している私たちが、そうした情報の一歩先の知識を獲得しようとする時、その知識は本物なのか、正しいのか、という判断に常に迫られる。そこでは、再生回数やフォロワー数、AIのバージョンなどは当てにならない。簡単に手に入る知識は、自分だけではなく誰でも簡単に手に入れることができる。瞬く間に生成される知識は、瞬く間に古くなり、陳腐化する。

 私たちの判断の拠りどころとなるのは、立場ではなく、「学び」そのものである。中東研究の歴史が紡いできた学知を自身のなかに蓄えながら、その知識に基づいて対象を解釈し、自身の見解を述べることが、私たちの主張を確かにする。この主張に基づいて批判し、批判され、議論を続けることで新たな理解を作り上げる。「学び」とは、そうした不断のプロセスである。

(後略)

 

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【目次】

序章 中東を「学ぶ」  末近浩太・松尾昌樹 

第1部 繁栄する文化
1 言語と宗教  竹田敏之
2 歴史叙述  小笠原弘幸
3 アラブ小説  柳谷あゆみ
4 中東の近現代思想  岡崎弘樹 

第2部 変容する社会
1 ジェンダー  嶺崎寛子
2 移民・難民  錦田愛子
3 都市と農村  柏木健一
4 メディア  千葉悠志

第3部 躍動する経済
1 経済開発  土屋一樹
2 石油/脱石油  堀拔功二
3 イスラーム金融  長岡慎介
4 中東でのビジネス  齋藤純

第4部 混迷する政治
1 世界のなかの中東  今井宏平
2 紛争  江﨑智絵
3 パレスチナ問題  山本健介
4 宗教と政治  高尾賢一郎
 
終章 さらなる学びへ  末近浩太・松尾昌樹 

コラム  中東の音楽映画  中町信孝 
     言葉に映し出される家族  村上薫 
     ほんとうのバーザール  岩﨑葉子 
     権威主義と民主主義  渡邊駿 
 
中東を学ぶ人のための必読文献リスト   
中東を学ぶ人のための国別データシート            
索引(人名・事項)

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著者略歴

  1. 末近 浩太

    1973年生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科5年一貫制博士課程修了、博士(地域研究)。立命館大学国際関係学部教授。主な著書に『イスラーム主義と中東政治』(名古屋大学出版会、2013年)、『イスラーム主義』(岩波新書、2018年)、『中東政治入門』(ちくま新書、2020年)など。

  2. 松尾 昌樹

    1971年生まれ。東北大学大学院国際文化研究科博士後期課程修了、博士(国際文化)。宇都宮大学国際学部教授。主な著書に『湾岸産油国』(講談社、2010年)、『中東の新たな秩序』(共編、ミネルヴァ書房、2016年)、『移民現象の新展開』(共編、岩波書店、2020年)など。

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