『やっかいな問題はみんなで解く』序より抜粋
はじめに 「やっかいな問題」としての社会課題
新型コロナウイルス感染症によって、人類は誰もが弱者(ヴァルネラブル)になりうること、あるいは助けを必要とする人になりうることを共有した。それまで元気に生活していた人が、ある日、突然感染者になり、隔離され、場合によっては、家族との面会も許されないまま、この世を去っていかなくてはならない。一方、感染防止のために非常事態宣言が出されたり、ロックダウンが行われたりすることによって、それまで営んできた生業が成り立たなくなることもある。感染防止をとるのか、経済生活をとるのか──これは、立場や考え方によって意見が異なり、「みんな」が合意できる解決策がなかなか見つからない「やっかいな問題」である。
実は、問題がやっかいであることは、新型コロナウイルス感染症だけでなく、震災や台風の災害、気候変動、水不足、紛争など、どの社会課題にもあてはまる。たとえ今回のコロナ禍を切り抜けたとしても、私たちが「やっかいな問題」に向き合わなくてはならない時代は続くと考えなくてはならない。
1 「やっかいな問題」を人類にもたらした近代
「物」の時代としての近代
人類が今後直面する「やっかいな問題」の多くは、近代化によってもたらされたといってよい。
ヨーロッパの中世が「魂の時代」であったとすれば、近代以降は「物の時代」である。近代において、神ではなく人間へ、来世ではなく現世へ、永遠の命ではなく肉体の命へと人びとの意識は変容した。
このような意識変容を引き起こした原因の一つが一七世紀の「科学革命」である。世界を聖書に書いてあるとおりに理解するのではなく、実験と観察、そして合理的推論によって理解する方法が認められ、かつては異端であった地動説が通説となった。人びとは宗教的世界観から解放され、科学的世界観を抱くようになった。同時に、科学知識を用いてさまざまな技術を開発し、機械や部品、動力源などに応用するようになった。
経済的な変化も意識変容を促す一因であった。一五世紀の新大陸の発見や一六世紀における大量の銀の流入は、ヨーロッパにおける商業の発展を促すとともに、物の消費によって幸福を得るという物質的欲望を強めることになり、このことが、さらなる商業の発展を促すことになった。
宗教界による政治支配が弱まるにつれ、ヨーロッパ各国は宗教から独立した政治体制を整えるようになり、その結果、宗教対立に代わって国家間の対立が激しくなった。各国政府は科学技術を用いて兵器を開発し、軍備を拡張した。そして軍事費を安定的・効率的にファイナンスするために、経済成長を促して租税収入を獲得するという財政システムを打ち立てた。こうして科学の進歩と経済の成長は、国家を支える二本柱になった。そして一八世紀には「産業革命」が起こり、技術革新に裏づけられた経済成長が求められた。商品の種類と数量、交換の範囲は飛躍的に増大し、市場が拡大した。
一九世紀以降、科学と技術はさらに進歩し、富は蓄積され、一人あたりGDP(国内総生産)は継続的に増加し、人びとの寿命は延び、消費生活は便利で豊かなものになった。
船底に空いた穴
しかしながら、物質的な豊かさの追求は、人類や地球の存続を脅かすさまざまな課題を生んだ。経済の成長とともに人口も増加し、世界の人口は一九世紀の半ばに一〇億に達した。その後、人口は爆発的に増加し、二〇五〇年には九〇億を超えると予想される。これは、二〇〇年で九倍になる速度である。
人口増加、および一人あたりの生産と消費の増大とともに、地球環境の破壊、自然資源の枯渇、エネルギーや食料の不足などが懸念されるようになり、紛争や戦争、格差や貧困などの課題も露わになった。これらの課題は、経済のグローバル化によって、一つひとつが深刻さを増すと同時に、複雑に絡み合うようになり、人類が総がかりで取り組まなくては解決できない規模になった。こうした状況を踏まえ、
国連は、二〇〇〇年に「ミレニアム開発目標(MDGs)」を、二〇一五年には「持続可能な開発目標(SDGs)」を採択した。
他方、日本の人口も近代化とともに増加したが、二〇〇八年をピークに減少しはじめた。現在(二〇二二年)の人口、約一億二五〇〇万人は、二〇五〇年には一億人を下回るといわれており、その後も減少が続けば、二一〇〇年には七五〇〇万人を切ることも予想される。人口減少のなか、高齢化も進み、六五歳以上の人口はまもなく三〇%を超え、二〇五〇年には三五%以上になると考えられる。
人口減少や高齢化は、生産力の低下、社会保障制度の破綻、地方の衰退、格差の拡大など、さまざまな社会課題を引き起こしている。これらの課題は、世界の人口が増大から減少に転じることになったとき、多くの国が向き合うことになるものであり、ゆえに日本は「課題先進国」といってよい。
日本を含む世界は、巨大な豪華客船になぞらえることができるだろう。近代という時代を優雅に航行してきたように見える豪華客船ではあるが、途中で船底にいくつもの穴が空いてしまい、そこから水が入ってきている。甲板の上にいる私たちが、この状況を知ろうとせず──あるいは知っているにもかかわらず──何もしなければ、船はいつか沈むだろう。なすべきことは、上層階の一等船室に逃げ込むこ
とではなく、船底に行って穴を塞ふさぐことである。一人で行っても塞ぎようがない穴も、みんなで行って力を合わせれば塞ぐことができるかもしれない。なんとか穴を塞ぎ、船を沈没から救うことができれば、船は新しい時代に向かって進むことができるだろう。
2 めざすべき社会
真の共助社会とは
世界が危機に瀕するなか、めざすべきは真の共助社会である。それは、「助ける人(ケーパブル)」が「助けを必要とする人(ヴァルネラブル)」を助けるだけでなく、「助けを必要とする人」も「助ける人」を助けるという共助の関係の上に成り立つ社会である。
図1によって示されるように、真の共助社会は「助けを必要とする人」を中心におき、「助ける人」が周りを囲む。誰もが「助けを必要とする人」になりうるなかで、誰が「助けを必要とする人」で誰が「助ける人」かは固定的ではなく、流動的である。「助ける人」は、「助けを必要とする人」の状況をよく理解し、気持ちに共感し、抱える課題の解決のために知恵を出し、みずから手を差し伸べる。「助けを必要とする人」は「助ける人」が差し伸べる手によって救われる。しかし、それだけではない。「助ける人」は、「助けを必要とする人」に寄り添い、一緒に課題を解決しようとすることによって、「助けを必要とする人」になることへの恐れや「助けを必要とする人」への偏見から解放され、生きることの意味に触れることができる。このように、「助ける人」と「助けを必要とする人」とが互いに助け合い、「みんな」で「やっかいな問題」を解こうとする社会、それが真の共助社会である。
(中略)
3 「やっかいな問題」を解くための「共創」
(中略)
「共創」の必要性
平坦でない道を進むためには、多様な立場の人びとが集まり、課題に対する認識、取り組み方、注意すべき点を点検し、より良い状態に向けて解決策を模索し、実施していかなくてはならない。特定の学問分野の専門知、特定の現場で得た経験知だけで解決することは不可能であり、また、それらの知を寄せ集めただけでは大きな力にはならないであろう。
知を力に変えるためには、学問分野や立場の違いを乗り越えた「共創」が必要である。すなわち、さまざまな知識や意見、価値観をもった人がコミュニケーションをとり、相互に共感し、それぞれの意識と行動を変容させながら、課題解決の意味を共有し、心を一つにして解決のしくみや方策を生み出していくことが重要である。「共創」とは、図1で示される「共助」のもとで新しい価値を「みんな」で創出し、より良い状態を実現することであるとともに、そのプロセスのなかで「みんな」自身が創り変えられていくことである。
(中略)
4 本書の構成と概要
以上の問題意識に立ち、本書は「やっかいな問題」を「みんな」で解くために、どのような考え方、しくみ、場やネットワークが必要かを考察する(中略)。第Ⅰ部「共創の作法」は五つの章からなり、これらの問題を概念的・理論的に扱う。(中略)第Ⅱ部「共創の現場」は四つの章から構成され、第Ⅰ部で検討された概念や考え方、理論が、さまざまな現場でどのように実践されているのかが示される。
(中略)
おわりに
社会課題の多様さと複雑さに対して、個々の取り組みの影響力は小さく、無意味なものに見えるかもしれない。しかしながら、ソーシャル・ムーブメントは、個々の取り組みにかかわる人びとの思いや意見、獲得された知識や行動の記録が、他の人びとや他の組織に伝搬し、個人間、組織間のつながりが広がることによって起こる。実際、宗教革命にしろ、産業革命にしろ、人類の歴史のなかで「革命」の名がつく出来事は、そのようにして引き起こされてきた。少数のイノベーターが突然現れて社会を一気に変えるのではなく、無数の無名の人びとが出会い、情報を交換し、行動をともにし、辛抱強く問題を解きほぐしながら次につなげることによって歴史は変革されてきたのだ。「やっかいな問題」は、やっかいには違いないが、解ほどけない問題ではない。重要なのは、解けるか解けないかではなく、解ほどこうとするかしないかだ。
本書が「やっかいな問題」から目をそらさず、「みんな」で解ほどこうとするソーシャル・ムーブメントにつながる第一歩になることを願う。
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【目次】
序 (堂目卓生)
第Ⅰ部 共創の作法
第1章 やっかいな問題はどこから来て、どこへ行くのか (山崎吾郎)
第2章 問題を問い直す――共創の始め方 (山崎吾郎・大谷洋介・戸谷洋志)
第3章 成解を導く力を身につける――学びの往還 (八木絵香・工藤充・水町衣里)
第4章 ネットワークをつむぐ――人と人とをつなぐ人の作用 (菅野拓)
第5章 社会イノベーションを教える――異文化協働体験とのかけあわせ (辻田俊哉)
第Ⅱ部 共創の現場
第6章 +クリエイティブ――KIITOの実践 (永田宏和)
第7章 教育 × 地元学――ともに学ぶ十津川村の中学生と大阪の大学生 (上須道徳・立石亮伍)
第8章 アートが農村と出会うとき――アートプロジェクトの役割 (松本文子)
第9章 小さな声――弱さが担うまちづくり (石塚裕子・今井貴代子)
むすび (山崎吾郎)
もっと学びたい人のためのブックガイド
○コラム
1 やっかいな問題(山崎吾郎)
2 化粧品における特定成分フリーをめぐる問題(山脇竹生)
3 「対話ツール」のデザインコンセプト(岩田直樹)
4 新たな荒野で、新たな生態系をつくる(田村太郎)
5 社会イノベーション教育とその実践から得た学び(大木有)
6 自分の半径500mをより良くする(和田武大)
7 「とつユメ」の贈りもの(向平眞司)
8 非線形の思考としての芸術(石川吉典)
9 地域に生きる「小さな声」の一人として(矢吹顕孝)