『当事者対決! 心と体でケンカする』「はじめに――このふたりの本を読むことにどんな意味があるのか?」(頭木弘樹)
発達障害の当事者である横道誠さんと潰瘍性大腸炎の当事者である
なぜ往復インタビューなのか?
「横道誠さんとの本を」というお話をいただいたとき、それはもう、飛びつくように承諾しました。
というのも、お訊きしてみたいことがたくさんあったからです。
なので、対談や往復書簡ではなく、「往復インタビューで」とお願いしました。「往復インタビュー」というのは、とっさに思いついた言葉ですが、私としては横道さんにインタビューをしたかったのです。
取材のとき、インタビューする側とされる側とが固定的なのも、以前から気になっていました。もし両者が立場を逆転させて、さっきはインタビューしていたほうが今度はインタビューされ、さっきはインタビューされていたほうが今度はインタビューしたら、おもしろいのではないかと思っていました。
インタビューするとき、あまりつっこんだことを訊いては申し訳ないなという遠慮が働きます。こちらは訊くだけという安全地帯にいて、相手のことだけ心の奥底までほじくりかえそうとするわけですから。しかし、つぎにはじぶんが訊かれる側に立つのであれば、そういう遠慮はしなくてよくなります。じぶんに覚悟さえあれば、相手にも訊けるわけです。
また、さっき相手がいろいろ話してくれた以上、今度はこっちもいろいろ話さないわけにいかなくなります。
一方的にインタビューするより、ずっと深い話ができると思ったのです。
心と体でひとつの本を作る
横道さんは発達障害の当事者で、私は潰瘍性大腸炎という難病の当事者です。
つまり、心で困っている人と、体で困っている人です。
そのふたりがひとつの本を作るというのも、おもしろいと思いました。
というのも、心の本は精神科医や心理学者が書き、体の本は医師が書くというふうに、それぞれ別なことが多いからです。当事者が書く場合も同じです。
でも、心と体があって、ひとりの人間なわけですから、心と体の両方でひとつの本になっていてもいいはずです。
当事者研究の本を、横道さんも私もそれぞれに出していますが、ふたりで一緒に作ることには、また新しい意義があるのではないかと思いました。
なぜ心と体でケンカするのか?
私のように体の病気をしていると、心の病気の人からよく「うらやましい」と言われます。これまで何度言われたかしれません。「体の病気のほうがずっとまし」だと。
一方、体の病気の人は、「心の病気のほうがまし」だと思っていたりします。
お互いに、相手のほうがましで、じぶんたちのほうが大変だと思っているのです。
実際のところ、どうなのでしょう?
この機会に、横道さんと私で、それぞれ心と体の仮の代表として、議論をたたかわせ、ケンカしてみるのも、おもしろいのではないかと思いました。
ひとりの人間のなかでも心と体はケンカする
また、私自身の体験としても、体の病気のせいで、心まで暗く弱ってしまうと、「体のせいで!」と心は体に文句を言います。反対に、心のストレスのせいで体の調子まで崩してしまうと、今度は、「心のせいで!」と体が心に文句を言います。
心と体は、ひとりの人間のなかでもケンカをしています。
この折りあいをどうつけたらいいのか?
心と体は、そもそもひとつなのか、ふたつなのか、そんなことも横道さんと考えてみたいと思いました。
個人的な体験を読むことに意味はあるのか?
横道さんの『みんな水の中――「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)を読んで感動して以来、横道さんの本はすべて読んできました。
『みんな水の中』は、じつはそんなに熱心に読みはじめたわけではありませんでした。私は発達障害には、とくに関心がなかったのです。「ケアをひらく」という、私も参加しているシリーズの新刊だったから、いちおう読んでみようくらいのことでした。
でも、「はじめに」を読んで、もうその時点で、びっくりしました。ふつう、発達障害の本なら「発達障害とはこういうものです」と説明すると思うんです。でも横道さんは「もしかすると私の『仲間』でも、多くの人は、私のような考え方や感じ方に無縁という可能性もある」と書いていたんです。つまり、「これはじぶんだけのことかもしれない」という宣言です。
だとすると、この本を読んでわかるのは、横道さんのことだけということになります。
この人だけの話を読むことに意味があるのか? と思いますよね。
個人的な話が、なぜか普遍的な話に
ところが、読んでいくと、これがおもしろいんです。発達障害でなくても、共感できるところが多々ある。すごく心を揺さぶられる。
不思議だなあ……と思ったのですが、よく考えてみると、これは文学でも同じです。あるひとりの主人公、それは読者のじぶんとは容姿も境遇も価値観も抱えている問題もすべて違うかもしれない。けれど、読んでいくうちに、気持ちが響きあって、心を揺さぶられます。
科学だったら、大勢を対象に研究しないと、あまり意味がありません。しかし、文学は、ひとりの人間を深く掘りさげていくことで、普遍に到達します。ここが文学のおもしろいところです。
当事者がじぶんのことを語るときにも、深く深く掘りさげていけば、普遍に到達するということを、横道さんの『みんな水の中』は教えてくれました。
本書は、横道さんと私の個人的なことについて、お互いにインタビューで深掘りしています。
私たちに興味のない人にとっては、そんなものを読むことになんの意味があるのかと思うでしょう。
「でも、読んでみたらおもしろかった」と言っていただけるよう、本書も『みんな水の中』のように、個人という井戸を掘りすすめていくことで、普遍という水脈に到達して、こんこんと水が湧きだしてくることを願うばかりです。
この本の作り方について
横道さんと私で交互にインタビューして、それぞれインタビューした側が原稿をまとめました。インタビューのしかたの違いも出て、興味深かったです。
それから、それぞれの発言を、それぞれ当人が手なおししました。
そうしていったんできあがった長い原稿を、編集者の川島遼子さんが大胆に再構成し、大幅に短縮してくださいました。豆乳から豆腐を作るように、おからが取りのぞかれた分、より口あたりが良くなっていると思います。
するすると読んでいただけましたら、幸いです。
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【目次】
はじめに このふたりの本を読むことにどんな意味があるのか? 頭木弘樹
なぜ往復インタビューなのか?/心と体でひとつの本を作る/なぜ心と体でケンカするのか?/ひとりの人間のなかでも心と体はケンカする/個人的な体験を読むことに意味はあるのか?/個人的な話が、なぜか普遍的な話に/この本の作り方について
●ラウンド1 どういう症状か?
1 発達障害とは 頭木→横道
発達障害とはなにか/病気なのか障害なのか/先天的か後天的か/グレーゾーン/脳の多様性/じぶんたちの文化を生きている/「バリ層」「ギリ層」「ムリ層」/健常者からの反発/能力社会と環境
2 難病とは 横道→頭木
潰瘍性大腸炎のダイバーシティ/「難病」というあつかい/「同病相憐れ」めない/病気の始まり/病院へ行っても後悔続き/身体イメージの変化/骨を嚙んでる犬がうらやましい/豆腐は神だった
インターバル1 壊れた体、世界一の体
●ラウンド2 どんな人生か?
3 発達障害と生いたち 頭木→横道
まわりは異星人ばかり/マンガのなかにいる「仲間」/大衆文学は難しい/発達障害の診断を受ける/診断名が増えて感動!
4 難病と生いたち 横道→頭木
おとながわからない/止まった年齢/カフカとの邂逅、そして再会/カフカにすがりつく闘病生活/ベッドの上で働く/初の著作は幻の本に/12年越しの電話/死にたくなるような美しい曲/絶望はしないほうがいい
インターバル2 定型発達者ぶりっこ
●ラウンド3 どうしてつらいのか?
5 発達性トラウマ障害 頭木→横道
家族の人生/母親の入信/発達障害と宗教2世の関係/転機としての脱会/実家を出る決意/人間嫌いの人間好き
6 難病のメンタリティ 横道→頭木
踏み台昇降をやってる男/同情がないと生きていけない/「ふつう」がじぶん側に近寄ってくる/社会モデルと病気/漏らし文化圏/役に立たないものが好き/勇気のもらい方
インターバル3 SNS文学
●ラウンド4 だれと生きるのか?
7 発達障害とセクシャリティ 頭木→横道
性の揺らぎ/初恋の思い出/好きになった人への告白/カサンドラ症候群/理解されることに飢えている
8 難病と家族 横道→頭木
落語と語りの文体/昔話に魅せられて/宮古島への移住/7回の転校生活/語ってこなかった結婚の話/紅茶を頼む勇気/社会に広めたいルール
インターバル4 オマケの人生
試合結果 心と体はどっちがつらい?
心と体はケンカする?/心と心がケンカする/心身1.5元論/見晴らしのいい場所
おわりに 頭木弘樹のことと私の漏らし体験 横道誠