旅するモヤモヤ相談室へようこそ 『旅するモヤモヤ相談室』まえがきより
「抗生物質? お腹をこわしたときにいつも、近所の友達からもらって飲んでるよ!」
八月、タイ郊外の小さな村で、じっとりへばりつく蒸し暑さのなか、軒先で一服しているおばさんたちからたびたび聞いたセリフです。
当時医学部二年生の私は、タイで「抗生物質の不適切な使用によって、抗生物質が効かない菌が生まれるしくみを突き止める」ためのインタビュー調査を行なっていました。
「下痢はウイルス性も多いのに、細菌用の抗生物質を飲んじゃうのね……抗生物質っていっても、政府の認定を受けた薬剤師じゃなくて近所の友達にもらったもの……しかもその友達、抗生物質の内服期間を守らずに余らせたってことね……薬剤耐性菌の発生リスクを見事にコンプリートしちゃってる……」と心のなかで呟く私。
けれど、おばさんたちはあっけらかんとしていて、みんなニコニコしながらアイスクリームやクッキーをくれて、なんだか私まで一服気分に……。「なぁんだ」と気が抜けてしまいました。おばさんたちは、本題から逸れて家族や仕事のことなどまで話してくれます。私は「こんな生き方もありなんだなぁ」と心地よくなりながら、ココナッツ味のアイスクリームを頬張っていました。
問診! 人の人生
タイでの調査を通して気づいたのは、人の生活に入りこみ、話を聞いていろんな人生を想像するときが、私にとって至福だということでした。そんな私は、人に会う機会が減ったコロナ禍の閉塞感に耐えきれず、本を読みまくりドキュメンタリーを観まくり、ルポルタージュや対談記事をネットであさり、病院実習では患者さんの生活歴に必死に耳を傾け、ついには人の人生相談を聞きまくれる占いバイトに勤しんだりもしました。医者になると決めたのも、使命感よりも先に人の人生に興味があって、そこに少しでも役立つ形でかかわりたいと思ったからなのかもしれません。
とはいえ、コロナ禍が始まった当初は、医学生として空回りする使命感に悩まされていました。医学生の立場では現場で何か役立つこともできないし、自分が今からがんばったところでワクチンや治療薬を開発できるわけなんて絶対ないし……。そんなときに読んで衝撃を受けたのが、京都大学の藤原辰史先生による「パンデミックを生きる指針」でした。
そこには、ワクチンも治療薬も開発できない、想像力と言葉しか道具をもたない文系研究者でも社会に貢献できる、と述べられていました。歴史学者は「史料を読む技術」を訓練してきたので、「過去に起こった類似の現象を参考にして、人間がすがりたくなる希望を冷徹に選別する」ことができる、というのです。
その文章を読んで、ハッとひらめきました。「科学」以外の方法、つまり、私がもっている人や社会への猛烈な好奇心やフットワークの軽さを活かすことで、コロナ禍の世の中に何かを届けられるのでは?と思ったのです。そこで始めたのが、人にアポをとってインタビューしまくるという企画です。
私の下宿から徒歩五分の京都大学のキャンパスには、これまで世界各地を旅して学問をされてきた先生方が大勢いらっしゃいます。自分たちの環境とは異なる場所に飛びこみ、観察や聞き取りなどの調査を行なうその学問の方式は、「フィールドワーク」と呼ばれており、京都大学では特に盛んです。「この環境を活かさないわけにはいかない!」と思い、フィールドワークをされてきた先生方のもとを訪問することにしました。時には、そのつながりから、他大学の先生方にインタビューする機会もいただきました。
インタビューでお聞きしたのは、現地の人びとのエピソードや、現地の文化、思想など。そしてインタビューのあとには、まるで私まで一緒に現地を訪ねていたかのような臨場感と大きな充足感が残りました。人の生き方や価値観は場所によって驚くほどさまざまで、ときめかずにはいられませんでした。
診断! 現代日本人の心のモヤモヤ
世界各地で学問をされてきた先生方のお話には、日本の生活にも役立つ、現地のさまざまな知恵が凝縮されています。
「自分のことは自分で責任をもちなさい!」という日本社会の風潮に疲れた方には、タンザニア人の「貧しくて貯金ゼロでも、友人とモノを貸し借りすることでふつうに生活していける」という気楽な姿勢が、肩の荷を下ろすための処方箋になるかもしれません。
また、「あの人とわかりあえない……」という悩みをもっている方には、ガーナや南インドの儀礼における「人それぞれ、見えている世界は違うものであり、自分にとっての『アクチュアリティ』も、実際の『リアリティ』と同じかはわからない」という考え方が、人間関係を円滑に保つ秘訣になるかもしれません。
そこで先生方へのインタビューを、現代人のいろいろな悩みに沿った「カルテ」という形でまとめてみました。インタビュー内容から、悩みに対する「有効成分」を抽出し、最後には悩みの解決のヒントとなりそうな「処方箋」を示します。インタビューに応じてくださった先生方のほとんどが専門とされているのは、私が専門とする医学とはまったく異なる分野です。けれどそれが、現代人の心のモヤモヤの原因を言語化し、解決のためのヒントをくれる「専門知」になると思うのです。「カルテ」の間には時折、現場での調査のエッセンスが詰まったコラム「待合室の小ばなし」も挟みました。
このように、この本が「モヤモヤを抱える現代人が、専門知をもつ先生方と出会い、お話を聞くうちに心が軽くなる場」になれば、というのが私の願いです。しかも、旅してきた先生方のお話によって読者のみなさんも旅したような気分になり、新しい視点を得て前向きになれる、そんな「旅するモヤモヤ相談室」です。この相談室での出会いが、少しでもみなさんの人生を明るく照らすためのお役に立てればと願っています。
それでは、旅をお楽しみください!
目次
まえがき 旅するモヤモヤ相談室へようこそ
第Ⅰ部 毎日を元気に過ごすための処方箋
カルテNo.1 「私、自分に自信がないんです……」文化人類学@タンザニア 小川さやか
カルテNo.2 「幸せって何か、わからなくなっちゃって……」フィールド医学@ブータン 坂本龍太
カルテNo.3 「あの人、何を考えているのか本当にわからなくて……」文化人類学@インド、ガーナ 石井美保
カルテNo.4 「神経質で、細かいことを気にしちゃうんです……」イスラーム学@エジプト 東長靖
コラム 待合室の小ばなし1「人に話を聞くということ」 菊地暁
コラム 待合室の小ばなし2「現地の知恵を学ぶこと」 田原範子
第Ⅱ部 ピンチをチャンスに変えるための処方箋
カルテNo.5 「地元が過疎でピンチ!」災害復興学@新潟 宮本匠
カルテNo.6 「環境が過酷でピンチ!」文化人類学@キリバス 風間計博
カルテNo.7 「住まいがなくなってピンチ!」建築学@スリランカ 前田昌弘
コラム 待合室の小ばなし3「役に立つ呪術・妖術」小川さやか
コラム 待合室の小ばなし4「ドライな人間関係」松田素二
第Ⅲ部 よりよい社会のための処方箋
カルテNo.8 「差別がない社会を作るには?」文化人類学@インド 岩谷彩子
カルテNo.9 「誰もが生きやすい社会を作るには?」歴史学@ドイツ 藤原辰史
カルテNo.10 「がんばりすぎない社会を作るには?」文化人類学@イタリア 松嶋健
カルテNo.11 「日本を元気にするには?」公共政策@日本 広井良典
カルテNo.12 「地球を元気にするには?」人類学@コンゴ民主共和国、ガボン 山極壽一
コラム 待合室の小ばなし5「私の読書術」 藤原辰史
コラム 待合室の小ばなし6「モチノキの教え」 菊池恭平
あとがき 相談後も、お大事に!