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『自閉症が文化をつくる』はじめに

 近年、自閉症という言葉はかなり広く知られるようになりました。自閉症者である東田直樹の著作『自閉症の僕が跳びはねる理由』はベストセラーになり、二〇一六年に文庫本となって(KADOKAWA刊)、夏休み読書お薦め本として取り上げられました。ところがこの本が最初に出版されたのは二〇〇七年でした(エスコアール刊)。出版当時、発達障害に関心を持っていた人々からは注目されましたが、現在のような広範な関心を惹いてはいませんでした。時代が変わり人々の意識が変わったのです。
 一九九〇年代頃から日本のマンガ・アニメにおいて、他者感情の読みとりや自己感情の表出が苦手な無表情キャラが魅力的な存在として目立ってきました。その多くは、私たちとは別の世界と何らかの関わりを持つという設定でした。今から振り返れば、その姿は自閉症的に見えます。アニメ制作者が意図的にそういう人物造形を行ったようには思えませんが、少なくとも、サブカルチャーを享受する側にそういう感受性が高まってきたのかもしれません。従来から、諸ジャンルの天才たちが個人的に心の問題や障害を抱えているという物語に私たちは親しんできましたが、近年そこに発達障害が新たなテーマとして登場するようになっています。
 自閉症に対する人々の注目が高まっているのは確かです。その一方で、自閉症者とその世界が生き生きと身近に感じ取られているのかというと、必ずしもそうではないでしょう。この一〇年間、発達障害に関する用語が変遷を繰り返してきましたが、それは、急速な研究の進展の結果だとも、逆に、十分な理解が未だに確立していないためだとも言えます。医学・福祉・教育・文化・科学技術・社会など諸領域を横断し続けているのが、自閉症を始めとする発達障害の世界です。
 本書に登場する人々は有名人ですが、全員が自閉症的だと私が思っているわけではなく、まったくそう思わない人物も少なからずいます。だからこそ、個人として発達障害を持っているかどうかにかかわらず、生み出された文化に自閉症的特徴を読みとれるのではないか、そしてそれを一つの文化のあり方として主張しうるのではないかというのが本書の立場です。人間文化には、時と場所を超えて自閉症的側面があるのではないか、言い換えれば、自閉症的であることは、何かの単純な欠如(例えば、社会性の欠如)ではなく、「健常」とは別様の一形態と見た方が適切なのではと考えてみたいのです。
 そのような見方によって、障害者としての「生きづらさ」が解消するわけではありませんが、生きづらさを一つの文化として昇華させることもありうるように思えます。生きづらさ自体は容易には他者から共感されません。しかし、生きづらさとともに生み出された文化ならば、ある種の共感を呼び覚ましやすいという潜在力を持つのではないでしょうか。

 以下、簡単に全体の内容を紹介します。第1章では、全体への導入として、互いに無縁とも思える二つの文化を取り上げます。しかし両者には奇妙な共通点があり、それをつくりあげた二人の人物の人生にも奇妙な共通点があるようです。第2章では、これらの二つの文化を結びつける鍵として「常数としてのマニエリスム」という考え方を紹介します。そこからさらに想像をたくましくして、自閉症の諸問題へと進んでいきます。数十年前から展開されてきた「常数としてのマニエリスム」論の中では既に「自閉症」という言葉が登場していました。第3章では、自閉症について基本的な解説を行います。自閉症の特性については現在も研究途上ですが、その分析視角は、人間のあり方それ自体に触れているように思われます。第4章では、自閉症的な性質を持つ文化をあえて「自閉文化」と呼ぶことによって、広範な対象を扱う文化論のキーワードを模索していきます。
 第5〜14章では、ここまでの視点を組み合わせて、有名な文化作品とそれを生み出した人々を、自閉文化の視点から論じていきます。そのような視点をとることで、普通は結びつかない諸文化間に補助線が引かれ、ネットワークが構築されることを目指しています。それらの交差点となるのは、「常数」としての自閉症という考え方です。
 第15章では、第6章の登場人物の一人、ルイス・キャロルに注目して、パラドクス論を展開します。「常数としてのマニエリスム」にとっても、常数としての自閉症にとっても、自己言及パラドクスは中心主題です。自閉症者の生活とは、自己言及のパラドクスを緩和することなく、文字通り生きることではないでしょうか。第16章では、身近な落語を媒介に「二つの世界」について取り上げて、自閉症者と定型発達者の間にも同じような二重性が成り立っているのではないかと考えてみます。少なくともある種の笑いは、二つの世界の境界面で起きるパラドクスから生み出されるように思います。第17章では、本書全体の流れとは別に、思い切って認知症の視点を導入してみることにします。今後、現代日本社会の日常について考える際に、認知症と自閉症は両方とも重要な位置を占めていくことでしょう。両方に共通しているのは、自己言及のパラドクスをどうよく生きるかというテーマなのです。

 本書では、普通では横並びにならないような人々や文化が自閉症という一つの視点と関連づけられて取り上げられます。もちろん、「○○と△△とは似ている点がある」というアナロジーの視点には、怪しげな面があることは否定できません。ですが本書では、このアナロジーの視点を字義通りに受け取ろうと思います。本書で重要なキーワードの一つは(常数としての)マニエリスムですが、マニエリスムにとってアナロジーは大切な役割を果たしてきました。アナロジーの乱用は、学問的厳密さから言えばいろいろと問題がありますが、思い切った想像力が発揮できる恰好の場でもあります。本書がそのような場をつくりあげられていれば幸いです。


目次

はじめに

第1部 自閉症がつくる文化

 第1章 若冲からチューリングへ
 第2章 常数としてのマニエリスムと自閉症
 第3章 自閉症とは何か
 第4章 「自閉文化」の特徴

第2部 世界はそもそもパズルである

 第5章 迷宮と蒐集──ルドルフ二世とアルチンボルド
 第6章 「不思議の国」は「驚異の部屋」──ルイス・キャロルとアリス
 第7章 名探偵・妖精・心霊──コナン・ドイルとホームズ
 第8章 点と線──エリック・サティの奇想の音楽
 第9章 缶詰が並んでいる──アンディ・ウォーホルの凍りついた宇宙
 第10章 パズルと対位法──グレン・グールドの録音スタジオ
 第11章 マシンと夢──村上春樹のジグソー・パズル
 第12章 コンビニ空間──村田沙耶香と「世界の部品」
 第13章 「おひとりさま」の可能性──上野千鶴子の「離脱の戦略」
 第14章 ゲームと機械──榎宮祐のライトノベル異世界

第3部 ずれた世界でよりよく生きる

 第15章 『アリス』のパラドクス──自己言及を字義通り生きる
 第16章 笑いのワンダーランド──二つの世界
 第17章 自閉症から認知症へ──プロセスと崩れ

おわりに

参照文献一覧
人名索引

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著者略歴

  1. 竹中 均

    1958年生まれ。
    早稲田大学第一文学部社会学専修卒業、
    大阪大学大学院人間科学研究科社会学専攻博士後期課程単位取得満期退学。
    博士(人間科学)。
    現在、早稲田大学文学学術院教授。
    専攻は理論社会学、比較社会学。
    著書として、
    『柳宗悦・民藝・社会理論──カルチュラル・スタディーズの試み』明石書店、1999年、
    『精神分析と社会学──二項対立と無限の理論』明石書店、2004年、
    『自閉症の社会学──もう一つのコミュニケーション論』世界思想社、2008年、
    『精神分析と自閉症──フロイトからヴィトゲンシュタインへ』講談社、2012年、
    『自閉症とラノベの社会学』晃洋書房、2016年、
    『「自閉症」の時代』講談社、2020年、
    がある。

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