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『スポーツが愛するテクノロジー』序章

スポーツ、遊び、ゲーム、そしてルール

 本書はスポーツについて考える。

 スポーツはおよそ一九世紀にそれらしい形を整えた。身体競技そのものはそれよりずっと古い歴史を持っているし、スポーツという言葉自体も一九世紀よりも古くからあった。そのため、しばしば研究の世界では近代スポーツという言い方を用いて、いまわれわれがスポーツとして呼び習わしている一九世紀生まれのものを古い身体競技と区別することがある。本書ではスポーツとシンプルに呼ぶこととするが、それは近代スポーツのことである。

 そのスポーツは二一世紀のわれわれの社会で大きな存在になった。世界的な規模の大産業となり、多くの関連する業界を抱えている。ウェアや用具類などはスポーツ業界で名前のよく知られた昔からの企業が並んでいる一方で、耳慣れない企業名も増えている。世界規模で選手がチーム間を移籍するようになると、新たに選手のスカウティング情報を売る会社が登場したし、試合の分析や日頃のトレーニングのためのテクノロジーを提供する会社もある。審判技術を売る会社もある。また、スポーツの技術の進歩がもたらす特有の病態に対処するための医療技術も生まれ、進歩している。トミー・ジョン手術は野球なしには生まれなかったかもしれない。医療産業はドーピングという負の面も含めてスポーツに関連する産業の一つになっている。

 スポーツの存在の大きさは経済的な面だけでは説明できない。スポーツは成長するにつれて、政治との関わりを深めてきた。「スポーツと政治は別」と言われ続けてきたが、ずっと政治的だったし、狭い意味でも政治に関わっていた。オリンピックが掲げたアマチュアリズムは階級社会を背景にした労働者差別を内包し、初期のオリンピックは女性の参加を拒むための理由を考え続けていた。独裁者たちはしばしばスポーツに積極的に関与した。ベニート・ムッソリーニはサッカーイタリア代表「アズーリ」をサポートし、フランシスコ・フランコはレアル・マドリードをサポートする一方、FCバルセロナのクラブ名称とエンブレムを変えさせた。東西冷戦の頃、スポーツと政治の関係は公然のものとなり、国際オリンピック委員会(IOC)はステート・アマなる概念を創出した。いまやオリンピックやワールドカップのようなメガスポーツイベントの成否には開催国の威信が賭けられるのが当たり前になり、開会式や閉会式には国家元首たちが臨席する。

 もちろん、言うまでもなく、スポーツは娯楽としても大きな存在である。スポーツはしばしば人々から感情のコントロールを奪う。他ではそうそう得られないような高揚感、多幸感から喪失感、失望に至るまで、スポーツは人々に与えてしまう。それを味わうのは競技者だけではない。見ている者もいっしょに味わう。文学や映画、マンガなどのジャンルもわれわれにさまざまな感情を経験させてくれるが、スポーツの場合はその集合性と同時性に固有の特徴があるだろう。

 このようにいまやスポーツは多くの領域にまたがる多様な現象を伴った巨大な事象である。それゆえ、スポーツをテーマにするといってもそれだけでは本当のところ何がテーマなのかよくわからないことになってしまうので、もう少し詳しく述べねばならない。本書が中心的に扱うのはスポーツにおけるルールのあり方とその適用についてである。

 

 われわれは、自分の行為がいったいいかなるものなのかということをよくわかっていない。よくわかっていないから、人間の行為のあらゆることがらが研究対象となり、学問になる。たとえば、われわれは働く、消費する、生産する、売買する等のさまざまな経済活動を行っている。それらがいかなるものでどのような連関を持っているのか、なぜそのような活動が人間のなかで浸透しているのかをよく知らない。だから、経済学がある。経済学以外にも多くの人文系社会科学系の学問がある。それらはさまざまな人間の営みを探究する学問であるが、それだけ人間の営みが人間自身にとって謎だらけなのだ。

 スポーツも例外ではない。われわれはスポーツという営みがどういうものかよくわかっていない。もちろん、ある水準では理解できる。勝ってうれしい、あのプレイはすごかった、次はこんなトレーニングをすればもっとうまくなるだろう等々。しかし、スポーツという営みについての謎はそれより少し奥にある。

 たとえば、言葉としてはよく知られているフェアプレイとは何かというシンプルな問いですら答えは難しい。いくつかの競技は体重別で行われる。それは体重差がアンフェアだと考えられているからだが、なぜか身長差で行われる競技はない。走り高跳びは身長差を結果に反映させないが、そのことはフェアなのだろうか。スポーツとそうでないものの線引きも簡単そうでなかなか難しい。新体操をスポーツだと考えるわれわれはどうしてバレエコンクールをスポーツだと考えないのだろう。身体運動の激しいバレエコンクールをスポーツと考えないわれわれは、運動量の少ない射撃をスポーツだと考えている。ついでに言えば、暴力に反対し、開催期間中の停戦を呼びかける一方でオリンピックが射撃競技を実施し続けるのはどういうことだろうか。もっと素朴で深い謎もある。なぜ、われわれはスポーツの試合をするのだろう。試合に勝つとはどういうことなのだろう。試合を見るとはどういうことだろう。こうしたことに答えられる人がどれぐらいいるだろうか。われわれはスポーツを知っているが、よくわかってはいないのである。

 もう少し詳しく、本書の方向性を説明しておこう。本書はスポーツという巨大な事象が抱える多くの謎の一端を、ルールを手がかりに考える試みである。スポーツにはルールを手がかりにすることではじめて切り開ける何かがあるはずなのだ。もちろん、ルールを手がかりにするというのは、ただの直感に導かれたわけではない。

 『遊びの社会学』の著者井上俊は最初の章「ゲームの世界」において、ゲームを「ルールに支配される競争の遊び」とゆるやかにくくった(井上 1977: 4)。なるほど、たしかにルールと競争を含んだ遊びというのはゲームっぽい。もっとも、最近ではゲームというとコンピュータをベースにしたゲームがイメージされがちなのでこのくくり方では物足りなく思われるかもしれない。同書はNintendoがまだ任天堂だった頃に書かれたのでその点の時代的制約を言っても始まらない〈注1〉。それよりも「ルールに支配される競争」とはほとんどそのままスポーツにも当てはまるという点に注目したい。「身体運動に基づく」という一言を添えればそのままスポーツのことを言い表せそうではないか。

 一方で、ゲームというカテゴリーはコンピュータゲームの登場と普及によってその範囲を大きく拡大した。その結果、競争的ではないものもゲームと呼ばれるようになった。『SIMCITY』や最近では『MINECRAFT』などがよく知られる。ゲームはいまや広大な範囲のものを大きく名指す言葉になっている。そこで、次のように考えられるだろう。すなわち、まずはもっとも広い「遊び」というカテゴリーがある。遊びのうちに「ゲーム」というカテゴリーがあり、さらにそのなかに、「スポーツ」というカテゴリーがあるという具合である。「遊び/ゲーム/スポーツ」という順にカテゴリーは限定されていく。もし、この通りなら、スポーツはゲームであり遊びであるということになりそうだ。すると、遊びとは何かということについて少し考えておく必要があるだろう。

 遊びについて何かしら定義めいたことを語るには、歴史家ヨハン・ホイジンガをまずは参照し、ついで、ホイジンガを批判的に継承したロジェ・カイヨワの定義や分類を見ていくのが定石であろう。すなわち、ホイジンガの遊びの三つの形式的特徴(自由な活動、日常から離脱した独自の虚構、時空間の限定)から、カイヨワの六つの定義(自由な活動、隔離された活動、未確定の活動、非生産的活動、規則のある活動、虚構の活動)と四分類(アゴン=競争、アレア=偶然、ミミクリ=模倣、イリンクス=めまい)に進むルートである。しかし、そうした定番のルートを通過する手間を省き、一点だけ確認するにとどめよう。それは、ホイジンガの議論が遊びの独自性を強調するあまり、遊びを限定的に捉える傾向や過度に実体的に捉える傾向があったという点である。

 『ホモ・ルーデンス』の最終章にある「スポーツは遊びの領域から去っていく」と題された節でホイジンガは、競技を職業とするプロ選手はもはや遊びとしてのスポーツをしていないと批判的に書いている(ホイジンガ 1973: 399)。これはホイジンガがまさに遊びを限定的に捉えすぎたことによる誤解である。カイヨワはホイジンガのこうした点について「「過去を賛美する人」の目の錯覚」(カイヨワ 1990: 303)と批判している。カイヨワ自身は遊びを限定的に捉えたわけではなかったし、また実体的に考えたわけでもなかった。そのカイヨワを発展的に継承した井上は、他の学問分野の文献を渉猟しつつ遊びを分析視角として社会学に持ち込み、すでに知られた社会学の諸概念と遊びを関連付けたうえで、それが世界そのもののパースペクティブとなりうる可能性を論じた。その議論には遊びを限定的に捉えようとする傾向はもちろん、実体的に捉えようとする傾向も見られない。こうした井上の遊び論は、遊びを言語や神話のように「世界のうちに存在するモードの一種である」(シカール 2019: 16)とする二一世紀の気鋭のゲーム研究者ミゲル・シカールの見方を先取りしていただろう。シカールは「わたしは、遊びを、現実や仕事、儀式やスポーツと対置するつもりはない。というのも、遊びはそうしたものすべてに見いだせるものだからだ」(シカール 2019: 16)と述べ、遊びを実体的に捉える傾向に批判的な姿勢を強調している。

 井上がゲームを「ルールに支配される競争の遊び」とシンプルに表現したのと同様に、シカールも「遊びのミニマルな定義」を試みる。もっともシカールの場合はミニマルと言いながら、そこから七つもの定義が並んでいくことになるのだが。それはさておき、その七つのうち最初の定義としてシカールが挙げたのは「遊びは文脈に依存する(contextual)」というものであった(シカール 2019: 22)。

 遊びと文脈の関係の深さはよく知られている。哲学者クルト・リーツラーが「ゲームは文脈であり、その文脈のなかにあってチェスのクイーンはクイーンそのものになる」と書いたのは一九四一年で『ホモ・ルーデンス』の三年後、一九五八年に出版されたカイヨワの『遊びと人間』より一七年前のことだった(Riezler 1941: 505)〈注2〉。それだけ、遊びと文脈の関係の重要性は古くからずっと認識されてきたものだった。

 遊びと文脈の関係について説明しておこう。遊びの文脈の外にあるとき、チェスや将棋の駒があっても何の意味もない。たまたま部屋に片付け忘れたキングや王将が落ちていてうっかり踏んでしまったら、その痛さに憎しみを覚え、手にとってどこかに投げ捨ててしまうかもしれない。しかし、遊びの文脈の中にあるときのキングや王将はきわめて重要なものであり、絶対に失ってはいけない大切なものになる。また別の例で、二人の人が殴ったり、取っ組み合ったりしていたとしよう。遊びの文脈の外であれば、これはケンカであり暴力沙汰であるが、遊びの文脈の中であれば、それは何かの格闘技のトレーニングか試合である。モノも行為も文脈の中にあるか外にあるかでまったく違ったモノになり、違った行為になる。「遊びは文脈に依存する」とはこういうことだ。

 文脈は遊びを語るうえで基本用語の一つである。ただし、二一世紀のゲーム研究者が「遊びは文脈に依存する」と言うとき、それはもう少し詳しい中身を伴っている。「遊びの文脈は、人間、ルール、話し合い、場所、物からなる乱雑なネットワークである」(シカール 2019: 25)。シカールは遊びの文脈がどのようなもので、何から作られるのかを考えた。「乱雑な」という見立てがまさに遊びらしい。そして、その「乱雑なネットワーク」の鍵こそルールであった。「ルールは、遊びの文脈を作り上げるとともに、それが遊びの文脈であるという理解を共有することを可能にする形式的な道具である」「遊びはルールから生まれ、ルールによって媒介され、ルールを通して位置づけられる」(シカール 2019: 25)。自らの分析を「ホイジンガ的な遊び論の系譜につらなるものではない」(シカール 2019: 16)と強調するシカールにとっても、「どんな遊びにも、それに固有の規則がある」(ホイジンガ 1973: 37)と書いたホイジンガと同じく、遊びを遊びにするのは、結局ルールなのである。

 そもそもスポーツを内包するもっとも広いカテゴリーである遊びからして鍵はルールなのだ。ゲームもスポーツもその中心にはルールがある。あるとはいっても、そのあり方は多様である。「いないいないばあ」のルールはとてもぼんやりしているだろう。「大富豪(大貧民)」のようなゲームでは「8切り」「何それ?」というやりとりに見られるように、適用されるルールがプレイ中に事後確認されていくこともある。コンピュータゲームでは、そのゲームで可能なこと(設定)がルールになる〈注3〉。そして、スポーツでははじめからルールが明文化されて示されている。そして、ルールを正しく適用するための第三者(審判)も置かれている。

 そういうわけで、スポーツをルールから考えるというのは、遊びとしてのスポーツに思いを馳せつつ、スポーツであることのうちでルールがいかなるあり方をし、それがスポーツに何をもたらしているのかを考えることである。本書では主に、二つの点でルールに注目する。一つはルールがどのようにスポーツを作るのかという点(第1、2、3、4章)。もう一つは、ルールがどのようにスポーツに適用されるのかという点(第5、6、7、8章)である。最後の章では、ルールが無効化した擬似的なスポーツであり、遊びとスポーツの間にあるようで、かといってゲームとも呼べないものを取り上げる(第9章)。最後のこの章は本書のそこまでの考察の裏面を支えるものとなるはずである。

 ところで、ゲームとスポーツの関係は、二一世紀になってから面白いことになってきている。日本でもそれなりに知られるようになった「eスポーツ」の広がりである。ゲーム概念のいまや中心を占めようかというコンピュータゲームが、ゲームではなくスポーツを名乗っている。このことはゲームとスポーツの関係が単純な広い狭いという関係ではなく、経済的な価値、道徳的な価値などと絡み合ったものであることをかいま見せている。コンピュータゲームばかりではなく、囲碁やチェスのことをマインドスポーツと呼ぼうという流れもある。古典的な頭脳ゲームであるこれらがわざわざ近代的なスポーツの名前を借りようとするのも面白い現象であろう。スポーツの概念もゲームの概念も歴史の流れとともに伸縮変容するのであり、固定的に捉える必要はない。とはいうものの、ゲームのなかから多方面でスポーツという名前を求めるという、捻じれとも取れる動きが生じている現在だからこそあらためて、遊び、ゲーム、スポーツに共通するルールという手がかりから考える意味があるはずである。

注〈1〉 任天堂は二一世紀になってもずっと任天堂株式会社なので、Nintendoではないことは承知している。
 〈2〉 リーツラーの論文については井上の『遊びの社会学』を通じて知った。同書にもこの部分の引用がある。
 〈3〉 可能ではあるが、一種のバグのようなものを利用したハメ技などは禁止される場合もある。

*文中に引用されている文献については、本書をご覧ください。

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著者略歴

  1. 柏原 全孝

    1967年生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科単位取得退学。
    現在、甲南女子大学人間科学部文化社会学科准教授。
    主 著
    『都市的世界(社会学ベーシックス4)』、
    『コミュニケーション社会学入門』(いずれも世界思想社、共著)、
    『よくわかるスポーツ文化論』(ミネルヴァ書房、共著)、
    「テクノロジーを愛するスポーツの現在地点」(『Fashion Talks…』Vol. 12 AUTUMN 2020、京都服飾文化研究財団)など。

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