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『基礎ゼミ 社会福祉学』はじめに

 

社会福祉学って、なんですか?

 最近、単純で素朴な疑問ほど、答えることが難しいとつくづく思います。社会福祉学についてもそうで、「社会福祉学って、なんですか?」という質問をされると、その回答に躊躇してしまうことがよくあります。それは、簡単そうで、意外に難しい質問だからです。

 社会福祉学のテキストは、初学者にはとっつきにくいものが多いように感じます。私もそのような本を書いていますので、少し反省しています。ただ、言い訳に聞こえるかもしれませんが、そこにはそれなりの事情もあります。というのも、テキストでは、その「網羅性」や「普遍性」を追求して書かなければいけないといった前提があるからです。そうすると、どうしても、漏れがないように、ズレがないようにと気を遣うことになります。

 本書を企画した際にも、そのような悩みがありました。編者の間でも、「「社会福祉学」と銘打った本なので、従来の社会福祉学の要素を漏れがないように書かなければならないのではないか」「それでは、これから社会福祉学を学ぼうとする初学者が興味を持ち、理解を深めるような内容にならないのではないか」といった議論を交わしました。

 その結果、本書では、従来のテキストで求められるような社会福祉学の「網羅性」や「普遍性」にこだわらない構成とすることにしました。ですので、社会福祉学においてオーソドックスな、貧困と排除、障害者福祉論、高齢者福祉論、あるいは児童福祉論といった各論分野、そして、それらの分野で活用される援助のあり方を論じる「援助・技術論」、社会的なシステムのあり方を論じる「制度・政策論」、そしてその中間的な位置づけにある「運営論」といった総論分野を包括的に説明する枠組み(図1)をとっていません。

「生きづらさ」のリアリティ

 本書では、そのような一般的な構成をとらず、特に各論分野において、社会福祉学で想定される「生きづらさ」を抱える人のリアリティと、それらの人を支えるかかわりに着目しました(図2)。このような従来とは異なる枠組みをなぜ採用したのかについては、終章で説明しています。

 「生きづらさ」は比較的新しい言葉で、本格的に使われるようになったのは2000年に入ってからではないでしょうか。「生きづらさ」の特徴は、それを抱える個人のこころだけではなく、その人の社会環境にも目を向けて問題を見出すところです。その個人と社会環境との「齟齬」に注目する言葉といってもよいかもしれません。

 最近、新聞の「読者の声」欄のある投書に目が留まりました。京都で生活する筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患った女性が、2名の医師に対して殺人を依頼したとされる嘱託殺人事件に関するものです。ALSは、個人差がありますが、運動神経系が少しずつ機能しなくなり、呼吸筋を含めた体の筋肉が徐々にやせて使いにくくなっていく病気です。この投書は、本人もALS患者である舩後靖彦参議院議員が、先の事件を受けて、「私も当初は「死にたい、死にたい」と思っていた。しかし患者どうしが支えあうピアサポートなどを通じ、自分の経験が他の患者の役に立つと知り、生きることを決心した。「死ぬ権利」よりも「生きる権利」を守る社会にしていくことが、何よりも大切」と語った記事(『朝日新聞』2020年7月24日朝刊)を受けてのものです。

新聞の「読者の声」
主婦 Aさん(大阪府 64)

 三つ上の姉は4年前の7月、ALSと診断され、わずか2年でこの世を去った。
 人は性格や顔が違うようにALS患者もいろいろな考えがある。前向きに生きられる方も多いと思う。姉は、在宅で生きるのが希望だったのだ。しかし、歩くことが出来なくなり、話せなくなり、食事もとれなくなった。本人とALS発症後に結婚したパートナーが同意し、「なんとか在宅で」と胃ろうや気管切開をしたが、医師らからは「在宅では無理」と言われた。私はネットで情報を調べたがわからず、諦めるしかなく、病院を三つかわった。
 記事に「生きることを支えるのが医師の務め」とあったが、医師は忙しい。せめて相談に乗ってくれる窓口や専門家の紹介が欲しかった。一日中ベッドの上で体を動かせず、寝返りもできず、意識だけはっきりしているのに、おしめをされる。どんなにみじめだったろうか。お姉ちゃん、ごめんね。何もできなくて。

(「ALSの姉、在宅かなわなかった」『朝日新聞』2020年8月7日朝刊)

 
 この投書のきっかけとなった嘱託殺人事件のように、ALSを患う人の命を奪う権利は誰にもありません。まず、この点はしっかり確認しておきたいと思います。ただ同時に、私自身、社会福祉学の研究者でありながら、ALSを患う本人やその家族のつらさや苦しみについて、どれほど理解できていたのだろうかと考え込んでしまいました。

 また、ある会議に出席したときに、障害のある当事者の方から、「健常者は、障害者のつらさを十分に理解していない。ただ、それと同じか、またそれ以上に、障害者の生活における豊かな楽しさ、喜び、そして幸せのリアリティをわかっていない」という意見をもらいました。ここで紹介した嘱託殺人事件の後に、ある自治体首長から「尊厳死の議論を進めるべきだ」との声が上がったり、SNSで「ある意味、ALS患者の方は大変だからやむをえなかった」や「医師にも同情する」といったコメントがあったことも受けての発言だったようです。これらの意見には、「ALS患者はかわいそうだから、そのようなことは仕方ないのではないか」といった本音が見え隠れします。それ以前に必要であったと思われる社会による「生きる権利」を守るための対応にはほとんど言及されていません。

 その当事者の方は、健常者というマジョリティの立場での勝手な判断に対して、一石を投じたかったのだと思います。障害のある人が直面する「生きづらさ」への理解だけではなく、日常生活においてその人たちが享受する「楽しさ」や「幸せ」についても、私たちはよくわかっていないのかもしれません。
 
 話を「生きづらさ」に戻します。先の嘱託殺人におけるALS患者と同様に、私たちのまわりには、このような「生きづらさ」に直面する人が多くいます。たとえば、新聞やニュースで、子どもの貧困、老老介護、障害者虐待、孤独死といった問題を目にしたことがあるかもしれません。また、私たち自身も、そのようなつらさや苦しみを知らず知らずに抱えているのかもしれません。ただ、そのことを私たちは知っているようでよく知らないようにも思います。

「生きづらさ」とそれを支える営みを読み解く3つの枠組み

 本書では、そんな「生きづらさ」のリアリティとそれに対する社会の取り組みを通して、社会福祉学の輪郭をおぼろげながらでも描き出したいと思います。そこで、第Ⅰ部〈生きづらさのリアルに迫る〉、第Ⅱ部〈「排除」のある社会を問う〉、第Ⅲ部〈支えるという営みを考える〉という三部構成としました。そのため、少し「新しい」社会福祉学のテキストになっているかもしれません。
 
 具体的には、第Ⅰ部では、私たちが知っているようで知らない、子どもの貧困、周縁化集落、認知症のある人、人身取引に関係した「生きづらさ」について、各執筆者の独自の視点で読み解きます。

 第Ⅱ部では、日常生活であまり関心を払っていないかもしれない、けれども、私たちの社会において存在する「排除」の実態を明らかにします。そこでは、人が活用できる資源の不足そのものではなく、それをきっかけに、社会における仕組みから脱落し、人間関係が希薄になり、その結果として、社会の一員としての存在価値を奪われていく「社会的排除」の様相を描き出します。

 そして、第Ⅲ部では、「生きづらさ」とそのような状況に直面した人を支えるかかわりについて取り上げます。社会福祉学が「実践の学」と称する所以ともいえる支える営みを、その「生きづらさ」とともに考えてみます。

 また、初学者のためのテキストであるとはいえ、「社会福祉学」の本でもあります。そこで、これら3つの枠組みに沿いながら、他の学問分野ではなく「社会福祉学」を主たる領域とする研究者にこだわって執筆をお願いしました。ただ、それぞれの執筆者に対して、各テーマについての網羅的な解説をお願いしていません。それよりも、社会福祉学の研究者である執筆者の得意な切り口でもって、それぞれのテーマを自由に論じてもらうように依頼しています。

本書の目的

 このような想いで企画された本書の目的の一つは、それぞれの執筆者の研究や教育における試行錯誤の経験に基づき、「問いを発見する」「問いにしたことを調べる」「調べたことを考察する」といった手順を、一つの事例として提示することです。そして、これを参考にしながら、読者が自分で社会福祉学における研究に取り組んでもらえればと思っています。

 もう一つの目的は、本書をきっかけとし、読者の皆さんが「社会福祉学」という学問の扉を開くことで、その枠組みをおぼろげながらでもイメージしてもらうことです。そのため、各章内に個人ワークとして【ワーク1】【ワーク2】を、グループワークとして【ワーク3】を設定し、巻末にワークシートをつけました。ただ、それらのワークに取り組まない場合であっても、それぞれのテーマについて「読み通す」ことができる章構成になっています。これらの章を通読することで、社会福祉学の枠組みを少しでもつかんでもらい、また、そこで着目する「生きづらさ」が私たちの身近に存在するものであり、みずからもその「生きづらさ」にかかわる社会の一員であることに気づいてもらえればと思います。

 そして、各章の執筆者の問いや解説を参考にして、最終的には、読者みずからワークに取り組むことで「自分ならこう考える」「自分ならここをもっと知りたい」と社会福祉学への興味関心をさらに広げてもらうことを編者一同願っています。

編者を代表して 與那嶺 司




目次

はじめに

序 章 「生きづらさ」とは何か?
 ――生きづらさに向きあう実践の学(與那嶺司)

第Ⅰ部 生きづらさのリアルに迫る
第1章 夏休みにやせる子どもがいるのはなぜ?
 ――子どもの権利、格差、子どもの貧困(谷口由希子)
第2章 集落に住みつづけるのはなぜ難しい?
 ――コンパクトシティ、周縁化集落、地域住民のエンパワメント(渡辺裕一)
第3章 認知症になると何もわからなくなるの?
 ――認知症、意思決定支援、権利擁護(綾部貴子)
第4章 なぜ人がもののように売られるの?
 ――人身取引、児童労働、外国人労働者の搾取(南野奈津子)

第Ⅱ部 「排除」のある社会を問う
第5章 なぜ路上で暮らす人がいるの?
 ――居住、貧困、社会的排除(野田博也)
第6章 障害者はなぜ施設に住んでいるの?
 ――優生思想、出生前診断、脱施設化(岡﨑幸友)
第7章 好きになる性は異性だけなの?
 ――性的マイノリティ、異性愛主義、パートナーシップ制度(柳姃希)
第8章 虐待された子どもはどうなるの?
 ――社会的養護、子ども虐待、ライフチャンス(永野咲)

第Ⅲ部 支えるという営みを考える
第9章 罪を犯した人は幸せになっていいの?
 ――地域生活定着促進事業、ソーシャル・スキルズ・トレーニング、幸福追求権(木下大生)
第10章 被災者の命と暮らしをどう支えるのか?
 ――被災者支援、危機介入、レジリエンス(山本克彦)
第11章 難民の暮らしは誰が支えるの?
 ――在留資格、人間の安全保障、グローバル・イシュー(添田正揮)
第12章 多文化共生社会にどう向きあうべきか?
 ――マイノリティ、同化政策、脱植民地化思考(岡田ヴィンス)

終 章 これからの社会福祉学はどうなるの?
 ――変わりゆく社会で人々が幸せに生きるために(渡辺裕一)

ワークシート
巻末資料
引用文献
索引

 

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著者略歴

  1. 與那嶺 司

    武庫川女子大学心理・社会福祉学部教授。主著に『日常を拓く知6 支える』(編著、世界思想社、2016年)、『障害者福祉』(共編著、ミネルヴァ書房、2021年)、『日常を拓く知 古典を読む1 やさしさ』(共著、世界思想社、2017年)など。

  2. 渡辺 裕一

    武蔵野大学人間科学部教授。主著に『地域住民のエンパワメント――地域の福祉課題解決に働きかける地域住民のパワー』(北方新社、2006年)、『社会を動かすマクロソーシャルワークの理論と実践――あたらしい一歩を踏み出すために』(共編著、中央法規出版、2021年)など。

  3. 永野 咲

    武蔵野大学人間科学部准教授。主著に『社会的養護のもとで育つ若者の「ライフチャンス」――選択肢とつながりの保障、「生の不安定さ」からの解放を求めて』(日本社会福祉学会奨励賞(単著部門)・損保ジャパン日本興亜福祉財団賞、明石書店、2017年)、『子どもアドボカシーと当事者参画のモヤモヤとこれから――子どもの「声」を大切にする社会ってどんなこと?』(共著、明石書店、2021年)など。

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