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ジェンダーの視点からメディア論を学ぶ 『ジェンダーで学ぶメディア論』より

デジタル化と多様化が進むメディア。SNSを介したフェイクニュースやヘイトスピーチの広がり。それでもスマホを手放せない私たち。
メディアと社会の今をとらえるとき、「ジェンダー」は最適なレンズとなる。
メディア論の基礎をジェンダーの視点から学ぶ入門書『ジェンダーで学ぶメディア論』より、序章の一部を紹介します。


 1 なぜジェンダーの視点なのか?

 本書は、メディアやジャーナリズムをめぐる諸テーマと課題について、ジェンダーという視点からわかりやすく論じている。「メディア」や「ジェンダー」などの言葉に初めて触れる読者や、「メディア論」や「ジェンダー論」といった授業を受けたことのない学生にも理解できるよう、すべての章で身近な事例を取り上げつつテーマについて解説しているのが第一の特徴である。

 今日の社会において、もはやメディアなしでは生活が成り立たないと言えるほど、メディアは重要な役割を果たすようになった。それは、これまで情報の伝達や通信機能を果たしてきた新聞やテレビ、電話などといった伝統的なメディアに限った話ではない。デジタル技術が発達・普及したことによって、今日のメディアは単に通信や放送、コミュニケーションの手段であることを超えて、私たちの日常生活そのものに入り込んでいると言えるだろう。

 たとえば、写真の撮影や電車の乗り降りのとき、銀行とのやり取りや商品の売り買いの際、重要なデータの蓄積やそれらをやり取りする必要が生じたときなど、今や社会生活の多くの局面でメディアが情報と人々との間を仲立ちするようになっている。

 総務省の『令和三年 通信利用動向調査』によると、二〇二一年には世帯のモバイル端末普及率が九七・三%となり、若い世代だけではなく高齢者にいたるまで、そして男女の別なく日本に住むほとんどすべての人がモバイル端末などを利用してネットワークでつながれた情報を受け取り、自ら発信もしている状態である。したがって、情報機器の使用は日常化し、私たちはあふれかえるデータや情報に囲まれて暮らすようになったと言える。そのような日常のなかで、自分たちを取り巻いている「メディア」というものについて、私たちはどのくらい真剣に考えることができているだろうか。

 本書は、こうしたメディアの日常性という地点に立脚しつつ、さらに「ジェンダー」という視点からメディアについて学ぶところに第二の特徴がある。なぜなら、私たちを取り囲んでいる情報が誰によって、どのように作られているのか、メディア組織や情報産業とはどのようなものなのか、私たちは実際のところ、どのようなニュースや情報を、どこから得て、どのように利用し、さらに今日ではそれらを消費するだけでなく、どんなふうに発信もしているのか、といったメディアの仕組みや機能や構造に関わる疑問について考えてみる場合に、そこにはつねにジェンダー的な不均衡が隠されているからだ。ジェンダーという概念は、メディアについて考える際に、もっとも身近な事例となる。つまり、理解の「しかけ」であり「きっかけ」として使う──これが本書の一貫した特徴となっている。ジェンダーの視点からメディアについて学ぶことによって、私たちは個人の理想や夢や希望、ひいては社会のあるべき姿について新たな地点から構想してみることができるようになるはずだ。

 さて、書店や図書館で探してもらえばわかるように、これまでにも数多くのメディア論の教科書が刊行されてきた。「そうした蓄積があるにもかかわらず、どうして本書を編纂することにしたのですか?」──もしそんなふうに尋ねられたら、私たちは「すべての章で、ジェンダーの視点を取り入れることが必要と考えたからです」と答えることだろう。しかし、これまでに刊行された数多くのメディア論の教科書では、ジェンダー、あるいは女性に関する章は、多くの場合、後半の方に一章分だけ設けられているというような、周縁的な扱いに過ぎなかったのである。

 そもそも、日本の高等教育では、「女性」「ジェンダー」「多様性」といった概念は現在においてもまだ主流のテーマにはなっておらず、取り残された課題となっている。メディア論の領域でも例にたがわず、ジェンダー概念からメディアについて考える体系的な教科書はいくつかの例外を除いては刊行されていない。つまり、メディアに関する世界では、そもそも調査対象としての「メディア業界」がジェンダー不平等な構造になっているだけでなく、「メディア論」や「メディア研究」においても、男性の側から見た世界観、つまり社会の半分側からしか見ていない世界観を、あたかもそれがすべてであり全体像であるかのように考え、拡大、発展してきたと言えるのだ。

 しかし、そうであるからこそ、ジェンダーの視点は情報化社会の構造、ひずみ、課題を考察する際に用いるべき優れた拡大鏡となり、現代の情報化社会が抱える諸課題の所在を案内するナビゲーターになりうるのではないだろうか。たとえば、差別的な視点を含むCMに対するネットでの「炎上」や、Twitterによるヘイトスピーチやミソジニックな投稿、蔓延するフェイクニュース、あるいはアイドルやファン文化などは学生たちにも身近な話題だが、こうしたことは「ジェンダー」というレンズを通して見てみることで、あらためてその商業主義や権威主義、男性中心の嗜好とそれらへの対抗的な行為などがはっきりと浮かび上がるようになり、メディア特有の問題の諸相が明らかになっていくだろう。

 また、ジェンダー論の側から見ても、本書のようにデジタルメディアやジャーナリズム、ポピュラー文化からサブカルチャーにいたるまで、複数のジャンルを横断してメディア企業のあり方、あるいはメディア利用について問いかける本は、これまで十分に刊行されてきたとは言いがたい。その意味でも、本書はジェンダーの視点からメディアを学ぶと同時に、メディアの諸課題を具体的事例としながらジェンダーの問題について学ぶための最適な教科書であると言えるだろう。

2 「メディア」とは何か、「ジェンダー」とは何か

 本書において重要な言葉のひとつめは「メディア」だ。本書において、「メディア」として研究の対象としているのは、主に「マスメディア」と「デジタルメディア」の二つに分けられる。

 マスメディアは、相対的により多くの匿名のオーディエンスに情報やメッセージを届けるための機構として考えられ、新聞、雑誌、テレビ、音楽、映画などを含んでいる。マスメディアにおいて、情報の生産者/送り手と、情報の消費者/受け手は、ある程度、分離されていて、情報やメッセージはどちらかといえば、情報の送り手から受け手に向けて一方向的に流通されるものとして考えられてきた。しかし、この数十年の間に、マスメディアが中心を占めていたメディアの世界は社会的にも技術的にも大きく変化したと言えるだろう。

 現在、「メディア」としてもっとも活用されつつあるのは、デジタルメディアだ。デジタルメディアは、それまで個々バラバラのデバイスを使用して流通していたさまざまな情報(文字、音、写真、映像など)を変換可能なデジタルデータに加工することで、コンピュータを経由して瞬時に大量の情報を流通させることを可能にした。さまざまなデバイスに分かれていたそれまでのメディアは、たとえば電話・カメラ・映写機・財布・手帳などをひとつにまとめたスマートフォンのように、ひとつのインターフェイスとして融合し、それまでは比較的分離され、それぞれの位置を占めてきた情報の送り手と受け手を混在させるようになったのだ。

 デジタルメディアの技術が登場したことによって、私たちを取り巻くメディア産業、メディア文化は大きな転換期を迎えている。本書では、この大きな変化についても目配りしながら、メディアとジェンダーの新しい関係について考えていくことを課題としている。

 もうひとつの重要な言葉である「ジェンダー」については、すでに新聞やテレビでも目にすることが多くなり、学術的な言葉であることを超えて、ある程度、一般的な言葉として流通しているようにも思われる。しかし、この言葉の定義について、読者のみなさんはどのくらい深く理解しているだろうか。

 ジェンダーという言葉は、生物学的な観点から私たちに与えられている性別(それはほとんどの場合、「女性」と「男性」という二分化された「性別」であることが多い)と結びつけられ、社会的・文化的に構築された振る舞いや身振り、行動や役割を通じて、「女らしさ」や「男らしさ」を諸個人が内面化していくパフォーマティブなプロセスのことを示す言葉である。

 この言葉のもとになったのは、フランスの哲学者であるシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』(Beauvoir 1949=2001)のなかにある「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という重要なフレーズだ。この主張を発展させたのが、アメリカ合衆国の哲学者であるジュディス・バトラーである。バトラーによると、「ジェンダー」という概念は、規範的で、性別化された役割を求める社会の側からの期待や欲望やまなざしのなかで、私たち一人ひとりの人間が、外見や振る舞い、心的なものを含めて、ある性別を帯びた人間になっていくプロセスを示すものである(Butler 1990=1999)。では、この「規範的で、性別化された役割」を私たちに求めてくるものは、何なのだろうか。

 たとえば、家庭生活における両親や学校生活におけるクラスメートたちの存在は、私たちにある特定の「女らしさ」や「男らしさ」といった性別化された役割をつねにすでに求めてくる代表例であると考えられる。しかし、それ以上に私たちの外見や振る舞い、心的なものも含めて私たちに性別化された役割を示し、求め、押し付けてくる社会的な構造が他にもある。それは、メディアである。実際に、メディアの表象とそれが作り上げる文化、そして同時に、メディアの表象や文化を生み出すメディア組織や制度は、長い年月をかけて私たちの社会にはびこる規範化されたジェンダー観を生み出し、練り上げ、従うよう呼びかけ続けてきたと言えるだろう。

 しかも、メディアが私たちに呼びかけてくるのは、規範化されたジェンダーに関するものだけではない。本書のいくつかの章でも言及されているように、メディアとそれが生み出すイメージや文化は、セクシュアリティについても、異性愛(ヘテロセクシュアル)を規範的なものであるかのように考え、私たちにそれを内面化するよう呼びかけ続けているのだ。

田中東子


目次

序章 ジェンダーの視点からメディア論を学ぶ(田中東子)
 1 なぜジェンダーの視点なのか?
 2 「メディア」とは何か、「ジェンダー」とは何か
 3 本書の構成

第Ⅰ部 メディアの思想とジェンダー
1 表現の自由
――なぜフェミニズムの議論は表現の自由と緊張関係を持つのか(小宮友根)
 1 表現の自由とジェンダー
 2 「わいせつ」表現と性差別表現
 3 ステレオタイプな女性像――広告の場合
 4 ヘイトスピーチ
 5 何のための表現の自由か

2 メディアと公共性
――「公共性」未満を押し付けられてきた女性たち(林 香里)
 1 「公共性」とは何か
 2 民主主義思想から生まれる「公共性」概念
 3 「公共性」概念におけるジェンダー、ダイバーシティ視点の欠如
 4 「公共性」概念の限界、それでもなお残る希望

3 メディアと表象の権力
――日常を通じたジェンダーの生産(田中東子)
 1 表象とは何か
 2 なぜ表象が重要なのか
 3 メディア表象とステレオタイプ
 4 表象を通した女性の「モノ化」

第Ⅱ部 インターネット空間とジェンダー
4 SNSと政治
――デジタル時代の民主主義(李 美淑)
 1 SNS時代の政治とメディア
 2 SNSにおける多様な「声」の登場と拡散
 3 デジタル時代の新たな政治――フェミニズム運動と対抗的公共圏
 4 SNSは民主主義の敵か味方か――結束と分断のなかで
 5 ジェンダーの視点から考えるSNSの空間

5 巨大IT産業
――テクノロジーに潜むジェンダー・バイアス(阿部 潔)
 1 テクノロジーが映すジェンダー・イメージ
 2 アルゴリズムによる「偏り」
 3 IT産業によるジェンダー差別の再生産
 4 デジタル・テクノロジーの可視化に向けて

6  消費文化とブランド化
――ジェンダーを再階層化するランク社会(田中東子)
 1 SNSとランク社会
 2 メディア技術と文化の変容
 3 非物質的労働を通じた二重の搾取
 4 評価され、監視され続ける社会

第Ⅲ部 マスメディア、ジャーナリズムとジェンダー
7 マスメディア
――新聞社・放送局の歴史に見るオトコ(会社)同士の絆(北出真紀恵)
 1 マスメディア企業のジェンダー・ギャップ
 2 戦争と競争――新聞社の産業的発展と全国紙の寡占化
 3 テレビの登場と「メディア・イベント」
 4 ネットワークと「系列化」による東京への集中
 5 オトコ(会社)同士の“絆”――「全国紙・キー局」チームの独占的地位
 6 オンナたちからの問いかけ

8 ニュースとは
――報道が描く女性像(四方由美)
 1 ニュース価値とメディアの議題設定
 2 ニュースにおける象徴的排除と偏見
 3 インターネット社会におけるニュース
 4 犯罪報道の現在――女性はどのように報道されるか
 5 「報道被害」とネットミソジニー

9 メディアを使う
――オーディエンス論から考えるジェンダー・ステレオタイプの影響(有馬明恵)
 1 メディア×ジェンダー×オーディエンスの問題点
 2 社会・文化的装置としてのテレビ
 3 ジェンダー・性役割意識を培養するテレビ
 4 メディア利用の多様化と培養効果
 5 なぜオーディエンスはステレオタイプな描写の影響を受けるのか
 6 グローバルな課題としてのジェンダー・ステレオタイプ

第Ⅳ部 メディア文化とジェンダー
10 サブカルチャー論
――女性の抵抗文化とエンパワメントの循環(川端浩平)
 1 メインカルチャー/サブカルチャーを分かつ境界線の力学
 2 サブカルチャーとジェンダー秩序――自分の言葉で語ること
 3 ポストフェミニズム的状況と抵抗文化の変容――引き継がれる抵抗のバトン
 4 ポピュラーフェミニズムの循環と交差性
――ポップへの愛憎を「誠実」に問い返す
 5 サブカルチャーとエンパワメントの循環
――かつての「不良少女(レディース総長)」の現在地

11  ファンカルチャー論
――韓流ブームにみる女性たちのエンパワメント(吉光正絵)
 1 ジェンダーの視点からみるファンカルチャー
 2 「冬ソナ」のロケ地めぐりからコピーダンスブームへ――第一次・第二次韓流ブーム
 3 インスタ映え、K文学、ファン・アクティビズム――第三次・第四次韓流ブーム
 4 女性ファンのエンパワメントと抵抗

12 セクシュアリティとメディア
――表象と性をめぐる規範(堀あきこ)
 1 セクシュアリティとは
 2 女性表象とセクシュアリティ
 3 性の多様性
 4 性的マイノリティの描かれ方
 5 ジェンダーとセクシュアリティが複雑に絡んだBL

13 エスニシティとメディア
――ジェンダーとエスニシティが交わる「インターセクショナリティ」から考える(林 怡蕿)
 1 エスニック・マイノリティの可視化
 2 声を取り戻すためのメディア実践――台湾のエスニック・メディア
 3 ステレオタイプ化されるエスニシティとジェンダーの表象
 4 複数の抑圧とその解放に向けて――「インターセクショナリティ」という視点

終章 情報化社会とジェンダーの未来(林 香里)
1 メディア研究の行き詰まり
2 ジェンダー概念が切り開く新たなメディア研究の地平
3 21世紀のデジタル・テクノロジーがもたらす問題
4 メディア研究におけるジェンダー概念の重み

コラム1 「ここはこうやろ!」を変える(武田砂鉄)
コラム2 #KuToo以降のSNSとの闘い(石川優実)
コラム3 「女子アナ」がいなくなる日(小島慶子)
コラム4 メディア・コンテンツに見る性的マイノリティへの蔑視(松岡宗嗣)

引用・参考文献
索   引
執筆者紹介

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著者略歴

  1. 林 香里

    東京大学大学院情報学環教授。専門はジャーナリズム・メディア研究。
    主著:『メディア不信──何が問われているのか』(岩波書店、2017年)、『〈オンナ・コドモ〉のジャーナリズム──ケアの倫理とともに』(岩波書店、2011年)、『テレビ番組制作会社のリアリティ──つくり手たちの声と放送の現在』(共編著、大月書店、2022年)、『足をどかしてくれませんか。──メディアは女たちの声を届けているか』(編著、亜紀書房、2019 年)

  2. 田中 東子

    東京大学大学院情報学環教授。専門はメディア文化論、カルチュラル・スタディーズ、フェミニズム。
    主著:『メディア文化とジェンダーの政治学──第三波フェミニズムの視点から』(世界思想社、2012年)、『ガールズ・メディア・スタディーズ』(編著、北樹出版、2021年)、『いいね!ボタンを押す前に──ジェンダーから見るネット空間とメディア』(共著、亜紀書房、2023年)、『フェミニズムとレジリエンスの政治──ジェンダー、メディア、そして福祉の終焉』(マクロビー著、共訳、青土社、2022年)、『出来事から学ぶカルチュラル・スタディーズ』(共編著、ナカニシヤ出版、2017 年)

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