スペシャルトーク「子どもの希望をど真ん中に:ヤングケアラー・希望格差・子どもの貧困」@大阪・隆祥館書店
2021年7月17日に、『子どもたちがつくる町:大阪・西成の子育て支援』の刊行記念トークイベントを大阪の隆祥館書店でおこないました。
日雇い労働者の町として知られる大阪・西成を「子どもの町」として描いた『子どもたちがつくる町』の著者・村上靖彦さんと、本書の舞台のひとつ「こどもの里」に密着した映画『さとにきたらええやん』の監督・重江良樹さん。
しんどさをかかえる子どもたちの実情と、個性ゆたかな支援者たちの実践を追うなかで見えてきた、日本の課題と希望とは。イベントの様子を一部、お届けいたします!
(隆祥館書店にて、イベントアーカイブ動画のご購入を受け付けております。詳細は、【隆祥館書店ホームページ】をご確認ください)
【登壇者】
村上靖彦(大阪大学大学院教授)
重江良樹(映画監督)
聞き手 :二村知子(隆祥館書店店長)
西成で虐待相談件数が増えない理由
二村 東京大学の阿古智子さんが『子どもたちがつくる町』の書評(朝日新聞2021年6月12日朝刊)で、「日本の虐待相談件数はうなぎのぼりだが、西成区の件数は横ばいだ。貧困も虐待も可視化され、『子どもを地域で育てる』のが当たり前になっているからだ」ということをおっしゃっています。
本の24ページには、こう書かれていますよね。
「要保護児童対策地域協議会で議論される親子の多くは、障害者手帳をもっている。西成の子どもたちと親は、貧困を強いられ、生育歴と家族構造に由来する困難と、差別がないまぜになっている状況に置かれている。……ところが、である。このような逆境のなかにいるのにもかかわらず、そしてたしかに虐待は少なくはないが、過去10年間、西成の虐待相談件数はまったく変化していない」
村上 グラフ(下図)のとおり、大阪市も日本全国も、右肩上がりで虐待相談件数が増えています。ただ、西成区では、年間300件程度で、しばらく変わっていません。
虐待相談件数推移グラフ
(『子どもたちがつくる町』26ページ)
西成区は生活保護率が23%(2019年)ありますので、非常に困難な地域です。全国平均が1.64%(2019年)なので、全国平均の14倍の生活保護率で、生活困難なご家庭が集住している地域です。にもかかわらず、虐待相談件数はまったく増えていないんです。
村上靖彦さん(大阪大学大学院教授)
もちろん、虐待がないわけではないですし、虐待に至るリスクのあるご家庭はたくさんあります。ですが、西成の特徴は、それが見えているということ。それと、小さなころから支援につながっているということが、すごく大きなところです。
また、支援のつながり方がひとつじゃなく、いろんなタイプのつながり方があって。たとえば、第1章の「こどもの里」だとか、第2章の「わかくさ保育園」だとか、第3章の「にしなり☆こども食堂」だとか。いつでも来れるような〈居場所〉が複数あります。
そのうえ、アウトリーチ(訪問支援)がすごくさかんです。この本だと、第4章のスッチさんだったり、第5章のひろえさんだったり。ひろえさんの場合は助産師さんなので、特定妊婦さん――つまり、養育が困難で支援が必要だと考えられた妊産婦さん――への訪問事業をずっとつづけられてきました。ですから、赤ちゃんが生まれるまえから支援に入っていて。
しかも、その赤ちゃんが、ほかの支援につながっていきます。たとえば、「わかくさ保育園」の乳児保育につながったりだとか。ずっと誰かしらが訪問できるようなしくみが整っています。
あと、地域のボランティア的なかたちでかかわることもあります。スッチさんがそうですね。保育園の送り迎えだったりをするということが、頻繁におこなわれています。
なので、すごく生活が大変なんだけれども、誰かかしらがつねにサポートしてくれるし、何かあったときに、誰か親しい人にすぐにSOSを出せる環境が整ってるなあ、と思いますね。
しんどい町で見つけた〈居場所〉
二村 重江さんが映画『さとにきたらええやん』を撮ろうと思ったきっかけは、何だったんですか?
重江 撮影自体は2013年から2015年くらいだったんですけど、2008年ごろ、僕が映像の学校に行ってるときに、何か社会性のあるテーマを撮りたいなあということで、西成・釜ヶ崎をぷらぷらと歩いていました。ぷらぷらと歩いていたら、「こどもの里」(学童保育やファミリーホーム、子どもや親の緊急避難場所など、さまざまな機能をもつ特定NPO法人)と出合いまして。気づけばそこにボランティアというか、遊びに行くような期間が4年くらいつづいて。
重江良樹さん(映画監督)
そのなかで、もちろん、子どもたちから元気をもらったていうのもあるし、子どもたちの家庭にある背景もみえてきたし、「子どもの家事業」(遊び場や居場所を提供する事業所に助成した大阪市の制度。1989~2013年)の廃止であるとか、いろんなことがたくさん重なっていって。
映像の仕事をしながら、「さと」(こどもの里)に通わせてもらっていました。ドキュメンタリー映画がずっと好きで、撮りたいなと思っていて。ふつうに就職するか、映画を撮るかということに悩んでいました。
で、そのときに、映画を選んで。荘保さん(こどもの里理事長)にラブレターを書いて。「撮っていいですか?」って。
二村・村上 ははは。
重江 それが、きっかけですね。
『さとにきたらええやん』予告編動画
二村 私にとってはインパクトがすごくあったんですが、映画を実際に撮られたあとには、どういう思いをもたれましたか?
重江 本当に、子どもたちがすごい力をもっているんで、スクリーンをとおして観た人が元気になってくれたらいいなというのが映画の趣旨のひとつでした。それはかなったな、というのがありますね。
それと、子どもたちがこういうふうにしんどい背景というものを、かかえさせられてるんですよね。そういう背景を社会と共有できたらな、というところも、ある程度はうまくいったのかなあと思います。
でも、やっぱり「西成っていう特別な地域だからできことや」って、支援している人からも言われることがあるんです。
二村 えっ……。
重江 ただ、僕の今の撮影の原動力になっているのは、映画を観てくれた人のなかに困難をかかえて大人になった人がいて、「自分が子どもだったときには『こどもの里』みたいな場所はなかった、こんな人はいなかった」っていう声を聞いたことで。
しんどそうな子どもの保護者の方にも「私たちの地域にはこんな場所はないし、こんな人はたちはいない」という声がちらほらありました。だからやっぱり、社会全体で共有して、誰のもとにもそういう〈居場所〉が生まれるような可能性が広がればいいな、という思いがあります。
補助金制度廃止からみえてきた日本の課題
二村 大阪市は、「子どもの家事業」を学童保育(留守家庭児童対策事業)や「児童いきいき放課後事業」(通称:いきいき)と同じあつかいにしてしまって廃止するということがありましたね。
聞き手:二村知子さん(隆祥館書店店長)
重江 「子どもの家事業」という大阪市が独自にやってきた0歳から18歳まで誰もが無料で来れる制度があって、補助金を大阪市が結構出してたんですけど、2012年に、学童保育と似てるから切るって言いはじめて……。
「こどもの里」を含め、いろんな児童館が大打撃を受けました。職員も保護者も、そういったところと戦っていました。
「こどもの里」がある西成・釜ヶ崎には日雇い労働者の方も多いし、野宿される方も多いし、生活保護の方も多いし。「こどもの里」の前で署名活動をして、通りすがりのおっちゃんが、「お前らがんばれよ!」って署名してくれたんですけど、住所がない、みたいなこともありました。
署名は3万人分くらい集まりました。
二村 恥ずかしながら、私はその時、あまり知りませんでした。この映画を観たり、この本を読んだりしたことで、せっかく大阪市が「子どもの家事業」というしくみを、ちゃんともっていたのに、補助金を打ち切ってしまったと知って……。
「さと」では、「学童」とか「いきいき」のように、小学生だけをみているのではなくて、保育園児とか、ちっちゃな赤ちゃんだったりとかもみていて。
この前、「さと」に行かせていただいたとき、荘保さんが言っていました。「子どもさん3人おって、学童しか補助金が出てないから、小学生だけしかあかん、下の幼稚園の子と赤ちゃんはあかん、あんたらあかん、なんてね、そんなん言われへん」って言ってはりました――それは、言えないですよ……!
私は今からでも遅くないと思っていて、やっぱり「子どもの家事業」は、「学童」や「いきいき」とは、してはることがまったく違うと思うんですよね。
複雑な家庭環境のなかで、生きていけないような親をみながら、ヤングケアラーのようになっている子どもさんとか、在日の方であったりとか、差別されている方であったりとか、障害をもっている方であったりとか、24時間、来る日も来る日もみんなをみてくださっているのに、そこは、よくみて配慮していただかないといけないと思うんですけど……。
村上 「子どもの家事業」がなくなったことで、あらためて確認されて、逆に僕らがこれから何をしなきゃいけないかがみえてきたと思うんですよね。
0歳から18歳、まあ、18歳と限る必要もなくて、どの年齢の人でも、誰でも、健康でも、何らかの障害をもっていたとしても、関係なく誰もがいつでも来れる場所って、絶対必要で。みんなが遊べて、場合によっては避難することができるような場所をつくるということは、西成だけの問題ではなくて、日本全国でもすごく大事なことです。
権利をつくるソーシャルワーク
二村 71ページには、「荘保さんの『動き』は法権利の外に置かれてしまっている人たちのために『手続き』をして、法権利に守られる状態をつくり出すことである」とあります。この本のなかに、国籍がない子の話がありますよね。
村上 そうですね。ほかにも最近、移民の方で、在留資格を失ってしまった方かな、その方の在留資格を荘保さんが取ろうとしたことがあって。あとは、ご両親とも外国籍の方で、子どもたちが国籍をもっていなかったご家族もいます。在留資格が切れてしまっていて、子どもたちが国籍をもてなかったんですよね。
そこで、荘保さんがその方たちのために何をしたかというと、裁判所に訴えるということをするんですよ。
市役所に相談してはね返されて、ダメだった、で終わりではなくて、権利獲得のために戦うんですよ。国を相手取って戦うってすごいことなんですよね。
アガンベン(1942年~)というイタリアの哲学者が「例外状態」といっている状態があります。人権、生きる権利を奪われた人たちがいて、その人たちのことを「例外状態」というんです。
要するに、法律で守られていない。その子どもたちも国籍をもっていないということは、何にも守られていない状態です。
今だと、入管がそうですよね。入国管理局に収められている外国の方たちが、ひどいあつかいをうけています。本当に、虐待死するくらいに。あれは、完全に権利をはく奪されて、守られない状態です。それでどうなってしまうかというと、殺してもよい存在になってしまうわけです。
そこで荘保さんは何をしているかというと、「例外状態」に置かれた人たちの権利を回復し、つくり出していて。ものすごくラディカルなんです。
ふつう、たとえばソーシャルワーカーだったら、制度にあわせて、制度の範囲で必要な支援をされます。たとえば、年金を受給できるようにしてあげるだとか、そういうことです。
でも、そうじゃなくて、そもそも制度をつくるだとか、権利そのものをつくり出すとか、そういう働きをする。根本的なソーシャルワーカーなんです。本当に過激だと思います。
二村 今、当てはまる法律がないからしかたないとか、長いものに巻かれるというか、事なかれ主義的なことが多いなかで、本を読んで、荘保さんにお会いして、これは子どもを放っておけないからこその行動だって思いました。
村上 本当に、目の前に子どもがいるっていう、それだけに焦点を当てると、こうなるんだなって。まったくブレがない。
〈小さな場所〉からつくる社会
二村 245ページにはこうあります。
「本書が描こうとしたのは下からのミクロなモデル、逆境を反転する力をもった社会のモデルだ。切断され、孤立した人の声なき声に気づき、いずれはその人が語りはじめる場所が整えられるときに、このような社会ははじまる」
村上 社会のつくり方って上からだけじゃないんですね。僕自身もそうだったんですが、投票して、議員を選んで、そこで多数決で決まって、官僚がつくった法律に従う、統治される、管理される、それが社会だって思いがちです。でも、この町に通っていると、「ああ、社会のつくり方ってそうじゃない。上から法律で決められて、それに乗っかって生活することが社会をつくることではぜんぜんないんだ」っていうのがわかる。
もちろん投票も大事なんだけど、政治参加のかたちが投票ではなくて、町のなかで暮らしているなかで声を出して、子どもの声を実現するためにどうしたらいいか考えていって、しくみをつくっていく――しくみっていうか、〈居場所〉をつくったりだとか、あるいは自治体レベルでしくみをつくったりだとか。こういうかたちで社会をつくっていくことが、下からつくっていくっていうことになるし、小さい政治かもしれないんですけど。そっちの方向のほうが、すごく――
二村 そう考えると、すごく希望がもてるんですよ。私たちで社会を変えることができるかもしれないっていう。
村上 ほんとにそうなんですよね。できるんだろうなって思うんです。僕は西成の人たちをみていて、それを教わりました。下からつくっていくというのは、あそこに行くと本当に確信できるんで、それは本当に大きなメッセージになるだろうなと思います。
もちろん、子どもだけじゃなくて、大人も、誰もが幸せになる。誰にとってもそういうかたちで声を積み上げていくかたちでつくれる社会があるだろうなと思います。
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