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『都市を生きぬくための狡知』はじめに

頭脳の人びと

 タンザニアの都市住民は、ときに誇らしげに、ときに自嘲気味に自分たちを「ワボンゴwabongo」という愛称で呼ぶ。ワボンゴとは、スワヒリ語で「頭脳」や「脳」を意味するubongoに、複数人称詞を示す接頭辞waを組みあわせた造語で、直訳すると「頭脳の人びと」という意味である。曰く、「われわれは、生活費の捻出や友人とのカネの貸し借りをめぐるトラブル、警官による嫌がらせなど、さまざまな問題に日々頭を悩ませながら暮らしている。われわれの頭はつねに悩みごとでいっぱいだ。予測不可能な都市世界を生きぬいていくためには、『エクストラな頭脳extra ubongo』が必要であり、実際に厳しい現実を生きぬいているわれわれには、『ビッグな頭脳big ubongo』がある。だからわれわれは、頭を使って生きている人びとである」。

 急速な都市化がすすむタンザニアでは、その他の多くのアフリカ諸都市と同様に、失業問題の深刻化や不衛生なスクウォッター(不法占拠区)の拡大、貧困に起因する犯罪の増加、社会的サービスの不足などさまざまな困難が蔓延している。地方から都市へと出稼ぎにきた人びとの多くは、フォーマルな雇用機会を得ることができず、一般的に「インフォーマルセクター」と呼ばれる都市雑業に身をおいている。また経済状況の悪化により、フォーマルセクターに従事している人びとも、収入の不足を補塡するため、あるいは突然の解雇や賃金カットに備えるためにインフォーマルセクターに参入している。現在のアフリカ諸都市を特徴づけるひとつの現象は、「都市経済のインフォーマル化」[Hansen 2004:62]である。

 このようなインフォーマルセクターのなかでも、アフリカ都市空間を占拠する零細商人は、とりわけ目立った存在である。公設・私設市場からあふれ出て、地べたにビニールシートを敷き、野菜や果物を販売している、自称「市場商人」。バス停や駅、人通りの多い路上に簡素な露店を設置して、日用雑貨を販売する露店商。道路標識や電線、街路樹、公園のベンチ、建物の壁など、利用できるものなら何にでも色鮮やかな衣料品を吊して販売している路上商人。時計やラジオ、車の部品からおもちゃまで多種多様な商品を携えて、狭い路地を縦横無尽に練り歩く行商人。大きな荷物を担いで地方の定期市を巡回する定期市商人。タンザニアでは、これらの零細商人の一群は、「マチンガmachinga」と総称されている。

 アフリカの都市生活者の経済活動について調査したいというきわめて漠然とした目的でタンザニアを訪れたわたしは、このマチンガと呼ばれる人びとに興味を抱いた。マチンガは、さまざまな意味でタンザニアの都市現象を象徴する人びとであった。経済自由化とともに激増したマチンガは、タンザニアにおける市場経済化・グローバル化の申し子といえる存在であった。また地方から都市へと出稼ぎにきた若年貧困層で構成されるマチンガは、タンザニアにおける都市化の進展と貧困問題の深刻化を体現していた。さらに日々警官に追い回され、ときに取り締まりに抵抗して暴動を引き起こすマチンガは、国家と民衆とのあいだの緊張や、都市における社会不安の象徴でもあった。

路上商人になる

 これら膨大な数のマチンガの零細な商業活動はいかなる社会、経済、政治的な状況のもとで展開しているのか。マチンガの商売はどのようなしくみで成り立っているのか。多様な人びとが日々参入退出を繰り返す零細商人の世界とはどのような世界なのか。わたしはマチンガを調査することに決めた。

 しかし、都市中心部の路上から農漁村の定期市までを流動的に動きまわり、タンザニア第二の都市であるムワンザ市内中心部だけで六〇〇〇人はいるとされるマチンガを、どうやって調査したらよいのか、皆目見当がつかなかった。わたしはただ漫然と、知りあったマチンガと一緒に炎天の日も雨の日も、両手に数十枚の古着を携えて行商していた。マチンガは、闖入者のわたしに掛け売りで(代金後払いの約束で)古着を卸し、値段交渉の仕方や売れ筋商品の見分け方だけでなく、消費者をうまく騙す術も学ばせた。また警官による取り締まりから逃げる技だけでなく、警官への賄賂の渡し方や暴動での戦い方までも伝授した。五カ月も過ぎる頃には、わたしは五〇〇人以上の常連客をつかみ、手ぶらで道を歩いていても頻繁に呼び止められ、古着を注文されるようになった。何百人ものマチンガと会話を交わす仲にもなった。そのうち二九七人のマチンガのライフヒストリーを聞いた。四人のパトロン(中間卸売商)をもち、およそ一〇〇人の商売仲間であると同時に商売敵でもある友人ができた。その後わたしは一七人のマチンガ(小売商)のパトロンになった。しかし、マチンガは、わたしがすっかり仲間になったと感じるたびに、わたしの心をくじいた。マチンガは、口約束のみで、後に代金を支払ってもらう約束でわたしが前渡しした古着を何度も持ち逃げし、しばらくするとしれっとした顔で戻ってきた。マチンガは何度も噓をついてわたしからカネをかすめ取り、鞄に鍵をかけることをすっかり諦めさせた。

 わたしはマチンガの商売の方法を知っている。なぜなら、わたしはマチンガの商売をひとりきりでも何不自由なくこなせるからだ。しかし彼らの実践や商売を支える仲間関係を学問的な問題系に落として言葉にしようとすると、わかっていたはずのことがとたんにわからなくなる。何より、わたしが理解したいのは、知れば知るほどわからなくなる、この魅力的な人びとはいったいどのような人びとなのかということだった。

「うまく騙し、うまく騙されることができる人間こそ仲間」

 マチンガは語る。「オレたちは、最大の敵はもっとも身近にいる人間だと信じている。彼らはすぐに嫉妬してオレの人生を遅らせようとする。オレたちに友人はひとりもいない。信頼できる人間なんてひとりもいない。カネをもっているときは、友人なんてつくれない。近寄ってくる人間はみんな偽物の友人だ」。しかし彼らは何度持ち逃げされても、本名も出身地もきちんと把握していない人間に掛け売りで商品を販売し、また逃げられ、信用を踏み倒した人間が戻ってくると受け入れ、また掛け売りで商品を販売する。そのようなとき、彼らは「大事なのは近寄ってくる人間の心(nafsi)をいきなり拒絶しないことだ。知りあうことのできた人こそ友人なのだから」とも語る。彼らの言葉はいっけん矛盾だらけに思えた。

 マチンガは、ときに巧みな戦術を駆使して田舎者の消費者をうまく乗せ、ぼろ儲けする。しかしときには、消費者の懇願に負けて大幅な赤字価格でも商品を売ってしまう。マチンガは仲間のあいだでも噓や騙しの応酬による熾烈な駆け引きをする。しかし彼らは騙しあいができる人間だから信頼しているのだと語り、「うまく騙し、うまくはじめに騙されることができる人間こそ仲間なのだ」と言う。騙すことが信頼とはどういうことなのか。

 マチンガの商売上の連携は、はかないものだ。彼らは、些細なことで揉めてすぐにけんか別れする。別れは突然で極端にさっぱりしている。彼らは、「都市にはほかにも仕事があり、いろんな人間がいる。いつまでも儲からない商売にこだわったり、気が合わない人間と関係をつづけるのは人生の無駄だ。利にならない仕事や関係など捨て、はやく新天地に踏み出したほうがいい」と語る。しかしひとたび目的が合致すると、けんか別れしていたはずの者どうしが結託して、すばらしい連携プレーを演じる。群れあい、親しくなる。親しくなると、離れていく。そしてふたたび群れあい、親しくなる。その繰り返しだった。

都市を生きぬくための狡知=ウジャンジャ

 マチンガの商売は、驚きの連続であった。わたしは「社会に埋め込まれた経済」を切り口に議論を重ねてきたモラル・エコノミー論に関心をもった。マチンガのあいだでは「生存維持倫理」に似通った概念が存在していた。彼らの行為は、互酬性や贈与交換の用語でうまく説明できた。しかし彼らの実践を何らかのモラリティとしてまとめようと試みれば試みるほど、彼らの実像からかけ離れていくように感じた。

 わたしは日常的抵抗論にも関心をもった。マチンガどうしの取引関係は、急激な社会経済変容のただ中におかれたパトロン︱クライアント関係として説明できた。何より日々、警官に追い回されているマチンガは被抑圧者である。都市の路上は闘争のアリーナだ。逃散、猫かぶり、ほとんど計画を必要としない日常的でコンスタントな闘争。即興的な連携、素晴らしい演技力、変装、変幻自在な話術。創造的で豊かな抵抗実践をいくつも見つけた。しかし、彼らを抵抗論で描かれてきたような主体像に近づけようとしすぎると、何か腑に落ちない違和感に悩まされるようになった。

 わたしは、マチンガが毎日、何十回も口にする「ウジャンジャujanja」に興味を抱いた。ウジャンジャは、スワヒリ語で「狡猾さ」や「賢さ」を意味する言葉である。ウジャンジャは東アフリカの民話に登場する野兎の狡知=策略的な実践知である。わたしはしだいにウジャンジャこそ彼らの実践や仲間関係を解く鍵ではないかと考えるようになった。しかしこのウジャンジャは、わたしをふかい混乱に陥れる最大の原因にもなった。本書では、不確実な都市世界を、頭を使って生きぬいているマチンガたちのユニークな商売のしくみ、人間関係をウジャンジャに着目しながら描いていく。彼らとはかなり違った現実を生きているわたしたちも、ときに、思うようにならない現実、理解できない他者、受け入れられない自分を思い悩む。ウジャンジャを駆使して生きぬく「頭脳の人びと」の姿から、わたしたちが不確実な世の中を生きぬくヒントを見つけ出せれば、幸いである。

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著者略歴

  1. 小川 さやか

    1978年愛知県生まれ。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程指導認定退学。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員、同センター助教、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授を経て、現在、同研究科教授。著書に、『都市を生きぬくための狡知』(世界思想社、サントリー学芸賞)、『「その日暮らし」の人類学』(光文社新書)、『チョンキンマンションのボスは知っている』(春秋社、河合隼雄学芸賞、大宅壮一ノンフィクション賞)がある。

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