『司馬遼太郎 旅する感性』まえがき
……街道はなるほど空間的存在ではあるが、しかしひるがえって考えれば、それは決定的に時間的存在であって、私の乗っている車は、過去というぼう大な時間の世界へ旅立っているのである。
(「湖西のみち」、28頁)
風景の肌理(きめ)を読み、そこに生きた人間の温もりを感じたい。人生の道々で見(まみ)えたあの人この人の影を、その土地の景色のなかに融け込ませて追ってみたい、より深く理解したい。さらに可能ならば、そのような人々との心の対話から、われわれの未来を開きうる何らかのメッセージを受けとりたい。
こんな思いが、ずっと私の心の奥底で渦巻いていた。少年時代、近隣の野辺にちいさな冒険の旅に出たりすると、たちまち五感と想像力は全開となり、びんびんと脳髄が刺激された。この青くさい夢想に、なんとかして方法論の枠組みを与えたい。こうした秘かな野望がふつふつと沸きあがった思春期の終わりに、司馬遼太郎(1923~96年)の『街道をゆく』シリーズ(1971~96年)と出逢う。そこには、私の抱いていた思いを現実化してくれる糸口とともに、壮大な文明史の見取図が隠されていた。司馬の天地は、私が感じていた以上にさらに懐が深いものだった。そうして、これまで私が見てきた風景もまた、いっそう巨(おお)きくひろい文脈のなかに織り込まれることになる。
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司馬遼太郎は「旅する感性」そのものだった。そうした思いから、この本は綴られている。ここでの「感性」とは、眼前の風景のなかに過去の歴史や人間を見抜き、それを現在に蘇らせることのできる力、というほどの意味だ。司馬のこうした手腕が鮮やかに刻印された作品こそ、約25年の長い歳月にわたって書き継がれた、歴史風景の再現紀行『街道をゆく』シリーズだと思う。
彼は、「日本人の祖形」を探りながら、日本そして東アジアの各地を歩いた。また、辺境に生い育った文化・文明の起源を問いながら、ヨーロッパの辺縁部、わけても半島や島を駆けめぐった。彼の眼が直観的に見抜いた土地を訪ねることに、終始やぶさかではなかった。そして毎回、その地の地霊(ゲニウス・ロキ)―土地の守護精霊であり、その場所の風土を根底から規定する存在者―を呼び起こすように、地図上に古い地名を追っては丹念に郷土史をひも解いた。かつてそこに在った風景や人々を、まさしくリアルに受肉させたのである。
異土に対する「土地(くに)=国誉め」にも通じる司馬のこうした巡礼の態度と真摯に向き合うことこそ、いまドメスティックになりがちな若者たちの心と未来を押し開いていく、と強く信じている。時空を超え、世界のあちこちの人々と、あるいは、さまざまな時代の人々と対話する歓びが、ここには満ちている。
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年齢・性別・国籍に関係なく、本書を手にしてくれた読者諸賢が、この種の旅の愉しさにみちびかれ、最終的に、自分がいま根を張る場所のさらなる深い理解とその相対化に至ってくれれば、と切に願っている。
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