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【特別寄稿】ふたたび被災するということ

 2024年1月1日に能登半島地震に見舞われ、さらに9月に記録的豪雨による水害に見舞われた被災地。短期間のうちに何度も災害がおそってくるのは、能登だけの話ではなく、「もはや他人事にするのは難しい時代になってしまった」と『「みんな」って誰?――災間と過疎をのびのび生きる』の著者、宮本匠さん(大阪大学、災害復興学)は言います。

 未曽有の大災害を経験した能登半島をふたたび豪雨がおそいました。被災からわずか9か月後のことでした。被災地のひとつである七尾市中島町は、この日、お熊甲祭というお祭りを行う予定でしたが、豪雨のために中止となりました。復興の「興」の字は、もともと、ひとびとがお神輿をかついでいる様子をあらわしているのだといいます。みんなで力をあわせて、心をあわせて、重いものをもちあげて、前に向かって歩んでいく。お神輿をかつぐお祭りは、まさに「復興」とはなにかを象徴しているように思います。しかし、「こんなときだからこそ大切なんだ」と地震の被害が残るなかで実施が決まったお祭りが、よりにもよってふたたび災害によって中止になってしましました。お正月といい、お祭りといい、「おめでとう」という言葉で祝いあって、たがいのつながりを確認しあうような機会がふたたび奪われてしまいました。

 そもそも能登半島地震の被災地は、近年、何度も災害にみまわれてきた地域です。2007年にも大きな地震がありました。その後も、2021年から毎年地震があり、今年の大地震を経験しています。何度も被災をする、前回の災害の被害からまだ回復していないうちに、被災してしまう。このような被災体験は、独特の困難を被災者に強いることになります。

 2019年、2021年と同じ地域が水害で被災した佐賀県武雄市でのことです。2019年の水害後から活動をはじめた「一般社団法人おもやい」が出会ったある被災者の方が、2度目の水害のあとに、「自分がなさけない」とおっしゃられたそうです。この「なさけない」という言葉は、私たちに重くのしかかります。この言葉はなにを意味しているのでしょうか。

 わが家が浸水被害にあってしまった。水がひいても、家の中は砂や土が残ったままです。泥まみれになった家具は、雑巾で何度ふいても、かわけば砂が浮かんできます。水を吸って重たくなった畳を持ち上げたり、フローリングをとりはらってしまって、何か月もかけて、床下に風をおくりつづけて乾燥させた。寒い冬の時期も床板をはることができずに、我慢して、ようやく乾燥させて消毒もできた。さあ、どうしようか。新しいフローリングはどうしようね。壁紙は何色がいいんだろう。久しぶりに訪れた子どもや孫たちと、カタログをめくったりして、ああでもない、こうでもないなんて言いながらすごした。せっかくなら、床板は自分が大好きな桜にしたい、新しい壁紙にして、どこか気持ちも晴れやかだね。そんなひとびとに水害がふたたびおそいかかるのです。

 2度目の被災は、被災者になにをもたらすのか。それは先の被災後に、耐え忍んだこと、我慢したこと、協力しあって何とか乗りこえたこと、少しは前向きになろうと思えたこと、希望をもとうとしたこと、こんな風に生きていきたいと考えたこと、こうした復興の種になるようなことのすべてを否定してしまうということです。冬の冷気をがまんして乾燥させたあの時間も、孫娘とカタログをながめながら冗談をいっていた時間も、そのすべてを「もう一度被災することがわかっていたなら、あんなことしなかったのに」という感覚のもとで否定してしまう。まずもって天災である水害に「自分がなさけない」と感じられる背景には、このような経験があるのではないかと思います。

 このような「2度目の被災」から立ち直るのは簡単ではありません。というのも、「立ち直る」に連なるすべてのことが否定されているからです。復興のためのとりくみ自体が無力感をもたらすかもしれない逆説が存在するのです。ですから、「2度目の被災」、何度も被災するということは、被害の度合いだけではなく、そこから前を向こうとすること自体が否定されてしまうという大変困難な状況を生んでしまいます。

 「2度目の被災だなんて、それはたまたま不運が重なっただけではないか」と思われるかもしれません。しかし、残念ながらそうともいえないのです。例えば、宮城県や福島県の一部も、2011年の東日本大震災で被災したのち、2019年の台風19号や2021年、2022年の福島沖地震と何度も被災を繰り返しています。能登や佐賀だけの話ではありません。短期間のうちに何度も災害がおそってくる、このことはもはや他人事にするのは難しい時代になってしまいました。

 「災間(さいかん)」という言葉があります。仁平典宏さんという社会学者が、東日本大震災の後に提唱された言葉です。「大震災の後の時代を「災後」ではなく、来る大災害がふたたびおそってくるのだという前提で社会を変えよう」、だから、災害と災害の「間」として考えてみないかという提案です。私はこれをさらに、災害と災害の「間(あいだ)」から、災害の「間(なか)」、つまり、これまでのように「平時」と「災害」を分けるのではなく、つねに災害の間(なか)であるような事態としてとらえてもよいと考えています。

 困難なのは、常に災害の間(なか)であることだけではありません。日本社会は、特に1990年半ば以降、さまざまな社会指標が右肩下がりに転じました。災害に対応するさまざまな社会資源がもはや十分に存在しない。にもかかわらず、災害(をふくめた社会問題)は増加するという、大変厳しい時代になってしまったのです。

 このような背景の中で、能登半島の被災地は本当に苦しい状況におかれています。具体的な政策として、このようにすればもっと被災者の方を支えられるのではないかと考えることもあるのですが、ここではそのような政策をささえるような背景として大切ではないかと考えることを書いておきたいと思います。

 私が通っていた新潟県中越地震の被災地で、ある方が地震から6年ほどたったころに、研究者から「復興しましたか」とたずねられて「復興した」と答えました。その理由をたずねられて、その方は「孤独でないからだ」とおっしゃったのです。「孤独ではない」、私はこのことが、右肩下がりの時代の中でとても大切ではないかと思います。右肩下がりであること、これまで生じなかった困難がふりかかることは避けられません。そこに、気候変動による災害の増加が重なります。もう右肩下がりが右肩上がりになることはありません。残念ながら被災することが日常になるかもしれません。それでも、人間として尊厳をもって生きることができるのか。それが問われるのだろうと思います。その鍵が「孤独ではない」と感じられることだと思うのです。

 能登半島の、また能登半島にゆかりをもつ方々が、「孤独ではない」と感じられるかどうか。そこにどのようにかかわることができるのか。これが、あらゆる主体、セクター、次元で試みられなければならないのだと思います。これだけの被災、これだけの問題の大きさですから、一方ではこの試みは大変なチャレンジです。けれど、見方によっては、実は多くのひとびとに、というより、多いも少ないもなく、すべてのひとに、すべてのひとにという点においてこそひらかれる余地がありうるように思います。

 では、それはどのような余地なのか。能登半島と同様に、明るい未来を期待することが難しかった被災地が教えてくれることがあります。厳しい状況ではありますが、それでもなにができるのか、祈りも含めてこのような本を書きました。よろしければご覧いただき、災間の時代をそれでものびのび生きられるような方策を一緒に考えられますと幸いです。


この記事に興味をもたれた方は、具体的な方策や事例、考え方のヒントがつまったこちらの本をぜひお読みください。本の詳細はこちらから。

目次

はじめに
序 章 裸の王さま再考
    ――みんなのグループ・ダイナミックスとは?
第1章 右肩下がりの被災地で復興にのぞむ
    ――新潟県中越地震のエスノグラフィ
第2章 支援がつまずくとき
    ――「めざす」かかわりと「すごす」かかわり
第3章 地域が自ら変わるには?
    ――内発的であるということ
第4章 集団を変化させるには?
    ――みんなの前でことばにする
第5章 見なかったことにしないとすれば?
    ――集合的否認と両論併記
終 章 ひとごとからわれわれごとへ
    ――災間を豊かに生きる

おわりに

著者略歴

  1. 宮本 匠

    1984年大阪府生まれ。町工場の横に積みあがる金屑と機械油と田んぼの土のにおいが入り混じった東大阪の空気を吸って育つ。大学時代、古本屋と中古レコード屋を渉猟する毎日から、ひょんなことで新潟の被災地で山菜を探す日々に。すがすがしく今を生きるヤマの人々にすっかり魅せられて、世の中の人が「問題」と考えている見方だけではない「問題」とのつきあい方を被災地や過疎地をフィールドに研究する。博士(人間科学)。大阪大学大学院人間科学研究科准教授。特定非営利活動法人CODE海外災害援助市民センター副代表理事。ユーモアとペーソスが同居するものが大好物。水道の蛇口から井戸水の出る大阪北部で三児の子育て中。
    主な著書に、『現場でつくる減災学』(新曜社、矢守克也と共編著)。『防災・減災の人間科学』(新曜社、矢守克也・渥美公秀編著、近藤誠司と共著)。

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