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『遊びからはじまる』はじめに

  遊びをせんとや生まれけむ  たはぶ れせんとや生まれけん
    遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺るがるれ
                      (『梁塵秘抄』より)

 髪の毛が汗でびっしょりと濡れてしまうほど、時間を忘れて園庭を駆け回り鬼ごっこに興じる子どもたち。空き箱で車をつくり、ひとり部屋の片隅で何度も竹串に刺したタイヤを調整しては、まっすぐ走らせようと挑む子ども。

 子どもたちの遊びこむ姿は、声をかけるのをためらうほど真剣です。心もからだも一〇〇パーセント遊びに没頭している子どもの姿を目にすると、この『梁塵秘抄』の言葉が頭をよぎり、「あぁ、子どもは、遊ぶために生まれてきた人たちなのだ」と納得するのです。

 大人にも、当然、子ども時代はありました。しかし多くの大人は、ただ楽しいからやっているという「遊び」を忘れてしまっているように思います。

 私は、大学の児童学科の教員で、子どもの発達に関心をもつ学生や保育者を目指す学生たちと、人形劇や絵本、玩具といった児童文化財について考え、地域での児童文化活動も実践しています。そんななか、保育者を目指す学生や、子どもを育てるお母さん・お父さんのなかにも、「子どもと遊べない大人」がいることを感じてきました。実際、この問題はずいぶん前から話題にもなっていました。

 子どものなかに入っていけない。本を見ながら工作を教えたり、子ども向けの映画やテレビ番組の動画を見せたりするだけで、子どもと一緒に遊びこむことができない。休日に子どもとどう遊んでいいかわからず、大型ショッピングセンターに買い物に出かけ、ゲームコーナーや飲食店に立ち寄ってプチイベントとする。

 こうした「子どもと遊べない大人」の話を聞くと、大人が思う子どもの「遊び」のイメージと子どもが実際に楽しいと感じる「遊び」との間に、相違があるように思うのです。子どもたちは、すべて整えられた場で、大人から指示を受けて、大人が評価する活動をすることには満足しません。そこには、子ども自らが主体となって心を動かしからだを動かす楽しさやよろこびがないからです。

 生まれたての赤ちゃんも、音のする方に耳を傾け、光がさす方に目を向け、においをかぎわけ、手や口でふれて、自分の周りの世界を知ろうとする力をもっています。乳幼児期は、自分の周りの人や、有形・無形の様々なものに興味をもち、観察し、手に取り、扱って、それがなんであるのか知っていこうとする時期です。私は、これこそが、子どもにとっての「遊び」だと考えています。つまり、子どもが世界にふれ、知り、世界とつながって生きていく活動そのものが遊びだと思うのです。そして、遊びをとおして、人間として生きていく力の基礎を身につけるのが、幼児期の育ちだと考えます。

 「○○遊び」と名づけることができない遊びは無数にあります。戸外をぶらぶらと散歩して虫や草花を見つけることも、ティッシュペーパーを箱からつぎつぎに引き出すいたずらのような行動も、使いはじめたスプーンでご飯をすくって口にはこぶ食事も、玩具をそれぞれの棚やかごにしまうかたづけも、生活のなかのほとんどすべてが、子どもにとってみたら世界と出会う「遊び」です。

 地面に座り込んで砂を触っている子どもがいたら、傍らにしゃがんで同じことをやってみる。砂をすくって、落として、集めて、固めて、くずして、一緒に砂粒の感触を味わってみる。子どものつぶやきに耳を傾け、「そうだね」と相づちをうちながら、何かを発見している心に寄り添う。そうした時間を積み重ねていくなかで、「子どもって面白いなあ」と子どもに対する見方が変わり、子どもとの関わり方も変わっていくのではないかと思います。

 

 もう一つ、子どもの育ちについてお話ししておきたいことがあります。それは、乳幼児期の子どもの発達は「丸ごと」だということです。様々な経験が絡みあい、心もからだも動きあって、育っていくということです。幼児期の子どもに必要なのは、小学校以上の教科学習のような、体系化・分化された教育ではありません。

 たとえば、「言葉」の育ちを取り上げましょう。信頼できる大人がそばにいて、やさしく話しかけてくれる環境にいる子どもは、かけられた言葉をしっかりと自分のなかにためこみ、応えたい、つながりたいという気持ちを膨らませます。やがて立って歩き回ったり、手先を思うように動かせるようになると、この世界の様々なものに出会っていきます。そうして知った驚きや喜びを、大好きな人に言葉で伝えたいという思いが育っていきます。三歳ごろに言葉で自分の思いを伝える会話ができるようになるのは、生まれてからの環境や人間関係、心身の発達や経験がすべて絡みあって土台となっているからです。

 遊びから〝生〟が始まります。遊びは、子どもの心を育て、からだを育て、その人をつくっていくのです。

 

 本書は、乳幼児期の子どもたちがどのように遊びを楽しむのかを紹介し、それらの遊びと子どもの育ちにはどのような関係があるのかを考えていきます。第Ⅰ部は大人がつくった児童文化財を使っての遊びを、第Ⅱ部は簡単な道具を使った子ども自身がつくりだす遊びを扱います。第Ⅲ部は、生活のなかにある遊びを取り上げ、子どもにとって生活が遊びそのものであることをみていきます。本書が、子どもと生活することの楽しさ、なにげない日常生活のなかにある喜びにあらためて気づくきっかけとなれば幸いです。

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著者略歴

  1. 松崎 行代

    1967 年生まれ。長野県松本市で育つ。飯田女子短期大学幼児教育学科教授を経て、現在、京都女子大学発達教育学部児童学科教授。博士(現代社会)。
    学生とともに地域での人形劇活動に取り組んだり、国内外の人形劇鑑賞を楽しんだりしながら、保育や子育て支援の現場でどのように人形劇を活用できるかについて研究している。飯田市をフィールドにした人形劇によるまちづくりについても実践的なかかわりをもちながら研究している。
    著書に『子どもの生活と児童文化』(共著、創元社)、『児童文化の伝統と現在Ⅲ』(共著、ミネルヴァ書房)、『地域社会からみた人形劇フェスタ』(晃洋書房)、『つながってく。人形たちと歩んだ30 年』(編著、いいだ人形劇フェスタ実行委員会)などがある。

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