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頭木弘樹×横道誠『当事者対決! 心と体でケンカする』刊行記念スペース対談

第3回 もはや孤独ではない

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 発達障害の当事者である横道誠さんと潰瘍性大腸炎の当事者である頭木弘樹さんが、互いの苦悩をぶつけ合い、議論をたたかわせた一冊『当事者対決! 心と体でケンカする』。その刊行を記念して、Xにて対談のスペースイベントを行いました(2023年12月1日)。

 本が出来上がるまでのことを振り返りつつ、頭木さんと横道さんに対談いただいた内容を、全4回にわたってお届けします。

【第1回】はこちら
【第2回】はこちら

当事者会に参加するなら

頭木 では質問コーナーに移ります。「当事者会が有効に機能するための要件としては、何が考えられますでしょうか。私も鬱、双極性障害等の当事者会的な交流をネットでしていたことがあります」という質問です。

横道 基本的には自助グループっていうのは、最初はアルコホーリクス・アノニマス(アルコール依存症者の自助グループ)から始まって、そこでは「言いっぱなし聞きっぱなし」というルールが守られています。応答すると傷つけうる場面が必ず出てくるので、一切応答しない。参加者たちが順番にじぶんの体験や近況を語っていって、次の人にバトンタッチして終わっていくっていうパターンなんですね。

頭木 強烈なルールですね。

横道 非常にストイックかつ突きつめたやり方だと思います。私の場合には、問題解決に興味があったので、当事者研究や、患者とその家族、医療スタッフが平等な立場で対話するオープンダイアローグをやっています。

 逆に、もっと雑談的なおしゃべりを楽しむ茶話会のような自助グループもたくさんありますが、私には合ってません(笑)。なんとなくダベって終わっていくっていうのが、時間の無駄な気がして。実のあることを語りたいという強い欲求があります。

 ですから、問題解決を志向するんなら当事者研究やオープンダイアローグをやってみるのがいいかもしれません。どうやったら、これまで感じていた生きづらさを減らせるか、というテーマにフォーカスしていく。

頭木 僕はオープンダイアローグも、すごくいいと思うし、ルールがあるのが大事だとは思うんですけど、茶話会みたいな自由さの中で、どこに話が転がっていくかわからないのも可能性を感じます。

横道 「当事者会は、だいたい何歳ぐらいから入っておられますか」という投稿があります。

 中学生の子が親と一緒に来ることもあるし、高校生ぐらいだったらひとりで来ることもありますね。大学生もいれば、60代、70代の人もいますね。だから、幅広くいます。

 私はLGBTQ+の会もやっていますが、夏休みとか春休みになると、高校生の見学者がどっと増えるんですよ。いわゆるアライ、つまりLGBTQ+に理解のある人も歓迎しているからです。高校とか大学で、LGBTQ+に関する研究発表をする人が、ものすごく増えています。だからLGBTQ+の会では、当事者が3人ぐらいだけど、高校生が15人っていう回もあったりします。

作家と実際に会うこと

担当編集 今回の本を作るにあたって、実際の対談自体はすごく分量があったので、泣く泣くカットしたところもありました。

 とくに、頭木先生が安部公房の奥様にお話を聞きに行くことになったのに、それがかなわなかったというお話があって、それを載せられなかったのが、心残りに思っていました。なので、作家さんと実際にお話した経験を、お聞きしたいです。

頭木 今まさに、脚本家の山田太一さんが亡くなられて。僕は6年間毎週、山田さんのところに通ってたんです。

 僕にとっては非常に特別な方で、心から尊敬していました。がっかりしたりするから尊敬している人に会わないほうがいいって言う人もいます。書くものと人格は別ですからね。

 僕はずっと長いこと入院してて、その間はお見舞いの人としか会えなくて。でも、みんな仕事をしたり、結婚したりして、別の地域に行っちゃったり、忙しくなったりして。そうするとだんだんお見舞いに来る人も減っていって。将来、ほんとうにポツンとひとりになっちゃうんだなと思っていました。

 新しく誰かと知り合うっていうことがないんです。看護師やお医者さんとは知り合いますけど、それは続く関係じゃないです。孤独になっていくんだなと思って。そうすると、ほんとうに会いたいと思う人に会ってみたいという思いが、すごく強くなって。

 それで、出歩けるようになったとき、安部公房のところに行こうと思ったり、桂米朝さんに会ったりしたんです。米朝さんのときは、最初はいきなり楽屋に行って、他の人に止められちゃって。そのときに、「会いたいです」っていう手紙を書いて持って行ってたので、「これを渡してください」って言いました。そしたら米朝さんからお返事があって会いに行きました。

 で、山田太一先生も。山田太一ファンって、「会いに行くのはほんとうのファンじゃない」って言うぐらい、声もかけない人が多いです。「先生を見かけたことがあるけれども、とても声はかけられない」と。それがほんとうのファンだっていう感じが山田太一ファンは多いんですけれど。僕は図々しく、お会いしたいとお願いしました。

 心から尊敬する人のところに通えるっていうのは、江戸の都々逸どどいつに「惚れて通えば千里も一里 長い田んぼもひとまたぎ」ってありますけど、少々の距離があろうが、うれしく通えるって実感しました。ほんとうに幸せな時期だったと思います。

 聞いたお話をきちんと残さなきゃいけないので、今は責任も感じています。でも、口伝えだと、どうしても僕の解釈が入ってしまいそうで。それをいかになくすかっていうのが、難しいなと思います。

 じぶんも取材されることがあって、全然違うように書かれることがあるんです。それは相手の人が勝手に書き換えてるっていうことじゃなくて、その人はほんとうにそう聞いたっていうことなんですよね。それはとっても怖いことで。その相手の方が亡くなられているとなると、訂正できないので、言い放題になっちゃうんです。それをどう責任を取りながらやるかっていうのは、難問だなと思います。

横道 取材の録音が残ってるんですよね?

頭木 ええ。ただ、言った言葉をそのまま書きゃあ、それが伝わるっていうものじゃない。そこが難しいです。微妙なニュアンスなんていうのは、言葉だけではわからないです。「まあ、そうですね」っていう言葉ひとつだって、どんな感じで言ったかで、全然意味が違います。

 山田先生が「そういう考え方もありますね」って言うのは、「これは違う」っていうことですから。そういうのもわかってやらないと、違ってきちゃう。書く問題全般に言えると思いますけれど、書くって難しいなあと、常にたじろぐ気持ちが強いです。

ファンとの接し方

横道 作家とファンとの関係で言うと、私は、イベントとかの公の場では、ファンの人に会うと、もちろん相手を大事にして、ありがとうございますって頭を下げてサインを書いて微笑むんですけど、飲み会とかに行ったら、いつもファンに冷たくする傾向があります。

 それはなんでかっていうと、自己肯定感が低いので、あなたが何か入れこんでくれてる横道誠は、ほんとにしょうもない人間だっていうことを、なるべく早めに知ったほうがいいですよという親切で、悪いところを見せたがるんですよ。

 だからたぶん、ファンが会いに来たら、ひどい仕打ちをして追い返して、そのファンだった人の心をくだいてきたっていう、過去の作家たちっていうのは、そういうメンタリティの人が多かったんじゃないかと私は思うんです。俺なんかに入れこんでも、後からがっかりするだけだから、今のうちに夢を壊しておいてやろうという歪んだものがあったんじゃないかな。

頭木 それは、がっかりされる前に、もうやってしまおうということですか?

横道 一面では相手のためでもあるんだけど、一面ではやっぱり、じぶんの株価が上がった後で暴落したら、じぶんが一番つらいから。早めにその根を断っておこうというのがあると思います。結局、それはじぶんに対する自信のなさなんです。

 だからじぶんの人格と円満に調和してないんですよ。いわゆる自己受容ができていないんです。

頭木 まあ自己受容は、僕もまったくできていないですけれどね。がっかりされるのは嫌ですよね。

横道 どれだけ成功しても意味がないんですよ。だから私の場合だったら、『イスタンブールで青に溺れる――発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)に書いたように、50カ国近く行ったことがあって、10以上の言語を学んで、話せる言語も5個ぐらいあって、たくさん本も書いて、京大で博士号を取ってとか言ったら、じぶんとの折りあいがわかってもよさそうじゃないですか。

 ところがやっぱり成長過程の問題で、発達障害の問題であったりとか、宗教2世の問題であったりとかと関連して、今でも子どもっぽいことに、じぶんをじぶんで肯定できない。今44歳なんですけれど、結婚もしていなければ、子どももいなければ、人間関係も満足に作れないんです。

たぶん、関係がうまくいって、親友になるとか、あるいは結婚相手になるとかっていうステージの変化を、恐れているんだと思います。

 一方では、そういうふうになってほしいと思いながら、一方で恐れているから、それを破壊しようとするんですよ。これが精神疾患ということですね…(笑)。

頭木 それは自覚をされてても、成熟していくのは難しいですか?

横道 いわゆる中動態の世界、自我を超えた大きなうねりの中で生きているので。

頭木 「やってくる」わけですね。

横道 そう。「やってくる」わけです。

個の体験が普遍につながっていくこと

質問者 頭木さんにご質問したいことがあります。今回の本の「はじめに」で、文学というのは個の体験を掘り下げていって、普遍につながっていくということをお書きになられていたと思うんです。

 そうやって個の体験が普遍につながっていくのと、逆に孤立という方向で閉じていってしまう場合と、2つに分かれるかと思います。その分岐点というのは、どこにあるとお考えになっているかお答えいただけるとうれしいです。

頭木 孤立が極まるのも、それも普遍に到達するんじゃないですかね。ベケットの小説『名づけえぬもの』も、部屋の中にひとりでいてっていう、あの極まった孤立も。ひとりでずっといると、じぶんがなんだかわからなくなるっていうところまでいくと思うんです。

 部屋でひとり、ずっと療養しているときって、じぶんがまだ人間の形をしているのか、どうだろうかと思うことがあって。もしかして今、コンビニに行くと、キャーッって言われたりするんじゃないかなと、そんな思いにとらわれたこともありました。そういう状況もとことん突き詰めると、ある種のみんなが共感できる領域に、やっぱり到達するんじゃないですかね。

質問者 自助グループや当事者会は、その人の当事者性が拠点になっていきますが、「当事者である」ということにこだわり抜くことも、今、頭木さんがおっしゃったことと関連がありそうなんですけれども、その辺はいかがお考えになりますか?

頭木 当事者っていうことをどう思うかっていうのはね、それ自体難しいなと思っています。

 病気なんで、当事者なわけですけれど。当事者ってなんなんだって言いだすと、健康な人だって、すべての人がなんらかの当事者じゃないですか。

質問者 そうですね。個々の事情を背負ってるという意味では当事者ですよね。

頭木 この前、穂村弘さんという歌人の方がインタビューでお話になっていて。ちょっと怖い話ですけれど、「刑務所短歌」というジャンルがあるそうなんです。たとえば普通の人がアリを見ると、つぶしてやろうとか、かわいそうだから逃がしてやろうとか、そんなことを考えるけど、死刑囚の人の短歌だと、俺はこのアリより長生きできるんだろうかっていうような考えが出てくる。それはそういう立場の人でなきゃ考えが出てこないと書かれていて、愕然としました。

 たしかに僕も命のことを恐れていますけれども、さすがにアリを見て、これより長生きできるかなと考えたことはなかったので。そういう独自な視点を、それぞれの当事者が持てるという意味での当事者性は非常に貴重なものだと思います。その人だけが見えたり思ったりすることを、どんどん発信していくって大事じゃないかと思うようになりました。

ゲラは24時間以内

(横道家のインターホンが鳴って、配達されたゲラを受けとったあと)

横道 私はじぶんへの課題として、ゲラは24時間以内に返送っていうのを決めています。

頭木 24時間以内に1冊分ですか?

横道 はい。もちろん実作業の時間は3時間とか4時間とかで終わるんですけれども。

頭木 それで1冊見られますか?

横道 そうですね。でも今回の私たちの本で思ったけど、頭木さんのほうが、よっぽど慎重に見てるんですよね。1回の確認時間は私よりもかなり長いけど、最後に頭木さんが「これ以上修正はないです」と言った場面でも、私はもう1回見直すって言って、実行しましたもん。私は早いけど、拙速な面があるわけです。

頭木 僕は、ちゃんと見てるからもういいっていうより、じぶんの原稿を見るのが怖くなるんです。出来が悪いと気づくの嫌で。じぶんの書いたものを見直すって苦手です。

横道 私の量産の秘密のひとつではあるんですけど、本を書くって、編集者も見れば、外部校閲もしっかりしていて、これはありがたいんですよね。私が書いた『グリム兄弟とその学問的後継者たち――神話に魂を奪われて』(ミネルヴァ書房)でも感動しました。

 あの本って、日本語ベースに引用の文がドイツ語と英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、アイスランド語、中国語、これらがそれなりにあって、あとは少しですがギリシャ語、ラテン語、ゴート語、アラビア語もあって。

頭木 その校正は地獄ですね。

横道 私は本を量産する前までは、論文をたくさん書いてきたんですけど、人文系の研究者の論文というのは、基本的にひとりでやるわけですよ。コミュニケーション能力がある人は、仲間と検討会なんかをするんですけど。私はコミュ力がない人の典型例なんで、ぜんぶひとりです。だから誤字脱字衍字はぜんぶ、じぶんで直すんです。

 だけど、こうやって本を出していくと、編集者も何回も見れば、じぶんも何回も見て、さらには外部校閲もある。こんな天国あるかと思うんですよ。

 その喜びが私を後押ししていますね。「人類はもはや孤独ではない」っていうことですよ。

第4回につづく)

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【目次】

はじめに このふたりの本を読むことにどんな意味があるのか? 頭木弘樹 
なぜ往復インタビューなのか?/心と体でひとつの本を作る/なぜ心と体でケンカするのか?/ひとりの人間のなかでも心と体はケンカする/個人的な体験を読むことに意味はあるのか?/個人的な話が、なぜか普遍的な話に/この本の作り方について

●ラウンド1 どういう症状か?
1 発達障害とは 頭木→横道 
発達障害とはなにか/病気なのか障害なのか/先天的か後天的か/グレーゾーン/脳の多様性/じぶんたちの文化を生きている/「バリ層」「ギリ層」「ムリ層」/健常者からの反発/能力社会と環境
2 難病とは 横道→頭木 
潰瘍性大腸炎のダイバーシティ/「難病」というあつかい/「同病相憐れ」めない/病気の始まり/病院へ行っても後悔続き/身体イメージの変化/骨を嚙んでる犬がうらやましい/豆腐は神だった
インターバル1 壊れた体、世界一の体 

●ラウンド2 どんな人生か?
3 発達障害と生いたち 頭木→横道 
まわりは異星人ばかり/マンガのなかにいる「仲間」/大衆文学は難しい/発達障害の診断を受ける/診断名が増えて感動!
4 難病と生いたち 横道→頭木 
おとながわからない/止まった年齢/カフカとの邂逅、そして再会/カフカにすがりつく闘病生活/ベッドの上で働く/初の著作は幻の本に/12年越しの電話/死にたくなるような美しい曲/絶望はしないほうがいい
インターバル2 定型発達者ぶりっこ 

●ラウンド3 どうしてつらいのか?
5 発達性トラウマ障害 頭木→横道 
家族の人生/母親の入信/発達障害と宗教2世の関係/転機としての脱会/実家を出る決意/人間嫌いの人間好き
6 難病のメンタリティ 横道→頭木 
踏み台昇降をやってる男/同情がないと生きていけない/「ふつう」がじぶん側に近寄ってくる/社会モデルと病気/漏らし文化圏/役に立たないものが好き/勇気のもらい方
インターバル3 SNS文学 

●ラウンド4 だれと生きるのか?
7 発達障害とセクシャリティ 頭木→横道 
性の揺らぎ/初恋の思い出/好きになった人への告白/カサンドラ症候群/理解されることに飢えている
8 難病と家族 横道→頭木 
落語と語りの文体/昔話に魅せられて/宮古島への移住/7回の転校生活/語ってこなかった結婚の話/紅茶を頼む勇気/社会に広めたいルール
インターバル4 オマケの人生 

試合結果 心と体はどっちがつらい? 
心と体はケンカする?/心と心がケンカする/心身1.5元論/見晴らしのいい場所

おわりに 頭木弘樹のことと私の漏らし体験 横道誠 

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著者略歴

  1. 頭木 弘樹

    文学紹介者。筑波大学卒。大学3年の20 歳のときに難病になり、13 年間の闘病生活を送る。そのときにカフカの言葉が救いとなった経験から、2011 年『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社/新潮文庫)を編訳。著書・編著に『ひきこもり図書館』(毎日新聞出版)、『うんこ文学』(ちくま文庫)、『食べることと出すこと』(医学書院)、『自分疲れ』(創元社)ほか多数。

  2. 横道 誠

    京都府立大学文学部准教授。1979 年生まれ。大阪市出身。博士(文学)(京都大学)。専門は文学・当事者研究。著書・編著に『みんな水の中――「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!――当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)、『イスタンブールで青に溺れる――発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)、『みんなの宗教2世問題』(晶文社)ほか多数。

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