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『キャリアに活かす雇用関係論』刊行記念トークイベント@紀伊國屋書店札幌本店

幸せに生きるための労働条件は私たちがつくる

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2024年1月21日に、『キャリアに活かす雇用関係論』の刊行記念トークイベントを紀伊國屋書店札幌本店で行いました。本書は、就職から始まるキャリアの形成過程をジェンダーの視点から分析し、現状・課題・解決への道筋を示した、働くすべての人の必携書。

「幸せな職業生活を自分の手でつかむために」というテーマのもと、編者の駒川智子氏・金井郁氏と、執筆者の川村雅則氏が、本書に込めた思い、本書から学びとってほしいこと、日本の雇用における問題点、私たちが幸せに働き生きていくためにできることについて、お話しされました。トークの内容を3回にわけてレポートします。

◆幸せな職業生活をつかむには

川村:幸せな職業生活をつかむためにはどうすればいいか、についてお話しいただけますか。

金井:自分だけが能力を高めて、自分でチャンスをつかんでいきましょう、ということではないんです。みんながばらばらになって、勝ち抜いていくことが促される社会は望ましくないと考えています。

 「幸せ」というときに、主観的に満足しているだけでは十分ではありません。たとえば、一日2食しか食べられなかった人が3食食べられるようになったらとても「幸せ」だと感じるでしょう。一方、もともと3食食べている人は、3食食べられることへの満足度は低くなります。つまり、主観的な満足度は比較が難しく、測っているものが違うということです。ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センは、ケイパビリティ(潜在能力)という考え方を提唱しました。ケイパビリティ(潜在能力)とは、人が選択できる「機能」の集合体のことです。「幸せ」を客観的にはかる指標が必要だということですね。

 人が自分の選べる選択肢の価値を理解し、その中から自分が価値があると思うことを選択でき、ひいてはそれがジェンダー平等でだれも取り残されない社会にするためには、まず自分の置かれた状況を理解することが非常に重要です。それによって問題に気づき、労働組合などを通じて隣の人と手をつないで、会社の構造、ひいては社会全体の構造を変えていけます。そうして、結果的にみんなの幸せな職業生活をつかんでいくことにつながります。

 ひとりで頑張って勝ち抜くのではなくて、周りの人と連帯していく、そういう方向性が重要なのではないかなと思います。

駒川:金井さんの書いてくれた「第11章 労働組合」に、とても好きな文章があります。「幸せに生きるための労働条件は、「誰か」がつくってくれるのではなく、私たち労働者が労働組合で活動することで実現できる」。

 この本は、自分が勝ち抜くためのノウハウを書いているわけではありません。もしハウツー本だったら、今の仕組みを前提にどうすればうまく対応できるかを説いていくでしょう。でも、それでは仕組みそのものは変わりません。今の仕組みを理解して、問題点を発見して、自分で変えていく、そのような力と知識を得ることができる本として編みました。

 今の社会を擦り抜けるのではなくて、おかしいところがたくさんあるのだからそれを変えていきましょう。

川村:仕組みを知ることは本当に大切です。学生さんにとって、就活は非常に苦しいものなんですよね。「あなたは何ができるのか?」ということが全人格的に問われます。内面をのぞかれているような感じがして非常に苦しい、と学生がよく言います。

 その苦しさの原因を、メンバーシップ型雇用社会という概念でうまく切り取ることができます。メンバーシップ型雇用とは、求められる能力の定義が曖昧かつ広範囲にわたり、会社への拘束性が高い雇用の形態です。たとえば、メンバーとして受け入れてもらうために、行きたくない飲み会にも出なきゃいけない、と思って苦しくなったりします。つまり、企業のメンバーになるために、狭い意味での仕事ができるかできないかだけでなく、非常に広い範囲で職務を遂行する能力の有無が問われ、全人格的な評価がされるわけです。こういう考え方を知っていると、就活している学生は「ああ、自分の苦しさはここから来てるんだ」と分かり、「苦しさ」から少し距離を置くことができます。

 学問というのは、やはり現実社会を切り取る大きな力になるのです。本書は、学問によって自分たちの苦しさを理解し、そしてそれを解決していく、そういう本でもあるのかなと思っています。

◆制度も社会も変えられる

川村:私が執筆を担当した非正規雇用は本当に深刻な問題です。大学にもたくさんの非正規雇用職員がいます。

駒川:日本はあまりにも非正規雇用を安易に、そして安く使い過ぎですよね。この方たちがいないと絶対に仕事が回らない。それなのに、数年の任期です。更新させてほしいと思っていても、「制度上ダメだから」で終わってしまう。何とかしないといけません。

金井:日本には入口規制がないので、入口規制をきちんと作っていくというのが非常に重要です。EU加盟国では、EU有期雇用指令のもと、有期雇用濫用防止のための国内法を整備してきました。たとえばフランスでは、プロジェクトで決まっている期間だけしか仕事がないと分かっているもの以外は有期雇用にしてはいけないという、入口規制があります。

一定の年数や更新回数を経たら有期から無期に転換するという出口規制も重要ですが、日本では、通算5年超の雇用でようやくその権利が得られるというきわめて不十分な内容です。しかも実際には、無期転換権が得られる直前に雇い止めが行われるという脱法行為も広がっています。

 もうひとつは、同一労働同一賃金の規制です。何をもって同一とするのかというところを見直さなくてはいけません。職務内容は一緒であっても、転勤や異動の頻度、残業や休日出勤ができるかが異なるだけで違う仕事と見なされます。少しの差をもって違う仕事ですと言えてしまうことが、非正規を増やしてきました。

駒川:いまやすでに人材難の時代です。そんな条件では、人をもう採用できませんよ、人材が流出しますよ、ということを見せていくことができるのではないでしょうか。

金井:民間では人手不足への危機感が強くなっています。たとえば、生命保険産業では契約社員を含めて全員正社員化して、全員総合職としていく流れもあります。もちろん、その中の問題は残っています。年功カーブがあるような正社員ではなくてフラットな給与体系の正社員になっています。そこは労使交渉でどのような賃金体系にしていくのかを考えていく必要があるでしょう。

 埼玉大学では、労働組合が交渉して、非常勤職員にボーナスを出すようにしました。そのように、労使交渉によって均等待遇へと差を縮めていくなかで、無期雇用化を進めていくことも重要だと思います。

川村:私の勤務する北海学園大学でも、非正規雇用の処遇を労働組合が頑張って変えてきました。かつては、1年の有期雇用の場合、何年働いても勤続年数は1年の繰り返しとみなされてきました。10年働いても1年雇用の10回の繰り返しです。ですから、給料も上がりません。そんな理屈はおかしいと感覚的に分かりますよね?

 こうした状況だったのを、まず、有期雇用の濫用をやめさせて無期雇用に変えました。給料も、勤続・経験が評価され、加算される仕組みに変えました。寒冷地手当や住居手当など諸手当も、不支給だったのを支給させるようにしました。今年度は退職金の支給にも取り組みました。何年働いても一円も退職金が支給されなかったのを、勤続や功労が評価されるよう、いま最後の詰めの協議をしているところです。

 念のため言えば、正職員と同じ仕組みにできたわけではなく、いずれも多くの課題を残しています。職務内容などと照らしたときにこれで十分だとは思いません。それでも声を大にして言いたいのは、こんなふうに、職場の労働条件は変えられるのです。金井さんがおっしゃったように、変え方は二つ、法律制度と労働組合です。

 もうひとつ付け加えるとするならば、人権やSDGsの視点です。「第13章 いろいろな人と働く」にくわしいのですが、持続可能で人間らしい働き方(ディーセント・ワーク)を企業が推進することは、世界のスタンダードになりつつあります。そんな時代において、「え? いまだに、そんなことやっているのですか?」と、私たちが問題企業などに対して抗議していくことも大きな運動になります。

駒川:私たちみんな、できることがあります。物を買う、契約をするといったときに、人権を守っている企業なのか、労働者を大切にしている企業なのか、そういう観点で選ぶことができます。頑張っている企業を応援することもできます。私たち消費者が、危機感を企業に伝えていくことは重要です。

金井:さらに、日本社会全体の意識変革も必要だと思います。「第12章 新しい働き方」にも書かれていますが、「いつでもどこでも仕事」というような長時間労働に陥ることを防ぐには、就業時間外は基本的には対応を求められないことの社会的コンセンサスも必要です。その意味で、「つながらない権利」という考え方に沿った社会的ルール作りを、企業だけでなく消費者としての私たちが作っていければと思います。

 この本を読んで、一緒にこの社会を変えていく仲間がひとりでも増えてくれたらうれしいなと思っています。

駒川:私たちは一人ひとりが大切にされるべきです。ところが、性別や人種、国籍などいろいろな属性で区分けされて、職務や処遇なども違っています。このことを変えていくためには、属性などによってどのような違いが生まれているのかをデータで見ていくことがとても大事です。

 日本では男女の違いが大きいので、この本ではジェンダーの視点を使いました。いろいろな統計が整理されていったとき、また別の視点で分析していくことが必要でしょう。それを繰り返していくなかで、一人ひとりの個性が大切にできる社会の仕組みが生まれるのだと思います。諦めないでみんなでやっていきましょう。私たち一人ひとりが賢くなって、仲間をつくって社会を変えていきましょう。

(終)


書籍の情報はこちらから

【目次】

序 章 なぜ雇用管理を学ぶのか〔駒川智子・金井郁〕

第1章 大卒就職・大卒採用――制度・構造を読みとく〔筒井美紀〕

第2章 配属・異動・転勤――キャリア形成の核となる職務〔駒川智子〕

第3章 賃 金――持続可能な賃金のあり方とは〔禿あや美〕

第4章 昇 進――自分のやりたいことを実現する立場〔大槻奈巳〕

第5章 労働時間――長時間労働の是正に向けて〔山縣宏寿〕

第6章 就労と妊娠・出産・育児――なぜ「両立」が問題となるのか〔杉浦浩美〕

第7章 ハラスメント――働く者の尊厳が保たれる仕事場を〔申琪榮〕

第8章 管理職――誰もが働きやすい職場づくりのキーパーソン〔金井郁〕

第9章 離職・転職――長期的キャリア形成の実現に向けて〔林亜美〕

第10章 非正規雇用――まっとうな雇用の実現のために〔川村雅則〕

第11章 労働組合――労働条件の向上を私たちの手で〔金井郁〕

第12章 新しい働き方――テレワーク、副業・兼業、フリーランス〔高見具広〕

第13章 いろいろな人と働く――SDGsによる企業の人権尊重とDE&Iの推進〔田瀬和夫・真崎宏美〕

終 章 労働の未来を考える〔金井郁・駒川智子〕

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著者略歴

  1. 駒川 智子

    北海道大学大学院教育学研究院准教授。 一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。修士(経済学)。 著書に『女性と労働〔労働再審③〕』(共著、大月書店、2011年)、論文に「ケアの視点から問う労働領域でのジェンダー平等」(『現代社会学研究(北海道社会学会誌)』37巻、2024年6月刊行予定)、「女性管理職の数値目標の達成に向けた取り組みと組織変化」(『大原社会問題研究所雑誌』703号、2017年)など。

  2. 金井 郁

    埼玉大学人文社会科学研究科教授。 東京大学大学院新領域創成科学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(国際協力学)。 著書に『フェミニスト経済学』(共編著、有斐閣、2023年)、論文に「人事制度改革と雇用管理区分の統合」(『社会政策』13巻2号、2021年)、「生存をめぐる保障の投資化」(『現代思想』2023年2月号)など。

  3. 川村 雅則

    北海学園大学経済学部教授。 北海道大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。 著書に『シリーズ子どもの貧困① 生まれ、育つ基盤』(共著、明石書店、2019 年)、論文に「なくそう!官製ワーキングプア」(『雇用構築学研究所News letter』67 号、2023年)など。労働情報の発信・交流サイト「北海道労働情報NAVI(https://roudou-navi.org/)」を管理・運営。

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