世界思想社のwebマガジン

MENU

京都不案内

カフェとシネマ

 若い頃はよくカフェで人と待ち合わせたり、本を読んだり、読書会をしたりと、長い時間をつぶしたものだが、家で仕事をするようになってからは、編集者との待ち合わせでもないかぎり喫茶店には入らない。コーヒーは近くでそこそこおいしい豆が手に入るし、家で自分で挽いて、ペーパーフィルターで濾して飲む。
 しかし京都に行くと、結構、カフェに行く。どうしようもなく、コーヒーが飲みたくなる時もある。そこでないとWi-Fiが飛んでいない場合もあるし、宿が寒すぎたり暑すぎたりして居心地のいいところへ逃げたくなることもある。 

 百万遍の近くには素晴らしい建物の「進々堂」がある。創業者の続木斉が設計して、1930年に開店したらしい。モーニングもやっている。漆芸家、木工家の黒田辰秋のどっしりした大きなテーブルで本を読むのは落ち着く。
 北白川別当町には、神戸のパン屋さん「DONQ(ドンク)」が8時に開く。ここのモーニングバイキングは800円、おいしいパンが食べ放題にフリードリンク付き。
 銀閣地道には「Cafe & Bar BEAR(カフェベアー)」がある。ご主人曰く、「昔は、学生がモーニングを食べにきたが、いまはみんなマンションから出てこない。私は、拝観料を払ってお寺なんか入ったことはない。昔は裏側から銀閣寺を抜けられた。銀閣寺湯は旦那さんも奥さんも体調を崩して閉めてしまった。北白川は空気はいいが、寒いね」などと、よしなしごとを話してくれる。
 金戒光明寺の門前にはサンドイッチのカフェがある。店主と話す。 

 「自分は北海道やいろんなところで2、3年ずつカフェをやっていた。京大の留学生やゲストハウスの紹介で外国人がよく来る。日本滞在中、毎日来ていた人もいた。国によって朝に食べるもの、コーヒーの濃さ、ミルクや砂糖を使うかどうか、塩加減みんな違うんだなとつくづく思う。スペイン人やフランス人は朝からこんなサンドイッチは食べない。クロワッサンとコーヒーくらい。ベジタリアンも多い。イスラムの人は豚肉のベーコンは食べられないから、それにあったものを出す。
 京都はモーニングは少ない。朝からやっている店は近所の老人のたまり場になっていて、長居して新聞を読むから商売としては旨味がない。うちは外国人が多いからか、あまり近所の人は来ない。紅葉のシーズンだけ朝7時から開けている。英語は片言だけどYouTubeで勉強した。英語の看板は書き慣れた。
 よそから来た自分にとっては京都の人はわからない。今度行く、といって来ない。こっちが行ってもいい?と聞くと、いいよというので行くと、ほんとに来たんか、という。教えてくれないくせに、間違うと、「よそもんはこれだから」と文句をいわれたりする。」

 京都に通うようになった時、国立競技場の建て替えに反対した仲間でキュレーターの森桜さんが京都住まいで、なにくれとなく私に情報をくれた。京都でお薦めのカフェ、居酒屋、おいしいもの屋さんをリストにしてくれたメールは、今も大事にとってある。時には町歩きにも付き合ってくれた。桜さんに教えてもらって一緒に行ったカフェもいくつかある。

草原カフェ
京都芸術大学(旧・京都造形芸術大学)前にある、すごい名前のカフェ。カレーとハートランドビール。 

カフェ・ヴェルディ下鴨店
下鴨神社の脇かと思ったら、下鴨本通をかなり北上したところにあった。市バスの停留所「洛北高校前」の近く。小倉あん&バターサンドにコーヒー。この店は京都芸術大学の中にも入っている。 

アカツキコーヒー
一乗寺にある白い外観のオシャレなコーヒー専門店。 

「コーヒーハウス マキ」
葵橋と出町橋の間にある賀茂川が見えるカフェ。人参と鴨肉のサンド。 

「ゴスペル」
左京区浄土寺にあるカフェ。白い洋風の建物で、ちょっと観光客向きに見えたが、中に入ると意外に静かで良い店だった。喫茶をしただけだが、次はハンバーグかカレーを食べに来よう。 

KAFE工船
河原町今出川から少し南下したところにあるビルの2階で営業。ものすごく凝った感じの店で、何を聞いても自信満々な受け答えの女性がアイスコーヒーを、まるでお茶のお点前のように入れてくれた。夜はつまみとビオワインもあるらしい。 

「柳月堂」
叡山電車の出町柳駅の斜め向かいにある。1階がベーカリー柳月堂、2階が名曲喫茶柳月堂で1954年の創業だそうだ。なんとも不思議な空気が漂っている。本を読んでいる人、楽譜をめくっている人、目をつぶっている人、おなじ毛布にくるまっている男女のカップル、居眠りしてこっくりしているおじいさん。正面の大きなスピーカーを見上げながら、荘厳な雰囲気に浸る。 

 春先には鴨川でたくさんの人たちがピクニックをしている。水につかったり、川の中の敷石を渡ったりしている。これを「鴨ピク」といい、河原で食べるランチボックスとコーヒーをテイクアウトできるお店がある。かと思うと、河原でお茶会をする人たちもいて、これを「鴨茶」と呼ぶらしい。なんて優雅な京都人。
 こんなふうに、カフェで過ごすという京都滞在の方法を覚えた。 

 もうひとつ、京都で映画を見るということを覚えた。
 気功仲間の山下さんに「京都シネマ」を薦められた。四条烏丸にCOCON烏丸という唐長文様のガラスのファサードが目を惹くのビルがあり、この3階に映画館がある。小さいながらも3つの上映室があり、朝から晩まで違うものをやっている。つまり、一日に10本くらい映画を上映しており、上手に選択すると一日5本も見られるのだ。さすがに5本はないけれど、4本は見たことがある。
 東京の私の家に一番近い「岩波ホール」では、一時期に一つの作品しか見られない。わりとよく行くのは飯田橋の「ギンレイホール」だが、ここも一時期に2本立てを繰り返している。それに比べて、京都シネマでは、こんなにたくさんの映画から選べるなんて。
 イーサン・ホーク監督の『シーモアさんと、大人のための人生入門』、片渕須直監督の『この世界の片隅に』、伏原健之監督の『人生フルーツ』、ミア・ハンセン₌ラブ監督の『未来よ こんにちは』はなかなか良かった。
 主人公のナタリーはフランスの高校の哲学教師、といえば権威ある職業だが、50過ぎて著作は売れない、成人した子どもたちは出来がよくない、夫は愛人を作って出ていく。介護していた母との別れ、才能あふれる教え子の男性への微妙な感情…。「40過ぎた女なんて生ゴミみたいなものよ」――なんだかわかるような気がするイザベル・ユペールの演技力。
 ジャンフランコ・ロージ監督の『海は燃えている』は岩波ホールで見逃したので、京都シネマで見たが、こんなに暗い映画だったとは。アフリカや中東から決死の航海で地中海を渡り、ヨーロッパを目指す難民・移民の玄関口となっているイタリアのランペドゥーサ島が舞台。12歳の少年サムエレのゆったりした日常と、緊迫した難民たちの悲劇が交わらないまま描かれる。
 地下に「天天有」という鶏白湯スープのラーメン屋、広東料理と飲茶の「老香港酒家京都」があり、映画と映画のあいだに楽しめる。
 考えてみれば、京都駅から地下鉄で今出川駅に移動するときに四条烏丸を通る。そのうち、東京から来たときと、東京へ帰るときに映画館に寄るようになった。 

 2017年の冬、宿からよほど近い出町柳の桝形商店街の中に「出町座」という映画館ができた。CAVA BOOKSという本屋さんと、「出町座のソコ」というカウンター席のカフェが併設されている。とても使い勝手がいい。2つの小さな上映室があり、いろんな組み合わせで見られるのは京都シネマと同じだ。
 ここで「バウハウス」(1919-1933にドイツにあった美術と建築を学ぶ学校)についての映画を続けて3本も見た。『バウハウス 原形と神話』(ニールス・ボルブリンカー、ケルスティン・シュトゥッテルハイム監督)、『バウハウスの女性たち』(ズザンネ・ラデルホーフ監督)、『ミース・オン・シーン』(ペップ・マルティン、シャビ・カンプレシオス監督)。これがとてもエキサイティングだった。バウハウスに学んだ人々ももう老境に入り、あるは死んでしまった。『バウハウス 原型と神話』はかつて学んだ人々による証言。画期的な方針と教育プログラムを持ったバウハウスが時代の波に翻弄され、14年でなぜ閉じなければならなかったのか。ナチスからの圧力を受けて、三代目校長のミース・ファン・デル・ローエは自主的に解散を決めた。バウハウスを賞賛する声とは裏腹に、ミースも創設者ヴァルター・グロピウスも抵抗すらしなかったではないか。関係者にはナチスに協力した者もいたという、いかにもドイツ制作らしい批判的視点のもの。『バウハウスの女性たち』は、バウハウスでいかに生き生きと女性たちが学んだかの証言。一方、『ミース・オン・シーン』はミース設計の「バルセロナ・パビリオン」の素晴らしさへのオマージュ。アメリカの大学教授になったミースが、まるで反ファシズムの抵抗者のように描かれる。こういう映画の見方は面白かった。
 私は建築史家の藤島亥治郎先生(1899-2002年)から、「1920年代にバウハウスを訪ねたが、グロピウスは夏休みでいなかった」とお聞きしたことがある。そしてデッサウのバウハウスや、ベルリンのバウハウス記念館を訪ねることができたのはその20年も後の2005年だった。ここで学んだ初めての日本人は建築家の山脇巌と妻の道子で、それぞれ建築と織物を学んだ。留学費用は富豪の山脇家が持ち、道子の『バウハウスと茶の湯』(新潮社)にはその豪勢な留学生活が余すところなく語られている。山脇邸は千駄木にあり、私はそれ以来、パウル・クレーやカンディンスキーが教えたバウハウスにずっと興味を持ってきた。
 出町座へは定宿から自転車でも行けるし、歩いてもいけるので、だんだんこちらがメインになった。

 京都駅の南側、近鉄の東寺駅近くには「みなみ会館」という映画館がある。1963年に開館した古い映画館で、九条通の南にあったが、2019年に九条通の北に移転した。1スクリーンだった旧館に対して、現在は3スクリーンを備えている。ここは町の雰囲気が北白川とまるで違う。ラーメン屋や焼きとん屋などがある庶民的な騒がしい町だ。私はここも嫌いではない。
 このみなみ会館で、ジャ・ジャンクー監督の『帰れない二人』という中国映画を見た。三峡ダムの開発でふるさとを失うヤクザの男と女の物語。映画館の外にあるキッチンバスでホットドックを買って食べたあと、オダギリジョー監督の『ある船頭の話』を見た。音楽と風景はきれいだったが、意味は不明な映画だった。
 映画館からほど近い九条烏丸の南に「ホテルアンテルーム京都」というおしゃれなホテルができたので、泊まった。このホテルは予備校の学生寮をリノベーションしたもので、夜はバーでクラフトビールが飲めるし、朝ご飯も大変おいしい。
 そこから京都駅に向かい新幹線に乗ったのだが、道筋がいつもと違って新鮮だった。

京都の人のつぶやき

 京都の大学生だった20年前と比べると、映画館が随分つぶれてしまった。河原町三条には東宝公楽が、河原町通を南下して四条に行くまでの間には京都宝塚劇場と京都スカラ座があった。新京極四条には京極東宝があり、雨のなか友人とティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』を観に行ったことを覚えている。新京極六角には京極弥生座(のちに改称して新京極シネラリーベ)があって、ミシェル・アザナヴィシウス監督『アーティスト』を観たのが最後になった。観客わずか5名、これでは経営も厳しかろう…と心配した。八坂神社のすぐ近くには二本立て映画を上映する祇園会館があった。すべてなくなってしまった。

 その代わりに、新京極三条にMOVIX京都、JR二条駅の近くにTOHOシネマズ二条と、シネコンが2つできた。河原町三条にあったミニシアター京都朝日シネマには足しげく通ったが、2003年に閉館。その元支配人・神谷雅子さんらの尽力で2004年に京都シネマができたときには本当に嬉しかった。2017年オープンの出町座は家から一番近い映画館だ。もともと薬局だった建物が映画館になると聞いたときはわくわくした。併設の書店CAVA BOOKSには、京都在住のtupera tuperaさんの絵本が揃っている。コロナ禍のなか、2020年6月に、烏丸通姉小路を下がった新風館内にアップリンク京都がオープンした。近いうち、行ってみようと思っている。

バックナンバー

著者略歴

  1. 森 まゆみ

    1954年東京生まれ。作家。早稲田大学政治経済学部卒業。1984年に友人らと東京で地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人を務めた。歴史的建造物の保存活動にも取り組み、日本建築学会文化賞、サントリー地域文化賞を受賞。主な著書に『鴎外の坂』(芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(JTB紀行文学大賞)、『「青鞜』の冒険』(紫式部文学賞)、『暗い時代の人々』、『子規の音』など。

ランキング

せかいしそうからのお知らせ

マリ共和国出身、京都精華大学学長、ウスビ・サコ。 30年にわたる日本生活での失敗と、発見と、希望をユーモラスに語るエッセイ!

ウスビ・サコの「まだ、空気読めません」

ウスビ・サコの「まだ、空気読めません」

詳しくはこちら

韓国の男子高校で教える著者が、学び、実践してきたフェミニズムとは?

私は男でフェミニストです

私は男でフェミニストです

詳しくはこちら

イヌと暮らせば、愛がある、学びがある。 進化生物学者が愛犬と暮らして学んだこと。

人、イヌと暮らす

人、イヌと暮らす

詳しくはこちら
閉じる