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京都不案内

鴨長明『方丈記』と「足るを知る暮らし」

 京都には、振動の研究者である松久寛さんがいて、行くと時々遊んでくれる。京都大学を退職してからライフワークの「縮小社会研究会」を主宰しておられる。
 「最初は何か新しい技術を考えようということで始まったんですが、もう成長の時代じゃない。シュリンク(shrink:縮む)という考え方が出てきてるというので、研究を始めました。ダウンサイジングでもいいやろね。原発が事故を起こし、新しいエネルギーもなかなかこれというのがない。いま100年分のエネルギーがあるとすると、毎年、1パーセントずつ、使うエネルギーを減らしたらどうなるか。そうするといつもあと100年分のエネルギーが残る」。
 「縮小というとしょぼいイメージで、今もみなさん、持続可能な発展と言っていますが、生産量を増やす発展は無理です。SDGsというのもまやかしです」と松久さんはずっと言っていた。縮小社会研究会のスローガンは「吾、唯、足ることを知る」。そんな手ぬぐいを染めて配っている。

 2011年の3・11の地震と津波の後、毎年のように大きな地震や台風、洪水や土砂崩れが来る。2019年、台風15号で房総半島が大打撃、私の海の見える小さな家もガラスが4枚割れ、被災届けを出した。台風19号は関東に上陸し東北へと移動して、私の第二の故郷、宮城県丸森町では阿武隈川とその支流の氾濫、里山の土砂災害ですでに10人の方が亡くなり、1人が行方不明となっている。浸水による家屋の損壊、稲刈りの済んだ倉庫もやられて、農作物の被害も甚大だ。
 そのたびに思い出したのが、鴨長明『方丈記』。中学の頃は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」という冒頭の美しい文章ばかり覚え、万物流転、「あしたに死に、ゆうべに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける」という無常観を表したものと、古文の時間に教わった。

 ところがこれだけ地震や台風が続くと、それに続く、安元3年の都の大火事、治承4年の竜巻、養和年間の飢饉、元暦2年の大地震など、平安時代末期の天変地異に興味がそそられる。たとえば元歴2年の大地震について「山はくづれて河をうづみ、海はかたぶきて陸地くがぢをひたせり」とある。『方丈記』は随筆であるだけではなく、ドキュメンタリーでもある。
 鴨長明は結論に達した。「さしもあやふき京中の家を作るとて、宝を費やし心を悩ますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍る」。こんな危険な京の中にお金を使って家を建てるなんぞバカバカしい。
 54歳の鴨長明はどうしたか。京の郊外に3メートル四方の方丈を作り、一人暮らす。京間の4畳半ほどだろうか。自分なりの生き方の流儀を書き記す。体を動かすこと。よく歩くこと。着るものも食べるものも成り行きまかせ。都心で煩わしい付き合いをせず、ただ心の平安のみを願う。

 鴨長明は下鴨神社の神官の家に生まれ、和歌と音楽を愛し、一時は妻子もいたが、50歳で隠遁してしまう。その方丈があった所を見たい、と松久寛さんにいうと、「よしきた」とばかりに車で迎えに来てくれ、伏見区日野を目指した。途中で車を停め、未舗装の道を上っていく。「鴨長明方丈石」というような看板を頼りに進むとかなりの山の中だった。「長明方丈石」と彫られた大きな碑とライオンズクラブの「方丈の庵跡」碑があり、細い川があった。

 
方丈記庵跡探訪記念標の隣に立つ松久寛さん


「長明方丈石」碑と「方丈の庵跡」碑

 「本当にこんなところに暮らしてたのかしら」「どうやって食べ物を調達したんだろう」「冬は寒そうだねえ。夏は蚊が多そう」「まあ、水は足元に流れている」。私たちは顔を見合わせた。「でも、これが足るを知る暮らし。本当の縮小社会のモデルかもしれないね」と松久さんはいう。
 下鴨神社に寄ってみると、その摂社の河合神社に白木でできた「方丈」のモデルハウスがあった。う〜ん、これで十分暮らせるかも。鴨長明は8年後、62歳で亡くなった。
 鴨長明はミニマリストの先駆者だ。私も都心でそんな暮らしを目指したい。昼間は照明をつけない。夏は窓を開けてクーラーを入れない。冬は靴下を履いて湯たんぽで寝る。それは高校生の時、ローマクラブの「地球の資源枯渇はもうすぐ」という報告書に驚いて以来のスタイルだ。また100万人に5人という自己免疫疾患原田病を患った自分の体が欲する暮らしである。眩しい、うるさいのは体が受け付けない。
 服も誰かのお下がり。買うのは下着と靴下くらい。化粧はしない。買い物かごは持っていく。「稼がず使わず」でずっと来た。企業の最前線にいる男の友人たちからは「内需拡大に寄与しないやつ」と言われ続けた。それが地球を生き延びさせる道と信じてもきた。

 松久さんには他にもいろんな所に連れていってもらった。春には三井寺の桜を見に滋賀県大津市へ。琵琶湖疏水、三井の晩鐘、天武天皇・持統天皇が産湯を使った井戸がある閼伽井屋あかいや、そこにある左甚五郎が彫ったという龍、弁慶の引き摺り鐘などを見学、時代が一挙に1000年くらいはさかのぼる。
 夏には鞍馬に行き、義経と弁慶の修行に想いを馳せ、貴船の川床の上で鮎の塩焼きやそうめんを楽しんだ。シーズン中は、道は狭いし、渋滞するし、お店は予約で満席で、かなりお高いようにも思うが、雨が降れば川床は使えない。最近も台風で流されたと聞いた。そういうリスクを考えれば、このくらいの値段設定は仕方ないのかもしれぬ。

 2019年の台風19号などは、温暖化による海面の高水温で勢力が急速強化し「スーパー台風化」したと専門家は指摘している。自分一人だけがミニマリストをやっていても、こうした天変地異は防げない。声は小さくとも言わずにはいられない。少しずつでも使うエネルギーを減らしていこう。「足るを知る」小さな暮らしに向けて。2070年に日本の人口が半減するのは避けようのない事実。だからべつに「小さな日本」でいいじゃないか。
 松久さんのお住まいは比叡平で、自然環境の中で静かな暮らしを楽しんでいる。
 「昔は京大の教授は下鴨や北白川など京大周辺に住んでいました。最近では地価もあがって、国立大学の教員の給料ではなかなか京都市内に家は持てません。でも、バスに乗れば30分弱でこの山の上に上がってきます。うちの庭は自然風なので、庭師という人が、庭をつくらせてくれと来ましたよ」。

 そのお住まいにも何度かお邪魔した。松久さんの家は建築家・増田友也の息子の令夫さんの設計でスッキリとしている。薪ストーブで、屋根の上には温水器。「これは優れもので、太陽熱で水を温めるだけで、お湯をお風呂にこのまま使えます。装置の値段は20万円くらい。ここは京都市内よりは2、3度、温度が低いので、夏も冷房はほとんどいりません」。
 と、その時、庭で一緒にBBQしていた関西医大の先生が、「冬は雪が降るし、なかなか春が来ない。でも春には、いろんな花が一斉に咲く。どっと春が来る。あの季節が一番好き」という。
 別の時には、名古屋コーチンの鳥鍋をいただく。モツも入った丸のままの鳥。奧さんの玲子さんの作ったホタテと大根のサラダも美味しい。お二人は、玲子さんが高校生で留学したアメリカで出会い結婚。彼女はラテンアメリカの女性労働などを研究する同志社大学の名誉教授である。
 最近では鹿や猪が出るので、猟師さんにその肉を分けてもらい、鹿肉のBBQができる。猪の鍋もいい。「バンビは柔らかくて、脂身がなくさっぱりして、美味しいですよ」と松久さん。最近ではリタイアした教授らと空き地を買い求め、東屋を建てたり、畑を作ったりと、田舎暮らしを楽しむ。その畑からは琵琶湖が見える。

 銀閣寺から比叡平行きのバスに乗ると途中から白川の里になり、「最後の白川女」という人がこの前まで生きていたと聞いた。ここから花を頭に乗せて、市内に売りに行ったそうである。
 その先に北白川ラジウム温泉というのがあって、昔、そこに泊まったことがある。ラジウムは癌に効くというので、日中は立ち寄り湯に来る人が多いのだが、夕方になるとひっそりした。熱い出来立てを運んでくれる料理も美味しかったし、大変気に入ったのだが、ずいぶん宿泊料が上がったようだ。京都に来るようになってから、立ち寄り湯に行ってみた。バス停に、別の宿のお姉さんが待っていて、「こちらですよ」と強引に連れ込まれてしまった。お風呂は本当に狭い四角い風呂で、上がると大広間みたいなところでゴロゴロして、うどんなどを食べられる。半日ここにいてもいいな、と思う。

 松久夫人の玲子さんから、同志社大学で「ベーシックインカム」の研究会があるときき、行ってみる。これも縮小と関係が深い。つまり、とにかく一律、健康で文化的に暮らすのに充分なお金を全国民に配分する。ここが味噌で、そうすると、生活保護も、老齢年金もなくなる。一律だから不正受給がないかどうか、審査する手間も人も省ける。いらない人は返上すればいいし、高額所得の人からは累進課税で税金を取ればいい。
 司会をしていた若い山森亮さんの裁きぶり、インドの研究者による発表の通訳も見事だったので、ちょっと立ち話した。それから、気功に誘ったり、喫茶店で色々話した。山森さんはイギリスでも、サッチャリズムから長い時間をかけて福祉が後退し、貧富の格差が広がり、希望の持てない社会になりつつあるといっていた。それはオーウェン・ジョーンズ『チャヴ――弱者を敵視する社会』(依田卓巳訳、海と月社、2017年)という本を読むとよくわかります、と教えてくれた。それでも、日本よりまだマシなそうである。
 考えてみれば、人間は働くか働かないかという以前に、一個の生命体として生まれた以上、生き続けていく権利がある。ベーシックインカムであれば、あの人たちだけはもらってるという批判をかわすことができる。
 しかし、「休息は翌日の労働力の再生産である」とか「労働に応じて受け取る」という社会主義の原則とか、今まで覚えた学説を再検討しなければならない。子どもの頃から植え付けられた「働かざる者食うべからず」という高度成長期の規範からもなかなか抜けられない。
 スローライフなどと私が言うのは欺瞞だと思う。夜も寝ずに働いてやっと3人の子どもを1人で育てた、貧乏性の癖が抜けない。でも、京都に来てやっとゆっくり眠ったり考えたり、本を読んだりできるようになった。

京都の人のつぶやき

 『方丈記』を改めて読み直してみた。天変地異の記述のなかに、遷都の記述があるのが興味深い。大火事、辻風、遷都、飢饉、地震が同列に語られている。遷都は「人災」ということか。
 誰も望まぬ遷都を強行し、旧都は荒れて新都は成らず、民の嘆きと憂えが増した、昔の賢き御世には哀れみをもって国を治めていたのに、今の世は…、という論調、昔も今も変わらない。今の日本の状況を、長明ならどう綴るであろうか。(編集者Y)

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著者略歴

  1. 森 まゆみ

    1954年東京生まれ。作家。早稲田大学政治経済学部卒業。1984年に友人らと東京で地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人を務めた。歴史的建造物の保存活動にも取り組み、日本建築学会文化賞、サントリー地域文化賞を受賞。主な著書に『鴎外の坂』(芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(JTB紀行文学大賞)、『「青鞜』の冒険』(紫式部文学賞)、『暗い時代の人々』、『子規の音』など。

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