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京都不案内

つたちゃん、たねちゃんのこと

 京都に行って、時間があれば、定宿より少し北のほうに住んでいる矢萩多聞さんのお宅をお訪ねする。今出川通から東大路に出て、自転車で北上する。とっても楽しみ。多聞さんと知り合ったのはもう12年以上前で、政治学者の中島岳志さんが連れてきた。装幀家を取材現場に連れてくる中島さんにも驚いたし、中島さんとまったく対等な友人である矢萩多聞さんの若さにも驚いた。私の息子くらいの年である。中島さんの本はみんな多聞さんが装幀し、どれもいい。私も頼もう。こんな若い人だったら、私が死ぬまで装幀をしてくれるだろう。
 最初に頼んだのは、『海に沿うて歩く』(朝日新聞出版、2010年)だったか。それからも何冊、お願いしたか。特に気に入っているのは『青鞜の冒険』(平凡社、2013年)『暗い時代の人々』(亜紀書房、2017年)。前者はあの有名な長沼(高村)智恵子の創刊号のイラストをとんでもない色と形にしてしまった。後者は、まさに内容にぴったりで、多聞さんが自分で細密画みたいなものを描いてくれた。そのうち、ほっそりしてすてきなあすかさんという女性とインドで式を挙げた。

 矢萩家に最初の赤ちゃんが誕生したのは、3.11の前月だった。横浜近郊妙蓮寺の静かな一軒家に、赤ちゃんの生まれたお祝いに行ってまもなく、東北で大地震が起こり、福島第一原子力発電所の事故が起こった。それで矢萩家は京都に引っ越すことになった。私に同じような子どもがいれば、あるいは孫がいれば関西以西に避難するようすすめただろう。とても親切な大家さんにめぐりあい、2番目に移ったところは京都でも古い団地で、敷地が広く、木々が茂ってよかった。「京都に来たら泊まってください」という申し出を真に受けて、そこの4畳半に泊めていただいたこともある。窓越しに真っ赤な紅葉が見えた。
 うちには子どもが3人いるが、一向に孫に恵まれそうにない。それで若い友人の子どもを勝手に孫だと思うことにした。つたちゃんはその第一号だ。赤ちゃんの頃は、真っ白でツルツルふわふわで、ちょっと白鵬関に似ていたが、本当に子どもの顔はどんどん変わる。つたちゃんは小さな頃から、利発で、言語能力がとびきりで、生き生きした子どもだった。自分を譲らないから、わがままにも見える。私もそんなだった。
 一度、2歳くらいの時だったか、公園で遊んでいるつたちゃんがあまり楽しそうなので、別れを告げずにそっと帰ったことがある。彼女は猛烈に怒った。「さよならが言えないじゃない」というのだ。両親はその個性を大事にして、伸ばしているように見えた。
 次に行った時は、3つぐらいだったか、インドに行った後で、マントラというお祈りに興味を持ち、自分で祭壇をこしらえ、長いマントラを暗記して唱えていた。タンスの上など高いところから飛び降りるのも好き。一階だったからいいけれど、こんなにドシンバタンと活発な女の子を育てるのも大変ではある。

 2015年に私が大病をした後、京都で会ったつたちゃんはもう4歳だった。「2月生まれなの。もう字もかける。モリさんは特別にこのお部屋に入れてあげる。かくれんぼしようよ」。レンコンの入ったお菓子が好きで、「つた、おのどが痛いから。もう一つ食べたいな」とほしがる。レンコンは喉にいいと聞いたのだろうか。かわいいなあ。「多聞ちゃんだーいすき、ママだいすき。あといまね、寅さんがすきなの」と言って、『男はつらいよ』の映画を繰り返し見ているという。
 「寅さんがすきなのは旅をするところ、人と出会うところ。特にリリーさんがすき。毎週見ているの」と、つたちゃんは自分で作った紙芝居をやってくれた――おばちゃんが「とら、なにしているんだい」。とらさんはいいました。「おばちゃん、旅にでてくるよ」。「恐竜も好き。何を食べるんだろうなあ。どんな色のうんちをするのかなあ」と言うので、福井の恐竜博物館で買った恐竜の大きなカードを送ってあげたこともある。

 そのうち、矢萩家はもう少し北の一軒家に移った。つたちゃんの弟たねちゃんが生まれた。途中でお土産を買って、家を探し当てると、路地で甲高い声が聞こえる。路地のゆるやかな坂道を利用して、ローラースケートを何度も繰り返している。自転車も通るし、危ないよ、とついやめさせたくなる。つたのすることをたねが真似る。邪険にされても、押されてひっくり返っても、たねちゃんはおっとりと気にしない。お姉ちゃんが好きでたまらないようだ。つたちゃんは、私にローラースケートも見せたいし、縄跳びもしたいし、カードゲームもしたい。そのうち眠たくなって機嫌が悪くなった。かといって、「もうそろそろ」と帰ろうとすると、「帰っちゃいや。もっと遊ぼ」と私に飛びつく。可愛いったらない。 
 多聞さんは家事ももちろん分担するが、インド料理がことに上手。なにしろ、9歳で学校を辞めて両親とインドへ行き、14歳からは一人で暮らしてきた人なのだ。いつもスパイスをいっぱい使ったおいしい料理を作ってくれる。なんという名前の料理かは毎回わからない。おいしいねえ、というと帰りにチャツネ(野菜や果物、香辛料を煮詰めて作る調味料)を瓶に入れてくれたりする。
 みんなで外にファラフェル(ひよこ豆やそら豆を使った中東風コロッケ)を食べに行った時もあった。京都のエスニック料理屋さんは矢萩家から教わった。そのほか、出町柳のうどんと鯖寿司が美味しい満寿形屋を教えてくれたのも多聞さんだった。街でばったりあすかさん母子に会い、つたちゃんが「モリさんとご飯食べた〜い」というので、駱駝という四川料理の店にも行った。

 次に行ったのは、ちょうどつたちゃんが小学校に入ったころだった。つたちゃんは相変わらず「モリさんに見せてあげる」と言って、宝ヶ池で拾った石とか、自分で作ったビーズの飾りを持ってきて、それをくれた。今、それは私の自転車の鍵に付いている。
 親たちがご飯の用意をする間に、たねちゃんは今夢中になっているサーカスの絵本などを「読んで」と次から次へと持ってくる。つたちゃんは絵本から活字時代に入っている。「ワカオカミ」と何度も早口で言うので、どんな狼かしらと思ったら、「若おかみは小学生!」というイラスト付きの読み物だった。夢中になれるものがある子ども時代はなんて素敵なんだろう。


忍者ごっこをするつたちゃんとたねちゃん

 ここはお父さんが家にいて、夫婦でよく子どもの話を聞く。丁寧に子どもの疑問に答える。指図はしない。妙な期待はしない。私は離婚して3人をワンオペで育てたので、いつも「うるさいわね、後にして」と追い払った。反省して自分の子育てをやり直したくなる。
 庭に出て、「あのね」と小学校の話がはじまった。「いたずらな男の子に、別の部屋に行きなさいって言うの。その間に、先生がその子の悪いところをあげなさい、とか、良いところをあげなさい、と言うの」。そんな欠席裁判を自分もいない間にされるのではないかと恐怖にかられるらしい。
 私が中学生の時、クラス内の人間関係を調べるとかで、このクラスの中で好きな人をあげよ、嫌いな人をあげよ、なぜ嫌いなのかを書け、というアンケートがあった。あの時、自分が「嫌いな子」に書かれるのではないかとみんな怯えた。大変不愉快な経験だった。今でもそれに似たようなことをやっているのだろうか。
 「それからね。宿題にあれもしろ、これもしろ、と言うの。つたがやりたいことはいいんだけど、やりたくないこともあるよね。それ全部しなくちゃいけないの」。この子は正岡子規や南方熊楠みたいなタイプだ。彼らも1時間ごとに算数、国語、理科、体育などと細切れに習わされるのは嫌だった。一日、道を歩くアリを眺めていたかった。
 こんな話も聞いた。「学校はいろんな変なことがある。今日、「あなたはいじめにあっていますか」というアンケートがあったの。「ある人は、その内容を書きなさい」と言うの」。「いじめ」についてはっきりとした定義もしないままこんなことを聞いていいのだろうか。言葉を知らない1年生に、ただの喧嘩や言い争いも「いじめ」として把握させてしまう。「不審者が学校に入った時の秘密の合図というのもあるの」。小学校1年生に、「不審者」などという大人のタームを教える必要があるだろうか。大事なのは人を信じられる人間に育てることではないのだろうか。私の周りでも、大人が「おはよう」とあいさつしても知らんぷりの子どもが増えている。「知らない人とは話してはいけません」という教育がされているからだろう。そういう上からの指示より、万が一、本当に悪い大人に会った時に察知して関わらない知恵とか危機管理力、人を見る目をどうやって育てるかの方が大事だと思う。
 「給食の時は黙って早く食ベなさい、と言うんだよ。それで、後5分で給食終了の時にはポンポンポンピーンって、すごく大きなチャイムがなるの。勉強の時間に手をあげるときも、誰かが意見を言うと、それに賛成の時、付け加えることがある時、今の意見に反対の時、みんな手のあげ方が違うの」と不満と怒りが続く。
 呆れた。なんとくだらないことだろう。昭和30年代、私が小学生の頃、給食は先割れスプーンで食べなければならず、あの尖った先が舌に当たるのが嫌だった。脱脂粉乳は絶望的にまずかったし、三角食べといって、パンとおかずと牛乳をまんべんなく順番に食べるようにと言われた。残すとタッパーに入れて持って帰らされた。残飯が少ない方が教師の評価が高くなるからである。階段の二段上がり、二段下りは禁止、左側通行。こんな学校に行く必要はない。次男が中学1年生からずっと不登校だった私は思うのだった。きっと、つたちゃんは足に合わない靴をはかされているようなんだね。
 つたちゃんはその後、学校に行かなくなり、今はもっと自然のある郊外で遊んでいる。お父さんの仕事についていくこともある。読みたい本を読み、知りたいことは辞書を引き、時にはプールで泳ぎ、「なんでなんで」と大人たちを質問攻めにしている。

 2019年に矢萩家に行った日、「あ、今日は私、お誕生日だ」と言うと、多聞さんは「なんだ、早く言ってよ」と自作の装丁を集めた本をプレゼントしてくれた。つたちゃんはお祝いに手品をしてくれ、たねちゃんは歌を歌ってくれた。本当にうれしい誕生日になった。 
 2020年の秋には、つたちゃん、落語にはまっていた。春風亭一之輔という噺家に夢中で、大阪で聞いてきたばかりだそうだ。背が伸びたぶん、ほっそりして、髪の毛も長くなって、すっかり少女だ。座布団で高座をつくり、早速一席、演じてくれた。たぶん、一度聞いたら全部覚えてしまうのだろう。
 落語家に入門すると、師匠がその話を弟子の前で一回だけ演じてくれる。それを弟子はかたずをのんで見守り、一回で覚えるのだと聞いたことがある。今のつたちゃんならできるだろう。なんだかワクワクする。
 家に帰ってから、私が『円朝ざんまい』(平凡社、2006年)を書くときに集めた落語の本や音源をつたちゃんに送った。目が悪くなって、もう二度と読むまい。なんでも吸収する少女が使ってくれれば。「好きな「さぎとり」が入っていてうれしかったです」というハガキが来た。それは惜しまれて世を去った二代目桂枝雀のテープだった。もちろん、今やどんな噺でもYouTubeで聞けるのだけど。

京都の人のつぶやき

 1980年代に、全校生徒1600人を超える大阪のマンモス校に通っていた私。今思い出しても「嫌だったなぁ」と思うのは、朝礼や行事で生徒たちがグラウンドに集合するとき、「急げ!走れ!並べ!」と先生たちが叫ぶことだった。まるで軍隊みたい。当時は、男女別名簿が一般的で、何をやるのも「男子が先。女子は待機」だった。並ぶときも男女別。体操をするときは隣の人と当たらないように、「女子、一歩後ろ!」と言われるのだった。どうして女子がいつも一歩後ろなんだろう?と解せなかった。まだ、「受動喫煙」なんて言葉もなく、職員室はタバコの煙でもうもうとしていた。
 自分の子どもが小学生になって感じるのは、少しずつかもしれないけれど、学校は良い方向に変わっているということだ。もちろん、校内は禁煙。男女混合名簿で、誰もが「さん」付け。クラスの人数は20~30人で、先生の目配りが行き届く。給食はごはんが週4日、みんな自分のお箸で食べている。3月のある日の献立は、麦ごはん、さわらのたつたあげ、かまぼことキャベツのいためもの、菜の花のすまし汁。う~ん、おいしそうだ。先日、学活で「男女のちがいについてかんがえる」という授業があった。「どんなお話だったの?」と息子に聞くと、「どんな色を好きになってもいいよね。男の子の色、女の子の色なんてないよね」ということをみんなで話し合ったとのこと。つまり、ジェンダーの話だったのだ。ふだん使う持ち物のイラストにそれぞれ好きな色を塗ったらしい。息子のプリントを見ると、黄色い運動靴、黄緑色の縄跳び、水色の手袋、オレンジの帽子と丁寧に塗ってある。その色とりどりにうれしくなった。

 

 

*矢萩多聞さんのエッセイ「美しいってなんだろう?」を「せかいしそう」で連載中。つたちゃんのつぶやきも必見です。

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著者略歴

  1. 森 まゆみ

    1954年東京生まれ。作家。早稲田大学政治経済学部卒業。1984年に友人らと東京で地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人を務めた。歴史的建造物の保存活動にも取り組み、日本建築学会文化賞、サントリー地域文化賞を受賞。主な著書に『鴎外の坂』(芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(JTB紀行文学大賞)、『「青鞜』の冒険』(紫式部文学賞)、『暗い時代の人々』、『子規の音』など。

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