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美しいってなんだろう?

美しき「石」

  

 家にお客さんがたずねてくるたび、すこしだけ真剣に部屋の掃除をする。
 日々の生活でたまった紙や絵やモノ、だしっぱなしになった絵本やおもちゃを、かきわけながら片付けていくと、かならずといっていいほど石がでてくる。
 「石がでてくる」といっても、なにも畳から生えてくるわけじゃない。子どもたちが山や河原、あるいは公園でひろって、ポケットにつめこんで帰ってきたものだ。
 スベスベまあるい石、ジグザグとがった石、動物やのりものにみえる石、赤や白のしま模様の石、キラキラした石英がまざっている石。サクサクと縦にわれる山の石は「恐竜の歯」と呼ばれ、恐竜好きの息子のお気に入りだ。
 どんぐりや松ぼっくりをひろうのと同じ。どうしても必要なものではないが、捨てるに捨てられず、ついためこんでしまう。箱にいれて整理したり、絵を描いたりすることもできると思うが、どうもそんな気にはならないようで、ただころんころんと散らばるままになっている。

 子どものころ、ぼくにはなんでも商売にむすびつける悪いくせがあって、登下校の道すがらひろい集めた石を、同級生たちに売りつけようとした。かたちや色からA、B、Cなどと、もっともらしい等級をでっちあげて、手書きの料金表までつくったのだが、いざ商いをはじめる直前、先生に見つかってしまい、やむなく店じまいとなった。
 大きくなって、街に石を売る専門の店があると知ったときは、自分のもくろみはけして見当違いじゃなかったんだ、とうれしくなった。ただ、ぼくは宝石や珍しい鉱石を売り買いしたいとは思わなかった。ほかの人には見向きもされない、なんでもない石に自分だけの意味をみつけて面白がるほうが性にあっていた。



 

 この地球にはおおきくわけて三つの生き物が住んでいる。動物、植物、鉱物だ。犬や猫はふわふわしたからだや、かわいらしい仕草で人間をいやしてくれる。庭の植物は太陽と水を与え、ていねいにお世話すれば、それに応えてすくすく育つ。そのふたつにくらべて、石と人との付き合いはわかりやすくない。
 雨の日に駅までカサを持ってむかえに来てくれる気のきいた石はいないけれど、雨にぬれてひとり帰る途中、道ばたで水に光る石をみてはっとすることがある。
 石は自分の足を持たないかわりに、川や風やほかの生きものたちの力を借りて旅をする。
 かつて地球にいん石が落ちたとき、地面からえぐりとられ、宇宙まではね飛んで、ふたたび地上に戻ってきた石もいた。彼らは高熱でドロドロに溶け、冷えて固まり、にぶく輝くガラス玉のような姿になった。人間の宇宙飛行士よりずっと前、生きもののなかで一番はじめに大地をはなれ宇宙を旅したのは石だ。 

 南インドにマハーバリプラムという海沿いの町がある。ここは世界遺産としても有名な古いお寺が建ち、岩山には古代の人々が描いたみごとな石彫がのこされている。なによりも目をひくのは、バターボールとよばれる十メートルを越える巨大な石たちだ。
 山の高い場所にゴロリと転がる彼らは、転がり落ちそうで落ちない絶妙なバランスをたもったまま昼寝をしている。むかしむかし王様が象をつかって動かそうとしたけれど、押して引いてもビクともしなかったそうだ。
 この町にかぎらず、南インドには大きな岩がごろごろしている山がたくさんある。
 猿の神さまハヌマーンが空を飛んで、ヒマラヤ山脈から薬草を山ごと運ぶときに、ぽとりぽとりと落としていったものだ、と神話は伝えているが、どちらにせよ人の力わざで運んだものではない。ちっぽけな人間には計り知れない、気の遠くなるような歳月をかけて、石たちが自分たちの意思でじわりじわりと山をのぼっていったのだとしたら、どんなにゆかいなことだろう。



 

 長年暮らした街、バンガロールの郊外にナンディヒルとよばれる山がある。
 くねくね道を車で登ること二十分、標高一四〇〇メートルの頂上は帽子をふせたようなかたちの大きな岩でできている。ようしゃなく吹きつける風に押されながら、そろりそろりと突たんに立つと、三六〇度どこまでいっても岩だらけの地平線が見渡せる。風にのって空にまいあがり、そのまま飛んでいけそうだ。
「ナンディ」とは聖なる牛のこと。牛は田畑をたがし、乳をわけ与え、糞は肥料や燃料になる。牛は農村の生活ではかけがえのない動物である。
「ナンディヒル」は聖牛の丘という意味だが、頂上のお寺に祀られた牛の石像は意外とちいさい。ピクニックを楽しむのにはいい場所だけど、お寺としてはしょぼいなあ、と内心思っていた。
 あるとき、ナンディヒルの帰り道、山を降りてしばらく走った国道で車を停めたことがあった。このあたりはぶどうの産地として有名で、一帯に広がるぶどう棚の合間に大小のワイン工場も点在している。道ばたに布を広げ、ふぞろいな果物を並べているおばあさんたちから、お土産に何房かのぶどうを買ったのだ。車に戻ろうと後ろをふり向いたぼくは、ユーカリの林のむこうにたたずむナンディヒルを見てはっとした。
 下界から見上げた山のシルエットは、なだらかな丸みをおびていて、足を折り曲げくつろぐ牛のお尻のかたちそのもの。インドの農村で暮らしたことがある人ならば、すぐピンとくるだろう。ナンディヒルは、牛を祀るお寺がある山ではなく、山全体が牛の姿をしているのだ。

 あの日からぼくの目は変わった。町や道や山のいたるところで、岩や石のなかに牛の姿を見つけるようになった。牛だけじゃない。石たちをじっと見つめていると、とくんとくんと波打つ鼓動が聞こえてくるような気がした。
 家にたくさんの猫たちがいたころ、遊びにきた友だちは、

「どの猫も真っ黒で、まったく見分けがつかないね」

と笑った。でも、おさないときから猫たちと一緒にいるぼくは、たとえ、目をとじていても、からだや毛並みを触るだけでどの猫かすぐわかった。おなじように、目を閉じて石をなで回していると、それぞれの顔やからだが見えてくる。感触のいい石ころを指先でさわっていると、どんなときもふしぎと心が落ち着く。ある時期、ぼくのポケットにはいつも石がはいっていた。



 

 日本にいる時間がながくなって、いろんな場所にでかけるようになると、はじめての町に行くときは、まず地図を見て、石に関係した場所や、石を祀った神社がないか調べた。町がどんなにあたらしくつくり変えられていたとしても、どこかしらに長い年月居座りつづけている石がいるものだ。その土地の古い生きもの、もの言わぬ長老に会いに行くような気持ちで、数え切れないほどの石たちと出会ってきた。
 どの場所も思い出深いけれど、山形の湯殿山神社のことは忘れられない。
 湯殿山は出羽三山のひとつで、修験道のお坊さんたちの修行の場。昔はお参りにいっても、どこにあるか、どんなところか、他の人に詳しく教えてはいけなかったそうだ。いまでもカメラ撮影は禁止。大鳥居をくぐり、ヤブがおいしげるほそい山道をしばらく歩くとちいさな入口にあたるが、そのまま足をふみいれてはいけない。くつやくつ下を脱いで、おはらいをうけ、紙のひとがたに息をふきかけ、小川に流してから境内にはいる。はだしにならないとはいれないなんて、まるでヒンドゥーのお寺みたいだ。
 ふつうの神社のような神さまを祀る社やお宮はない。青空の下、おおきな岩の前にちいさな丸鏡としめ縄があるだけ。岩の頭からは温泉がこぽこぽとわいている。鉄分を多くふくむお湯のせいで、赤黒く染まった岩は、おおきな牛に見える。さしづめ、赤べこだろう。
 参拝者たちはお湯で足を清めながら、岩のまわりをめぐり歩き、祈りを捧げる。足うらにかんじるお湯の温度は熱すぎない。牛のあたたかい腹をさわったときのような、なんともいえない懐かしい心持ちになる。ああ、ここは日本のナンディヒルだな、と思った。
 神社でいただいてきた火除けの護符は、真っ黒な墨で刷られた牛の姿がなんともかっこよく、いまもわが家の台所の壁で火元を見守っている。




 友人の写真家・吉田亮人さんと、彼の故郷宮崎に遊びにいったとき。ふたりでドライブがてら、宮崎市から海岸線を南に下り、鵜戸神宮という海辺の神社へ行った。
 目の前は海。切り立った岸壁には、子どもが粘土遊びをしてちぎって投げたようなかたちの丸っこい砂岩が転がっていて、その間をぬうように「ヘゴ」というシダの仲間の古い植物がにょきにょき生えている。京都の森に生えているかわいげのあるシダではなく、ソテツやナツメヤシのように背が高く、幹も葉も大きい。ふにゃふにゃの砂岩とあいまって、岩の影から恐竜でも現れそうな風景だ。
 お宮は階段を下った先、風と波によってつくられた洞くつのなかにある。神社のすぐ近くにある「鬼の洗濯板」といわれる岩は一千万年から百万年ほど前にできた地層だというから、きっとこの洞くつもそうとう古いものだろう。
 洞くつのなかを歩いていると、ぴちょんぴちょんと肩にしずくが落ちた。見上げると天井にコブのようなふくらみがある。「お乳岩」とよばれるこの岩には言い伝えがある。
 神代の昔、海の国のお姫さまトヨタマヒメは、地上の王子ヤマサチヒコと結ばれてお腹に赤子を宿し、この鵜戸の洞くつにお宮をつくって、出産することになる。

「お産のとき、わたしの姿をみてはいけません」

 トヨタマヒメとかたく約束したにもかかわらず、ヤマサチヒコは気になるあまり、つい洞くつのなかをのぞき見てしまう。そこには美しい女の姿はなく、おそろしいワニが痛みにうねりのたうち回っている。正体を知られたトヨタマヒメは、みずからのおっぱいをひきちぎり、洞くつの壁にはりつけると、海へと帰り、二度と地上に戻ることはなかった。トヨタマヒメのおっぱいはお乳岩となり、残された赤子はその乳を飲み生きながらえ、ウガヤフキアエズノミコトと名付けられた。
 海からきて海へ帰ったお姫さまは、どんな気持ちでここを去ったのだろう。残された赤ん坊は、ぽっかりとあいた洞くつの向こうに広がる海を毎日見て、お母さんの帰りを待っていたに違いない。約束をやぶってのぞいてしまった王子さまは、自分のしたことを一生悔やんだかもしれない。
 そんなことを考えながら、ぼくは上を向いて、あーんと口をひらく。いち、に、さん……お乳岩からしたたり落ちた水滴を味わう。かすかな甘味、潮の香りが口のなかに広がる。この広い世界には水も鉱物だという考え方もある。何万年もの時をかけてみがかれた石が水に溶け、ぼくのからだのすみずみに染みこんでいくさまを想像した。古代の人たちもこうして、ここで岩のお乳を飲んだんじゃないか。
 洞くつはかまくらのようになっていてかべは湿っている。海からの風をたくわえ、空気は生温かい。まるで大地の子宮のなかにいるようだ。



 

 ヒンドゥーの偉大な神さまのひとり、シヴァ神を信じる人たちのなかにリンガヤットというグループがある。彼らはみな、ちいさなくす玉のようなかたちの首飾りをつけている。首飾りのひもを解いて、くす玉部分をぱかっとあけると、なかから「リンガ」と呼ばれるまんまるな石がでてくる。ちょうど日本の縁日でみかけるスーパーボールくらいの大きさで、すべすべに磨かれている。
 リンガはシヴァ神のちんちんで、宇宙のはじまりとおわりをむすぶ卵でもある。リンガヤットの人びとは、ときどき、この石を取り出してていねいに洗い、牛乳をかけ清め、花やお香を捧げ、お経を唱え、歌をうたってかわいがる。そうすれば、わざわざお寺にお参りにいく必要はないという。
 昔のイスラームの詩人で、こんな詩を歌ったひとがいた。

「いく千冊の本を読んでも、おのれの物語を読まねば、真実を知ることはできない。この世すべての寺を巡っても、おのれの寺を参らねば救いはない」

 ぼくはリンガヤットの人たちがうらやましい。宇宙のはじまりとおわりが、いつも自分の胸にあると感じられたら、どんなに心強いことだろう。
 よくよく考えてみれば、人間が暮らすこの地球という星もまたおおきなおおきな石のかたまりだ。何万光年もはなれた星から宇宙人が地球を眺めたら、エベレストも大文字山もたいした違いはない。ちっぽけな砂つぶと同じ。庭の地面をにげまどうアリにとっては、ちいさな石ころでさえ、バターボールのように見えるだろう。
 ぼくらは目を閉じることで、どちらも見ることができる。アリの目にも、宇宙人の目にもなれる。目で見えないものがあるからこそ、心で見ることができる。ポケットのなかに石があり、ふれることができる。そこには文字では書きつくせないほどながい時間とともに、無限にふくらみつづける宇宙の物語が刻まれている。  

娘つたのつぶやき

 わたしは、きれいな石を見つけると、ついひろってしまうクセ?がある。公園で、遠くでなにかがキラッと光るとかけだしてしまう。
 いざ、そこまでかけて行って、それがとてもきれいな石ということもあるが、ガラスだったり、ただのどんよりした石だったり。ガラスはあぶないから、人がふまないような所になげる。
 たとえ、ただのどんよりした石でも、太陽の光ではんしゃして光ったのだから、どんなむきにおくと光るのか、考えたり、遠くからながめたりして、実験する。
 きれいじゃなくても、おもしろい石でらくだに見えたり、魚に見えたりする石もある。
 宝ヶ池の山には、たとえば、地そうのように赤と白のしましまになっている石、わるとなかが青っぽい石、きょうりゅうのきばのような石、サンドイッチのような石、ショートケーキのような石、石器のような石が山のようにおちている。山といっても石ですけどね。 

 たもんは「ただころがるままになっている」と書いていたが、じつはそうではないと言えるし、そうでもあるとも言える。
 なぜかというと、弟は石をちらかしているけども、わたしはちらかしていないからだ。そりゃあ、多少はころがっているけど、それもきまった場所にあるし、理由もある。
 ひとつは、お気に入りの石で、いつでも見えるようにしておきたいから。もうひとつは、弟とままごとをするときにつかうから。
 もうひとつは、新米、つまり新しい石。ひろってきてから、まだ間もない石だと、外に出ているままになる。ベテランの石は、一、二年ほど前から、クッキーのいれものにいれてある。
 そして、家にきたお客さんにえらんでもらって、ひとつだけあげるのだ。形も色もさまざまで、けっこうまよってくれる。いっぱいお客さんが来たって、そうかんたんには、なくならない。なぜかって? それは、月に一回くらい、新しくひろいに行くからであーる。
 けれど、最近は、山にのぼってもひろう必ようがなくなったから、よっぽど気に入った石がないかぎり、ひろわない。コロナのえいきょうで、お客さんが家に来ないし、ざいこがまだまだあるからだ。

 あと、もうひとつ。これはたもんの文章の感想なんだけど、つたも、そのお乳岩のお乳を飲んでみたい。そのかすかな甘みをこの舌で味わい、その潮の香りをこの口と鼻で感じてみたい。お乳岩のある洞くつの中に足をふみ入れてみたい。わたしの家族といっしょに。
 わたしも甘い水は飲んだことはあるけれど、潮の香りが口の中にひろがる甘い水なんて飲んだことがないので、いま、ものすごく飲んでみたい。

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著者略歴

  1. 矢萩 多聞

    画家・装丁家。1980年横浜生まれ。9歳から毎年インド・ネパールを旅し、中学1年生で学校を辞め、ペン画を描きはじめる。1995年から南インドと日本を半年ごとに往復し個展を開催。2002年から本をデザインする仕事をはじめ、現在までに500冊を超える本を手がける。2012年、事務所兼自宅を京都に移転。著書に『偶然の装丁家』(晶文社)、『たもんのインドだもん』(ミシマ社)、共著に『タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)、『本を贈る』(三輪舎)がある。http://tamon.in

  2. つた

    2011年横浜生まれ、京都育ち。小学校は昨年から永遠の春休みにはいり、風のふくまま気の向くままフリースクールとプールと図書館に通っている。本があれば、どんな長い時間でも退屈しない本の虫。好きな映画は「男はつらいよ」。いつの日か車寅次郎と再会することを夢見ている。矢萩多聞の娘。

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