「空気を読む」を読む【前編】
第1回から第9回まで、「空気」がどのようなコミュニケーション・ギャップを生んでいるかについて、語ってきました。一年間の連載も、いよいよ最終回です。最後は、「空気を読む」行為そのものについて、考えたいと思います。
アイデンティティ・クライシス
「グローバル人材」なんていう言葉があるそうです。さまざまな定義があると思いますが、例えば文部科学省は、次のようにいっています。
グローバル人材とは、世界的な競争と共生が進む現代社会において、日本人としてのアイデンティティを持ちながら、広い視野に立って培われる教養と専門性、異なる言語、文化、価値を乗り越えて関係を構築するためのコミュニケーション能力と協調性、新しい価値を創造する能力、次世代までも視野に入れた社会貢献の意識などを持った人間
(産学連携によるグローバル人材育成推進会議「産学官によるグローバル人材の育成のための戦略」)
――いや、そんなん、どこにおんねん……!
これを読んだ他の人のリアクションを見ていると、そう思ってしまうのは、私だけではないようです。
生まれてから死ぬまで、ひとつの文化・社会のなかで過ごすというモデルは、グローバル化によって揺らいでいます。暮らしや学び、仕事のなかには、あらゆる国の人・物・仕組みがあふれ、もはや自国の常識だけにすがることは難しくなりました。
そして、軸となるアイデンティティがわからなくなったり、崩れたりしてしまっている人が、世界中で増え続けています。現代はまさに、アイデンティティ・クライシスの時代なのです。
「日本人」というアイデンティティも、例外ではありません。それは、教育や伝統によって引き継がれてきた意識にすぎず、絶対的なものではないのです(第9回 「日本人」という幻)。
たしかに、日本の内部には、規律やマナーがまだまだ色濃く残っています。
京都の鴨川に行くと、人びとが等間隔の距離を空けながら規則的に座っています。それを見ると、私はいまだにきょとんとしてしまいます。他の国では、人びとがこんなに整然と並んでいる様子を見たことがありません。渋谷のスクランブル交差点で誰ともぶつからずにすれ違っていく日本人の姿に、驚愕する外国人も多いことでしょう。
鴨川(京都)
三里屯(北京)
ジョルジュ=ポンピドゥ広場(パリ)
しかし、その秩序は、「空気」によって保たれており、あいまいで、つかみどころがありません。しかも、他者のためというよりは、「ルールだから」と惰性になっていたり、融通が利かなかったりするケースもあります(第7回 空虚な「マナー」)。
そのため、よそ者がひとり入り込むだけで崩れてしまいます。日本人同士の暗号によってつくりあげられてきた秩序は、多様化する社会においては、驚くほどに脆弱なのです。
ひきこもる「空気」
「親しい(close)と同時に閉ざされている(closed)」とは、アメリカの社会学者リチャード・セネットの言葉です。彼は、都市空間の細分化が進み、それぞれのコミュニティ内での親密度が高まれば高まるほど、排他性が強くなることを指摘しました。
また、そういった不寛容の根幹にあるのは、じつは、うぬぼれや自尊心などではなく、自信の喪失にほかならないといいます。社会から切り離される不安があるからこそ、内輪の習慣や感情を共有することによって「絆」を確認し合い、閉じていくのです。
そして、少しでも自分と異なる人間を見つけたら排除します。これは、たとえ同じコミュニティ内の人間であっても起こりうることです。絆は、いわゆる「兄弟殺し」に至る危険性をはらんでいるのです。
風習や習慣は、もともとは何らかの信念や必然的な理由から生まれたにもかかわらず、仲間かよそ者かを見分けるための踏み絵と化します。お互いに監視し合うなかで、本来の目的を見失い、もはや型を守ること自体が目的化していくのです。
セネットは、現代人が破壊的な温もりに囚われている状況をふまえ、18世紀の都市を再評価しました。フォーラム(広場)としての機能が生きていたかつての都市では、見知らぬ人同士の表現豊かな社交が活発だったのです(『公共性の喪失』晶文社、1991年)。
「空気を読む」ことも、もともとは他者への配慮から生まれた工夫だったのではないでしょうか。それなのに「空気」が、無自覚的に他者を排除し、内側に逃げ込むために利用されてしまっているならば、本末転倒です。それこそ、「公共性の喪失」にほかなりません。
「空気」と「空間」
文化人類学者のエドワード・ホールは、直接的な言葉ではなく、文脈や暗黙知を重視しながらコミュニケーションをとる文化を、ハイコンテクストと位置付けました。それに対し、言葉どおりの明確な意味に沿い、論理性を重視しながらコミュニケーションをとる文化を、ローコンテクストと位置付けています(『沈黙のことば』南雲堂、1966年)。日本の「空気」は、ハイコンテクスト文化の最たる例のひとつでしょう。
日本の本屋に行くと、「空気を読む」ことをテーマにした本があまりにもたくさんあり、圧倒されます。外国人だけではなく、日本人同士の間でも、「空気」によるコミュニケーション不全が起きているのでしょうか。
ただし、その多くは、「空気を読む」という枠のなかでどうやってやり過ごすか、というマニュアルのようです。「空気」の読み方は書かれていても、「空気を読む」こと自体をどう考えるかは、ほとんど書かれていないのです。
「『空気を読む』という枠から一歩引いて、日本を見つめなおさなければならないのではないか」「『空気を読む』ことそのものを、〈読む〉必要があるのではないか」。私は、そのような思いから、この連載を始めました。
私の専門は、人間と空間のあり方を考察する「空間人類学」です。それもあり、「空気」の問題を考えるうえで、「空間」がヒントになるのではないかと考えています。
「空気」とは、無形(intangible)であり、「経験」の蓄積によって解読できるようになる抽象的なコード(暗号)です。一方、「空間」とは、有形(tangible)であり、身体的な「体験」を生み出す具体的なスペースです。
コミュニケーションを媒介し、円滑にする、という意味では、「空気」も「空間」も、本来は同じファシリテーションの機能をもっているのだと思います。
「体験」と「経験」のハーモニー
「空気」を読めない外国人であろうと、ワークショップという場があれば、日本文化を気軽に体験することができます。ただし、観光客気分で「体験」するだけでは、「経験」を積むことにはなりません。
浴衣体験やチャンバラ体験は、外国人観光客に人気のワークショップです。しかし、それだけでは、日本の精神文化や「空気」を理解することはできません。経験を積むには、膨大な時間と、知識をつける根気が必要です。
京都について学ぶ、という授業を私がコーディネートし、釜師の大西清右衛門さん(第16代当主)をゲスト講師に招いたときのことです。
彼は、数百年前につくられた本物の茶釜を、美術館から運んできました。そしてさらに、学生たちに茶釜を直接触らせてくれたのです。そのうえで、先祖代々の仕事や物語、茶釜の精神性などを、対話のなかで語ってくれました。
受講生には予備知識がなく、言葉で説明するだけでは通じるものでもありませんから、まずは体験させてくれたのだろう、と思いました。たしかに、座学だけでは、単に鉄を叩くだけの仕事だと思われかねません。
正直にいうと、最初は、本物なんかもってきて、この人いったいどういうつもりなんやろ、壊れたらどうすんねん……、と思っていました。
しかし、実際に茶釜をその場に置いた瞬間、学生たちに何かがファーっと伝わったのを、肌で感じました。
私はいまだに、あの茶釜の手触りとともに、誠実な手間ひまや歴史的な重みを、具体的な感覚として思い出すことができます。きっと、その場にいた学生たちも、同じでしょう。
授業の場に、茶釜という触媒がもち込まれたことで、清右衛門さんと私たちはつながりました。そして同時に、茶釜は彼と先祖とをつなぐものでもありました。人間と、空間と、時間、すべての間で、交流が起きていたのです。
もちろん、この授業だけで「経験」できたなどとは思いません。しかし、単なるワークショップを越えた学びとなった実感があるのも事実です。
レジャー的なワークショップは、他人の動作などをあくまで他人事として観察し、真似するだけで、その場かぎりの消費に終わってしまいがちです。しかし、熟練者と初心者がそれぞれ自分事として「本物」と向き合い、身体感覚も交えて共有(共感)する場は、深い精神性の一端に触れるきっかけに満ちています。
「経験」には、場をともにしながら、身体的にも精神的にも共鳴する、インタラクティブ(双方向的)な「体験」が欠かせません。そこでのコミュニケーションは、五感を最大限に活かしたものとなるでしょう。それを、一つひとつじっくりと積み重ねることで、文化は自分の細胞の一部となるのです。
勇気ある日本の不便
西洋近代的な価値観では、「一空間、一機能」が主流になっています。そのほうが空間の目的がわかりやすく、使うためのリテラシーや労力も少なくてすむからでしょう。
ところが、日本は違います。例えば畳の空間は、ちゃぶ台を出せばお茶の間、ふとんを敷けば寝間 (寝室)に変化します。行為ごとに道具を入れ替える手間によって、ひとつの空間に複数の機能をもたせるのです。
日本人にとってはあたりまえすぎて、むしろ多少の手間をかけたほうが、楽なのかもしれません。ちゃぶ台とふとんのチェンジくらいだったら、外国人でも耐えられるでしょう。しかし実際には、あらゆる空間に思いがけない機能や難解な決まりが張りめぐらされいて、恐怖です(第4回 「日本はスリッパ多すぎる!」)。私は今でも、リテラシーを要求される日本の生活のなかで、戸惑うことが多々あります(第5回 作業化する「おもてなし」)。
一見、何のためにあるのかわからない不便な空間を使いこなせるのは、日本人に圧倒的な経験と知識があるからです。それだけでなく、日本人は準備や片づけの手間をとおして、精神面のコンディショニングをしたり、修行的な意義を見いだしたりする知恵を育んできました。
京都大学でシステム工学を研究されている川上浩司さんは、「不便で良かったこと」「手間をかける益」を「不便益」と名づけています。
例えば、アクセスの悪い観光地ほど思い出に残ったり、電子辞書よりも手間のかかる紙の辞書のほうが、他の情報も目に入り、学びが深まったりすることなどが挙げられます。不便なものには「引っかかり」がつきもので、それにより、人と物とのインタラクションが生まれます。不便は、工夫できる余地を生み、人の能動性を高めてくれるのです(『不便から生まれるデザイン』化学同人、2011年)。
一方、マリでは、手間のかかる不便はめちゃくちゃ嫌われています。西洋から便利なものが入ってくると、すぐに置き換わってしまいます。
もちろん、マリにも日本のような独自の文化がたくさんありました。しかし、植民地化を経て西洋へのあこがれが肥大し、自分たちの文化を下位文化とみなすようになってしまったのです(第2回 「外人」という型)。
そのため、コンプレックスなどみじんもなく、堂々と不便をエンジョイする日本人の背中を見ていると、「勇気あんなあ」と、希望がわいてきます。
人は、不便さのなかで試行錯誤することによってこそ、真理に近づきます。日本人は、そういった手間ひまをうまく活用しながら、文化を継承してきました。この豊かなめんどう臭さこそ、日本文化の奥深さを保つ、秘訣なのです。