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おかあさんのミカターー変わる子育て、変わらないこころ

「別れ」を意識する―寂しさと誇らしさのレッスン

 子育ては「別れ」から始まる。

 こう言うと、違和感をもたれる方もいらっしゃるかもしれません。でも、女性にとって、養子を迎えたり、継子を育てたりする場合を除いて、子育ては「出産」という、母子が物理的に分離する瞬間から始まります。
 身二つになるからこそ、一人の人としてのわが子と出会える。そして古来言い習わされてきたとおり、「出会うは別れの始め」です。おかあさんは、わが赤ちゃんと出会う瞬間から、別れの痛みに耐えるレッスンを受け始めるということを、連載の最後に考えてみたいと思います。

 少子化の進む今日の子育てにおいて、「親離れ・子離れ」の大切さはよく聞かれます。私は大学で学生相談(カウンセリング)の仕事を本務にしていて、主に18歳から20代半ばの人々と、そのおかあさん、おとうさんのお話を30年以上伺ってきました。そのなかで年々強く感じるのは、わが子を大学まで進学させた親御さんたちは、わが子を心配し、わが子の幸福を願い、何とかしてやりたいと一所懸命わが子に寄り添い続けておられるということです。もちろん、そうでない親御さんもいらっしゃるでしょうけれども、相談室で見られる光景は、ある意味、その時代社会の特徴を先鋭に表していると考えられます。
 コロナ禍で親子共に在宅時間が増えた今年は、「わが子が(慣れない遠隔授業と課題のため)つらそうで見ていられない」と、おとうさんが電話をしてこられて涙するということもありました。子どもが小さいころ宿題に取り組む様子を傍らで見守っていたように、PCに向かうわが子を日々励ましていたおかあさんもいます。自粛要請が段階的に解かれてからは、元気を失ったわが子を車に乗せて、相談室まで連れてこられるご両親もめずらしくない状況です。
 このような場合、もう大学生なのだから放っておきなさい、自立させることが大事です、とただ助言をしても役に立たないのは明らかです。分離と自立の練習が十分できていないまま、つないでいた手をいきなり放しても、たいていうまくはいきません。わが国では、世界水準に合わせるため、2022年に「成人」年齢が18歳に引き下げられることが決まっていますが、法制度の目指すところと実際の若者の心の成長スピードが噛み合っていないことは、多くの人が感じているとおりでしょう。
 私たちの子育てにもっと必要なのは、「離れる」というよりも、「別れる」という意識なのではないかと思います。「もっと子離れしないと……」と自省を込めて言うとき、そこにはこれまでより距離を置いて、でもつながり続けている関係が想定されているのではないでしょうか。そのような意識のもとで、親と子が自立し、別々の人生を歩むことはなかなかに困難であると言えます。総体的に豊かさを増し、一人の子どもに十分な時間とお金と労力をかけられるようになった現代のわが国では、子どもは居心地の良い親子関係から自ら離れようとしないのがむしろ普通です。親の側にこそ、もう一歩踏み込んだ「覚悟」が求められているのです。
 心理的な次元での自立とは、無意識的につながっていた関係を切り、「個」(一人の独立した人間)となる過程を意味します。「切る」ことには必ず痛みを伴いますが、その試練を乗り越えた先に、親と子は互いに一歩自立した存在となり、新たに関係を結び直すことができるようになるのではないでしょうか。それは、痛みを味わう前とは質の異なる関係です。そして、この「痛み」を引き受ける覚悟を表すには、子離れよりも、「子別れ」という言葉がふさわしいのではないかと思うのです。もともとは、古典落語や歌舞伎などで親子の生き別れを指していた言葉ですが、近年では心理学的に用いる研究者も現れています(児童文化学者の本田和子著『子別れのフォークロア』〔勁草書房、1988年〕、発達行動学者の根ヶ山光一著『〈子別れ〉としての子育て』〔NHKブックス、2006年〕は、ぜひ読んでいただきたい本です)。
 私が「子別れ」で一番に思い浮かべるのは、人間の物語よりもキタキツネの親子の訣別のシーンです。TVのドキュメンタリーで見たのか、映画だったかは忘れましたが、春に生まれた数匹の子ギツネを、8月の終わり頃になると、ある日突然母ギツネが本気で攻撃し、巣穴から追い出す「子別れの儀式」です。縄張りをもって生きる北国の野生動物が親子で次の冬を迎えてしまうと、飢餓や近親交配の危機に晒されるため、おそらくは、本能的行動としてセットされているのでしょう。まだ甘えたくて鳴く子ギツネを徹底的に追い払う母ギツネのふるまいを見て、多産多死だった昭和前半までの時代を生きた母親たちは、食い扶持を減らすためにわが子を奉公に出したり、集団就職で都会へ見送ったりしなければならなかった自分自身の哀しみを母ギツネに重ねて、この儀式を語り継いだのだろうと想像されます。
 親がわが子の背中を見送るシーンが一人ひとり異なる現代では、集団就職列車を見送ったときのように「子別れ」の哀しみを社会的に共有するのは難しいかもしれません。しかしながら、「まだ手元に置いてずっと守ってやりたいのにこれ以上与えられない」「ここから先は自分の力で人生を切り拓いていくんだよ」という母親の切なる思いは、時代を超えて、子育てに伴う普遍的な感情の一つと言えるのではないでしょうか。
 ひょっとすると、わが子の就職はおろか、結婚しても、孫が生まれても、ずっと親子の距離を変えないで生きていける幸せというのもあるのかもしれません。しかし、それはさまざまな幸運が重なった偶然の賜物と理解すべきでしょう。子育ての目標は、キタキツネに限らず、子どもを自立した「個」に育て上げ、別れて生きていけるようになることです。巣から出て行き、別の巣を築いて生き延びていけるよう仕向けることです。添い遂げる夫婦という理想は描けても(人生100年時代にはこれも問い直す必要がありそうですが)、添い遂げる親子などあり得ません。「別れ」という視点から子育てを見つめてみることは、時代は変わっても、変わらない子育ての本質を思い出させてくれるきっかけになるはずです。

 自分自身の経験をふり返ってみると、これまでの回でも書いたように、私がわが子と出会いたいと願うようになったのは、実母との別れ(死別)からでした。いざ、子どもが生まれてからも、外で働くことが好きだった私は、産休・育休明けから物理的にわが子と毎朝別れ、夕方再会するという日常を送りました。娘たちはものごころつくと、周囲のすべての子どもたちがそのような別れを経験しているわけではないと気づいてさまざまに抵抗を表しましたが、私は多くの助け手に恵まれ、母親につきものの罪悪感にうちのめされず、最初の数年間を何とか過ごせたと思っています。
 つながっている絆を大事にする日本文化の子育てにおいて、とりわけ専業で子育てをしている母親がこの「別れ」のレッスンを受けるのは容易ではありません。外で収入を得ていないのに、お金を払って子どもをシッターに預けて自分のしたいことをするなどという行為は、世間的に認められないからです。世間とは、行政の制度であったり、実際の夫や親の意見であったり、近所の人の目であったり、内在化された自分を責める声だったりします。 
 一方の、自立を大事にする欧米文化の子育てにおいては、赤ちゃんのときから母子別室で寝かせたり、誰かに預けてカップルで出かけたりするよう促されるので(これも世間の圧力と言えるかもしれません)、早くから別れのレッスンを受けることになります。泣いているわが子を別室に寝かして、何も感じない親はいないでしょう。欧米の子どもが早く自立的に成長するように見えるのは、日常生活の中で早くから親子が別れの痛みに耐える訓練を積み重ねているからに他なりません。

 さて、そのような異文化の子育ても見聞し、早くから娘たちを預けて仕事をしてきた私ですが、そのなかでも2つの特別な「子別れ」のシーンを思い出すことができます。
 一つ目は、次女が前思春期を迎えた節目のときです。
 長女が小学校中学年のころ、引っ越した家に子ども部屋を作り、二段ベッドを置きました。長女が上、次女が下です。子どもたち二人で寝てくれると期待したのですが、次女は前の家の居間で並べたふとんに川の字で寝ていた赤ちゃんのときから私の手を握っていないと寝付けないたちで、仕方なく狭いけれども下の段で私が一緒に寝ることにしました。しかし、長女が高学年になると、そのベッドでは一人でも狭くなり、上の段から柵を越えて床に落ちるというアクシデント(夜中、大音響とともに大の字に落ちてそのまま寝続けようとしたつわものです!)も起きたため、ベッドを一段にし、別の部屋に次女の寝床を作ったのですが、一人で寝るのを嫌がり、その後は親の寝室のベッドに来て寝るようになりました。次女にとっては私の「手」がライナスの毛布、発達心理学で言うところの移行対象(transitional object)だったのです。
 気の済むまで安心毛布は取り上げない方がよいと思い、しばらくはそのままにしていたのですが、次女が小4を迎えて少ししたころ(春生まれの次女はちょうど10歳、近年の小学校では「2分の1成人式」という自分のふり返りをさせるカリキュラムが組まれる年代です)、急に「こども哲学」の絵本を読みふける、週末に会いに来てくれる祖父を玄関口まで必ず見送りに出る、といった行動の変化が見られるようになりました。前回にも触れた、次女にとっての前思春期の到来です。「だって、おじいちゃんは死ぬかもしれないし、もう会えないかもしれないでしょ? だから目に焼き付けておかないと」というのが、急にお見送りをするようになった理由でした。
 本の話で言うと、夫婦の職業柄、自宅には絵本、児童書から漫画、小説、専門書まで、あらゆるジャンルの本が本棚に詰まっています。ちなみに、私が今までで最も熱心に絵本や児童文学を読んだのは、子育て中ではなくプレイセラピー(遊戯療法)のトレーニングを受けていた大学院生時代でした。子どもの心の世界を追体験するには、絵本や児童文学が最高の手がかりだったからです。なかなか言葉にならない思春期のクライエント(相談者)の内界を理解したいときも、相手と同じ漫画や小説を読んでみるのが当時の役立つ方法でした。今ならアニメかゲームでしょうか。
 私は子どもに「この本を読みなさい」と勧めたことはありませんが、娘たちはその都度関心を引いた本を自分で引っ張り出して読んでいたように思います。「こども哲学」の絵本(オスカー・ブルニフィエ著、朝日出版社、2006~2007年。新版あり)は、『自分って、なに?』『人生って、なに?』『きもちって、なに?』などのシリーズからなり、私は次女が、思考の次元では大人の世界に参入したことがわかりました。実際、「私って、なんでここに生まれてきたんやろうとか、考えてる」と言い、一人でいることを怖がるようになりました。いつまでも当たり前のようにそばにいてくれると信じていた親や祖父も、そして自分も、無限の中の有限の時間を生きており、いつ「別れ」が起きてもおかしくないというコスモロジー(世界観そして死生観)が拓けたということです。
 次女が新たな成長段階に入り、親を対象として眺め、分離する時期が近づいてきたことを私は感じ、連休明けに、寝床を作った部屋をさらに次女用に模様替えして、一人になれる空間を準備しました。しばらくはそこへ行く気配がありませんでしたが、夏休み明けには、私の手を放して眠るようになりました。さらに、年が明けた次のお正月、次女は「今日から一人で寝るから!」と突然宣言して自分の部屋へ行き、二度と私のベッドに戻ってくることはありませんでした。子別れと言うより、見事な「親別れ」のシーンというべきかもしれません。取り残された私のこころは寂しさでいっぱいになりましたが、不思議と1週間も経たないうちに、その事実を受け入れました。

 二つ目は、長女と次女がそれぞれ高校生のときです。それぞれの背中をガラス越しに見送ったシーンの鮮明な記憶は、きっと生涯忘れられないでしょう。
 長女は耳がよく、小学校のころから好きな洋楽を聴いて習得した英語力が役に立ったのか、中学3年の終わりに学校から参加したあるスピーチコンテストで優勝するという経験をしました。その特典として、コンテストの主催校が交換留学制度をもつスコットランドのインターナショナルサマースクールに、高1の夏1ヶ月ほど無料で参加できる機会をいただいたのです。条件は、「一人で行って、各国から来ている生徒たちと一緒に寮生活する」ということでした。ヨーロッパ、アラブ、アジア、アフリカなどの各国の小学生から高校2年までの子どもが何十人か集い、親から離れて異文化交流体験をインテンシブにもつのが主な目的です。その年(2009年)も豚由来の新型インフルエンザが世界的に流行し、途中で寮から引き揚げて帰国する生徒も何割か出たなか、長女は「帰らなくていいよね?」と一言、国際電話で親の同意を求めたきりで、あとは生まれて初めてのアクティビティを満喫して帰ってきたのでした。
 幼いころから迷子や忘れ物の常習だった長女を一人で海外に行かせるのは、私にとってとても大きな挑戦でした。いつも家族旅行を手配してくれていた近くの旅行代理店の女性も、乗り継ぎの巨大なハブ空港で迷子になり乗り遅れないようにと、日本語の詳しい地図を準備してくれました。私も一緒に成田空港まで行き、手続きをし、いよいよ出発の手荷物検査場に着くと、そこから先は搭乗者しか入ることができません。ガラスの向こうから長女は明るく手を振り、そのままエスカレーターで出国手続きのフロアへ降りていきます。私はその姿が視界から消えるまで見送り、近くの椅子に座って電光掲示板を見つめ、搭乗機が「on boarding」から「departed」という表示に変わってさらに10分ほど経つまで、胸の苦しいような緊張感とともにじっと座っていました。
 そのとき脳裏によぎったのは、小学校に上がるか上がらないかのころ、一人で自転車に乗って初めて友だちのところへ遊びに出かける長女の後ろ姿を見送ったときのことです。無事に帰ってこられるだろうか、交通事故に遭ったらどうしようという恐怖を、「いや、私は親として教えることはちゃんと果たした。後はあの子の人生だ」と自分に言い聞かせることで必死に耐えていました。10年経ったこのときも、高ぶる思いは同じでした。そうして、もう搭乗機は引き返してこないことを確認すると、私はほっと脱力して帰途につきました。
 次女は、勉強して公益財団法人の派遣留学の試験に受かり、高2で1年間のアメリカ留学に発ったのですが、子別れの場面は同じく成田空港でした。自立した人間形成を目的とするプログラムの性質上、途中で親が留学先を訪問することは禁じられており、また電話や手紙も控えるよう指示されていました。最後の子どもがいよいよ自分の知らない世界へ飛び立っていくというのは、最初の子どものときとはまた異なる重みのある別れの体験です。もう後には、誰も残らないからです。
 いよいよ手荷物検査場の前でお別れ、という段になって、次女は「飛行機が飛んでから読んでね」と1通の手紙をリュックから取り出し、私に手渡しました。前泊した空港近くのホテルで、私が眠った後で書いたもののようでした。このときも、ガラスの向こうで手を振るわが子の姿を見送り、電光掲示板の「departed」の表示を待ってから封を開けました。入っていた1枚の便箋には、「お母さんへ」という出だしで、大人の言葉で感謝が綴られていました。次女が高校で敢えて長期留学を目指したのには相応の理由(きょうだい葛藤だけではない複雑なもの)があったのですが、その目標をぶれずに追求することでこころが自立し、「私」というものができて人と比べずにすむようになった幸せについて書かれていました。前日、地元の空港まで、想像を超える大勢の友だちが見送りに来てくれたことも、彼女を勇気づけたに違いありません。
 めったに(とくに人前では)泣かない私ですが、さすがにこの瞬間は、こみ上げるものを抑えることができませんでした。ああ、子育ては終わったんだなと感じました。寂しさと誇らしさの混じった、なかなか言葉では言い尽くせない子別れの最終レッスンでした。

 子どもから「別れ」の契機を作ってくれたのが私の場合だとすると、親から子別れの儀式を演出する方法もあるのではないかと思います。
 最後に紹介したいのは、土堤内昭雄さんというシングルファーザーが書かれた『父親が子育てに出会う時――「育児」と「育自」の楽しみ再発見』(筒井書房、2004年)です。土堤内さんは、息子さんが3歳と2歳のとき離婚して、私よりも数年早い時期に、会社勤めをしながら実家や妹夫婦の助けを借りて子育てをされた人です。そのコミットが半端でないことは、子育てを始めて間もなく、自分自身が子どもを出産する夢を見たというエピソードからもわかります。本書は息子さんたちが高3と高2になるまでの14年間の記録なのですが、単なる育児記録ではなく、「父親になる眼」(小さい命を育てる立場の視点)から見た現代社会論としても読める内容です。
 そのなかで、参考にしたいのは、土堤内さんが2人の息子さんたちの中学卒業後の春休みに、それぞれ「親子の卒業旅行」と称して、2人で海外旅行へ出かけておられるというくだりです。長男のときはテロで倒壊したニューヨークの貿易センタービルの跡地グラウンドゼロへ、次男の時はローマのコロッセオやバチカン宮殿へ。いずれも悠久の長い歴史と、形あるもののはかなさを目に焼き付ける意図が含まれていそうに思います。海外でなくても、もっと身近な旅でもよいでしょう。親と子が互いに子育ての終わり、すなわち「別れ」を意識する機会をもつことに意味があるのです。

 そして、別れは出会いの始まりです。娘たちはその後も交互に家に戻ってきたり、出て行ったりしていますが、そこにあるのは以前とは違う大人同士のもっと自由な関係です。改めて、この境地に至るまでのさまざまな色合いと濃淡の感情を経験する機会を与えてくれた娘たちと、その子育ての過程を共にしてくださった人々に、こころから感謝したいと思います。

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著者略歴

  1. 高石 恭子

    甲南大学文学部教授、学生相談室専任カウンセラー。専門は臨床心理学。乳幼児期から青年期の親子関係の研究や、子育て支援の研究を行う。著書に『臨床心理士の子育て相談』(人文書院、2010年)、『自我体験とは何か』(創元社、2020年)、編著に『子別れのための子育て』(平凡社、2012年)、『学生相談と発達障害』(学苑社、2012年)、『働くママと子どもの〈ほどよい距離〉のとり方』(柘植書房新社、2016年)などがある。

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