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美しいってなんだろう?

美しき「文字」

 ちいさいときから、家のなかで遊ぶのが好きだった。
 わが家の居間には、近所の古い商店がとりこわされるときにゆずってもらったガラス戸の棚があって、骨とうの皿や茶わんといっしょに石や玩具、こまごまとした宝物がつまっていた。
 祖母が子どものときにつかっていた木製のおままごとセット、おはじき、コマ、メンコ、ビー玉にまざって、電信柱の電線をとめる碍子(がいし)、水牛の角の歯がため、青と赤のビードロ、らくがんがはいっていたきれいな紙箱、バリ島のちいさな木彫りの鳥もあった。
 一番下の段には、おわんくらいの大きさの、丸くてつやつやした黒い木のいれ物がふたつ。どんぐりの帽子のようなふたをあけると、なかには一センチほどの白と黒の石がぎっしりはいっている。それは「ゴイシ」と呼ばれ、大人たちが木の台に並べてなにかを競うためのものだと知ってはいたが、ルールがわからず、おはじきのようにぶつけあったり、ただ並べたりして遊んでいた。 

 うす緑色のカーペットの上に、白と黒の碁石を並べ、半ズボンをはいたぼくが正座をして、ポカンと口をあけている写真がある。年は四、五歳くらいか。石は十二個一組でかたまって、いくつかの模様をかたちづくっている。一見、規則があるようで、やっぱりよくわからない。見知らぬ外国のゲームの最中か、はたまた宇宙人と交信するための暗号にもみえる。
 大きくなって、アルバムを見返していたとき、この写真を見つけ、これってなにをしているの? と母に聞いた。

「よくわからないけど、文字をつくっている、っていってた。ほっとけば、何時間でもこれで遊んでいたよ」

 なんてかいてあるのか、どんな文字をつくろうとしていたのか、まったく覚えていない。だが、いまもこの写真をみると、カーペットのザワザワした毛羽立ちのなかに、冷たい碁石が沈んでいく感触が、ありありと指先によみがえってくる。
 そういえば、幼いころのノートやスケッチブックにも、なぞの文字がいっぱい書きつけられていた。英語や漢字のようでいて、そのどちらでもない。鏡文字のようでいて、ひっくり返しても読めない。そもそも、どっちが上か下かもわからない。 

 世界中の学者が集まっても解読できない、ぼくだけが読める文字をつくる。これほど楽しいことはない。小学生になってからも、ずっとこの遊びをつづけていた。



 

 小学二年生のとき、はじめて学校の先生がきらいになった。
 五十歳くらいの女の先生で、きっちりした性格だったから、日々クラスからはみだしてばかりいるぼくが目についたのだろう。宿題を忘れたり、なにかをしくじったりすると、放課後ひとり残されて叱られる。
 西日でオレンジ色にそまった教室に、かん高い声がこだまする。ぼくは大人が怒っている姿をみると、心とは裏腹にニタニタしてしまう悪いクセがあった。こらえきれず、くちびるが笑うたびに、先生はうでの肉をぎゅっとつねった。痛くて悔しくて悲しかった。 

 この先生が得意とする科目、書道の時間は地獄以外のなにものでもなかった。
 ちいさいときから絵が好きで、紙も筆も墨も気のおけない友だちだったのに、半紙を広げ、墨をすり、筆をすずりに沈めると、ぼくの気持ちも沈んでいく。
 先生は怖い声で「おしゃべりはやめなさい」「集中しなさい」「背筋を正して、よい姿勢!」「見本通りに書きなさい」と言いつけながら、看守のようにつくえの間を行き来する。
 書いたものがすこしでも間違っていると、上から朱色の筆で直される。からだはこわばるばかり。なにからなにまで、ぼくが好きな「文字をつくる時間」とは真逆だった。 

 当時の小学生の間では、男子は足の速い子、女子は字のうまい子がモテた。ぼくはそのどちらでもなかった。廊下に張り出された花丸の習字の合間に、ぶかっこうな姿をさらす自分の字が恥ずかしかった。
 一年もしないうちに、ぼくの字は、こたつの上で皮をむかれ放っておかれたみかんのように、ちいさくちいさくしぼんでいき、ノートにはたよりないえんぴつあとが、かろうじて文字のかたちして、自信なさげに並ぶようになった。 

 学年があがって、シャープペンシルを使い、細い線がひけるようになると、どこまでちいさい字を書けるか、挑戦したくなった。
 テストのときは、答えの欄に一、二ミリ角の字で書いた。上手い下手どころではなく、だれも読めない。先生への無言の抵抗のつもりだったが、返された答案用紙には、バッテンの嵐。赤ペンで「?」「読めない」と書きこまれ、どの科目もことごとく0点になった。 

 それからずいぶん歳月がたって、インドで暮らしていたとき、手のひらサイズの手帳におそろしくちいさな字で日記を書いていた。かぎられた数センチ四方の紙の上にどれだけ多くの字を書けるか、ということにこだわっていた。
 文字のサイズは病的までに極小。ページをひらいてもたんなる黒いかたまりにしかみえないが、ルーペで拡大すると内容が読める。もはや米つぶにお経を書くようないきおい。こんなことになんの意味があるのか。いま見返すとちょっと気味が悪い。知らない人に見せたら、未開の部族のまじないだと思うかもしれない。 

 本の仕事をはじめて数年のころ、とあるフランス人作家の本を装丁した。本が発売されたあと、その作家が来日し、トークショーをやるというので行ってみた。
 彼女は文章を書くとき、まず最初に物語のはじまりから終わりまで、頭のなかですべて書いてしまう。それから、完成した文章をなぞるように、一字一句、ノートにボールペンで書き写していくそうだ。
 頭のなかで複数のことを同時に考えられない、記憶の順番がよくいれ変わってしまうぼくにはおどろきの方法だが、ほんとうにびっくりしたのはそのノートをみせてもらったときだ。
 どこにでも売っているふつうの大学ノートの一行のスペースに、極小のアルファベットがアリのように列をなしていたのだ。一行分に三、四行の文字がすき間なくつまっている。遠目からはただの黒いかたまりにしか見えない。それは十代のころのぼくの日記とうりふたつだった。
 とことんちいさな字を書いてやろう、という、だれからも理解されることがない、このおかしなこだわりが、地球の裏側の住人にも思えるパリの小説家と同じだったなんて。その夜は、彼女がぼくの装丁をほめてくれたことよりも、文字に対する奇妙なこだわりが同じだったことに興奮して、なかなか寝つけなかった。




 インドの町中には手書きの文字があふれている。日本の看板がテレビ局のアナウンサーのように正確で落ち着いた声だとしたら、インドの看板はがちゃがちゃした市場の売り声のように、おしゃべりで、おせっかいな声だ。もちろん、その方が楽しいにきまっている。

 商店の看板以外にも、バスの時刻表、カセットテープのラベル、大通りや路地の標識、車やオートリクシャーのナンバープレート、塀のらくがき……あちらこちらの文字から声がする。
 車のフロントガラスには、持ち主や神さまの名前がバーンと書いてある。
 食堂の黒板やホワイトボードには、日替わりのおすすめメニューが書かれている。
 映画館で満員御礼になると「House Full」の手書きの札がかかげられる。
 トラックのおしりに、ど派手な色のペンキで書かれた「Horn OK Please」という文字は、クラクションはおかまいなし! と、まわりの車にしゃべりかけているみたい。
 だれがつくっても同じようにきれいなパソコンやタイプライターの文字とは違い、手書きの文字からは、ひとりひとりの人間の性格や熱が感じられる。上手いも下手もない。英語でも土地の言葉でも、文字たちはみな自由でのびのびしている。

 インドから東京に帰ってくると、空港に降り立った瞬間から、手書きの文字がほとんど目に入らなくなって、いつもからだが冷えていくような思いがした。
 だから、日本の家にインドの友だちから手紙が届くと嬉しかった。便せんにおおらかに並ぶ、くせのあるアルファベットをみていると、彼らの声から家のにおいまでが思い出された。封筒のなかには、きまってテルグ語新聞の映画欄の切り抜きがはいっていた。大好きなスターの顔とともに踊る文字に、じわり涙がにじんだ。ぼくは文字のホームシックになっていた。 




 いまでもぼくの字は、おせじにもきれいとはいえない。漢字も部首を省略し、適当に覚えているものもあって、子どもに尋ねられたとき、正しく書けているか、怪しいものだ。 

 装丁の仕事をはじめて間もないころ、とある本の題字を描いた。個人的にはけっこういい仕上がりになったなぁ、と気に入っていたが、しばらくして友人の編集者とその本の話になったとき、

 「ああ、あの汚い字の本!」

といわれた。友だちといえど、ひそかに尊敬していた編集者だったのでショックだった。
 家に帰って、本棚から本をひっぱりだして、あらためて眺めた。たしかに、なんて幼稚で、品のない字だろう。ぼくは、ほめられるとすぐ調子にのるが、批判にはめっぽう弱い。
 その一件があってから、描き文字は封印。十数年以上、本のタイトルを手書きでデザインすることはなくなった。

 一方で、ぼくにはずっとあこがれる人がいた。装丁家の平野甲賀さんだ。
 サイのマークがついた晶文社の本をたくさんつくっていて、とくに描き文字が有名なデザイナーだ。一見ラフで雑にもみえるが、じつはとても丁寧につくられている。それはぼくがインドで見てきた、呼吸し、おしゃべりする文字たちと似ていた。
 多少部首が変形していても、線が一、二本なくても、四角が丸に、丸が三角になっていてもちゃんと読める。昔のサーカス小屋のポスターのようでいて、時代に流されない新鮮さをもっている。どんなに言葉を並べても、甲賀さんの描き文字の素晴らしさは語りつくせない。
 いまでは、パソコンで本のデザインをすることが当たり前になったけれど、何十年も前に、装丁という仕事に、いち早くパソコンをもちこんだ人でもある。甲賀さんにとってパソコンは道具のひとつ。できあがった文字たちはまるで手作業でつくったかのよう、おおらかに使いこなしていた。

 生ける伝説のような人だから、まさか実際に会えるとは思っていなかったが、二〇一七年京都で彼の装丁展があり、お目にかかることができた。
 甲賀さんと、そのパートナーの公子さんが、ぼくのことを知ってくださっていたのはただただ感激だったが、あの日のトークショーで彼が話していた言葉は忘れられない。
 書体設計士の鳥海修さんが、甲賀さんに描き文字のひけつについて聞いたときのことだ。照れくさそうに笑みを浮かべながら、

「描き文字ってダジャレみたいなもの」

と答えた。毛深い人の名前を書こうとしたら、文字から毛が生えてくる。漢字のなかに、その言葉や名前にふさわしい絵やかたちを偶然みつけることもある。トンチやなぞかけのように遊んでいるうちに、字が生み出されていく。
 いま、甲賀さんに尋ねたら、そんなこと言ったかな、と笑って、また違う答えをいうかもしれないけれど、すくなくとも、そのときぼくはこの言葉に救われた。

 あくる日から、スケッチブックやノート、紙のきれはしに、思いつくまま描き文字を練習しはじめた。まるで子どものとき、だれにも読めない文字を描いて遊んでいたように。
 活字みたいな文字も、でこぼこで読めない文字も、古代文明の粘土板にきざまれていたような文字も書いた。何枚も何枚も書いているうちに、わからなくなった。きれいな文字、汚い文字ってなんだろう。
 パソコンで打って表示されるような文字や、習字のお手本の文字だけが、きれいな文字とはかぎらない。

 子どもが小学校にはいると、国語の時間にひらがなや漢字の書き方を習う。四つの部屋にわかれた正方形の線があって、何番目の部屋のこのあたりから、左下にむかって書くんですよ、と先生は黒板にお手本の字を見せ、みなそれをノートに真似して書き写す。
 とびでたり、ゆがんだりする字は「汚い」「間違っている」といわれはじかれる。でも、たとえ、そういうルールから外れていても、おもしろい字がある。

 そういえば、日本を代表するグラフィックデザイナーの杉浦康平さんが、冗談半分に「平野はまだ汚い字を書いているのか」と言ったことがあるという。でも、甲賀さんはまったく動じない。なんと言われようと、八十歳をすぎたいまも日々文字と遊んでいるし、文字のいのちを信じている。
 そうか、きれいな文字、かっこいい文字は他の人におまかせして、ぼくは、おもしろい文字、いのちを感じる文字を、粘土をこねるみたいに書けばいいんだ。

 本は、おさまりのよいきれいなものばかりを集めてつくるものではなく、むしろ、でこぼこのいびつなパーツをよせ集めてつくられる。文章も写真も文字も紙もインキも、正しいもインチキも、人間も考え方も、まったく違う生い立ちのものが、そのひととき、身をよせあって本のかたちになる。そう考えるほうが自然だ。




 娘も字を書きはじめた幼稚園児のころは、よく鏡文字を書いていた。左右や上下がひっくり返る。はじめは逆になっているよ、と教えていたが、小学校にあがり、正しいかたちの字を書くようになってから、はっとした。大人のぼくもふくめ、いったん普通の向きの文字を習得してしまうと、意識して鏡文字を書くのは意外とむずかしい。

 いま、四歳児の息子は、こともなげにひっくり返った文字を書いてみせる。
 この子の長い人生のなかで、この瞬間にしか書けない文字を書いているのだ。大人だってそう。今日書いたものは、今日にしか書けない。走り書きしたメモですら、捨てられる、はじかれる文字はなにひとつない。

 ある日を境に夏が秋に変わるように、とりまく世界ががらりと変わって見えた。文字が好きといいながら、それをつまらない枠組みにおしこめていたのは自分自身だ。

 長い旅だった。ぼくははじめて、自分の字を好きになれた。 

娘つたのつぶやき

 多聞の文章にでてくる方々ご一行様

 多聞の二年生のたんにんの先生へ
 こんにちは。多聞のむすめのつたです。すみませんが、わたしのそうぞう上のあなたのごせいかくは次のとおりです。
 きびしい・おけしょうがこい・きっちり・こわい・ひどい・せいとのせいかく、気持ちを考えない・おにきょうし・ダメ先生・です。こんなひどいこといってすみません。だけどわたしの本心です。ごりかいよろしくおねがいします。以上です。

 とあるフランス人作家様
 多聞と本のしごとした時どうでしたか?
 あなたの文章の書き方すばらしいです。わたしは、お話が好きで、むかし話や物語を聞くと、あたまの中でないようをそうぞうします。そして、家に帰り、そのそうぞうを思いだしながら話すと、まったく同じ物語をペラペラと話せるんです。こんどやってみて下さい。
 わたしもいま、ちいさい字を書くのにはまっています。まあ、そんなこといって、あなたほどちいさくないとは思いますが……。

 インドの手書きの字様
 こんにちは。これからオテテとよばせていただきます。オテテはすばらしいと思います。ふはー。ごめんごめん、ずっとけい語だったから。
 日本の字は正かくです。かくかくしてこわい字とはおしゃべりしたくないけれど、オテテとなら友だちになりたいです。日本のオテテもいいんですよ……。活字、へんな気をおこさぬよう、ごきょうりょくおねがいします。

 いつもこの文章を読んで下さっている、平野甲賀様、公子様
 甲賀さん元気ですか。公子さん元気ですか。つたは元気です。
 多聞の文章を読んでいるとちゅう、『平野甲賀〈装丁〉術・好きな本のかたち』という本を多聞がかしてくれて、パラパラとみていると、色々な描き文字が目にとびこんできて、おもしろかったよ。どんな形の文字でも、読めればいいんだなぁ、って思いながら読んだよ。46ページの

「いつも手ですね」

「そう。こんな時はあっさりと文字の上にのせちゃうことにしている」

のところ読んだ時、なぜかフフフって笑っちゃった。
 去年の10月の時あってからあっていないね。あいたいね。甲賀さんの「描き文字ってダジャレみたいなもの」ということば、わたしもいいな、って思ったよ。文字がきたないつた、この言葉が大好きになったよ。いつもありがとう。

 

 



 

 いままで見たなかで一番ステキだなあ、と思ったのはアラビア文字だ。絵のように美しい。さらに、絵がくわわると絵なのか文字なのかわからなくなるほど、文字がとけこんでいた。さいしょ見た時はこれが文字? と思ったが、のち、読めたらいいなと思った。

 二番目にわたしが好きなのはカンナダ文字だ。かるく丸みがあって、あんしんできるとかんじた。インドにいったときに、そのドリルをかってもらったが、むずかしかった。そんなにほかの国の文字を知りませんが……。

 三番目は、ハングル文字。書くのは少したいへんそうだけど、ふしぎな形をしていて、読めたらいいなあ、と人に思わせるまほうをもっていると思う。ママがべんきょうしているから、英語がよめるようになったら、教えてもらおうかな、とひそかに心の中で思っている。

 すべての文字はまほうをもっている。人に伝えること、のこすこと、読みたいと思わせること、いろいろなまほうがやどっている。どんな文字だってそう。だからわたしは、文字や、文章、本が好きなんだ。

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著者略歴

  1. 矢萩 多聞

    画家・装丁家。1980年横浜生まれ。9歳から毎年インド・ネパールを旅し、中学1年生で学校を辞め、ペン画を描きはじめる。1995年から南インドと日本を半年ごとに往復し個展を開催。2002年から本をデザインする仕事をはじめ、現在までに500冊を超える本を手がける。2012年、事務所兼自宅を京都に移転。著書に『偶然の装丁家』(晶文社)、『たもんのインドだもん』(ミシマ社)、共著に『タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)、『本を贈る』(三輪舎)がある。http://tamon.in

  2. つた

    2011年横浜生まれ、京都育ち。小学校は昨年から永遠の春休みにはいり、風のふくまま気の向くままフリースクールとプールと図書館に通っている。本があれば、どんな長い時間でも退屈しない本の虫。好きな映画は「男はつらいよ」。いつの日か車寅次郎と再会することを夢見ている。矢萩多聞の娘。

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