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日本の「空気」――ウスビ・サコのコミュニケーション論

「日本人」という幻

「ご飯とみそ汁」信仰

長男が保育園に通っていたころ、よく日本流の指導をうけました。登園すると毎日、朝食に何を食べさせたかを書かされるのです。そして、叱られました。

「サコさん、朝ごはんはパンとヨーグルトとバナナじゃダメですよ~……。ご飯とみそ汁を食べさせてください。手間をかけた料理が大切なんです。楽をしてはいけません。つくり方がわかんなかったら指導しますから」

――えっ! そうなん? 

ご飯とみそ汁にそこまで重大な役割があるなどとは、思いもよりませんでした。ひとまず素直に応じ、日本人の妻はみそ汁とご飯を朝食に用意するようになりました。

しかし本当のところ、私はそれを子どもに食べさせないといけないとは一切感じていませんでした。子どもはパンやヨーグルトでもおいしく楽しそうに食べていたのです。なんで私たちが保育園のフレーム(枠組み)に合わせなあかんねん!というのが本音でした。結局、家では私だけが、息子の横であいかわらずパンとヨーグルトとバナナを食べつづけたのです。息子はうらやましそうな顔をしていました。

ほかにも、その保育園には布おむつをはかせる義務がありました。保育園に着いたら、紙おむつを脱がして、布おむつに変えなければなりません。 

――ムーニーでええやん! 最近の紙おむつって性能いいのに。

日本の保育園では、悩みが絶えませんでした。

保育園としては、子育てへの親の意欲が足りていないという認識のようでした。その保育園には、栄養士による「子どもの食べる料理指導」やお泊り保育への参加など、親のためのイベントが年に何回かありました。私は、忙しいから子どもを預けてんのに、逆に忙しくなるとはどういうことやねん……、と思いながらも、結構楽しく参加しました。

国民国家のモノフレーム

私以外の外国出身者も、「日本にいるんだから、日本のやり方で子育てしなさい」と、日本流の子育てを押し付けられることがあったようです。これは「伝統」なのだから従ってください、と。

保育所や幼稚園からしたら、家庭内の子育てに介入することは子どもを大切にする行為の一環なのです。

子どもは大人の思い通りにならないのが世の常。決まりや常識を押し付けたところで、軽やかにその外側へ逃げていきます。そのため、子どもだけではなく、親もコントロールする必要があると考えているのでしょう。子どもを理想の「日本人」に育てるために、理想の親を育てる必要があるのです。

こういった一連の管理は、子どもたちへの「日本(化)教育」の入門編にすぎませんでした。

小学校に進むと、子どもも少しずつ自立していきます。すると親ではなく、子ども自身をいかにフレームに収めるかが重要になるのです。年齢が上がるにつれて、その強制力は増していきます。

もちろん、マリにも学校のフレームはあります。しかしそれと同時に、地域や家庭にはまた別のフレームがあるのです。学校はフランス的、地域は民族的、そして家庭はさらに別のフレームといった具合です。それぞれ異なるものとして共存し、絶対にオーバーラップしません。だから民族の個性も多様性も維持されるのです。マルチフレームを軸に、子どもがさまざまな次元の教育を受けるのが基本なのです。

しかし日本では、すべてがひとつのフレームに統一されがちです。厚生労働省の管轄にある保育所や、文部科学省の管轄にある幼稚園・学校のかかげる理想像が、地域にも、家庭にも浸透していくのです。近代国家や国民国家においてはフレームを一本化するほうが効率的で、都合がよかったからでしょうか。

マリと日本の親子の距離感

一般的に、マリの家庭には子どもがたくさんいるので、一人ひとりと個別に向き合っている余裕がないこともあります。家庭によっては一夫多妻なので、なおさらです(マリでは1人の夫に4人までの妻との婚姻が法律上で認められています)。そのためか、子どもの世界には深く介入せず、親と子どもとが適度な距離を置くのが基本です。

子どもが手伝いをするのもあたりまえです。もちろんそれが必ずしもいいとは限りませんが、ある程度早くから自分でいろいろなことができるようになります。

日本の場合は、すべてが子どもを中心に回るということが多いようです。子どもがいる家庭では、親の時間も、ライフスタイルも、全部子どものために調整されるのです。

例えば、「昔はラーメンを食べに行くのが好きだったけど、あなたを育てるためにやめちゃった」と、親が子どもに堂々と告げるのを見たことがあります。

もちろん健康に害がある場合は別ですが、好きなことを子育てしながら続ける方法は、本当にないのでしょうか。もし続ける方法があるのなら、子どもへのプレッシャーは相当減るだろうにと、やるせなくなることも多々あります。

子育てに悩みはつきものです。しかし、日本の親が純粋に子どものために悩んでいるのかというと、そうではない場合も多そうです。むしろ私には、社会がつくりあげた理想像が重圧となっているように見えます。子どもではなく、社会が親を苦しめているのです。

きっと親も、のびのびと育てたほうがいいことなど、百も承知でしょう。しかし、社会のフレームに収まらない人間に成長したらどうしよう、そのことで世間から非難されたらどうしよう、と縮こまりながら子育てをしています。そして、少しでもうまくいかないことがあれば、世間から責められてしまうばかりでなく、親は自分で自分を責めてしまうのです。

先ほど、マリの親は子どもと適度な距離を置くと言いましたが、最近は例外も増えてきました。新しい富裕層が日本と同じように、子どもをレールに乗せようとするようになってきたのです。

私のところには、1カ月に数件というくらい頻繁に、マリから進学相談の連絡がきます。「子どもを日本に留学させたいが、どうしたらいいか」というものです。そんなとき、私は大抵、「いやいや、子どもに私の連絡先を渡して、子ども本人から連絡させてください」と告げます。話はそれからです。

「日本(化)教育」ボランティア

京都市には、日本語指導が必要な「外国にルーツをもつ児童生徒」や「海外帰国児童生徒」のために、学校へボランティアを派遣する制度があります。かつてそのボランティアをしていた知人が、このようなことを言っていました。

「今、フィリピン出身の子をみています」
「この間、インドネシア出身の子をみていました」

私は、そうか、フィリピンやインドネシアなどから家族で来ているのかと思いました。しかし、話をよく聞いてみると、お父さんとお母さんのどちらかは日本人で、しかも、その子は生まれも育ちも日本ということが多かったのです。 

――なんでわざわざ「フィリピン出身」とか「インドネシア出身」って言うん……?

さらに、学習能力も低いし、学校の学習についていけず、日本の子どもみたいに高校へ進学できる可能性が低いから支援が必要だなどとも言うのです。そして、学校と支援員が連携して、学習指導から生活指導までを行なうことの大切さを説かれました。

本来、勉強や生活に必要な日本語学習をサポートすることが使命のはずなのに、それ以外の領域にも介入しようとするのです。「将来はどうするの?」「家族とはうまくいっている?」「友達とはどう?」「アルバイトは?」など、ありとあらゆることに対して、問題があることを前提に口出ししているようでした。

じつは、うちの子どもにもサポートを提案されたことがあります。私はマリ出身ですが、妻は日本人なのですから、そもそも生活指導の支援など別に必要ありません。日本語のサポートが必要だったとしても、学校と親が連携して考えるべきであると思っています。

また、知り合いの中国人の娘さんも、このボランティア制度の日本語学習支援を受けたそうです。その娘さんは日本生まれの日本育ちなのに、です。親御さんは、「うちの子はそこまで支援なんて必要なかったけど、ボランティアの方が必要性をつくり出して……。しかも、家庭のことにまで口を出されて……」と言っていました。

最近、学校の負担が大きくなり、本来学校と家庭が担う部分をボランティアに任せがちになっているそうです。しかし、ボランティアのサービス精神に依存するこういった制度をめぐって、一部で不満が募ってきているように思われます。

そもそもサポートなど必要とされておらず、ただのおせっかいになってしまっていることもあるのです。場合によっては、支援者のほうが優越感を得たり、自己満足したりするために、「日本人の助けが必要な外国人」を求めていることさえあるのかもしれません。そのため、本当に助けが必要な人とそうでない人の区別ができなくなってしまっています。

成長過程とフレーム

長男は自己紹介をするとき、「京都生まれの北京育ちで、フランス人学校に通っていました。親は日本人とマリ人です」などと言います。

彼は4歳半まで京都で過ごしたのですが、妻の仕事の都合で、中学生になるまでは北京のフランス人学校で学びました。

妻は、長男が「北京育ち」という認識をもっていることを知って、かなり驚いたそうです。はじめてそれを知ったのも、帰国してから数年後のことでした。北京で生活したとはいっても、住んでいたのは日本や欧米の駐在員・外交官ばかりの団地でしたし、妻としては、家庭内は日本だという意識でした。さらに、学校もフランス式でしたから、中国のアイデンティティまでもっていることが意外で、新鮮に感じたそうです。

一方、次男は帰国後しばらく、長男よりも日本人化する傾向が強かったように思います。時間をきっちり守り、宿題も忘れず、いわゆる理想の日本人像にがんばって自分を近づけようとしているように見えました。

北京のフランス人学校には京都にあこがれをもつ人が多く、「京都出身」は一種のステータスでした。彼も誇りに思っていたことでしょう。

しかし帰国後、日本の小学校では「日本人」として扱ってもらえなかったのです。そもそも次男が北京に行ったのは生後8カ月でしたので、日本のフレームを身につけているはずもありません。

彼は北京では自分のことを、日本人でありマリ人、そして場合によってはフランス人だとも思っていました。ところが、いざ日本で生活してみるとまったくの他者として扱われる。その戸惑いが、日本人化を加速させたのかもしれません。彼は一時的に、中国語を忘れてしまうほどでした。

長男が複数のアイデンティティを得た背景には、日本での幼少期に異文化と触れ合う機会に恵まれたことがあったのかもしれません。私の家には日々、友人や研究室・ボランティア仲間などが押しかけていましたから、彼はあらゆる国のあらゆる個性をもった人たちに遊んでもらっていました。私が忙しいときには、かれらが保育園まで迎えに行ってくれることもたびたびありました。

こういった経験をとおして、さまざまな価値観を知り、肯定するマルチフレームの感覚を養っていたのだろうと思います。

もちろん、息子たちが通っていた北京のフランス人学校にも、50カ国近くの児童・生徒がいたため、多様な価値観に触れる機会はありました。しかし、次男の場合、日本のフレームすら確立しない間にそのなかへ飛び込んだため、さまざまなフレームが自分のなかで区別・序列化されず渾然一体となっていたのかもしれません。フランス人学校の教育方針は、特定の文化フレームを軸に育てるのではなく、むしろフランスの共和制を象徴するような普遍性を強調することが特徴ですから、それも影響していたことでしょう。

ただし、進学した日本の中学校では、帰国生徒が外国生活で培った経験を大切にしつつ、日本にランディングすることが重視されていました。そのため彼も、自分には違うフレームの可能性があると認識しつつも、中学校生活のなかで自然と日本のフレームになじんでいきました。

そして、高校は自由な校風でしたので、そこでは思いっきり複数のフレームを発揮したようです。みんな違ってあたりまえ。たとえ違っても、同じ目標に向かってがんばるクラブ活動にも積極的に取り組み、自分らしさを表現できるようになったと言います。

息子たちの成長過程をふりかえると、フレームは必ずしも固定的なものではないのだろうと思います。そして、子どもの成長において、教育や学校が重要な役割を果たしていることを痛感するとともに、大きな可能性を感じました。

マルチフレームの時代

プロテニスプレーヤーの大坂なおみさんは、こう言っています。

私の名前は大坂なおみです。物心がついたころから、人は私を「何者か」と判断するのに困っていました。実際の私は、1つの説明で当てはまる存在ではありませんが、人はすぐに私をラベル付けしたがります。

日本人? アメリカ人? ハイチ人? 黒人? アジア人? 言ってみれば、私はこれらすべてです。

「大坂なおみがつづる、人種差別根絶への決心。「行動する必要性を感じた」」
日本版Esquire、訳Keiko Tanaka

“I Never Would've Imagined Writing This Two Years Ago”
By Naomi Osaka Jul 1, 2020, Esquire

「私はこれらすべてです(I’m all of these things together at the same time.)」。そう、彼女はどれかひとつのフレームに自分を閉じ込めようなどとはしません。そして同時に、どのフレームも決してリジェクト(拒絶)しないのです。

また先日、私と小説家の平野啓一郎さんとで対談した際、彼は「分人」という考え方を提案していました。個人というひとつの単位に固執するのではなく、自分を複数化し、時と場所に応じて使い分けるというあり方です。例えば、大学や地元、インターネット上の自分を柔軟に使い分けるといった具合です。

まさに現代は、そういった「マルチフレーム」「分人」のあり方が模索されている時代なのだと思います。

「日本人」のオルタナティブ

「日本人」の子どもたちだって、教育を受ける前はそのフレームの外にいたはずです。小学校を訪れると、低学年の子は本当に気さくで元気です。平気で私に「なんで黒いん?」と聞いてきます(私はそれに「テニス焼けやねん」と答えます)。しかし、高学年になると、質問が出てきません。質問するためには、どういったプロセスを踏むべきかということがすりこまれ、自分の気持ちや考えをオープンにできないのです。

オランダの社会心理学者ヘールト・ホフステード(Geert Hofstede)は、多文化世界について論じるなかで、人間性―文化―個性という3つの層をモデル化しました。

彼は、「人間性(human nature)」とは人間が普遍的に生まれもつ性質で、「文化(culture)」とは学習によって身につけられる集団的な現象であると定義しています。そして、それぞれの人に特有なものを「個性(パーソナリティ/personality)」と位置づけ、個性は人間性と文化の両方の影響をうけて育つ、と指摘しています。

まさに「日本人」というフレームは、「文化」だと言えるでしょう。絶対的な性質ではなく、あくまで後天的に身につける現象にすぎないのです。

「外国にルーツをもつ子ども」という言葉があります。しかし、こうやってラベル付けをすること自体が、日本のモノフレームを絶対視し、そこに吸収することを前提としているように思えてしかたがありません。「外国にルーツをもつ子ども」には、何らかのサポートや配慮、そして日本化教育が必要だという「空気」に満ちているのです。

多くの場合、「外国にルーツをもつ子ども」と呼ばれる子は、「日本人」という幻に取り込まれ、もともともっていたフレームや個性を放棄しなければならならなくなります。

――でも、ちゃうねん。

オルタナティブ(別の道)はいくらでもあるのです。

もちろん、すべての人がマルチフレームになってしまうのも、気味が悪いことだと思います。しかし、モノフレームで生きる場合であっても、ただ与えられた型にはまるのではなく、自ら選び取ったり、つくり上げたりしなければ、息苦しいのではないでしょうか。時代が変われば、フレームを再生成する必要が出てくることだってあるでしょう。

納得してもいないモノフレームに固執したり、他者を巻き込んだりする必要などありません。同化・吸収するのではなく、多様なフレームを認め合う社会。私はそれが、うつくしい世界なのだと思います。

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著者略歴

  1. ウスビ サコ

    京都精華大学学長。
    マリ共和国で生まれ、中国の北京語言大学、東南大学を経て1991年に来日。京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士後期課程終了。博士(工学)。2001年より京都精華大学の教員。
    専門分野は建築計画(住宅計画、居住空間計画)。「空間人類学」をテーマに、学生とともに京都のまちを調査し、マリの集合居住のライフスタイルを探るなど、国や地域によって異なる環境やコミュニティと空間のリアルな関係を研究。暮らしの身近な視点から、多様な価値観を認めあう社会のありかたを提唱している。バンバラ語、英語、フランス語、中国語、関西弁が話せる。

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