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進化生物学者がイヌと暮らして学んだこと

イヌは世界をどう認識しているのか? その3

 これまで、イヌの視覚や嗅覚、人間の感情や思いを読み取る能力などについて、最近の研究結果を紹介しながら、うちのイヌたちの様子を話してきた。では、聴覚と味覚についても見てみよう。

イヌの聴覚と耳の形について

 イヌはとても耳がいい。うちはマンションの3階なのだが、私や夫が帰ってくると、足音やエレベーターの音でわかるらしく、こちらが鍵を開ける頃には玄関で待機している。伊豆の別荘でも、外の道路を誰かが通ると、私たちは何も気づかないのに、すぐにワンワンと吠えながら窓辺に走り寄っていく。

別荘の窓辺で「あっ、お父さんが帰ってきた!」

 イヌが聞くことのできる音の領域、つまり可聴域は、65ヘルツから5万ヘルツほどであるらしい。ヒトの可聴域は、16ヘルツから2万ヘルツ。超音波とは、ヒトに聞こえないから超音波なので、2万ヘルツ以上の振動数帯域とされる。ということは、イヌはヒトには聞こえない超音波も聞こえるということだ。

 だから、犬笛というのがあるのだ。私は使ったことがないのでよくわからないのだが、ヒトにかろうじて聞こえるほどの高音から超音波まで出せる笛だ。これを使って、イヌにいろいろな訓練をするのである。

 発明したのは、フランシス・ゴールトンだということなので、これは調べてみなくてはいけない。ゴールトンは、チャールズ・ダーウィンのいとこで、生物のからだのさまざまな計測を行なってそれを統計処理することや、知能・認知能力の個人差などについて研究した。今で言うところの生物統計学の元祖の一人でもある。しかし、人種差別的な考えの持ち主で、私としては好きになれない。もしも、私がゴールトンに会ったとしたら、私が東洋人で女性なので、絶対に見向きもされなかっただろうと確信を持って言えるような人物なのだ。それでも、どうして彼が犬笛を発明したのかは興味があるので、調べてみよう。

 イヌの聴力の話に戻ると、イヌは可聴域がヒトよりも広いばかりでなく、音の定位もヒトより細かくできる。ヒトは、音がどの方向からきているのか、だいたい16方位に分割して知覚できるのだが、イヌは32方位まで分割できるらしい。キクマルもコギクも、耳の根元のところからクイクイと動かして聞き耳を立てる。あの動作が、ヒトよりも細かい音の定位を可能にしているのだろう。

 ヒトの耳介は何と言っても小さいのだ。うちのイヌたちの耳そうじをしていると思うのだが、イヌは耳道も太い。キクもコギも、私よりも頭は小さいくせに、耳道は私よりも太くて大きい。そして、結構な量の毛が生えている。霊長類の耳道はこんな風ではない。私は、野生のニホンザルとチンパンジーの研究をしてきたが、彼らの耳そうじをしたことはないので、どんな耳道を持っているのかは、具体的には知らない。しかし、どうせ霊長類なのだから、私たちとそれほど違いはないだろう(と思う)。そして、霊長類はやはり視覚の動物なのだ。そこは、イヌたちとは大違いなのである。

 チャールズ・ダーウィンは、『種の起源』の出版のあと、1871年に出版した『人間の由来』の中で、私たちの耳介について記述している。私たちヒトの耳介の外縁は、上部から後方が内側に浅く折れ曲がっている。その内側に回り込んだ縁を、手前から後ろに向かって触っていくと、斜め後方のところで、ほんの少しだが尖った突起のようなものがあるだろう。わかりますか? ダーウィンは、そのことの重要性を考えた。

 彼は、アカゲザルなどのサル類のからだの構造をよく知っていた。当然、耳の形も。サル類の耳はヒトの耳よりも薄くてペラペラしており、先が尖っていることが多い。そのようなサル類から人類が進化するにつれ、耳介が小さくなっていった。それは、私たち人類が大脳を発達させ、いろいろ別の能力を持つようになるにつれ、聴覚そのものの比重が減ってきたからだ。そして、聴覚の重要性が縮小していく中で耳介もだんだん小さくなる。耳介が縮小していく過程で、クラゲが縮んで丸まっていくように、耳介の縁が内側に折れ曲がった。そうなったとき、サル時代に尖っていた先端の名残が、今私たちの耳介の内側にある、ほんの小さな突起なのである、と。

 うーん、結構な考察である。人類が霊長類の祖先から進化したということが、一般にはまったく理解されていなかった時代だ。こんな、いわば些細な形質について、ここまで思い巡らせて論じることが必要だったし、逆に言えば、そんな余裕もあった。今、こんなことを真面目に考える時間のある進化生物学者はほとんどいない。なんでもゲノムを調べることばかりが注目されているので、大きな形態的違いの意味を考えることはできにくい時代である。ヒトとサル類の耳介の形の違いを知っている生物学者もほとんどいないだろう。そのかわり、私たちは、ダーウィンの時代とは比べものにならないほど多く、遺伝子に関する知識を持っている。これが本当に「進歩」と言えるのかどうか、私にはよくわからない。

 ところで、イヌたちの耳の動かし方には、音を聞くということ以上の何かがある。興奮すると耳を前に倒す。私とおもちゃの取りっこをするときや、彼らどうしでワンプロ(注:ワンコ・プロレス、飼い主用語)するときなどの耳の表情は独特だ。あれは、私たち霊長類とはまったく違う感情表現だと思う。このことについても、いずれ、もっと詳しく調べてみたい。

イヌの味覚、ヒトの味覚

 味覚はどうだろう? これについては、私もあまり多くは知らない。が、私たちがいろいろな味の違いを感じて区別できるのに比べると、イヌはまったくダメなようだ。

 味覚は、舌にある味蕾という細胞で感じる。舌を鏡で見てみると、舌の表面には小さなぶつぶつがたくさんあるのが見える。これらは乳頭と呼ばれる組織で、そこに、味を感じる受容細胞である味蕾が乗っかっている。すべての乳頭が味蕾を備えているわけではないのだが、ヒトの舌にはおよそ9000個の味蕾があるそうだ。

 味の基本は、「甘い」、「塩辛い」、「酸っぱい」、「苦い」、そして「旨味」である。「旨味」とは、おもにグルタミン酸やアスパラギン酸など、タンパク質を構成するアミノ酸の「味」だ。和食の出汁やフランス料理のブイヨンの味である。これら、基本の味を9000個の味蕾で感じとり、その信号を脳に送る。「甘い」は、お母さんのミルクの味、エネルギー源と結びついているので心地よい。「塩辛い」は、筋肉などを働かせるために必須であるナトリウムと結びついているので心地よい。それらは、遺伝的に快と感じられるようにできている。

 しかし、「酸っぱい」と「苦い」は、あまり心地よくない。「酸っぱい」のは、食べ物が腐ったときの信号でもあるし、「苦い」のは、植物性の食物がまだ熟れていないときと関連している。これらの味が、「甘い」と「塩辛い」のように、はなから心地よいものとプログラムされていないのは、そういう理由による。ところが、すべての酸っぱさと苦さが、生存に悪い影響をもたらすものであるとは限らない。オレンジの酸っぱさは心地よいし、ある種の苦味も美味しいものだ。だから、これらは学習によって形成されねばならない。

 子どもは、概して野菜が嫌いである。とくに、ピーマン、セロリ、ミョウガ、タマネギなど、ちょっと苦味が入っている野菜は嫌われる。それは、「苦味」という味が、必ずしも栄養やエネルギーと関連しているわけではなく、逆に、食物としてふさわしくないという信号でもあるから、「苦味」がおいしいという風には、進化で作られることがないからだ。そう思えば、ピーマンもセロリも、「甘い」や「塩辛い」の心地よさからは程遠い。こういった食物の美味しさは、学習によって形成されるものなのだ。

 それでイヌはと言うと、イヌの舌にある味蕾の数は1700個ぐらいだと言われている。ヒトの9000個に比べるとすごく少ない。しかし、彼らは私たちのような雑食の霊長類ではなく、もっぱら獲物を狩って食べていた食肉目なのだ。雑食ならば、危険な物の感知も含めて、いろいろな物の味を感じなくてはならないだろう。しかし、基本的に他の動物の肉しか食べないとなれば、それほど多くの種類の味を区別する必要はないに違いない。

 イヌの1700個の味蕾は、とくにいろいろなアミノ酸の旨味を感じるようにできているらしい。肉の中に含まれているアミノ酸の味を感じるためだ。しかし、「旨味」は「甘み」に通じるところもある。だから、イヌたちは甘い物が好きなのかもしれない。うちのイヌたちは、カステラ、生クリーム、カスタード、(イヌには特に有害と言われる)チョコレートなど、甘いお菓子が好きである。

 ヒトが食べる甘いお菓子は、イヌにとってはからだに悪いので、ヒトのお菓子を与えてはいけないと言われている。だから、どんなにねだられても滅多にあげないのだが(その点、亭主はかなり「甘い」けれど)、そもそもどうしてイヌが、からだに悪い甘いお菓子を欲しがるのだろう? それは、ヒトが食べる甘いお菓子に含まれているアミノ酸の甘みなのではないだろうか? だから、現代のヒトの生活の中で一緒に暮らしているのでなければ、こんな誘惑に会うこともなかったのであろう。かわいそうにね。

 しかし、イヌは、ヒトに飼われて家畜化される過程で、ヒトの食事のお余りを食べて暮らすようになった。そのお余りの多くは、ヒトが食べるデンプンの食事である。そこで、イヌは家畜化の過程で、デンプンを消化するための酵素であるアミラーゼの活性化を倍増した。ということは、イヌは、デンプンの味もわかるということだ。だから、アミノ酸とは別に、甘いお菓子も好きなのに違いない。キクマルがあるとき、私たちが留守の間に、12個入りのお餅のパックを破って10個食べてしまったことは、以前に書いた。食べ物をめぐる困った話はいくつもあるが、それらは結局のところ、イヌという動物の味覚の進化に関係しているのである。余談だが、キクマルもコギクも、あんこが大好きで、私たちが大福など食べていると、必ずおねだりに来る。ああ、困ったもんです。

キクマルのおねだり

世界認知の物理的感覚

 先にも述べたように、私たち霊長類は、世界を視覚中心に捉えている。私たちは、物体を視覚で感知される輪郭線で区別して、これは一つの物だと理解している。あまりにも当たり前のことだと思われるかもしれないが、こんなことが明らかになったのは、20世紀も終わり頃になってからなのだ。

 赤ちゃんは、まだ言葉を話さないので、世界をどのように認識しているのかを実験的に示すのは難しかった。それが、20世紀の終わり頃から、認知発達科学の中でいくつかの進展があり、ある程度はわかるようになったのである。その一つは、赤ちゃんが目の前の何を見ているのか、何に注目しているのか、赤ちゃんの視線を追う装置、アイトラッカーが開発されたことだ。もう一つは、赤ちゃんが驚くと目を見張ってじっと注視する、という行動を指標にして、赤ちゃんが何を期待していたかを探る手法である。

 おとなもそうだが、次にこうなるだろうと予測していた通りに物事が進むと、それは当たり前のことなので、とくにそれを注視することはないが、予測と違っていると「あれ?」とそこに注意が向く。これは赤ちゃんも同じである。そこで、赤ちゃんにいろいろな画像を見せて、赤ちゃんがそれをどのように注視しているかを調べる。どこかの時点で、赤ちゃんが「うぬ?」と目を見張って注視したら、それは、赤ちゃんが期待していなかった事態であると推測される。これを逆手にとって、では、赤ちゃんは何が当たり前に起こると期待していたのかがわかる、という実験方法である。これを、アイトラッカーを使って行う。こうすれば、言葉を話せない赤ちゃんが世界をどうとらえているか、その一端がわかるだろう。

 こうしていくつもの実験が行われた結果、ヒトの赤ちゃんは、物体というものを、一つの閉じた輪郭線で認識していることがわかった。その物体が実際に何であるのか、アヒルなのかトラックなのかというような話は、その次なのである。まずは、閉じた輪郭線で囲まれたものを一つの物体として認識する、それが第一なのだ。というのは、アヒルのおもちゃが動いてスクリーンの後ろに隠れ、やがてスクリーンの後ろから出てきたのがトラックであっても、赤ちゃんは驚かないのだ!

 ところが、一つのスクリーンの後ろに一つのアヒルが出入りし、もう一つ別に離れて並んでいるスクリーンの後ろをもう一つのアヒルが出入りする。そのあとで、この2つのスクリーンがともに上げられたところ、後ろにはアヒルは1羽しかいなかったということになると、赤ちゃんは驚くのである! 輪郭線に囲まれたものとその軌跡が2つあったのに、物が一つしかないのはおかしい、ということだ。

 イヌもこのようにして、輪郭線とその軌跡で物体を認識しているのだろうか? 私は、うちのイヌたちとの経験から、そうではないのではないかと疑っている。先の実験で明らかになったような、輪郭線で物体を把握するというのは、霊長類全般に当てはまるようだ。サルは視覚の動物であり、基本的に私たちと同じなのだろう。

 しかし、イヌは、これまで見てきたように、いろいろな点で私たちとは異なる世界の把握をしている。私の足を踏んで立っていても、一向に何とも思わないとか、彼らが寝るときにお気に入りのお布団の輪郭からまったく外れて頭を投げ出して寝ていても平気であるとか、彼らの物体の認識がどうなっているのか、疑問に思うことがたくさんあるのである。

 今のところ、イヌの世界認識に関して、アイトラッカーと驚きの注視を使用した研究があるのかどうか、私は知らない。イヌはサルとは顔の作りも違うから、アイトラッカーで視線を追うにも、別仕様を作らねばならないに違いない。これからも、イヌの認知の研究は注目していきたいと思う。

 「コウモリが世界をどう認識しているかは、コウモリになってみなければわからない」といったのは、哲学者のネーゲルだった。それはそうなのだろうが、私たちがコウモリになることはできないのだから、この言葉を額面どおりに受け取れば、他の動物の世界の認識は、私たちには永遠に理解できないことになる。でも、それでは何だかつまらない。そこを何とか、彼らの世界に迫る方法を発明し、想像力を働かせ、少しでも世界の理解が共有できるようにしたいと切に願う次第である。

認知実験に参加するキクマル(実験者:テレサ・ロメロさん)

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著者略歴

  1. 長谷川 眞理子

    総合研究大学院大学学長。専門は行動生態学、自然人類学。野生のチンパンジー、イギリスのダマジカ、野生ヒツジ、スリランカのクジャクなどの研究を行ってきた。現在は人間の進化と適応の研究を行なっている。著書に『クジャクの雄はなぜ美しい?』(紀伊国屋書店)、『進化とは何だろうか』(岩波ジュニア新書)、『ダーウィンの足跡を訪ねて』(集英社)、『科学の目 科学のこころ』(岩波新書)、『世界は美しくて不思議に満ちている ―「共感」から考えるヒトの進化』(青土社)など多数。

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