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おかあさんのミカターー変わる子育て、変わらないこころ

忠告をふるいにかける―何を受け取るかはあなた次第

 今の子育てには、選ばなくてはならないことが本当にたくさんあります。子どもをもつかもたないかに始まり、どこで産むか、どのようなスタイルで産むか、先に性別を訊くか訊かないか、胎内教育するかしないか、するなら何を聞かせるか、母乳かミルクか、仕事を続けるなら保育所はどこにするか。ちなみに私が長女を産んだときは、まだ保育所は「保育に欠ける子どもを措置するところ」で、こちらに選択権はありませんでした(児童福祉法の改正によって、保育所への入所が「措置」でなくなったのは1997年のことです)。今は、立地、施設、保育方針や時間などいろいろな条件を比較して、いくつもの候補の中から選んで申込みをしなければなりません。

 おむつは布か紙か。これも悩むことの一つです。「楽な方でいいじゃない」と割り切れる場合はよいですが、わが子にとって、地球環境にとって、経済的に…と真面目に考えれば考えるほど、簡単に答えは出なくなります。

 そういったとき、今はインターネットに検索語を入力すれば、いくらでも情報が得られる時代です。子育てで何か悩んだとき、瞬時に山ほどの回答が得られるのは有難いことに違いありません。しかし、いざ自分がどうすればよいかの決断を迫られたとき、多すぎる情報はかえって悩みを大きくしてしまうのも事実で、結局は身近な人の助言や忠告(アドバイス)を頼りにする場合も少なくないのではないでしょうか。また、こと子育てに関しては、専門家でなくとも、人生の先輩なら誰でも助言者の立場になり得ます。こちらが頼るより前に、向こうからあれこれと忠告がやって来るというのもよくあることです。

 

 たとえば先ほどのおむつ問題で、私の場合はどうだったかを思い出してみました。

 ふりかえってみると、私も一応心理学者の端くれとして、ネットこそまだ使っていませんでしたが、通常よりも多くの情報をもっていました。以前の回でも書きましたが、長女が生まれた1990年代前半は、「完全母乳育児」推進をはじめとして、最早期の母子の絆をどう作れるかが、その後の子どもの発達にとっていかに重要かが強調された時代です。排泄の世話についても同様に、便利な紙おむつに頼っていては、母子の情緒的な関係の育みが損なわれるという判断が科学的知見から導き出されることも知っていました。

 乳幼児と母親の情緒的関係の発達を研究した第一人者、精神科医のダニエル・N・スターンは、赤ちゃんが興奮したりぐずったりする原初的な情動の変化に母親は無意識に波長を合わせて反応するものであり、その細やかな反復が、やがて子どもが自分や他者の感情を理解し、共感する能力に育っていくと教えてくれています(D・N・スターン著/小此木啓吾・丸田俊彦監訳『乳児の対人世界 理論編』岩崎学術出版社、1989年)。

 たとえば、お腹がすいたり、おむつが濡れたり、暑かったり、眠かったりして不快さが増した赤ちゃんは、口を開けたり、顔をしかめたり、次第にぐずった声を出し、最後には泣き始めます。かたわらにいる母親は、無意識のうちにその緊張感の高まりに心身の波長を合わせ、どこかのタイミングで「よしよし」と抱き上げ、その不快を静めるための行動が何かを探ります。

 逆に、赤ちゃんがカーテンの隙間から射してくる明るい光に興奮してバタバタと四肢を動かし始めたようなときも、母親にはその快体験の興奮に波長合わせが起こって(たいてい何で興奮しているのかはわからないことが多いものですが)、「どうしたの~」と嬉しい気分で赤ちゃんをあやしたりします。最初は快・不快でしかない未分化な赤ちゃんの情動は、母親や主な養育者が的確に同調して反応してくれることを通して、喜怒哀楽へと分化していくのです。そのような言語以前の重要な波長合わせを、スターンは「情動調律affect attunement」と名づけました。

 この考えにしたがえば、生後1~2年、子どもによってはもっと長く繰り返される「おむつ替え」を通した情動調律のあり方は、成長後のわが子の情緒的な対人関係の質を左右することになります。情緒発達の観点からは、やっぱり布おむつ、です。ぐずる前にかわいいキャラクターの色が変わって「あ、濡れたから替えなきゃ」と親が見てわかったり、センサーが反応して別室にいる親のスマホに通知が届いたりするような最新の紙おむつでは、貴重な波長合わせのチャンスは奪われてしまうのですから。

 

 ところで、結局私がどうしたかというと、悩んでいるうちに偶然のなりゆきも加わって、なかなか面白い展開になったのでした。

 おむつをめぐる「忠告」の第一弾は、夫のおかあさんがお寺で安産祈願をしてもらったからと持参してくれた、さらし布の腹帯でした。「今はすぐ買えていいわね。昔は、これを切って縫い合わせておむつにしたのよ」(正直、昔話を聞くような気分でした)。言外に、布おむつを買ってね、という勧めが含まれていました。

 第二弾は、同じ研究室の先輩夫婦が私たちの出産予定を知って、使わなくなった子育て用品や衣服を段ボール箱で送ってきてくださった中に、布おむつがどっさり入っていたことです(これにはもっと距離の近い、暗黙のプレッシャーを感じました)。

 次に、長女がお世話になる予定の赤ちゃんホームに以前お子さんを預けていた先輩ママの一人が、赤ちゃん用品の老舗企業に勤めていた偶然のご縁で、新生児のおむつモニターを引き受けることになりました。雅子妃のご成婚直後、世の中は、皇室のお世継ぎ誕生への期待がじわじわ高まり、いずれ生まれるかもしれない高貴な赤ちゃんに向けた商品開発が始まったタイミングだったのです。素材や形が違う複数の種類の布おむつとおむつカバーの試作品を渡され、使い心地や漏れ具合など、産休中は毎日チェックしてレポートをしました。また、海外の製品もいろいろいただいて、試す楽しみが加わりました。一番記憶に残っているのは、育児文化では先進的なある国のおむつカバーがじゃじゃ漏れで、「ひどい目に遭った」と後で大笑いしたことです。

 しかし、職場に復帰し、昼間は赤ちゃんホームへ、その後保育所に子どもを預ける生活に移行するにあたって、「やっぱり布おむつ」とも言っていられなくなりました。へとへとになって帰宅し、夜は少しでも自分自身が休みたい。でも、布おむつであれば、濡れるたびに起きておむつ替えをしなくてはなりません。だからといって紙にすれば、「楽をしていると思われる」「楽をしちゃいけないのではないか」という罪悪感と闘うことになります。

 

 こんなとき、これを読んでくださっているみなさんなら、どんな助言や忠告をされるでしょうか。

 私は、おっぱい問題のときと同様、本を読んで学ぶことと合わせて、身近な専門家や経験者に順に話をし、意見を聞きました。5人のお子さんを育てる豪胆な同僚の先輩ママ、同じ同僚でも2人のお子さんを慎重すぎるくらい丁寧に育てている先輩ママ、海外生活の長かった友人パパ、保育ママや保育所の先生などです。私自身の父(大正生まれ)は、困った状況になると「こんな小さいうちから子どもを預けて働くからだ」という忠告をする人でしたから、前向きな手がかりは外に求めるのが賢明でした。

 さまざまな助言をもらって考えた結果、私はこのような方法をとることにしました。昼間は預け先の方針に従って(赤ちゃんホームはいずれでも可、保育所は布おむつ推奨でした)布を使い、帰宅したら毎日汚れたおむつの洗濯には励むけれども、夜は紙おむつを使って私の労力を節約する。昼間も、お腹が緩くて布おむつの汚れがひどくなりそうなときは紙に切り替える、といったハイブリッド方式です。情動調律の問題はどうするの?と訊かれそうですが、母子の波長合わせは同時的な現象です。余裕のない私の波長に赤ちゃんが同調してしまうリスクに比べたら、まだ調律しないほうがまし、という判断もあったかもしれません。

 

 実際、さまざまな助言とはどんなものだったかを知りたいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、その一言一句はもう覚えていません。布派も紙派もどっちでもよい派も幅広くあったのは確かです。私は、親身になされる忠告一つひとつの内容は、それぞれの助言者が知識や経験から導き出したものであり、等しい重みをもつものだと思っています。より重要なのは、どれが正しいかということよりも、どの忠告が「今の自分に実際に役立つか」を考えて選び取れる、自分自身の主体的な力のほうだと思っているのです。大切なのは、多くの情報、多くの知識、多くの忠告をふるいにかけ、現在の自分にフィットするものを受け取れることではないでしょうか。そして、ふるいにかけて残ったものを参照して、自分らしいやり方を作っていけることではないでしょうか。

 忠告が得意な人の中には、相手が自分の言った通りにしないと不満に感じたり、批判や怒りを向けてきたりする人がときどきいますが、そのような助言者の反応が恐くて無理に合わせても、決してうまくはいきません。何を受け取ればよいか迷ったときの手がかりは、どの助言や忠告を受け取ったときに自分が一番落ち着いたり安心したりしたか、という自分の側の実感にあるのです。

 自分自身の「実感」に自信をもてていない人は、「どれが正しいか」を知的に考えて判断しがちです。確かに、耳の痛い「正しい忠告」というものもありますが、それが活きる(活かせる)かどうかは、与える側と受け取る側の間に信頼関係が育まれているかどうかにかかっています。厳しい忠告だけれども、この人がそう言うなら私も頑張ってみようと思えるとき、そこには恐怖や不安は生じないはずです。逆に信頼関係のない間柄で出される一方的な「正しい忠告」は、受け取る側を傷つけ、百害あって一利なしという事態を生みます。

 さらに、相応の信頼関係があってなされた忠告であっても、受け取る側の状態によっては不安や罪悪感を掻き立て、落ち込ませるだけにしかならないこともあります。私が十数年前にインターネットの子育て支援サイトでこころの相談室の回答者を担当していたとき、「実母の忠告が一番つらい」というおかあさんの訴えに接することが何度かありました。一生懸命やっている自分の子育てに対して自分を育てた母親から否定的な忠告をされることは、どんな専門家の科学的な判断に基づいた忠告よりも無視できない力で、若いおかあさんを窮地に追い込みます。子どもの母親としてダメだというだけでなく、母親の娘としてもダメだ(期待外れだ)と言われているのと同じだからです。

 

 私は実母がすでに亡くなっていたのでそのようなつらさを経験することはありませんでしたが、それに類することは、長女が保育所の幼児クラスに上がったときの担任の先生との間で起こりました。

 ちょうど次女が生まれ、夫が1年間の在外研究で渡欧し、夏休みの育児休業を終えて私がフルに職場復帰してまもなくのころだったと思います。今風の表現で言えば「ワンオペ育児」が始まって、私は綱渡りのような日々を送っていました。カウンセラーという仕事は、悩みやつらさを抱えて定期的に相談に来るクライエントとの約束を守り、1分1秒遅れず「そこ(面接室)で待っている」ことがまず重要な責務です。もちろん、現実的なちょっとした助言を求めて来る人もいますが、抱えている問題が深刻であればあるほど、相談面接の時間はきちんと守られる必要があるのです。しかし、乳児は、夜に元気でも次の朝起きてみたら高熱が出ているなんていうことは珍しくありません。「明日私は無事に予定通り職務を果たせるだろうか」という日々の緊張感は当然長女にも伝わり、どうやら保育所でも落ち着かない様子を見せていたようでした。

 ある日、夕方お迎えに行くと、担任の先生に呼ばれて子どもたちの帰った後の保育室で話をすることになりました。ワンオペ育児の状況をご存じのはずの先生は、こう切り出しました。

「最近、◯◯ちゃん情緒不安定です。やっぱり、こういうときはおかあさんがそばにいてあげないとね。」

 それに続いてどんな話をしたのかは、全く記憶がありません。「やっぱり、おかあさんが」という言葉が矢のように私のこころに刺さり、うちのめされてしまったからです。担任の先生もフルタイムで働き、私とそう歳の違わない、お子さんのいる女性でした。働く母親同士として、そのたいへんさをわかってくれているはずと信頼していた人からの、思わず口をついて出た忠告に、私は信じられない思いでいっぱいになりました。

 今ふりかえれば、乳児クラスの保育士1人あたり6人(1、2歳)の子どもという定数に対して、幼児クラスでは20人(3歳)、30人(4歳)と桁違いに増えるなかで、不安定な子どもがいると担任の先生の負担も格段に大きく、「やっぱり、おかあさんが」という言葉に結びついたのだろうと想像してみることは可能です。しかし、忠告をふるいにかける余力もなくなっていた当時の私にとって、その言葉は役に立たないだけでなく、泣きっ面に刺さるハチの針のように私を脅かすものでしかありませんでした。

 

 限界まで頑張ってもうまくいかず、途方に暮れている子育て中のおかあさんに、「おかあさんがもっと頑張らないと」「こんなふうに頑張ったらいいよ」と助言や忠告をするのは、風邪を引いて高熱を出し、点滴を受けている最中の人に向かって、「もっと健康管理に気をつけないと」「毎朝、乾布摩擦したら風邪を引きにくい体になるよ」と言うのと同じようなことです。そんなときは、どんな言葉よりも、かたわらにいる大人が、泣いている赤ちゃんをおかあさんの代わりに抱き上げてあげることのほうが役に立つのではないでしょうか。私の場合は、「いつでも(子どもたちを)連れておいで」と言ってくださり、時間を問わずときどき預かってくださった赤ちゃんホームの保育ママの存在があったことが、自分の主体的な力を取り戻すための一番の救いでした。

 こんな経験があるせいか、私は子どもたちが大きくなった今でも、電車の中などでぐずって泣く赤ちゃんや幼児を必死で叱るおかあさんに遭遇すると、そのお子さんをさっと抱き上げたくなる衝動を抑えるのに苦労します。今のご時世、見知らぬ他人がそんなふうに距離を近づけることは難しく、また実際抱き上げてもさらに子どもに泣かれるだけかもしれません。それでも、私は必死だった過去の自分に戻って、泣く子に情動調律してしまうのを止められないのです。

 最後に繰り返しておくと、子育てにはさまざまな忠告がつきものです。でも、何を受け取るか、受け取らないかは、あなた次第です。一般論としてどんなに正しくても、あなたが不安になるならば、それはよい忠告ではありません。迷ったときには、答えの手がかりは自分の側にあるということを、ぜひ覚えておいていただけたらと思います。

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著者略歴

  1. 高石 恭子

    甲南大学文学部教授、学生相談室専任カウンセラー。専門は臨床心理学。乳幼児期から青年期の親子関係の研究や、子育て支援の研究を行う。著書に『臨床心理士の子育て相談』(人文書院、2010年)、『自我体験とは何か』(創元社、2020年)、編著に『子別れのための子育て』(平凡社、2012年)、『学生相談と発達障害』(学苑社、2012年)、『働くママと子どもの〈ほどよい距離〉のとり方』(柘植書房新社、2016年)などがある。

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