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美しいってなんだろう?

美しき「果実」

「好きなインド料理はなんですか?」

と聞かれることがよくある。日本でふつうのひとが想像する「カレー」や「インド料理」と、ぼくがふだんインドで食べているものはあまりにもかけはなれている。なにがどうちがうのか、うまく答えられたためしがない。かわりといっちゃなんだけど

「好きなインドの果物はなんですか?」

と聞かれれば、しゃべりたいことはたくさんある。けれど、インドでの生活や、本づくりの仕事の話ではなく、フルーツについてピンポイントに聞いてくれる人は案外いないものだ。ぼくはいつでも答える準備ができているのに、じつに残念である。

 


 子どものときはスパイスが嫌いで、ネパールやインドを旅行しても、食べられるものがほとんどなかった。くる日もくる日も、どの土地を訪れても、味気ないパサパサのご飯にふりかけをかけたものか、カビくさいパンにバターやジャムをぬったものを、ひたすら食べた。そんな灰色の食卓のなか、果物はすばらしい香りと甘味とみずみずしさで、ぼくのお腹と心を満たしてくれた。バナナ、ココナッツ、パイナップル、パパイヤ、マンゴー、ぶどう、オレンジ、りんご、なし……八百屋や市場にならぶ、いろとりどりの果物たち。なじみがあるものないものかまわずに、かたっぱしから食べていった。

 ネパールではオレンジをよく食べた。皮がごわっと厚く、タネも多い。日本のみかんのようにすごく甘いわけではないが、土ぼこりにまみれてカトマンドゥの町をさまよい歩いたとき、一日ちかく長距離バスに乗ったとき、酸っぱい果汁は乾いたのどをやさしくうるおした。皮をむくたび、いい香りをふりまいて、あたりの空気が太陽の色で染まっていくようにみえた。

 一一歳、家族ではじめて南インドを旅行した。インド大陸の最南端にちかい美しい浜、コヴァーラム・ビーチでは、毎日パイナップルばかりを食べた。
 浜には朝夕、果物を山盛りにしたカゴを頭に乗せ、よび声元気に売り歩くおばさんがたくさんいた。彼女たちから買うパイナップルはいずれも完熟。芯の芯まで柔らかい。日本で売っているもののように、食べすぎて舌がピリピリ痛くなることはない。海で泳ぎつかれ、しょっぱくなったからだに、パイナップルの甘味と酸味がちょうどいい。
 雲ひとつない青空の下。輪切りにされた黄色いパイナップルが、南国の太陽に照らされ、丸くねそべっている。その姿を見るだけで、なんだか楽しい気分になった。

 一七歳、インドの乾期を生きのびられたのも、果物のおかげだ。
 朝、東側の岩山から朝日がのぼると、ようしゃなくやってくるおそろしい暑さ。気温は五〇度まであがり、せんぷう機は温風をかきまわすだけ。汗をかいても、数分後にはザラザラと塩になってしまう。逃げ場のないドライサウナみたい。日に日に食欲がうせて、水さえのどをとおらなくなったとき、スイカだけはかろうじて口にすることができた。
 日が暮れて、ようやく外にでられる気温になると、ひと風呂あび、ルンギー(腰布)をひっかけて、近所のお寺まで歩く。
 一日もはやく雨が降りますように、と風の子ハヌマーン神に願をかけたあと、門前のスイカ屋に寄って、翌日食べるスイカを品定めするのが、なによりも楽しみだった。
 店に屋根はなく、砂の地面に広げられた布の上に、ラグビーボール型の黒いスイカたちが、ピラミッドのように積み上げられている。
 調子のいい売り子のおっちゃんと一緒に、はしからポンポンとスイカを叩いて音を聞き比べる。甘いスイカほどいい音がするのは全世界共通だ。「スイカ、ちょうだい」「あまいやつ、ひとつ」「いくら?」というテルグ語のフレーズだけは、いまでもつっかえることなくスラスラと言える。
 それにしても、スイカという果物は偉大である。雨が一滴も降らず、砂っぽく痩せた土地でも、葉を茂らせ、根をのばし、地中深くの水を吸い上げる。たとえば、遊牧民たちは砂漠に生えるかたい草を食べることができない。だが、山羊たちに草を食べてもらい、しぼりとった乳を通して、人間は砂漠のわずかな恵みを得ることができる。スイカもそれと同じ。乾期のなか、祈るほかなく雨を待ち望むぼくにとって、スイカはいのちをつなぐ生命の水だった。

 たえにたえて二ヶ月あまり。ある日、唐突にやってきた雨雲、はげしいスコールとともに、乾きの季節は終わりを告げる。日が落ちると、ちゃんと涼しくなって、眠れる夜にほっとする。それからひと月ほどで、果物屋にならぶフルーツの顔ぶれがガラリと変わる。
 インド果物界の女王さま、マンゴーの旬だ。色も種類も産地もさまざま。重たそうな鉄製のはかりと、山のようなマンゴーをリアカーにのせたおばちゃんたちが、市場や道ばたにあふれかえる。
 人生で一度たりともインドに足を踏み入れたくない、という人がいてもかまわないし、すべての人にインド旅行をおすすめする気はない。しかし、旬のインドマンゴーを味わわずして死んでしまうのは、おなじ地球に暮らす人間として、じつにもったいない。
 市場で熟れたマンゴーを買いこんで、台所のシンクで、皮をむき、かぶりつく。ほとばしる果汁に口や手をべとべとにさせながら、無我夢中で猿のようにむさぼり食う。むせかえるような甘い香り。これがマンゴーの一番おいしい食べ方だと思う。
 ひらべったい種を歯でしごきながら、オレンジ色の果肉を最後の最後までいじきたなくしゃぶっていると、忘れられた野性が目覚めていくような気がする。古代人がマンゴーの木を発見し、はじめて実を口にしたとき。その衝撃はものすごいものだっただろう。
 フルーツ(fruit)という言葉は、ラテン語のフラクタス(Fructus)からきている。自然から与えられたもの、喜びを引き出すもの、という意味だそうだ。まさにマンゴーは、長くつらい季節をのり越えた者への自然からの贈り物といえる。

 雨期のお恵みはマンゴーだけではない。世界一大きな果物といわれるジャックフルーツ、仏さまの頭のようにゴツゴツした皮のなかに白い果肉がつまったカスタード・アップル、干し柿みたいな強烈な甘みと濃厚な香りのチックー、果物界の王子さま・バナナも忘れてはいけない。 
 田舎でしか食べないようだが、イェルカ・パンドゥという名のふしぎな果物もあった。テニスボールくらいの大きさで、皮は厚く石のようにかたい。道ばたに落ちていたら、なにかの生き物のたまごか、かたちのいい石かな、と思うだろう。
 イェルカ・パンドゥは直訳すると「ネズミの実」。あまりにおいしいから、たくさんの人に知られてはならぬと、あえてまずそうな名前をつけたのだろう。期待に胸をふくらませ、果物屋で一キロ買った。だが、かたい皮が予想以上に手強くて、包丁で半分に切ろうとしても、まったく歯がたたない。思いつくかぎりの道具を試したが切れず、最後はハンマーで力いっぱい叩いてみた。パカンと割れた皮の奥からは、茶色いうす皮につつまれた白っぽい果肉が顔を出した。
 ワクワクしながらスプーンでほじくって食べてみたが、これが甘くもなく水気も少なく、苦く酸っぱく渋い。なんともひどい味だ。口直しに水を飲んだら、口の中がさらに渋くなった。熟れていないうちに食べてしまったのかも。友だちにきいてみたら、いくら待っても基本的には味はこんなものだという。食べづらいからジャグリー(粗糖)につけこんで食べるそうだ。試しにいわれたとおりやってみたが、口にいれた瞬間だけ砂糖が甘いだけで、あとは薬か、と思うほど渋く苦いことには変わりなかった。
 人生甘いことばかりではない、というが、広い世の中には苦くて渋い果物もあるのだ。 



 

 渋い、と聞いて、思い出すのは日本の柿。
 小学校の帰り道、生け垣からにょっきり伸びている柿の木をみると胸が高鳴った。手が届きそうな高さの枝に、たわわに実がなっていれば、ぴょーんととびあがってもぎとり、かじりつく。
 だが、普通の家の庭に生えている柿の木は渋柿のことが多い。ビリビリするほど口の中が渋くなって、すぐ吐き出すが、しばらく泣いてのたうちまわることになる。
 ぼくにとって、柿ほど「天罰」を感じる果物はない。間違って渋柿を口にするたびに、あのときあんなことをしたから、渋い柿にあたってしまったんだ、と自分の悪事の数かずが思い出される。「因果応報」ということばをはじめて知ったとき、漢字を見て、ははあ、この「果」は果物だ、それも柿だな、となんの疑いもなく思った。
 実家のたばこ屋のお客さんには、渋柿を上手に渋抜きする人がいて、毎年季節になるといくつかおすそわけをいただいた。焼酎を塗り、ガラスの保存ビンでていねいに追熟された柿は、八百屋で売っている普通の柿より、風味がよく、甘い。手間ひまかけて渋抜きした柿を人様に配ってしまえるほど、心の広い人だからこそ、柿のほうも喜んで甘くなるんだ、と子どもながらに納得していた。 

 小学校の体育館裏は、いまもむかしも悪ガキどものたまり場。どんないたずらも、悪だくみも、みんなここからはじまった。
 秋がめぐってくると、体育館に隣接した家の庭に見事な大きさの柿の実がなる。ぼくは休み時間のたびに友だちと連れ立って体育館裏へ行き、柿をとるために苦心した。
 学校と隣家の間には金網が立ちはだかっている。よじ登るにはいささか高く、網の中に手のひらをすぼめて押しこんでも柿にはまったく届かない。なわとびをつなげてムチのようにして投げつけてみたが、映画のインディー・ジョーンズみたいにはうまくいかない。体育倉庫から長い棒を探してきて、網のすき間につっこんで柿を叩いてみる。あっけなく実は落ちたが、ころころと庭の地面に転がっただけ。それを拾うすべがない。
 そんなことを毎日やっていたものだから、すぐに隣家の人にばれて、学校に苦情がきた。ぼくらは先生にこっぴどくしかられて、柿を盗ってはいけない、休み時間であろうと、体育館裏には近づかないこと、と約束させられた。
 しかし、大人に「ダメ」といわれると余計にやりたくなるのが子ども心。ぼくらの柿とり大作戦はさらに火がついた。
 とりあえず、柿の実をたたき落とすところまではできた。あとはその実をどう回収し、金網のこちら側に連れてくるかだ。なにか道具になるものはないか。あたりを見回していると、あるものが目にとまった。
 体育館の壁についている雨どいのパイプ。これだ! と、登り棒のようにパイプによじ登り、壁からパイプをひきはがす。
 二メートル以上はある長いパイプで、内径はちょうど柿よりひとまわり大きく、先端五センチの部分だけ四五度の角度に曲がっている。その首の部分を上向きにして、網の下のわずかなすき間にぐっと差しこむ。昔の人が吸っていたキセルたばこのようなかたちだ。
 パイプの真上にはターゲットの柿の実。友だちが金網によじのぼって、上から棒でたたいて柿の実を落とす。落ちた実はスポッとパイプの口に落ち、そのままパイプのなかをコロコロ転がり、手元にやってくる。
 やった! 友だちとだきあって喜ぶ。まるまるふとった実をそで口でさっとふいて、かぶりつく。甘い。皮にはほんのり渋味もあったが、もぎたての柿はとってもみずみずしく、香りがよく、おいしかった。いつなんどき大人に見つかるかわからないスリルと興奮。何日も苦労した末にとれた喜びが、柿を噛みしめるたびに、からだのすみずみまで広がっていった。あの日、食らいついた柿を超える味のものには、その後出会っていない。おそらくこれからもないだろう。
 隣家の人にしてみれば、いい迷惑だ。先生たちだって、まったくしょうがない悪ガキだなぁ、と思いながら子どもたちを叱っていたはず。もうしわけないことをしたな、ともおもう。だが、いま、あの秋のことを覚えている大人たちはどれほどいるだろうか。ぼくらはちゃんと覚えている。パイプをつたって転がってきた柿を手のひらでつかんだときの感触、ひたいに汗して食べたあの柿の実の味を。まるで昨日のことのようにありありと思い出せる。
 うそつきはどろぼうのはじまりというが、柿どろぼうはなんのはじまりだろうか。なにが正しいか、悪いかは、じつのところ、よくわからない。美しいものは正しさのなかだけに宿っているとはかぎらない。むしろ、どんなにささいな悪事のなかにも、一種の美しさがある。だからこそ、子どもたちは、われを忘れて金網をのぼるのだ。

娘つたのつぶやき

 わたしだったら「好きな果物はなんですか?」と聞かれたら、なんとこたえるだろうか。バナナ? パイナップル? マンゴー? ぶどう? みかん? りんご? なし? スイカ? いちご? たぶんなやむとおもう。
 じゅん位をつけると、一位がバナナ、パイナップル、マンゴー、ぶどう、みかん、りんご、なし、スイカ、いちご……二位はない。このようになってしまう。 

 三年生まで行っていた学校のうらには、夏になるといちじくが実る。ようち園に通っていた時から、多聞とその前をとおると、

「とってたべたいね」

といっていた。
 学校に入った時からねらっていたが、ここは京都。友だちに見つかると、すぐ先生にいいつけられて、こっぴどくしかられる。それに、言葉がきついし、いじめもきつい。だからずっととれなかった。
 どうして、いちじくをとってはいけないんだろう。ルールがあるのかな? ろうかが右がわつうこうや、走っていけないのと同じように「いちじくをとってはいけない」というルールがあるのだろうか。ただ実っていて、おちてくさる、とりにたべられるより、人間にたべてもらった方がいいんじゃないのかな。 

 いま、通っている「わく星学校」の畑にスイカができた。畑のちからはすごいとおもう。みんなで川へ行く時、そのスイカをもっていった。川でたくさんあそんだあと、とりたてのスイカをたべた。口の中にしぜんのあまみがひろがって、きもちよくてしあわせー、ってかんじだった。
 この間、絵をかく会「ちとらや」で海に行った時もスイカをたべて、たねとばしきょうそうをした。あじもばつぐん。おいしくて、心が休まった。 

 インドに行ったら、マンゴーを食べる。これがまたおいしい。マンゴーの皮をむかないで、たてたてよこよこにきって、スプーンで食べる。口の中がとろけて、ほっぺがおちそうになる。インドで一番好きな果物はマンゴーかもしれない。
 果物界の女王さま、あなたがすきですよ。王子さま、気を悪くなさらないで。あなたのこともすきですよ。

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著者略歴

  1. 矢萩 多聞

    画家・装丁家。1980年横浜生まれ。9歳から毎年インド・ネパールを旅し、中学1年生で学校を辞め、ペン画を描きはじめる。1995年から南インドと日本を半年ごとに往復し個展を開催。2002年から本をデザインする仕事をはじめ、現在までに500冊を超える本を手がける。2012年、事務所兼自宅を京都に移転。著書に『偶然の装丁家』(晶文社)、『たもんのインドだもん』(ミシマ社)、共著に『タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)、『本を贈る』(三輪舎)がある。http://tamon.in

  2. つた

    2011年横浜生まれ、京都育ち。小学校は昨年から永遠の春休みにはいり、風のふくまま気の向くままフリースクールとプールと図書館に通っている。本があれば、どんな長い時間でも退屈しない本の虫。好きな映画は「男はつらいよ」。いつの日か車寅次郎と再会することを夢見ている。矢萩多聞の娘。

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