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おかあさんのミカターー変わる子育て、変わらないこころ

「話す」ことで「離す」―一人で抱え込まないための一番身近な方法

 妊娠、出産、子育てという、女性が母親になっていく過程で体験するさまざまな感覚や感情の多くは、人生で初めて遭遇する未知のものであり、混沌としていて、ときに圧倒する力をもっています。しかしながら、「わが子は可愛い」「子育ては楽しい」がデフォルトに設定されている現代の子育てにおいては、そこに当てはまらない感情は表現することが難しく、個々の母親の心の中に押さえ込まれたままになりがちです。

 たとえば、すやすやと眠るわが子の無垢な寝顔を見ただけで、心の奥底から憎しみの感情が湧いてくるというおかあさんがいます。幼いわが子が無邪気な笑顔で甘えてきただけで、はねつけたい衝動に駆られ、実際にそうしてしまって後から自分を苛むおかあさんもいます。ほどよい親子関係に恵まれ、自分自身も幸せな家族をもつことができている人にはとても理解できないと感じられるかもしれませんが、私は心理療法やカウンセリングの場で、幾人もの女性からそういったお話を伺ってきました。

 子育ての営みは、人間にとって、自分自身の子ども時代を内的に生き直す過程でもあります。親に顧みられない、あるいは酷い扱いを受けた幼少期を生きてきたと感じている女性は、たとえ成長して自分が幸せな家庭を築いたとしても、子どもが生まれ、幼いわが子が周囲の愛情を受けて何の不安もない様子で眠ったり笑ったりしているのを見ると、穏やかではいられなくなることがあるのです。自分はあれほど酷い目に遭ってきたのにこの子は幸せなのが許せない、という感情を抱くのです。顧みられなかった過去の幼い自分の怒りがよみがえり、母親となった自分を脅かすということです。

 また、わが子が誰かに可愛がってもらうのを見ると、まるで歳の近いきょうだいのように嫉妬する人もいます。

 もうずいぶん前になりますが、子育ての困難を抱えて母子並行のセラピー(母親はカウンセリング、子どもは遊戯療法をそれぞれ別の担当者がついて別室で行う方式)を毎週受けていたある女性は、子どものセラピーがときどき規定の時間に終わらず数分延長すると、「あの子だけ長く遊んでもらってずるい。私も(同じだけ長く)話を聴いて欲しい」と、親担当の私に真剣に訴えかけてきたことを思い出します。仕事もされ、社会的生活はしっかりできている人でしたが、子育てのなかで湧き上がる感情を自覚し、コントロールすることは、何年にもわたって難題であり続けました。

 ここまで持続的なものではなくても、子育ての過程で湧き起こる負の感情や衝動に戸惑い、傷つき、一人でつらい思いを密かに抱えている母親はそう珍しくないのではないでしょうか。たとえ、子育てをサポートする家族や地域のシステムがあったとしても、そのような負の感情に圧倒されていればいるほど、自分から支えを求めることはできないだろうと思います。

 

 私自身の経験をふりかえってみると、子どもがお腹にいるあいだは幸い、自分を脅かすような感情に圧倒されることは(少なくとも思い出せる限り)ありませんでした。最初の妊娠は4ヶ月に入るまで気づかず、いつもどおり全力で仕事をしていました。ついに出張先で体調を崩して何科の病院に行けばよいのだろうと思案するなかで、その可能性に思い当たったのです。案の定、近所の産婦人科の先生には「お腹周りが太ってきたのに気づきませんでしたか?」と笑われました。それくらい、自分のからだというものに無頓着でいられたのですね。

 1990年代前半の当時、私の職場(大学)で在職中に女性教員が出産した前例はなく、私より年長のある先生は、「私なんか、前任校で病気休暇とってお産したのよ」が口癖でした。臨月になっても大きなお腹を抱えて出勤する姿を見て、総務の職員の方から「そろそろ休んでいただいたほうがいいかも・・・」と気にされる程度で、私は予定日の1週間前まで、担当している学生数人のカウンセリングを行っていました。からだは重くて寝返りを打つのも一苦労、という不自由さはあっても、「身一つ」のあいだは自分の行くところへお腹の中の赤ちゃんも否応なくついてきてくれます。戦前に生まれ、田舎で育った両親をもつ私は、「動いていた方がお産は軽くなる」「昔は産気づくまで田畑に出ていたものだ」というかつての常識が刷り込まれていて、自分もそんなものだと思っていたのです。実際、次女のときは陣痛が来る日の午前中まで職場に顔を出していたくらいで(職住接近の生活ゆえ可能だったこともありますが)、周囲の人もそれを受け入れてくれていました。

 事情が一変したのは、産後、わが子と一緒に退院して自宅に戻ってからでした。

 私が最もつらかった場面として思い出すのは、子育てのために近隣の府県から3ヶ月前に引っ越してきたばかりの家の広いリビングで、しんとした音のない静寂の空間に自分がいる光景です。白い出窓には真新しいレースのカーテンがかかり、陽が差し込むベビーベッドのすぐそばに、私が横になれる布団が敷かれています。お祝いの来客が訪れると部屋には笑いが溢れ、客観的には、絵に描いたように幸せな赤ちゃんのいる風景です。しかし、その人たちが帰ってしまうと、再び静寂が訪れます。まだ言葉の通じない新生児(異星人)とともに、私は異空間に閉じ込められたような感覚に襲われました。

 現実には、窓の外を通る車の音や、往来する人の声も聞こえていたに違いありません。耳を澄ませば、わが子の息づかいも聴き取れたでしょう。しかし、私の記憶のなかでは、音もなく、時間も止まり、永遠にそこから出られないのではないかと感じられるような静寂なのです。もちろん、静寂はわが子が泣けばすぐ破られるのですが、世話をするあいだも私の独り言が宙に響くだけです。当時はインターネットやSNSはおろか、携帯電話も普及していませんでしたから、気軽に誰かとやり取りすることもできません。

 その静寂のなかで、涙がこみ上げ、勝手にぽろぽろと泣けてくるのです。これは、おっぱいとの格闘で流した悔し涙とは別物です。「マタニティーブルーというやつだね」と頭で理解しても、大した救いにはなりません。その瞬間瞬間、小さな命を守る全責任を負い(少なくともそう感じ)、この窓の外の世界で自分の意思で自由に活動する私以外の全ての人々とは切り離された世界に母子で閉じ込められているという、圧倒的な孤独に私は晒されていたのだと思います。もう「身一つ」だった頃の自分には二度と戻れないことを実感し、ついこの前までいた「自分」の喪失を、独り哀しんでいたのかもしれません。

 こんなふうに、自分のつらかった体験を言葉にできるようになったのは、少し経ってからです。母子関係の治療に大きな功績を残したイギリスの小児科医ウィニコットが「正常な狂気」と名付けたように、妊娠中から出産後しばらくの母親の内的世界は、統合失調症のような重い精神病レベルに匹敵する感受性の高さと混沌の性質をもっています(D.W.ウィニコット『児童分析から精神分析へ』北山修監訳、岩崎学術出版社、1990年)。この時期の母親の主観的体験は、そう簡単に日常の言葉にはならず、まして、祝福したい気持ちでいっぱいの周囲の人に向けては、なかなか表現できないものなのです。断片的に、「もう嫌だ」「逃げ出したい」「生まなければよかった」といった言葉が発せられることがあっても、おかあさんを取り巻く周囲の人は、あわてて否定しにかかったり、非難したりしないでほしいと思います。話せることこそ、つらい渦中にある人が、そこから抜け出していく第一歩だからです。

 

 私は自分の職業的トレーニングを受けるなかで、また相談に来てくださったクライエントの方々との協働作業のなかで、曰く言いがたい複雑な感情を言葉にする力が多少は身についていたからか、ただ混沌に耐えるだけでなく、産後休暇中の自分の状態を誰かに話したくてたまらなくなり、先に母親になった友人に電話をかけるようになりました。

 「あのね、3日で拘禁反応が出たわ。」「誰か、檻から出して!」から始まる私の話を、受話器の向こうで眉をひそめている人もいたかもしれませんが、みな笑って聴いてくれました。職場に復帰してからは、カウンセラーの同僚に5人のお子さんを育てているたくましい先輩ママがいて、安心して何でも話すことができました。「5人いるとね、大人2人で手を掴んでも、まだ1人余るのよ」から始まる、そのおかあさんの一番インパクトのあるお話は、車に5人乗せてどこかへ行く途中で、気づいたら後部座席の窓から1人落ちていて、あわてて拾いに行ったというエピソードでした(昭和の時代、車の窓はドアの内側のハンドルをくるくる回して手動で開閉するものが多く、子どもが自分で開けることができたのです)。「子どもは、食べさせてさえおけば何とかなる」というのも口癖でした。

 これまでの回にも告白してきたように、私の子育ては、いろいろな幸運に恵まれて、徐々に肩の力が抜け、面白さを感じられるものになっていったのですが、スタートの段階では格闘の連続でした。なかなか思ったように寝てくれず、ぐずるわが子を抱っこするのに疲れたとき、「ムカつく!」「おむつと一緒に洗濯機に放り込んでぐるぐる回してやる!」なんていう、直接子どもに向かって叫んだら即虐待のようなセリフも、仕事仲間や働くママ友には時々話していたと記憶しています。

 

 「話す」ことは、「離す」ことに通じます。

 もやもやと自分の中にうごめく何かを、そのまま押さえ込むのではなく、とにかく言葉にして誰かに発する(話す)ことは、自分を脅かすその「何か」を自分から引き離し、距離をおいて眺めることを可能にします。独り言ではダメなのです。受け止めてくれる誰かに向かって話すことによって、その言葉が誰かと共有され、一人では恐くて眺められないその何かを見つめ直すことができるようになるのです。日記のように書き留めることも、自分の感情を見つめるのに役立ちますが、書かれた文字は後に残るので、下手をすると過去の自分にいつまでも捕らわれる弊害を生んでしまいます。

 赤ちゃんは日に日に成長していきますから、今日、問題だったことが、来週にはもう何の問題でもなくなっているというようなことが多々あります。「話す」はまた「放す」にも通じます。まずは、言いっ放しでよいのです。「檻から出して!」と繰り返し誰かに言い放つことによって、私は重圧に怯える自分自身の気持ちを対象として眺め、多少でもコントロールできるようになっていったのだと思います。そう話せる誰かが身近にいてくれたことに、本当に感謝しています。

 

 もう少し付け加えておくと、「話す」と似た言葉に「語る」があります。私が今、こうして自分自身の子育てについて綴っているのは、「語り」を文字にしたものです。話すと語るは、どのように違うのでしょうか。

 心理療法やカウンセリングにおいて、私たちが初めてクライエント(相談者)にお会いするとき、申込書を拝見しながら「自由にお話しください」「話したいことからどうぞ」と口火を切るのが一般的で、「語ってください」とは言いません。そして、初回の面接がうまく運んだときは、セッションの終わりに「話して気持ちが楽に(軽く)なりました」とクライエントが言われることが多いものです。一方、治療のプロセスが進んでいくと、私たちはクライエントの話すことを「話し」ではなく「語り」として聴くようになります。その方の人生の新たな物語(story)が、浮かび上がってくるようになるのです。

 臨床心理学者の河合隼雄は、心理療法において「物語る」ことの意義を考察した論考のなかで、「物語は多くのものを『つなぐ』機能をもっている」と書いています(河合隼雄「『物語る』ことの意義」河合隼雄総編集『講座 心理療法2 心理療法と物語』岩波書店、2001年所収)。語るという行為には、単なる事実関係の記述とは異なり、ある一人の人が、過去と未来、自分と他者、別々の事象などを主体的につなぎ、意味を生み出していく作業が含まれているということです。

 かりに同じ状況を経験したとしても、それをどのように語るかは、一人ひとりみな違います。混沌とした内的世界の状況を話すことによって、それぞれの話はばらばらで断片的であっても、一人の受け手(セラピスト)がずっとその話を聴き続けていくうちに、それらはやがてまとまりを帯び、物語りになっていきます。複雑な問題や、解決しようのない人生の苦悩を抱えたクライエントが臨む心理療法やカウンセリングの過程では、長い時間をかけて、自分を支える新たな物語が創出されていくということが起こります。

 同様に、妊娠、出産、子育てという人生の重要な局面で経験される複雑な(豊かで、混沌とした)感情と付き合うときにも、「話す」ことは、一人でそれらを抱えて押しつぶされないための、最も身近な方法だと言えるのではないでしょうか。私自身は還暦を過ぎ、子育てについては「話す」ことを卒業し、そろそろ物語として語れる地点に近づいたような気がしています。まだまだ、結末は覆される可能性が十分ありますけれども。

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著者略歴

  1. 高石 恭子

    甲南大学文学部教授、学生相談室専任カウンセラー。専門は臨床心理学。乳幼児期から青年期の親子関係の研究や、子育て支援の研究を行う。著書に『臨床心理士の子育て相談』(人文書院、2010年)、『自我体験とは何か』(創元社、2020年)、編著に『子別れのための子育て』(平凡社、2012年)、『学生相談と発達障害』(学苑社、2012年)、『働くママと子どもの〈ほどよい距離〉のとり方』(柘植書房新社、2016年)などがある。

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