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京都不案内

がらがらの京都——コロナ流行の中の観光地

 2020年3月16日、思い切って京都へ出かけた。前の樹木気功から随分時が経っていたし、いとこがくれた会員制の宿、東急ハーヴェストクラブ京都鷹峯の宿泊券も利用は3月いっぱい。たまには違う京都の宿に泊まるのもいいかと思った。
 新幹線は一車両に数人、自由席でもゆうゆう。11時半に京都へ着く。バスで四条河原町へ。いつも観光客で歩けないくらいなのに、がら空きだ。薬局の前だけできている行列はトイレットペーパーを買うためのようだ。 

 今回、一緒に来た大工の息子と、高瀬川沿いにあるフランソア喫茶室へ。昭和の初期、京都の反戦活動家のたまり場であり、店主の立野正一さんは斎藤雷太郎らが出していた反戦雑誌『土曜日』という週刊タブロイド判新聞を店に置いて応援した。そのことについては『暗い時代の人々』(亜紀書房、2017年)という本に一章書いたが、最近、私よりもずっと早く京都新聞にこのことを連載されていた中村勝さんの仕事が彼の死後、ようやく一冊にまとまった(『キネマ/新聞/カフェー――大部屋俳優・斎藤雷太郎と『土曜日』の時代』ヘウレーカ、2019年)。
 建築に興味のある息子はモルタルスタッコの山小屋風のこの喫茶店、黒い木に赤いビロード張りの椅子、中に飾られた絵、アレッサンドロ・ベンチベニというイタリア人が設計したというイタリアの豪華客船を模した天井などをよく眺めていた。ボックスのような帳場の奥にはアンナ・パヴロワの公演時のポスターが貼られている。女性店員の白いレースの襟がついた黒い制服もシックである。私は名物のウィンナコーヒーを飲んだ。いつもは修学旅行の学生さんでいっぱいなのに、今日は空いている。

築地にて

 この高瀬川沿いには、私が高校生の時に行った「珍竹林」という雑炊の店がまだある。餃子の店「珉珉」もあって懐かしい。時間があったので、もう一軒、「築地」という喫茶店に入る。ここの内部はなんだかロシア風というのか、ラフマニノフを流していた。相客は金髪の女性一人。
 午後1時に、前に誰かに連れてきてもらっておいしかった「辰むら」という割烹へ。若い職人が慎ましい店を持った。2100円というお値段で、大変手の込んだお昼ご飯がいただける。「コロナ退散祈願」と書いてメキシコのコロナビールを売っていた。「それ、いただきましょう」と店主のユーモアと心意気に応じた。

辰むらで昼食とコロナビール

 そこからバスを乗り継いで、洛北の西にある鷹ヶ峰の宿へ。この辺り、天神川を見下ろして、しょうざんリゾート京都という、着物の会社がやっている複合施設がある。普段なら泊まらないような豪壮な宿で、ベッドのある客室からは古い旅館のような建物が見える。近くにはアマンリゾーツの宿もある。
 まだ3時だったので、近くの光悦寺に久しぶりに行った。竹を菱形に組んだ垣根「光悦垣」を見に行ったことがある。本阿弥光悦は知られる通り、江戸初期の書、陶芸、刀の鑑定、茶の湯、漆芸、なんでもござれのマルチアーティストで、徳川家康から鷹ヶ峰に土地を拝領、光悦村という芸術家が集住する村を作った。その屋敷跡が寺になった。何年か前、光悦の蒔絵の硯箱の修復現場を見せていただいたことがある。
 境内に点在する7つの茶室は大正期以降のものである。琳派はこのところブームなのに、この日、庭には誰もいなかった。雪が降ってきた。雪の向こうに鷹ヶ峰が見える。近くにある曹洞宗の寺院・源光庵は改修工事中で公開されていなかった。
 宿に戻り、ゆっくり風呂に浸かる。近所の人も会員になると風呂を使えるらしく、「ほんと、いい時に来られましたねえ」と言われた。夕食は敷地内の一番安い焼き鳥屋にしたが、古い建物を用い、十分すぎる量で、竹林の中の道をほろ酔いで戻った。 

 翌朝、コロナのため、バイキングは中止だったが、同じものをどっさりお皿に盛って部屋まで持ってきてくれた。食事を終えて11時頃までゴロゴロしていたが、こんな時だからわりと近くにある金閣寺でも行ってみようかとバスに乗った。境内はがらがらである。昨年、フランス人たちを混雑のなか案内した息子が驚く。なんと、どこからカメラを構えても金閣に人が入らないで撮れる。三島由紀夫の『金閣寺』を思い出しながら、一巡りした。私は半世紀ぶりの訪問だった。

 その勢いで、龍安寺に足を延ばす。ここも、有名な石庭に向かって腰を下ろしている人はいるが、まだまだ隙間がある。静か。半世紀ぶりに「吾唯知足」(われただたることをしる)の蹲踞(つくばい)を見る。寺内で販売されていた手ぬぐいのデザインが良く400円と安いので、外国へのお土産にいくつも買う。回遊式の庭園をゆっくり回る。
 さらに『徒然草』ゆかりの仁和寺へ。ここは京都では良心的な寺だと思う。駐車場は無料。境内への入場も無料。御殿など一回りできて500円。これに比べ、醍醐寺は驚いた。駐車場が1000円、拝観料1500円、入山料は別途かかる。寺の心構えの違いが見て取れる。仁和寺には去年、御室会館に泊めていただき、朝の勤行から参加し、五重塔や経蔵も拝見した。
 とにかく広くて、境内を全部回るには半日では足りないだろう。コロナ退散というのか、覆子(ぶくす)という和紙でできたマスクを無料でくださった。仏像など神聖なものに息がかからないようにするためのものだ。幕末の門跡・純仁法親王は還俗し、新政府軍を率いて倒幕に当たり、後に小松宮彰仁と名乗った。
 仁和寺を出てきたら2時半過ぎ。昼ごはんにありつけるか、気になる。一度乗ってみたかった路面も走る「嵐電」(京福電気鉄道)で北野白梅町まで戻る。ここで「あいつのラーメン かざぐるま」という店に入る。息子はチャーシューメン。この辺だと北野天満宮なども行ってみたいところだが、ぐっとこらえ、乗り慣れた203番のバスで今出川通りをまっすぐ、京大農学部まで戻り、定宿のベッドでしばし休む。

 夜は比叡平の松久寛さん(機械工学・京都大学名誉教授)が、地元で捕獲された鹿肉を手に入れたからと、ジンギスカン鍋で焼いてくださった。脂身がなくさっぱりして旨味が濃く、「これを食べると他の肉は食べられんようになりますわ」と松久さん。
 社会学者でイタリア・ファシズムの研究もされていた伊藤公雄さんも見えて、京都大学の学園紛争時代の話、イタリア留学時代の須賀敦子さんとの交流、フィレンツェに住んでいて毎月ミラノ大学まで奨学金を受け取りに行った話、ジェンダー研究などについて色々聞けた。
 また、陣内秀信さんを師とする京都府立大学の宗田好史さんにも何十年ぶりかで会え、これまたピサ大学に留学していて、当時ピサの斜塔に登れた話とか、イタリア人は歌ったり踊ったりが好きな陽気な民族と思うのは間違いで、実はすごく内省的で、憂鬱な、メンタルの弱い人も多いのだという話はおもしろかった。
 イタリア好きの私たちは、コロナがイタリアで猖獗(しょうけつ)を極めていることに心を痛めながら、こんなたわいない話に時を過ごした。宗田さんから京都の町家保存の経緯も聞けた。実り多い夕食を終え、みんなでタクシーに同乗し下界へ降りた。 

 京大関係の外国人が多い常宿は、他に客がいなかった。住民は、観光客が消えて静かになった京都にホッとしているようだが、宿や飲食店は大変に違いない。ここのように良心的で、地域に根ざした宿の苦境は胸が痛いが、このところ雨後の筍のようにできたゲストハウスはどうなのだろう。
 ゲストハウスとはまさに、外国の賓客を家族のようにもてなすというのが当初の意味だと思うのだが、中には地域住民の居住性の低下をもたらしたところもある。路地の奥に突然スーツケースを持った外国人が押し寄せる。オーナーは不在で、勝手に鍵を開けて入り、中で騒ぐ。貸し自転車を路地に放り出す。ゴミの出しかたも心得ない。看板もないのでタクシーの運転手が客を連れていけない。
 コストをギリギリに削減し、無理を重ねて作った宿は、客にも、地域にも良い影響は及ぼさない。そういう宿はこの際、淘汰されてもいいのではないか。ちゃんとした宿が残ればいい。そして適正規模の、常識をわきまえた、土地の人との交流を楽しむ観光客が来ればいい。京都のためにはそう思う。

 翌朝、気功に行く。数年ぶりに参加した息子は相変わらずどこも悪くないらしい。小川コーヒーでモーニングを食べたら、彼は岐阜の仕事先に出かけてしまったので、私はまたベッドに戻って惰眠を貪った。
 11時に、この連載の担当編集者のKさんと、河原町丸太町の交差点で待ち合わせ、本屋さんを案内してもらう。京都には自転車屋とパン屋が多い、と書いたけれど、個性ある本屋さんも東京よりずっと多い気がする。
 最初に行ったのは誠光社。ここは原則取次を介さずに出版社と直取引で本を仕入れ、売っている。大きなガラスがはめ込まれた木の扉を開けると、いかにも店主堀部篤史さんが選んだという本の色が見える。出版社をパートナーと呼び、世界思想社のスタッフも本を届けにくることもあるといい、良い関係がうかがえた。パートナーの中には、私も本を出していただいている亜紀書房、晶文社、筑摩書房、みすず書房などがあり、港の人、ぷねうま舎、航思社などの本もあった。青幻舎、ミシマ社、洛北出版などは京都の出版社である。ビジュアルの美しい本が多いので迷ったが、東欧の地下鉄の本を買った。

 誠光社

 誠光社の隣にある「アイタルガボン」で、お昼にパスタをいただく。天井が高く、落ち着くほどよい薄暗さ。近くには桜湯という大正8年創業の銭湯もあり、今度はこことセットで訪れたい。湯上がりに本を選ぶ、良さそうだ。

 丸太町通から寺町通を南下して、三月書房へ。ご店主はいなかった。昔の本郷通りにあったような店構えで、新本のみを扱っているが、バーゲン本も並んでいた。6月10日を最後に閉店されたという。「今日からは毎日が定休日」とブログに書いておられた。「唯一無二、京都の三月書房閉店へ 吉本隆明ファンや上野千鶴子さんら通う」という記事が毎日新聞のデジタル版に載ったようだ。閉店する理由は、「店主高齢、後継者不在が最大の理由」とのこと。借金も人件費も店賃もゼロで、黒字を維持しているため、経営不振でやめるわけではない。現主人の宍戸立夫さんは3代目、前の店主である父・宍戸恭一さんから引き継いだという。
 この店名はどこかで見かけたことがあると思って調べたら、四条木屋町のフランソア喫茶室が戦後「ミレー書房」なる書店部門を開き、1950年に担当者が三月書房として独立したようだ。三月書房の主人宍戸さんは71歳とのことだから、1950年には赤ちゃんだった。三月書房が独立した後、フランソア喫茶室は南側の元書店だったところも喫茶室にしてスペースを広げたという。 

 村上開新堂の前を通り、二条通を西へ歩いて、高倉通を少し南下したところにあるレティシア書房へ。こげ茶色の木枠のどっしりした両開きのドアを開けると、真ん中と右の壁側に本棚があり、左の壁側はギャラリーになっている。
 私の本の装丁もしてくれている矢萩多聞さんの『本の縁側』(春風社、2019年)があった。土曜社、岬書店、タバブックス、双子のライオン堂といった知らないリトルプレスがある。私は目の病気をしてから、本屋に行くことが少なくなり、送っていただく本を読むのが精一杯で、今の出版界の変化についていけてないのを感じる。
 ふとギャラリーの平台を見ると、『谷中・根津・千駄木』のバックナンバーがぞろりとあるではないか。「あ、これ、私がやっていた雑誌です」というと、店主は「やっぱり、そうですか」と顔をほころばせた。「さきほどから、森まゆみさんに似ている方だなぁと思っていたんですよ。『谷根千』はなんといってもミニプレスの源流みたいなものですから」。「大型書店に勤めていたのをやめて、自宅を改装して本屋にしたので、どうにかやっていけますが、家賃を払ってたら無理ですね」と、店主の小西徹さんはいう。新刊本以外に、古本、CD、レコードも販売している。

レティシア書房で『谷根千』発見 

 視力の弱い私にとって、3軒の書店を回るのは、大変に疲れた。背表紙に目を凝らし、読めない本が多いことも敗北感になる。最後に、バナナの木が生えているカフェでレモンスカッシュを飲んで、少し元気を出し、Kさんと別れて、定宿に帰る。

 夜は整体の先生のところへ行ったら、そのまま飲んでいきませんかとなり、つまみというにはたっぷりなお料理をいろいろ出してもらい、日本酒をいただく。京大の医学部の先生も合流し、店の休業や、学校の休校がコロナの感染拡大防止にプラスになるのかどうか、話し合った。

 翌日も朝早く気功をし、10時頃から四条烏丸の京都シネマに行って、『ダウントン・アビー』の映画版を見る。2本目に『さよならテレビ』を見るつもりが、上映時間を間違えて、仕方なくそのまま帰った。京都シネマや、出町桝形商店街の中にある出町座は多彩な映画をやってくれるのはありがたいが、上映時間がコロコロ変わるのには、なかなか馴染めない。 

 4月7日に東京はじめ7都道府県に緊急事態宣言。今度はいつ京都へ行けることだろう。

京都の人のつぶやき

山登りの好きな同僚Sは誠光社の堀部さんと親しく、会社帰りに行きつけのお店のカウンターで一緒になったりするそう

絵を描いている同僚Hはレティシア書房で個展を開いた。白い壁に飾られた緑の草花の絵、平台に並べられた手作りの絵本が、書架の本たちとハーモニーを奏でていた。1年先まで予定が埋まっているほど、人気のギャラリーだという。

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著者略歴

  1. 森 まゆみ

    1954年東京生まれ。作家。早稲田大学政治経済学部卒業。1984年に友人らと東京で地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人を務めた。歴史的建造物の保存活動にも取り組み、日本建築学会文化賞、サントリー地域文化賞を受賞。主な著書に『鴎外の坂』(芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(JTB紀行文学大賞)、『「青鞜』の冒険』(紫式部文学賞)、『暗い時代の人々』、『子規の音』など。

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