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進化生物学者がイヌと暮らして学んだこと

イヌは世界をどう認識しているのか? その1

食べられる物か、食べられない物か?

 去年の12月に我が家にやってきたマーガレット(通称マギー)は、もうすぐ生後9ヶ月である。いたずら真っ盛りのころだから仕方ないとも言えるのだが、とにかく何でもかじる。昨日も、お風呂場を洗うときに履くビニールのスリッパをかじって、一部を食べてしまった。お父さんのジョギングシューズの底もかじる、腕時計のバンドもかじる、カーテンの一番下のところもかじる、床の滑り止めに置いてあるコルクの敷物もかじる。そして、必ずやその一部を食べてしまうのだ。まったくもう! 

 キクマルは、生後数ヶ月ごろの一時期、ソファの足をかじったりしていたが、それほどひどくはなかった。キクマルでびっくりしたのは、おもちゃのボールを飲み込んだときで、それには、すぐに食塩を大量に食べさせて吐かせた。キクは本物の食べ物をよく盗み食いしたが、何でもかんでもかじるということはなかった。コギクは、以前にも書いたとおり、1歳までは、本も新聞も、花束も置物も、私の靴もサンダルもメガネも、お父さんの傘の柄もかじりまくり、損害総額は何万円にものぼった。しかし、コギクはかじるだけで、食べてしまうことはほとんどなかった。

 そして、今度はマギーである。マギーがよくないのは、かじるだけでなく、食べてしまうことだ。この点に関してうちの子どもたちは、下になるにつれて悪くなっているようだ。

 それにしても、歯がかゆい、何だか興味がある、などの理由でかじるのはわかるが、なぜ食べてしまうのだろう? 代々木公園イヌ友達のポールくんも、ガラス片やら木の枝などを食べてしまい、開腹手術をすることになったことは以前にも述べた。私には、この「食べてしまう」というところが、ちょっと理解できないのである。

 ところで、ラットの仲間は雑食である。野生状態では、昆虫や果実、トカゲの死骸などを食べているが、都会生活に適応しているドブネズミなどは、パンやご飯、人参、キャベツ、ビスケットなど、人間が出したゴミをあさって食べる。では、彼らは、どうやってこんな「新奇な」物を食べるようになるのだろう? 

 ラットの研究によると、彼らは実に慎重である。いろいろな物を少しかじり、少し味わい、吐き出し、用心に用心を重ねて、食べられるものと食べられないものを区別していくのだ。確かに、都会生活でそこらに転がっている物は、毒であったり腐っていたりと、ラットのからだに悪い物である可能性は高い。雑食で身を立てていく動物にとっては、用心に用心を重ねて食べる決断を下すのが最適戦略だろう。

 では、なぜイヌはそうできないのか? イヌもネコも食肉目だが、イヌの方が雑食性が高い。ネコは、ヒトの集団の近くで暮らして、勝手にネズミ取りなどをしながら、「イエネコ」へと進化した。イヌもヒトと一緒に生活し、家畜化されてきたのだが、その過程でヒトの食べ物の残りをもらうことが、ネコよりもずっと多かったようだ。イヌは、デンプンを消化するための酵素であるアミラーゼの活性が高いのだが、これは、パンやご飯など、本来、食肉目の動物が食べるはずのない、デンプンが豊富な物を人間からもらって食べてきた歴史が長いことを示している。

 そういうことだとすると、イヌは、都会でたくましく生き延びているラットとは異なり、本当に食べられるものか、そうではないかを真に見分ける能力を身につけなくても生きてこられた、ということなのだろうか。ヒトがくれる食べ物は安心して食べてよいのだと。しかし、ヒトの居住地には、食べ物ではない危険な物もあるのだから、何でもかじって食べてよいはずはないだろうに。

 食べられる物と食べられない物という、本当に生きる根源にかかわることの認識について、イヌではどうなっているのか、私はいまだに不思議に思っている。と、ここまで書いてきたが、それを言うならヒトの子どもはどうだろう? バケツの縁にかけてあった、泥水を吸った雑巾をくわえてチュルチュル吸ったとか、ボタン電池を呑み込んだとか、ヒトの子どもに関しても、驚くほどの「無能さ」を示す話はたくさんある。ヒトでもイヌでも、これは何か、進化で完璧に解決することはできない問題を示しているのかもしれない。

イヌは世界をどう見ているか:視覚

 では、イヌはどれほど眼がいいのだろう? 嗅覚の話はよく出てくるが、視覚についてはあまり知られていない。最近の総説論文によると、本当に、イヌの視覚についてはあまり知られていないらしい。それでも、知られている範囲で見てみよう。

 哺乳類の網膜には、桿体細胞と錐体細胞という2種類がある。桿体細胞は明るさの違いに反応し、錐体細胞は色の違いに反応する。イヌは、網膜全体に対する桿体細胞の数がヒトよりもずっと多いので、薄暗いところでの物体の視覚的認知に優れていると言える。ヒトにとっては真っ暗な中でも、ヒトよりずっとよく物を見ているようだ。

 非常に強い光に当てられると、眼が眩んでしばらくは物が見えなくなる、と言うのはヒトでもよく起こることだ。イヌも同様だが、回復するまでにかかる時間は、イヌの方が長いらしい。だから、夏の昼間など、太陽がギラギラしているところでのお散歩から帰った直後は、イヌは、人間よりも視覚の回復に時間がかかると思った方がよい。かわいそうに、眩しかったのね。

 2つの物体が異なるということをどれほど遠くから判別できるか? これもヒトとイヌには違いがある。きちんとした研究はまだないらしいのだが、二十世紀半ばごろの古い研究によると、ヒトが22.5メートル離れたところで区別できる物を、イヌは6メートルでなければ区別できないらしい。解像度も、ヒトよりかなり劣るということだろうか。

 さて、私たちの経験的な逸話によると、イヌはもっとよく物が見えていると言う気がする。キクマルの友達だったアイリッシュ・セッターのルビーとアンバーは、代々木公園で、いつもおやつをくれる人を見ると、200メートルも離れたところからダッシュしてその人に駆け寄った。うちの亭主がキクマルをお散歩に連れて出ているところに私が帰ってくると、確かにキクは200メートルぐらいの遠くから私に駆け寄ってくる。コギもそうだ。しかし、これは、厳密な意味での、異なる2つの物体の判別とは異なるのだろう。

 一方、私たちの友人によるこんな話もある。亭主が東大教養学部の学部長だったころ、キクは学部長室にいることが多かった。ある日、友人と亭主が一緒にソファに座っていて、そこにキクが駆け寄ってきたところ、まず友人の膝に手をかけようとして、「うむ?」と言うように途中で止め、すぐに亭主の方に向いたことがあったそうだ。友人も亭主も、「キク、間違えたね」と思ったそうだ。2人は近接して座っていたので、嗅覚を頼りにすれば同じ方向だったのだろう。そこで、視覚はあまり頼りにならなかったと言うことか。

 色覚に関して言うと、そもそも色覚に関わる錐体細胞が少ない。どの波長の光に反応する細胞があるのかを見ると、イヌは、ヒトのような3色型ではなくて2色型だ。だから、ヒトと同じように色が見えることはない。ところが、イヌは紫外線が見えるかもしれないことを示す実験結果がある。だとすると、イヌがどんな色で世界を見ているのかは、ヒトには想像がつかないことになる。これも、まだ研究が進んでいない領域であるらしい。

 いずれにせよ、嗅覚が非常に発達しているイヌと、ほとんど視覚に頼って暮らしている霊長類である私たちヒトとでは、世界の認識は大きく異なるのだろう。そして、イヌの視覚についてまだまだわかっていないことが多いと言うのだから、私たちの視覚の感覚でイヌを判断してはいけないと言うことだ。

社会的なイヌ、物理的因果関係のチンパンジー

 進化史で見れば、私たちヒトにもっとも近縁なのはチンパンジーだ。チンパンジーとヒトの共通祖先が、それぞれ別の道を歩み始めたのは、600から700万年前のことだ。一方、イヌを含む食肉目と私たち霊長目との共通祖先が分かれたのは、5000万年以上も前のことである。もしもすべての能力の進化が、この分岐時間にしたがって異なっていくのだとすれば、私たちの認知能力にもっとも近いのはチンパンジーであり、イヌはずいぶん異なるということになる。

 ところが、ここにとても面白い研究がある。ヒトは、ある物体を人差し指で指し示している人がいると、みんなその物体を見る。そうして、その人が何に注意を喚起したいと思っているのかを推測する。この動作の意味がよくわかるかどうかを実験したところ、わかるのはイヌであって、チンパンジーはわからなかったのだ。

 実験の詳細を説明しよう。不透明で中が見えない容器に、実験者がおやつを入れる。もう一つの容器にも何かを入れる動作をするが、おやつはない。それをイヌとチンパンジーとに見せたあと、実験者がおやつの入っている方の容器を指差す。その手掛かりで、おやつの入っている方の容器を選べるかどうかを調べたところ、イヌは正答率が高かったが、チンパンジーはそうでもなかった。

 次の実験では、同じく実験者が2つの不透明容器におやつを入れるのだが、その後、容器を振って見せる。おやつが入っている容器からは音がするが、入っていない容器からは音がしない。この手掛かりでおやつの入っている方の容器を選べるかと調べたところ、チンパンジーは正答率が高かったが、イヌはダメだったのだ。面白いのは、人間の実験者が姿を見せない「ゴースト」という実験条件で、おやつの入った容器には携帯電話が入っていて、りんりんと音がなる、という条件でも、チンパンジーの正答率は高かったことだ。イヌはダメ。

 他にもいくつもの実験があるのだが、結論はこうである。イヌは人間が出すコミュニケーションのシグナルをよく理解して、それに反応するが、チンパンジーはそうではない。一方、チンパンジーは、「物が入っている時には音がする」というような、物理的因果関係をよく理解しているが、イヌはそうではない。この論文の著者らは、「社会的なイヌ、因果関係のチンプ」と言っている。それは本当にそうだと思う。

 我が家のイヌたちも、私たち人間が出す手掛かりに対して、本当に敏感である。「おいで」、「行っていいよ」、「持ってこい」、「ダメ!」のシグナルを実によく理解する。それは、イヌがヒトによって家畜化されてきた歴史があるからだ。人間の出すシグナルをよりよく理解する個体を選別して、イヌの各種が作られてきたからなのだ。チンパンジーは、そんな選択を受けていない。それよりも、物事がどのように推移するかを自分で理解することが重要だったのだ。

 最後に、コギクとマギーの、生後3ヶ月までの育ての親である、永澤美穂氏らの研究を紹介しよう。イヌと飼い主の人間は、互いに目を見つめ合うことによって、双方のオキシトシンレベルが上がるのだ。オキシトシンは、親密さに関わるホルモンである。オキシトシンが出ると、相手との親密さが増し、親密さが高いとより多くのオキシトシンが出る。イヌに見つめられると飼い主のオキシトシンレベルが上昇する。そうすると、飼い主は、イヌに対してより多くの愛情を感じる。そして、より高いレベルの愛情をもってイヌを見返す。すると、イヌの側もそれを感じて、イヌのオキシトシンレベルも上昇するのだ。こうしてフィードバック・ループが形成され、ますます互いに愛着を持つようになるのである。

 イヌの祖先であるオオカミでは、このようなことは起こらない。やはりイヌは、ヒトによって家畜化される過程で、ヒトの出すコミュニケーション・シグナルに敏感に反応するように進化したのだろう。それはその通りだと実感する。キクもコギもマギーも、私のことをよく見ているし、そうやって見つめられると、私の方の愛情もドブドブと出てくるのである。こういうのを「親バカ」というのだろうが、事実そうなのだ。

オキシトシンレベル上昇中

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著者略歴

  1. 長谷川 眞理子

    総合研究大学院大学学長。専門は行動生態学、自然人類学。野生のチンパンジー、イギリスのダマジカ、野生ヒツジ、スリランカのクジャクなどの研究を行ってきた。現在は人間の進化と適応の研究を行なっている。著書に『クジャクの雄はなぜ美しい?』(紀伊国屋書店)、『進化とは何だろうか』(岩波ジュニア新書)、『ダーウィンの足跡を訪ねて』(集英社)、『科学の目 科学のこころ』(岩波新書)、『世界は美しくて不思議に満ちている ―「共感」から考えるヒトの進化』(青土社)など多数。

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