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おかあさんのミカターー変わる子育て、変わらないこころ

おとうさんを同志に―テレワークの時代のチャンス

  これまでの回では、女性が母親になっていく過程でどんな内的な経験に出会うかをテーマに書いてきました。しかし、「子育て」は母親ひとりだけではできない、とても手間暇のかかる営みです。正確には「ヒトの子育ては」と言ったらよいでしょうか。

 出産や子育てにまつわるいろいろな疑問について、私はときどき動物行動学(エソロジー)の研究にヒントを探すことがあります(なにせ、ヒトも動物です)。“種”としてのヒトの視点から見ることは、これも「ほどよい距離を取る」一つの工夫です。どうしてうまくできないのだろうと狭い考えに囚われている自分の視野を広げ、気持ちを楽にしてくれます。

 たとえば日米で40年にわたりさまざまな霊長類のフィールド研究を行った中道正之さんは、なぜヒトの子育てが母親だけでできないのかについて、こんな説を紹介しています(『サルの子育て ヒトの子育て』角川新書、2017年)。

 ヒトと最も近いゴリラやチンパンジーなどの大型の霊長類の出産間隔は5~6年かそれ以上であり、育てている子が完全に離乳してからでないと発情・妊娠・出産をしないそうです。長い年月をかけて、一子ずつ順にしっかり育てる戦略です。ところが、ヒトの出産間隔はもっと短く、2年以内であることも珍しくありません。つまりヒトは、上の子どもがまだまだ手のかかる時期に次の子どもを産み、母親以外の誰かがサポートをすることを前提に、同時に複数の子育てを行うシステムを進化させたのではないかというわけです。

 わが国では、3世代家族が当たり前で、きょうだいも多く、近所との付き合いが密接だった戦後まもなくまでの時代には、このシステムが現実に機能していたと思います。サポート人員はいくらでも見つかり、父親の関与は必須ではありませんでした。しかし、その後核家族化と少子化が進み、どんどん事情は変化しました。平成27年の国勢調査(総務省統計局)によると、核家族の全世帯に占める割合は55.9%(単独世帯が34.6%なので、それ以外がいかに少ないかがわかります)、また核家族で20歳未満の子どもがいる世帯の割合は全世帯の35.8%です。さらにその内訳は、夫婦と子どもが75.1%、母子家庭が21.2%、父子家庭が3.7%です。

 つまり、母親(または主たる養育者)以外のサポート人員は、たいていいないか、いても父親だけです。ひとり親の場合、サポート人員は家庭の外に求めるしかありません。しかし、核家族で子育て中の家庭の約4分の3には母親の貴重な協力者になりうる「おとうさん」がいることも、この数値から確かです。中道さんも、これからのヒト社会では、男性の子育て参加がどんどん大事になると述べています。実際に、雌雄がペアで子育てする小型ザルのおとうさんは、どんな種でもパターナル・ケア(父親的子育ての関わり)を行う姿が確認されていて、人間のおとうさんにもその力が備わっているはずだと断言しています(なんだか勇気づけられますね)。おとうさんに子育ての「同志」になってもらい、協働(コラボレーション)できるかどうかは、もはや大家族の子育てがほとんど望めない今日のわが国において、ヒトが進化させた子育て戦略を生かす重要なポイントだと言えるでしょう。

 今回は、おとうさんを子育ての同志にするために、おかあさんをはじめ私たちはどんなことを理解しておく必要があるかを考えてみたいと思います。女性が政府の施策や刷り込まれた価値観の影響を今もって受け続けているように、男性もまたそれらと無縁ではありえません。ひとりの父親の意識や行動の意味は、大きな背景のフレームの中に置いてみてはじめて見えることも多いものです。

 

 これまでの回でも書いたように、私は核家族の共働き世帯で1990年代に2人の娘を出産し、育てました。大学に進学する歳になったら、家から離れて自立させるという子育ての目標を夫婦で共有していたので、お互いに同志たる意識はもっていたと思います。時代背景としては、1990年のいわゆる「1.57ショック」後、少子化対策が徐々に始まり、長女が生まれた1993年は、中学校で男子も家庭科が必修になった画期的な年でした。つまり、やっと義務教育において男性も出産や子育てについての基礎知識を学ぶようになったということで、それ以前の世代の多くは、はんだごての当て方は知っていてもおむつの当て方は知らないまま父親になっていたのです。

 また、当時は産科領域でも、母乳育児推進のムーブメントと母親教育に合わせて、父親教育が始まった時代でした。妻に引っ張られて病院で開かれる両親教室にやって来る男性もちらほら現れ、分娩立ち会いの心得を学んだり、新生児の沐浴の実習に緊張した面持ちで参加したりしていました。そこで学んだからかどうかはわかりませんが、私の夫は娘をお風呂に入れることが自分の役割だと考えたようで、仕事から遅く帰宅した日も、深夜に“任務”を始めるのが常でした。

 ベビーバスを卒業した後の1歳過ぎ頃までの赤ちゃんの入浴は、ちょっとした工夫が必要です。まず、浴槽にお湯を張り、溜まるころを見計らって私が娘の服を脱がせ、おむつを外し、夫が浴槽に浸かったところへ抱いて運びます。夫は病院で習ったとおりに丁寧に娘を洗い(手を滑らせて浴槽にはめるという小さな事件も幾度かありつつ)、その間に私は食卓(ちょうどよい高さだったのです)にバスタオルやおむつを広げてスタンバイします。終わったと声がかかるとすぐに娘を迎えに行き、ガーゼのタオルで抱き取って食卓に戻り、湯冷めしないように手際よく拭いて服を着せるのですが、成長してだんだん動きが大きくなってくると結構な重労働です。一連の協働作業のリレーがうまくいったときには、ささやかな達成感がありました。その頃の家族のアルバムをめくると、浴槽で誇らしげに長女を横抱きにしている「おとうさん」のスナップも残っています。

 その後、次女が生まれた2年後の1999年に、厚生省(当時)が「育児をしない男を、父とは呼ばない」というキャッチコピーのポスターを作成し、メディアに大きく取り上げられました。少子化を何とか食い止めるため、政府は「子育てのサポート人員」としての父親に注目し、その頃歌手の安室奈美恵さんと結婚して父親になったSAMさんが赤ちゃんを抱いている写真を用いて、子育てするかっこいい男性というイメージ戦略を展開したのです。しかしこれは、世間が受け入れる準備状態ができておらず、単発に終わりました。実際、このポスターが掲げられていたのは保育所や児童館で、大企業のロビーではありませんでした。私は、娘たちの送迎のたびにこのポスターを目にして、心の中で「女性しか見ない場所に貼ること自体、ナンセンス!」と突っ込んでいたものです。当時、送り迎えに来るおとうさんはまだとても少数派でした。

 2010年になり、厚生労働省はさらなる少子化対策の一環として、男性への子育て参加を促す「イクメンプロジェクト」なるものを立ち上げました。それまでの2000年代に、私は勤務先大学の人間科学研究所において兼任研究員として子育て支援の共同研究プロジェクトに携わっていましたが、メンバーの中には父親の子育て支援を含め、男性の支援を行っている若手の心理学者が複数いました。彼らは自らもその途上で父親となり、当事者グループの側面をもつおとうさんの「語り場」を運営する試みも行っていました。興味深かったのは、そこに集まるおとうさんの数はなかなか増えなかったものの、集った人は一様に、「私たちはイクメンじゃない」「イクメンと言われたくない」と語ったというエピソードです。

 ちなみに、厚労省の定義によると、「イクメンとは、子育てを楽しみ、自分自身も成長する男性のこと。または、将来そんな人生を送ろうと考えている男性のこと」です。ここにも「子育ては楽しい」のワナが仕掛けられていることに気づかれるでしょう。プロジェクト開始の翌年から始まった「イクメン オブ ザ イヤー」の表彰は、民間にも広がり、たとえばイクメンコンテストの会場で子どもを片手で抱いて、もう片方の手でマクラーレンのバギーを押し颯爽と歩く男性の姿がネットで紹介されているのを見て、私も、「これは違う!」と感じていました。

 ジェンダー学の視点から父親の子育てについて研究した巽真理子さんは、イクメンプロジェクトが発信する子育てする父親のイメージは、1999年のシンプルなメッセージとは異なり、ビジネスで成功し、かつ子育ても行う男性になっていると指摘しています(『イクメンじゃない「父親の子育て」――現代日本における父親の男らしさと〈ケアとしての子育て〉』晃洋書房、2018年)。ネクタイが象徴的に描かれた2014年のポスターのキャッチコピーは、「仕事ができるパパはカッコいい。育児もできるパパは、もっとカッコいい。」となっています。つまり、育児ができることは付加価値であり、そこで得たものが仕事にプラスに還元されるから意味があるという筋立てになっているのです。これでは、とても、おかあさんとおとうさんが子育ての「同志」になることは望めません。最終目標がビジネス力アップであれば、子育てが「お手伝い」のレベルに留まってもある意味当然でしょう。

 子育ては、楽しかったりカッコよくあったりすべきでしょうか。「できる」おとうさんとは、仕事も、家庭も、子育ても見事にこなし、それだけの過剰な任務を楽しめる余裕のあるスーパーマン(つまり現実には不可能な理想あるいは幻想)ではないでしょうか。さらに、そのような理想を自らに課すことは、「イクメン」と言いながら、「まずやるべきは仕事(ビジネス)」という、ダブルバインドのメッセージを投げかける政府の意図に気づかず翻弄される危険にも満ちているのです。

 

 子どもをもつことが、家の存続のためではなく、自分たち夫婦のライフスタイルとして選択できるようになってきた今日の男性の中には、素朴に、子育てをもっと経験したいと思っている人が増えているのではないかと思います。それは、男性だから「父親」をしたいという意味ではなく、小さないのちを育む、ヒトとしての当たり前の営みにもっと参加したいという欲求です。にもかかわらず、諸外国に比べても、わが国ではなかなかそれが実現に向かわない現状があります。

 前述の巽さんは、父親の子育て参加を阻害する要因は何なのかについて、先行研究や自身の調査を通して多視点から探っていますが、そこから見いだされているいくつかの示唆のうち、私は次の2点を取り上げてみたいと思います。

 まず、最大の要因は(多くの研究が一致して結論づけているのは)、育児期の男性の長時間労働です。

 政府は働き方改革を推進していますが、男性が育児休業を取ったり時短勤務を行ったりすることは、いまだ特別な事情や特別な意識をもつ父親が、恵まれた職場環境にいるときに限られています。また、子育てにおける父親の役割は、家にいておむつを替えたり看病したりすることではなく、もっと子どもが成長してからの教育方針や、社会に出るときに助言を与えることだと主張する人もいます。しかし、幼少期に一緒に過ごすことを通して培った関係のないうえに、一人ひとりのわが子に的確な助言が与えられるかどうか、また子どもがそれを心から受け入れるかどうかは疑問です。

 この問題については、私は今、「コロナ禍」の下で多くの父親が交代勤務や自宅待機を余儀なくされていることが、変化への大きなきっかけになるのではないかと期待しています。少なくとも「緊急事態宣言」が発令されていた2ヶ月弱のあいだ、おとうさんたちは子どもと一緒に家で過ごすことが、政府からも勤務先からも要請されました。鍵をかけた書斎でテレワークに没頭していたおとうさんも中にはいるかもしれませんが、潜在的に「子育て欲求」をもっていた男性にとっては、自分の殻を破り、新たな可能性に目覚める意味深い時間になったのではないかと思うのです。前回の連載で、家族の距離が近づきすぎることで、暴力や虐待が起きることへの危惧に触れましたが、何事にも必ず両面があります。ここで密接に幼いわが子と過ごした時間は、これから一生の父子関係にとって財産になるかもしれません。

 もう一つの阻害要因として私が挙げておきたいのは、巽さんが、石井クンツさんの研究(石井クンツ昌子『「育メン」現象の社会学――子育て・育児参加への希望を叶えるために』ミネルヴァ書房、2013年)から紹介している「母親のゲートキーピング説」です。わが国では、父親が外で働き、母親が家庭を守るという家族のモデルが根強いため、母親は家庭の門番(ゲートキーパー)のような役割をとりがちです。妻は、夫や子どもの行動に関する許容範囲を判断・決定しており、夫がどれくらい家事や育児に参加するかを管理することで、自分自身の存在意義を確認しようとするという指摘です。ゲートキーピングは、無意識で行われている部分も大きいと考えられるので、おとうさんを「同志」にするにあたっては、おかあさんがまず自分の気づかない心の動きに自覚的になることが大切だろうと思います。

 実は、この原稿を書き始めたちょうどそのとき、長女が「こんな漫画が今話題になってるんだって」と、ある情報サイトの記事を見せてくれたのですが、それは、インスタグラム(https://www.instagram.com/ai_______n65/)とブログで育児エッセーを発信している、あいさん(ペンネーム)という37歳の女性が描いた4コマ漫画でした。「子どもを“お風呂に入れる”という夫に言いたい、それは“洗った”だけだ!」というタイトルのこの漫画には、2.6万人の♡がついています。夫は子育ての協働者と自負していても、妻にとっては、そんなのはちょっとした手伝いに過ぎない、という意識のズレが、多くの子育て中のおかあさんの共感を呼んでいるのでしょう(私も、27年前にこのインスタグラムを見たら、♡をつけていたかもしれません)。

 ただ、その怒りをそのまま夫にぶつけるのはやめて、一呼吸置いて、自分の心に何が動いているかを確認してから、どんな会話をするかを考えることが「同志」への作法だと私は思います。「パターナル・ケア」の下手さ加減や不足を責めたり、協力を期待せずに自分でやってしまったりするというおかあさんのゲートキーピングは、結局は自らおとうさんを子育ての同志の位置から下ろしてしまうことに他なりません。同志との協働とは、目標を共有しながら、お互い対等に自分のできることを尽くすという意味であって、同じことを同じレベルで行うという意味ではないと思います。ぜひ、コロナ禍のピンチをチャンスに変えて、おかあさんの同志になるおとうさんが増えることを願っています。

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著者略歴

  1. 高石 恭子

    甲南大学文学部教授、学生相談室専任カウンセラー。専門は臨床心理学。乳幼児期から青年期の親子関係の研究や、子育て支援の研究を行う。著書に『臨床心理士の子育て相談』(人文書院、2010年)、『自我体験とは何か』(創元社、2020年)、編著に『子別れのための子育て』(平凡社、2012年)、『学生相談と発達障害』(学苑社、2012年)、『働くママと子どもの〈ほどよい距離〉のとり方』(柘植書房新社、2016年)などがある。

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