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日本の「空気」――ウスビ・サコのコミュニケーション論

作業化する「おもてなし」

マリ流の「おもてなし」
マリには「ジャティギヤ」(Jatiguiya)という「おもてなし」精神があります。それは、ゲストを家族や友だちのように迎え入れる文化で、例えば、「ちょっと今夜うちでメシ食べない?」というくらいカジュアルです。このジャティギヤでは、自分の家で過ごすのと同じくらい、ゲストにリラックスしてもらうことを大切にします。ゲストはその家族の一員となって行動をともにし、自由に過ごします。時には畑仕事を手伝うこともあります。そのなかで、「ここは自分の居場所なんだ」とさえ思えるようになるのです。ひと昔前までは、ジャティギヤを通してホストがゲストに婚姻相手を勧めることもありました。私の祖父も、とある村を訪れたことをきっかけに私の祖母と結婚し、そこで暮らすようになりました。ジャティギヤという「おもてなし」は、親戚関係のような末永い関係に発展することもあるのです。 

日本では、東京オリンピックや大阪・関西万博の招致活動の影響もあり、「おもてなし」ブームが続いています。実際に私も、「おもてなし」をテーマにしたイベントによく招待されます。しかし、少なくとも私が日本に来てからさまざまなところで経験した「おもてなし」は、形式的で不自然に感じられることがあり、心が込められているように思えないことも多かったのです。日本の「おもてなし」には、できるだけ個人を出さず、外づらでこなす部分があります。今回は、これまでに私が経験した「おもてなし」のなかで疑問をもったり、これはおかしいぞと思ったりしたいくつかの例を紹介したいと思います。

「おもてなし」の重圧
1991年、日本にはじめて留学したころ、あるイベントに参加し、一週間ほどいくつかの家族のもとで日本の暮らしと文化を体験しました。そのなかで、私はとある老夫婦の家に2泊3日でホームステイをしました。ホテルや旅館に泊まるのではなく、あえてホームステイを選択しているわけですので、かた苦しい「おもてなし」などまったく期待しておらず、日本のありのままの家庭を体験できればと思っていました。初日のお昼はすし屋に連れて行かれ、苦手なタコやイカ、イクラをがんばって飲み込みました。夜は家で、大量の鍋料理を半ば強引に食べさせられましたが、おいしくいただきました。 

残念だったのは、奥さんが常に忙しく働いており、落ち着いて家族団らんを楽しむことができなかったことです。私が家にお邪魔していることでものすごく迷惑をかけてしまっているのではないかと感じ、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

食事も終わりにさしかかり、これからたくさん会話をしようと思っていると、いつの間にか奥さんがいなくなっていることに気づきました。そして突然、「お風呂の用意ができました」と告げられました。あまりにも突然だったので、私は困惑しました。さらに、お風呂から上がってくると、すでに布団が準備されていました。早く食事を終わらせ、早く寝てほしいという「空気」を感じて、やはり迷惑をかけているのだろうかと、一層心配になりました。ホームステイに来ているのに、まるで旅館にでも泊まっているかのようです。たくさん会話をして、家族のみなさんと親しくなるぞと思っていたのに、流されるまま、あっという間に一日が終わってしまいました。遊びに来ていた12歳のお孫さんだけが気兼ねなく接してくれて、彼とは楽しくコミュニケーションできたのが、せめてもの救いでした。

二日目の朝、食卓につくとさらに驚くことがありました。トーストとコーヒーのセットの横に、ご飯とみそ汁と魚のセットが置かれていたのです。両方とも私の分のようです。そういえば前日の夜に雑談しているとき、「サコさんはふだん、朝食に何を食べるの?」と聞かれていました。私は「トーストとコーヒーなどで簡単に済ませますよ」と答えましたが、それはただの世間話だったはずです。しかし、ご家族は「おもてなし」の一環として非常に気づかってくださり、二種類の朝食を用意してくれていたのです。何も告げられずに準備されていたことが、あまりに予想外だったので、かなりショックを受けたのを覚えています。困惑しながらも、申し訳ないので、結局この「ダブル朝食」をがんばってすべてたいらげました。

一方的な「おもてなし」や、それに対して喜ぶことを期待される重圧にさいなまれていたところ、近くの家でホームステイしていた外国人同士で集まって、夕飯を食べにいかないかと、知り合いの外国人から誘われました。そこで、14時か15時ころ、外食しに出かけることを奥さんに連絡し、夜は外国人同士で食べに行きました。そのときにわかったのですが、ほかの外国人もホームステイ先での「おもてなし」のプレッシャーで大変な思いをしていたのです。

お腹をたっぷり満たしてから、老夫婦の家へ22時くらいに帰宅しました。するとどうでしょう、豪勢な料理がテーブルのうえにびっしりと並べられているではありませんか。外で食べることをあらかじめ伝えてあったのに、なぜ……?と、非常に戸惑いました。ご飯を用意してくれていることをあらかじめ言ってくれれば、私も知り合いの誘いは断り、家族団らんを楽しみたかったところです。あるいは、外国人同士で食べに行くことになったとき、「何言ってるの、早く帰ってきなさいって!」と言ってくれたのならば、それはむしろ歓迎されているのだと感じ、とてもうれしかったことでしょう。しかし、私には何も言わず、迷惑をかけないことこそが、彼らの「おもてなし」だったのです。

ひとりの人間として向き合うこと
ところが意外にも、お孫さんはそれ以来、毎年、年賀状を送り続けてくれました。ホストファミリーとして私と関わったことがかなり衝撃的だったらしく、外国に興味をもって、ものすごく勉強をしたそうです。彼は大学院で博士号を取得したのち、就職して、結婚して、ドイツに駐在することになりました。

驚いたことに、2019年の年末、そのお孫さんが京都精華大学の学長室を訪ねてきました。5年間のドイツ駐在を終えて帰国し、すぐに訪ねてきてくれたとのことです。彼は1991年以来、「家族のみんなは『あの外国人は夕食をサボった』と言っているけど、あんなに仲良く遊んでくれたのに、本当は何でだったのかな?」と、ずっと疑問を抱き続けていたようです。海外生活を経験して、私の気持ちがよくわかったようでもありました。その日は私の自宅に招き、深夜まで一緒に語り明かしました。

「おもてなし」を形式的にとらえ、思考停止してしまっていては人間と人間のコミュニケーションは生まれません。しかし、お孫さんのように素直な気持ちで相手と接していれば、「本当は何でだったのかな?」という素朴な疑問が生まれます。そうやって一人ひとりと真正面から向き合うことができれば、30年近く時が経っても、関係性は継続するのです。彼がそういった疑問をもってくれなかったならば、私たちはいまもなお、すれ違い続けていたことでしょう。「おもてなし」は、作業的にこなす形式やパターンではないし、義務でも、その場限りのものでも、一方的に押しつけるものでもありません。ひとりの人間として向き合い、素直な気持ちでコミュニケーションをとることが、本当の「おもてなし」なのではないでしょうか。

「おもてなし」の作法とリテラシー
梅雨の時期に、日本のお座敷でご飯を食べたことがあります。座る場所はあらかじめ決められており、部屋の室礼も、掛け軸や生け花もすべて丁寧に調えられ、工夫が凝らされていました。その空間にはまったく、意味のないものがなかったのです。 

食卓の上を見ると、漆の盃がふせて置いてありました。しかし、いったいどうしたことか、その盃には水滴がたくさんついていたのです。私は、「あっ、これは拭かなあかん」と思って、その水滴を拭き取ったのですが、そばにいた知人から、「いや、サコさん、これは最高のおもてなしで、季節を語ってくれているんですよ」と説明されました。そのとき、日本の最高の「おもてなし」とは、ゲストに季節・地域・文化を感じさせることなのだと学びました。

食事が始まると、料理の一つひとつについて逐一説明をうけました。しかし、そのどれもが少量で、一口で終わってしまうものでした。食事の料金のうち、料理そのものにかかっているのは3分の1か4分の1で、残りは全部「おもてなし」のためのものなのでしょう。正直にいうと、割にあっていないなと思います。もちろん、私が「おもてなし」を受けるリテラシーをしっかりと身につけていないのが悪いのはいうまでもありません。とはいえ、明らかに伝わらない暗号のような「おもてなし」は、受ける側を窮屈な思いにさせるだけではないでしょうか。

「おもてなし」をしてくれる方々は、私が喜ぶことをとても期待します。そのため、私がよくわからずぽかんとしていると、「日本では、料理は目で食べ、耳で食べるのです」などと、いろいろと説明してくれます。頭ではわかるのですが、完全には理解しきれないというのが本音です。例えば、日本の文学や伝統文化の知識がないと、どんな意味が込められているかわからないことも多いですし、「目で食べ、耳で食べる」感覚も、まだまだ身体化するには至っていません。30年近く日本に住んでいる私のリテラシーも、盃の水滴を拭いてしまう程度のものなのですから、ましてやほかの外国人にそういったことを期待しても、土台無理というものです。

誰がどこに座るか、どういう順番で食べるかなど、「おもてなし」のルールは非常に複雑です。ですから私は、最初から「どこに座るべきですか」「食べ方がわからないので教えてください」と聞くようにしています。そうするとほとんどの方は丁寧に説明してくれます。たまに「えっ、そんなこともわからないの?」「こんなこと説明すべき……?」といったリアクションをとられることもありますが。

先日、私に日本の伝統文化について解説してくれた日本人の方は、「詳しく説明してしまうと美しさがくずれてしまうのです」と言っていました。日本の文化は「ブリコラージュ」だとも言っていました。あり合わせのものを組み合わせて、相手にその場所を最高のかたちで感じてもらうことが重要で、いわゆるお茶の世界でいう一期一会にも通じるそうです。ヨーロッパのような合理的な調和ではなく、ふつうは組み合わされないものを組み合わせることによって、ひとつの美しさを生み出すのだそうです。

説明しすぎてしまうと野暮で、「おもてなし」の奥ゆかしさが損なわれてしまうというのは事実でしょう。ですが、そもそも相手に伝わらなければ意味がありません。相手の好き嫌いに配慮するというよりは、自分たちが出したいものを、自分たちの出したいかたちで一方的に出すというのが、日本の「おもてなし」の実状のように思えます。

その場限りの「おもてなし」からの脱出
愛知万博のとき、「一市町村一国」というかたちで、ひとつの地域がひとつの国をもてなす事業がありました。しかし、万博が終わって外国人が去った瞬間に、関係性がすべて途切れてしまった地域があるようです。イベントを越えた個人と個人の関係は生まれませんでした。形式的な「おもてなし」は、その場限りで終わってしまう期間限定のものになりがちです。それは、かえってお互いの距離を開いてしまう冷たい行為といえるかもしれません。 

本来、「おもてなし」は仕方なくやらなければならない義務でもなければ、一方的に押し付けるものでもないはずです。個人と個人が互いに歩み寄り、相手を思いやりながら交流することなのではないでしょうか。2002年の日韓ワールドカップのときにカメルーン代表をあたたかく迎え入れて話題となった大分県中津江村(当時)では、村民と選手たちとの交流が、いまもなお続いているそうです。形式的な「おもてなし」ではなく、家族や友だちのような双方向のコミュニケーションが、交流を持続させているのでしょう。私は、東京オリンピックや大阪・関西万博においても、少しでも多くの人に「またここに来たい」「ここは自分の居場所なんだ」と感じてもらえるような「おもてなし」を目指したいと思っています。

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著者略歴

  1. ウスビ サコ

    京都精華大学学長。
    マリ共和国で生まれ、中国の北京語言大学、東南大学を経て1991年に来日。京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士後期課程終了。博士(工学)。2001年より京都精華大学の教員。
    専門分野は建築計画(住宅計画、居住空間計画)。「空間人類学」をテーマに、学生とともに京都のまちを調査し、マリの集合居住のライフスタイルを探るなど、国や地域によって異なる環境やコミュニティと空間のリアルな関係を研究。暮らしの身近な視点から、多様な価値観を認めあう社会のありかたを提唱している。バンバラ語、英語、フランス語、中国語、関西弁が話せる。

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